２章２話　シーリーンの胸の中で、■■がついに――（２）

　シーリーンはベッドの上で、彼女に視線を合わせるために床に片膝を付いていたロイのことを抱きしめる。

　優しかった。温かかった。やわらかかった。
　癒しを感じた。救いを感じた。自分と同い年なのに、母性のようなモノも感じた。
　もう子供じゃないのに、この女の子に甘えたいとすら思えた。

　ずっと抱きしめていてもらいたい。
　ずっとシーリーンからするバニラとミルクの匂いに包まれていたい。

「ロイくんはよく頑張ったね。本当に偉いよ？　頭、なでなでしてあげる」

「――――」
「カッコよかった。シィはロイくんを好きになって、間違っていなかった。心の底からそう思う。決闘には負けちゃったけど、誰かのために立ち上がれる、それだけで、人としてカッコいいんだからね。そのことを、忘れちゃダメだよ？」

「――――」
「ロイくんは情けなくなんてない。カッコ悪くなんてない。例え負けちゃっても、一生懸命に頑張った人を、全力で努力した人をダメに思う人なんて誰もいない。もしいたなら、その人の方が間違っている。そして、ロイくんの代わりにシィがやっつけてあげる」

「――――」
「ロイくん、大好き。シィが許すから、だから、もう、自分を責めないで？」

　それから、いくらかの時が流れた。
　心が空っぽのままのロイ。

　そんな彼の心を満たすように、彼のことを抱きしめ続けるシーリーン。
　そして、成り行きを見守るクリスティーナ。

「シィ……」
「ん？　どぉしたの？」

　子供をあやすように優しい声で、シーリーンが応える。

「ボクが負けたあと、いろいろ、どうなったのかな……？」
「アリスは、エルフ・ル・ドーラ侯爵に連れていかれたよ。本当に、それだけ」

「……、っ」
「イヴちゃんがヒーリングして、マリアさんがロイくんを背負って寄宿舎まで戻ってきて、シィがそのあと、ロイくんの傍にずっといた」

「それで……？」
「イヴちゃんもマリアさんも、シィに少しは寝た方がいいって言ってくれたんだけど、どうしても、ロイくんの傍にいたくて。――結局は寝落ちしちゃったけどね」

「――――」
「で、今の時刻は、えぇ……っと」
「深夜の２時でございます」
「だって」

　嗚呼――、
　ロイは思わず、自分で自分がイヤになる。シーリーンはもちろん、クリスティーナだって否定するだろうが、自分が惨めだ。深くて霧のような自己嫌悪に陥りそうになる。否、すでにもう、自己嫌悪に陥っていた。

　全てを投げ出したい気分なのに、実際に投げ出したら、ますますネガティブになってしまうだろう。
　動きたいのに、前に進みたいのに、気力が湧かないことで、どんどんマイナス思考に迷い込んでしまう。そしてマイナス思考に迷い込むと、ますます動けなくて、前に進めなくなる。完全に悪循環ではないか。

「ふざけるな……っ」
「――――」

　ロイの口から罵倒の言葉が出ても、シーリーンは優しく彼の背中をさするだけだった。

「不本意な離別なんて、ボクは認められない……ッ」
「――――」

　ロイが現実を認めようとしなくても、それすらも肯定するように、シーリーンは彼のことを抱きしめる。

「ボクはもう！　誰かから失われたくないんだ！」

　ロイのヒステリックな悲鳴が部屋に響く。
　切なげで、悲しげで、まるで声帯を引き千切るような声。否、すでに切れたあとのような声。聞く者の耳を塞ぎたいと思わせる現実を呪うような叫びは、ロイの心がボロボロになっていることの証明だった。

　もう、自暴自棄の一歩手前である。
　シーリーンがいなかったら、ロイはもう壊れていたかもしれない。

　ロイは「誰かを失いたくないんだ」ではなく「誰かから失われたくないんだ」と叫んだ。
　普通は逆だろうが、ロイの場合は違う。これであっている。
　彼にとって他人とは『失うモノ』ではなく、彼にとって自分とは『他人から失われるモノ』なのだ。

　よくよく、人は誰かとの不本意な離別の時に『――さんを失った』というが、逆を言えば、相手方からすれば自分の方こそ『失うモノ』なのである。

　普通、人はそのことに気付けない。こういう場合、他人を失う対象として認識するのが普通で、自分の方こそを他人から見て失われる対象と認識できるのは、本当に、ロイの年齢ではごくわずかだろう。

「クリスさんは、もう知っていますか？」
　と、急にシーリーンはクリスティーナに話を振った。
　ロイにはなんの話をしているのかわからない。主語がないので当然だが。

　しかしクリスティーナは全てを察した様子で首を縦に振る。

「当然でございます。違和感は、前々からございましたので」
「そっか」

「ということは、シーリーンさまも？」
「たぶん、クリスさんはメイドとしてロイくんのお世話をしているうちに気付いたんだよね？」

「はい。ご主人様の日常生活は、わたくしが管理しておりますので」
「シィはね？　論理的じゃないかもしれないけど、なんとな～く、わかったんだ」

「愛、でございますね」
「うん、好きな男の子のことだもん」

　困惑するロイを置いてシーリーンとクリスティーナの会話は終わった。
　最終的に、ロイは少しも話がわからなかった。

　だが実は、この話はロイという人間の一番中核をなすことについて話し合われていたのである。
　そしてロイが不思議に思っていると、シーリーンは彼の耳元に唇を寄せた。
　吐息が耳を掠めて、ドキドキしてしまう。

「ロイくん」
「な、なに？」

「予め言っておくね？　シィは、どんなことが過去にあったとしても、ロイくんを好きであることをやめないよ？　ずっとずっと、あなたのことを好きでい続ける」
「シィ？」

「ロイくんがロイくんである以上、シィはなにがあったとしても、あなたに初恋を捧げ続けることを誓う。約束する」
「――――」

　そしてシーリーンはいったんロイから身体を離すと、彼に目を真っ直ぐ合わせて――、

「だから教えて？　ロイくんの前世のことを」