偏食な子犬拾いました
辞職と失踪
大樹が消えてからもう一カ月経つ。
あれから何の連絡もなく、こちらからの連絡には一切反応を示さなかった。
「香西さん、大樹さんはいつ帰ってくるんですか?」
「……知らない。ポチこそ本当は知ってて隠してるんじゃないの?」
「まさか。僕、ただの居候ですよ? 大体大樹さんが僕にだけ連絡する訳ないじゃないですか」
大慌てで全否定するポチだったが、今の俺にはそれすら嘘に思えてくる。
大樹が俺を大切にしていたのは確かだが、同じようにポチも大切にしてきた。
ポチを拾ってきてから俺への愛情は変わりないように思えていたが、内緒ごとが増えたりと不審な点が出てきたのは否めない。
それがポチに関することなのか、大樹自身に関することなのか。
何のことを内緒にしているのか掴めないが、何となく俺の過去に関することなのではと思っている。
だから俺に話さないでいるし、実家が絡んでいるだけなのに俺の前から消えた。
「大樹は俺を捨てたんだ」
俺のことが大樹の足かせになり、身の回りに不都合を生じさせた。
だから大樹は俺を切り捨てた。
「愛なんて言葉、信じちゃいけないって分かってたのに」
母親に『道具』として扱われるようになってから、それは嫌という程実感してきた。
母親が俺に言う『愛している』は、『ちゃんと生かしてやるから上手く客を掴みな』の意味で、客の言う『愛してる』は『私の満足するような行為をしないと母親に言うよ』だった。
大樹はそんなやつらの『愛してる』を変えてくれたと思っていた。
『愛してる』は、利用することではなく大切にすることだった。
見返りを求めない『愛してる』は、最初こそ怪しげで訝しいものでしかなかった。それを時間をかけて言葉と身体で教えてくれたのが大樹だった。
「なのになぜ、今になって……」
捨てていくのになぜ『愛してる』と残していくのか。
『愛してる』のになぜ、音信不通のままでいるのか。
過去の清算が上手くいっていなければ、こうなると大樹なら予想は出来ただろう。だったら最初から『愛してる』なんて言葉で俺を騙さなければいいのに。
『なぜ』という疑問詞しか浮かばない。
大樹のいない毎日が、もう考えられない。
「香西さん、仕事は……」
「……もう、行かない」
「え!? だって休講の連絡とかしてないですよね!?」
「もう、ずっと前に終わるって連絡した」
そう、大樹が消えた翌日に連絡はした。
受講者にも、ビルの管理会社にも。
大樹の置手紙に、料理教室は俺の自由にしていいと書いてあった。
だからその言葉の通り自由にさせてもらった。
大樹のいない講習なんてやる意味がない。
元々大樹が無理にやらせていたことだった。
俺はこんな大々的にやるともりなんてまるでなかったんだ。
だから辞めた。
休講ではなく、終講。教室自体を全てなくした。
「ポチも、もう行かなくていいんだ。あんな場所」
「香西さん……」
「しばらく一人にさせてくれ。俺の部屋には入ってくるな」
誰も信じられない。
大樹もポチも、俺自身も。
こんなことならあの時、大樹に見つけられることなく消えてしまえたら良かったのに……。
**********
「しばらく一人にさせてくれ。俺の部屋に入ってくるな」
そう言って香西さんは自室に籠ってしまった。
ガチャ、と鍵を掛けた音がした。
入ってくるなと言われてもこれでは入れない。
「香西さん、本当に仕事行かなくて大丈夫なんですか?」
返事はない。
昨日は通常の休みだったので行かなくて当然だったが、一昨日は通常に講義はあった。
当然香西さんは教室に行って講義をしていた。
僕もアシスタントとして一緒に行った。その時は何も言ってなかったし、普通に講義していた。
教室のおばさん達もいつもと変わりなく、うっとりと香西さんの顔を見ながら料理を作っていた。
誰も、一昨日でこの料理教室がなくなるなんて言ってもいなかった。
「本当に終わっちゃったんだろうか」
ビルの管理人のおじさんも何も言ってなかった。
『今日も頑張ってね』と、僕に笑顔で言ってくれた。
「……行って、確認してみよう」
管理人のおじさんなら何か知っているかもしれないし、ビルの掲示板にも何かお知らせのようなものが貼ってあるかもしれない。
本当はあまり一人で出歩きたくなかった。
家のやつらに見つかる可能性だってある。
