世界を呪った鬼は願う

白波ハクア

第44話 密かな魔王の願い

 シルフィードはうなされていた。
 最後に無理をして走った肉体的な疲れと、最近になって色々なことが起こったせいで、精神的な疲れが同時に襲ってきたのだ。
 彼女を心配したアカネは、食料の調達をハクとリーフィアに頼み、自身は看病に徹していた。
 今はシルフィードの手を握り、彼女が目覚めるのを静かに見守っている。
「――お母さん!」
 シルフィードはガバッ、と起き上がる。 額には脂汗が浮かんでおり、相当な悪夢を見ていたのだとわかった。
「……あれ、ここは?」
 そして、手を握られている感覚を覚え、ようやくアカネの存在に気がついた。
「…………あか、ね?」
「はい、貴女のアカネよ。うなされていたみたいだったけど、大丈夫? ……ちょっと待ってなさい」
 そう言って席を立ち、数分後にまた戻ってきた。
 その手にはコップが握られており、そこから湯気がゆらゆらと揺れていた。
「リラックス効果のあるお茶よ。まだ少し熱いから気をつけて」
「……ありがと」
 礼を言って差し出されたコップを受け取り、クイッと少量飲んだ。
「美味しい……」
「ふふっ、それはよかった。これは京で人気の茶葉を使っているのよ。気に入ってもらえて嬉しいわ」
「…………うん」
 シルフィードは揺れる水面を見つめて、何か悩みを抱えている表情をしている。
(……相当、嫌な夢だったのね。でも、これは彼女の問題。私から突っ込んでいくことはできない…………もどかしいわね)
「夢を……見ていたの……」
 不意にシルフィードが掠れた声で呟いた。
「昔の夢だった。私とリフィ、それにお父さんやお母さんもいた……夢の中の私達は、それは楽しそうに遊んでいたわ……」
 彼女は笑う。だが、それは少し寂しそうだった。
「私達の故郷は森の中でね……そこで木登りとかかくれんぼとか……本当に子供っぽいことをして、夢の中の私は楽しそうに笑っていた……」
 シルフィードは再びお茶の水面に視線を移し、震える手でコップを握った。
「それから、それから……!」
「――ストップ」
 何かを言おうとしたシルフィードの口に、人差し指を押さえつけて止めさせる。
 そして、彼女の目をしっかりと見つめて、諭すように優しい口調で話す。
「今はまだ無理に言う必要はない。貴女が本当に決心できた時……私は貴女の力になる。絶対よ。だから焦らないで、心を強く持って……ね?」
「うん……ごめんなさい。迷惑をかけるわ」
「あら、迷惑だなんてこれっぽっちも思ってないわ。大好きな人の力になれる。それは何よりも嬉しくて、やりがいのあることよ」
「……もうっ、そんなこと言われたら…………甘えたくなっちゃうじゃない」
 最後の言葉は小さくて聞き取りづらかったが、アカネはしっかりと聞き逃さなかった。
「甘えていいのよ。私達はそういう関係になったんだもの……」
 シルフィードの頬に手を添え、撫でる。
「よし、そろそろ二人が帰ってくるから、こっちも準備しなくちゃね」
 名残惜しい気持ちを押し退けて、アカネは立ち上がる。
「……そういえば、リフィとハクはどこに?」
「食材を取りに行ってもらってるわ。この森には野生の動物が居るらしいから、今日はご馳走よ。今のうちにしっかりと体力を付けないと、明日も保たないわよ?」
「うわぁ、明日も体力作り? やっぱりアカネは鬼ね」
「だから鬼だって……」
 シルフィードはそんなことを言いながら、嫌だとは一切言わない。
 それはアカネが、自分達のことを大切に考えてくれているとわかっているからだ。 そして同時にシルフィード自身も、力を付けたいと真摯に願っている。
 ――もう、己の力不足で何かを危険に晒したくない。
 そのような願いがあるからこそ、彼女はアカネの指導に付いていくのだ。
 思えばシルフィードは彼女から貰ってばかりだ。だからいつか、こちらが貰うのではなく、何かをしてあげたい。
「お肉料理は何にしようかしら……ああ、鍋とかもいいかも……けれど普通に丸焼きっていうのも。だとしたら獣臭さを消す葉を……」
 献立に悩んでいるアカネの背に、シルフィードはソッと抱きつく。 彼女の背中は何故か安心した。抱きついているのはこちらなのに、逆に包まれている感覚になってしまう。
 ――それがとても心地いい。
「おっ……と、どうしたのシルフィ?」
「……ありがとう、アカネ」
「…………どういたしまして」
 何時までも抱きついている訳にはいかない。 もう一度、強くギュッとしてから、シルフィードは離れる。
「準備するんでしょ? 私も手伝うわ」
「疲れているんだから休んでいてもいいのよ?」
 まだシルフィードは、気力が回復しているようには見えなかった。 だから心配して訪ねたのだが、彼女は首を振った。
「アカネだけにやらせるのも悪いわ。手伝わせてほしいの……その…………初めての共同作業ってやつを」
「……わかったわ。それじゃあ、シルフィには鍋を洗ってもらおうかしら」
 アカネは『アイテムボックス』から、大きめの鍋と洗剤、洗い流すための水を取り出す。
 既にシルフィードとリーフィアの二人には、『アイテムボックス』の存在を教えているので、驚かれることはない。
「任せて!」
 シルフィードは意気揚々とそれを受け取り、自分の仕事をこなしていく。
 そんな彼女の後ろ姿を、アカネは静かに見守っていた。
(まだシルフィは弱い。実力だけではなくて……心も)
 おそらく彼女はまだ何か問題を抱えている。 それは今回の夢というのに関係しているのだろう。
 ……そして、その問題は彼女にとって立ち直れない程の負荷をかけている。 何かきっかけさえあれば、すぐに崩れてしまう。
 だからこそ自分が支えてあげたい。 それが一生の伴侶となるアカネの責任であり、彼女の願いだった。
(この先、何が起こるかわからない。けれど、絶対に貴女達を守るわ――――例え全てを敵にしても)

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