見つかったら今度こそ捕まって、連れ戻されるかもしれない。
「それでも、確認しなきゃ」
こんな形で香西さんの料理教室を終わらせちゃいけないんだ。
もしただの休講ならば、また料理教室を再開してもらいたい。
「だって香西さんは僕に、ちゃんと料理した食事がおいしいって教えてくれたんだもの」
香西さんの作った料理はおいしい。
あんなに不味くて食べたくないと思っていた料理に対して見方を変えてくれた。
食べるだけじゃない。
作っている香西さんは楽しそうだった。
見ているだけで嬉しくなってくる。
どんなものが出来上がるのか、ワクワクもするし工程を見ているだけで楽しくもなってくる。
自分でもいつか作ってみたいとさえ思えてきていた。
「それなのに、まだクッキーの型抜きくらいしかやってないじゃないか」
僕もあんな風に笑ってみたい。
料理を作って笑っている僕を見て、香西さんや大樹さんを笑顔にしたい。
香西さんは教室のおばさん達を『欲情の眼で見ている』と言っていたが、あれはそうじゃない。
おばさん達も僕と一緒で、楽しそうに料理を作る香西さんを見て幸せになってうっとりと見ていただけなんだ。
そんなことを考えながら歩いていたら、教室のあったビルにたどり着いた。
「あ、あの。こんにちは」
「おう、料理教室のボウズか。今日は来ないから休みなんだと思ってたよ」
「その、それについて聞きたかったんです」
僕の話に管理人のおじさんは首を傾げて少し考えたあと、棚から分厚いファイルを取り出して見はじめた。
「ああ、ボウズの言うように先生のとこの料理教室は一昨日で終わりになってるな。先生、何も言わないで帰っていったから休講だと思ってたよ」
「そう、ですか……」
管理人のおじさんも何も知らなかった。
お礼だけ言い、ビルを後に行く当てもなくトボトボと歩き出した。
「本当だったんだ……」
本気だった。
香西さんは何もかも諦めてしまったのか?
「こんなの大樹さんは、認めていいのか!?」
大樹さんだって香西さんの作る料理も、作っている姿も好きな筈なのに。
それを簡単に捨てさせてしまっていいものなのか!?
大樹さんは香西さんに宛てて手紙を書いていたみたいだけど、その内容は知らない。
さすがに見せてとは言えないし、言ったところで見せてもくれないだろう。
「大樹さんにこの事を伝えなきゃ」
僕に返事が来なくても、香西さんには何らかのアクションがあるかもしれない。
電話なりメールなり。もしかしたら帰って来るかもしれない。
「これでノーリアクションだったら、大樹さんは鬼だ」
あれだけ香西さんを所有物だの愛してるだの言っておいて、恋人が落ち込んで好きだった料理まで辞めてしまう状態なのに。
「こんなので恋人なんて名乗ってるのは間違ってる」
代わりに僕が香西さんの……、なんてことも一瞬思いが過ったが、僕にはその覚悟も何もない。
まだ子供の僕は本気の恋愛なんてしたことがない。
まして同性愛。
香西さんは好きだけど、そういった意味合いで好きな訳ではないし、初体験もまだな僕には香西さんを大樹さんのように愛してあげることは出来ない。
「大樹さんのバカっ!」
声に出して叫ぶ。
他の人が見ればおかしい人だろうが、大樹さんがどこかで見ていればおかしく思われても構わないと思った。
聞いてムカついてくれればいい。
どうせならお仕置きしにひょっこり現れてくれればいい。
でもそんなに都合よくは物事は運んでくれないものだっていうのも知っている。
叫び続けたところで奇異の眼でしか見られず、肝心の大樹さんは現れない。
このまま注目を浴びていれば、運悪く家のやつに見つかりかねない。
これ以上の注目は危険なので、メールを打つのにも丁度いいので近くのハンバーガーチェーン店に足を運んだ。
適当に注文し、人目のつかないような奥まった席を陣取った。
「久し振りだな。香西さんのとこに居候して以来だ」
それまでは何度もお世話になった食事のひとつだった。
懐かしいとまではいかないが、数か月ぶりのファストフードを味わう。
「あー、この味この味」
食べ馴染んだ味なので不味くはない。
ただ食べた後の口の中が気持ち悪くなるのが嫌なだけで、そこまで嫌いな訳ではない。
香西さんが以前手作りでハンバーガーを作ると言った時に嫌な顔をしたが、居候前にほぼ毎日食べていて飽きていたせいでもあった。
あの香西さんの手作りハンバーガーは、それ抜きにしても絶品だった。
「……やっぱり違うんだよなぁ。香西さんが作るものは何もかも」
当たり前っていえば当たり前なんだけど。
おいしいと思って食べ進めたハンバーガーも、半分まできて食べる気がなくなってしまった。
香西さんのハンバーガーを思い出してしまったのもあるけど、少し濃い目のこの味に飽きてしまった。
「捨てたら罰が当たるって、二人に絶対言われる」
今まではそんなこと思いもしなかった。
いつのまにかそれが当たり前に感じるようになった僕は、すっかり二人に感化されている証拠なんだろう。
お腹には十分スペースが空いているので、食べ物に感謝しつつ胃に納めてやる。
後味は一緒に頼んだ飲みなれないコーヒーで無理矢理消し去った。
「ごちそうさまでした。よし、大樹さんにしつこく連絡してやる!」
電話は絶対に出ないだろうし、店内での通話はマナー違反だ。
見ていようが見ていまいが、メールとラインを嫌ってほど送ってやることに決めている。
長時間居座れるように、ラージサイズのコーラと塩抜きでフレンチフライも頼んでおいたのだ。
とにかく送る。
同じ文章では送ったのを数回読んだら、きっとあとは読まずにそのままにされるだろう。
だから内容は送るたびに変える。
ネタが尽きたら最初のものを少しアレンジして送り付ける。これの繰り返し。
『香西さんがひきこもりました』
『大樹さん、帰ってきてください。香西さんが寂しそうです』
『大樹さんのせいで、香西さんは料理教室辞めちゃいましたよ!? いいんですか!?』
『香西さんの料理、恋しくないですか? あのおからのハンバーグ、食べたくないですか?』
こんな感じで少しずつ変えては、数分と空けずに送り付けていた。
が、二時間粘って送り続けたが、メールはさておきラインは既読すらついていない状態が続いていた。
「うーん、さすがクール過ぎる男。これくらいじゃびくともしないか」
ラインはアプリを開かなくてもメッセージを確認出来る設定がある。
もしかしたら大樹さんは既読がつかないように、そう設定しているのかもしれない。
「もう少し粘りたいが、お腹もいっぱいだし時間も時間だしな」
香西さんを一人にして家を出て、かれこれ四時間にはなろうとしている。
部屋に籠っていて僕が出掛けたことに気付かないでいるならいいが、何も言わないで出てきたので心配しているかもしれない。
「一度、戻ろう」
戻って家でまた続きをすればいい。
外でやり取りしていて会えたらいいと思っていたが、そう上手くはいかなかった。
家を出てきた時同様、とぼとぼと歩いて戻っていく。
自分用にと預けられていたカードキーでマンションのエントランスを抜け、部屋を開ける。
「ただいまぁ……」
多分自室に籠っているから聞こえないだろうが、一応挨拶はして入る。
当然部屋の中は暗い。
「香西さん、起きてます? 夕飯、何か買ってきましょうか?」
部屋をノックして声をかけるが返事はない。
寝ている可能性もあるけど、黙ったままというのはちょっと嫌な感じがする。
「香西さん? 大丈夫ですか? 倒れてたりとかしませんよね?」
強めにノックし、さっきよりも大きな声で呼びかける。それでも返事はない。
「香西さん、開けますよ!?」
入るなと言われていた部屋のドアのノブに手を掛ける。
鍵が掛かっていた筈のドアはすんなりとノブを回転させ、扉を開けさせた。
「香西、さん?」
本当に倒れているのでは!? と静かにドアを開き中へ入る。
カーテンの開いたままの部屋には階下の街灯が差し込み、うっすらと部屋の中を照らしていた。
パソコンデスクと折りたたみベッドだけが置かれた部屋には人影がない。
「え、香西さんまでいなくなった……?」
訳が分からない。
何で大樹さんを待つ身の香西さんまでいなくなるのか。
探しに行くにしろ、黙って出ていく人ではない。
綺麗に整ったままのベッドや部屋の中からすると誘拐は考えられない。
「どこ、いったの香西さん」
呆然としてしまい、座り込みそうになる。
でもここで僕まで気落ちしてしまっては、大樹さんはおろか香西さんまでも探せない。
「大樹さん、ライン見て!」
そう願いを込めて急いで一文を流す。
『香西さんも失踪しました』
あれから何の連絡もなく、こちらからの連絡には一切反応を示さなかった。
「香西さん、大樹さんはいつ帰ってくるんですか?」
「……知らない。ポチこそ本当は知ってて隠してるんじゃないの?」
「まさか。僕、ただの居候ですよ? 大体大樹さんが僕にだけ連絡する訳ないじゃないですか」
大慌てで全否定するポチだったが、今の俺にはそれすら嘘に思えてくる。
大樹が俺を大切にしていたのは確かだが、同じようにポチも大切にしてきた。
ポチを拾ってきてから俺への愛情は変わりないように思えていたが、内緒ごとが増えたりと不審な点が出てきたのは否めない。
それがポチに関することなのか、大樹自身に関することなのか。
何のことを内緒にしているのか掴めないが、何となく俺の過去に関することなのではと思っている。
だから俺に話さないでいるし、実家が絡んでいるだけなのに俺の前から消えた。
「大樹は俺を捨てたんだ」
俺のことが大樹の足かせになり、身の回りに不都合を生じさせた。
だから大樹は俺を切り捨てた。
「愛なんて言葉、信じちゃいけないって分かってたのに」
母親に『道具』として扱われるようになってから、それは嫌という程実感してきた。
母親が俺に言う『愛している』は、『ちゃんと生かしてやるから上手く客を掴みな』の意味で、客の言う『愛してる』は『私の満足するような行為をしないと母親に言うよ』だった。
大樹はそんなやつらの『愛してる』を変えてくれたと思っていた。
『愛してる』は、利用することではなく大切にすることだった。
見返りを求めない『愛してる』は、最初こそ怪しげで訝しいものでしかなかった。それを時間をかけて言葉と身体で教えてくれたのが大樹だった。
「なのになぜ、今になって……」
捨てていくのになぜ『愛してる』と残していくのか。
『愛してる』のになぜ、音信不通のままでいるのか。
過去の清算が上手くいっていなければ、こうなると大樹なら予想は出来ただろう。だったら最初から『愛してる』なんて言葉で俺を騙さなければいいのに。
『なぜ』という疑問詞しか浮かばない。
大樹のいない毎日が、もう考えられない。
「香西さん、仕事は……」
「……もう、行かない」
「え!? だって休講の連絡とかしてないですよね!?」
「もう、ずっと前に終わるって連絡した」
そう、大樹が消えた翌日に連絡はした。
受講者にも、ビルの管理会社にも。
大樹の置手紙に、料理教室は俺の自由にしていいと書いてあった。
だからその言葉の通り自由にさせてもらった。
大樹のいない講習なんてやる意味がない。
元々大樹が無理にやらせていたことだった。
俺はこんな大々的にやるともりなんてまるでなかったんだ。
だから辞めた。
休講ではなく、終講。教室自体を全てなくした。
「ポチも、もう行かなくていいんだ。あんな場所」
「香西さん……」
「しばらく一人にさせてくれ。俺の部屋には入ってくるな」
誰も信じられない。
大樹もポチも、俺自身も。
こんなことならあの時、大樹に見つけられることなく消えてしまえたら良かったのに……。
**********
「しばらく一人にさせてくれ。俺の部屋に入ってくるな」
そう言って香西さんは自室に籠ってしまった。
ガチャ、と鍵を掛けた音がした。
入ってくるなと言われてもこれでは入れない。
「香西さん、本当に仕事行かなくて大丈夫なんですか?」
返事はない。
昨日は通常の休みだったので行かなくて当然だったが、一昨日は通常に講義はあった。
当然香西さんは教室に行って講義をしていた。
僕もアシスタントとして一緒に行った。その時は何も言ってなかったし、普通に講義していた。
教室のおばさん達もいつもと変わりなく、うっとりと香西さんの顔を見ながら料理を作っていた。
誰も、一昨日でこの料理教室がなくなるなんて言ってもいなかった。
「本当に終わっちゃったんだろうか」
ビルの管理人のおじさんも何も言ってなかった。
『今日も頑張ってね』と、僕に笑顔で言ってくれた。
「……行って、確認してみよう」
管理人のおじさんなら何か知っているかもしれないし、ビルの掲示板にも何かお知らせのようなものが貼ってあるかもしれない。
本当はあまり一人で出歩きたくなかった。
家のやつらに見つかる可能性だってある。
見つかったら今度こそ捕まって、連れ戻されるかもしれない。
「それでも、確認しなきゃ」
こんな形で香西さんの料理教室を終わらせちゃいけないんだ。
もしただの休講ならば、また料理教室を再開してもらいたい。
「だって香西さんは僕に、ちゃんと料理した食事がおいしいって教えてくれたんだもの」
香西さんの作った料理はおいしい。
あんなに不味くて食べたくないと思っていた料理に対して見方を変えてくれた。
食べるだけじゃない。
作っている香西さんは楽しそうだった。
見ているだけで嬉しくなってくる。
どんなものが出来上がるのか、ワクワクもするし工程を見ているだけで楽しくもなってくる。
自分でもいつか作ってみたいとさえ思えてきていた。
「それなのに、まだクッキーの型抜きくらいしかやってないじゃないか」
僕もあんな風に笑ってみたい。
料理を作って笑っている僕を見て、香西さんや大樹さんを笑顔にしたい。
香西さんは教室のおばさん達を『欲情の眼で見ている』と言っていたが、あれはそうじゃない。
おばさん達も僕と一緒で、楽しそうに料理を作る香西さんを見て幸せになってうっとりと見ていただけなんだ。
そんなことを考えながら歩いていたら、教室のあったビルにたどり着いた。
「あ、あの。こんにちは」
「おう、料理教室のボウズか。今日は来ないから休みなんだと思ってたよ」
「その、それについて聞きたかったんです」
僕の話に管理人のおじさんは首を傾げて少し考えたあと、棚から分厚いファイルを取り出して見はじめた。
「ああ、ボウズの言うように先生のとこの料理教室は一昨日で終わりになってるな。先生、何も言わないで帰っていったから休講だと思ってたよ」
「そう、ですか……」
管理人のおじさんも何も知らなかった。
お礼だけ言い、ビルを後に行く当てもなくトボトボと歩き出した。
「本当だったんだ……」
本気だった。
香西さんは何もかも諦めてしまったのか?
「こんなの大樹さんは、認めていいのか!?」
大樹さんだって香西さんの作る料理も、作っている姿も好きな筈なのに。
それを簡単に捨てさせてしまっていいものなのか!?
大樹さんは香西さんに宛てて手紙を書いていたみたいだけど、その内容は知らない。
さすがに見せてとは言えないし、言ったところで見せてもくれないだろう。
「大樹さんにこの事を伝えなきゃ」
僕に返事が来なくても、香西さんには何らかのアクションがあるかもしれない。
電話なりメールなり。もしかしたら帰って来るかもしれない。
「これでノーリアクションだったら、大樹さんは鬼だ」
あれだけ香西さんを所有物だの愛してるだの言っておいて、恋人が落ち込んで好きだった料理まで辞めてしまう状態なのに。
「こんなので恋人なんて名乗ってるのは間違ってる」
代わりに僕が香西さんの……、なんてことも一瞬思いが過ったが、僕にはその覚悟も何もない。
まだ子供の僕は本気の恋愛なんてしたことがない。
まして同性愛。
香西さんは好きだけど、そういった意味合いで好きな訳ではないし、初体験もまだな僕には香西さんを大樹さんのように愛してあげることは出来ない。
「大樹さんのバカっ!」
声に出して叫ぶ。
他の人が見ればおかしい人だろうが、大樹さんがどこかで見ていればおかしく思われても構わないと思った。
聞いてムカついてくれればいい。
どうせならお仕置きしにひょっこり現れてくれればいい。
でもそんなに都合よくは物事は運んでくれないものだっていうのも知っている。
叫び続けたところで奇異の眼でしか見られず、肝心の大樹さんは現れない。
このまま注目を浴びていれば、運悪く家のやつに見つかりかねない。
これ以上の注目は危険なので、メールを打つのにも丁度いいので近くのハンバーガーチェーン店に足を運んだ。
適当に注文し、人目のつかないような奥まった席を陣取った。
「久し振りだな。香西さんのとこに居候して以来だ」
それまでは何度もお世話になった食事のひとつだった。
懐かしいとまではいかないが、数か月ぶりのファストフードを味わう。
「あー、この味この味」
食べ馴染んだ味なので不味くはない。
ただ食べた後の口の中が気持ち悪くなるのが嫌なだけで、そこまで嫌いな訳ではない。
香西さんが以前手作りでハンバーガーを作ると言った時に嫌な顔をしたが、居候前にほぼ毎日食べていて飽きていたせいでもあった。
あの香西さんの手作りハンバーガーは、それ抜きにしても絶品だった。
「……やっぱり違うんだよなぁ。香西さんが作るものは何もかも」
当たり前っていえば当たり前なんだけど。
おいしいと思って食べ進めたハンバーガーも、半分まできて食べる気がなくなってしまった。
香西さんのハンバーガーを思い出してしまったのもあるけど、少し濃い目のこの味に飽きてしまった。
「捨てたら罰が当たるって、二人に絶対言われる」
今まではそんなこと思いもしなかった。
いつのまにかそれが当たり前に感じるようになった僕は、すっかり二人に感化されている証拠なんだろう。
お腹には十分スペースが空いているので、食べ物に感謝しつつ胃に納めてやる。
後味は一緒に頼んだ飲みなれないコーヒーで無理矢理消し去った。
「ごちそうさまでした。よし、大樹さんにしつこく連絡してやる!」
電話は絶対に出ないだろうし、店内での通話はマナー違反だ。
見ていようが見ていまいが、メールとラインを嫌ってほど送ってやることに決めている。
長時間居座れるように、ラージサイズのコーラと塩抜きでフレンチフライも頼んでおいたのだ。
とにかく送る。
同じ文章では送ったのを数回読んだら、きっとあとは読まずにそのままにされるだろう。
だから内容は送るたびに変える。
ネタが尽きたら最初のものを少しアレンジして送り付ける。これの繰り返し。
『香西さんがひきこもりました』
『大樹さん、帰ってきてください。香西さんが寂しそうです』
『大樹さんのせいで、香西さんは料理教室辞めちゃいましたよ!? いいんですか!?』
『香西さんの料理、恋しくないですか? あのおからのハンバーグ、食べたくないですか?』
こんな感じで少しずつ変えては、数分と空けずに送り付けていた。
が、二時間粘って送り続けたが、メールはさておきラインは既読すらついていない状態が続いていた。
「うーん、さすがクール過ぎる男。これくらいじゃびくともしないか」
ラインはアプリを開かなくてもメッセージを確認出来る設定がある。
もしかしたら大樹さんは既読がつかないように、そう設定しているのかもしれない。
「もう少し粘りたいが、お腹もいっぱいだし時間も時間だしな」
香西さんを一人にして家を出て、かれこれ四時間にはなろうとしている。
部屋に籠っていて僕が出掛けたことに気付かないでいるならいいが、何も言わないで出てきたので心配しているかもしれない。
「一度、戻ろう」
戻って家でまた続きをすればいい。
外でやり取りしていて会えたらいいと思っていたが、そう上手くはいかなかった。
家を出てきた時同様、とぼとぼと歩いて戻っていく。
自分用にと預けられていたカードキーでマンションのエントランスを抜け、部屋を開ける。
「ただいまぁ……」
多分自室に籠っているから聞こえないだろうが、一応挨拶はして入る。
当然部屋の中は暗い。
「香西さん、起きてます? 夕飯、何か買ってきましょうか?」
部屋をノックして声をかけるが返事はない。
寝ている可能性もあるけど、黙ったままというのはちょっと嫌な感じがする。
「香西さん? 大丈夫ですか? 倒れてたりとかしませんよね?」
強めにノックし、さっきよりも大きな声で呼びかける。それでも返事はない。
「香西さん、開けますよ!?」
入るなと言われていた部屋のドアのノブに手を掛ける。
鍵が掛かっていた筈のドアはすんなりとノブを回転させ、扉を開けさせた。
「香西、さん?」
本当に倒れているのでは!? と静かにドアを開き中へ入る。
カーテンの開いたままの部屋には階下の街灯が差し込み、うっすらと部屋の中を照らしていた。
パソコンデスクと折りたたみベッドだけが置かれた部屋には人影がない。
「え、香西さんまでいなくなった……?」
訳が分からない。
何で大樹さんを待つ身の香西さんまでいなくなるのか。
探しに行くにしろ、黙って出ていく人ではない。
綺麗に整ったままのベッドや部屋の中からすると誘拐は考えられない。
「どこ、いったの香西さん」
呆然としてしまい、座り込みそうになる。
でもここで僕まで気落ちしてしまっては、大樹さんはおろか香西さんまでも探せない。
「大樹さん、ライン見て!」
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