バミューダ・トリガー
三十四幕 勧告を断ち切って
「神河・・・?これ、なんなのよ・・・?」
雲雀 鈴が、放心ぎみに問うてくる。
彼女の心境が、つい今し方、俺自身が陥っていたそれと同位にあることは容易に見てとれた。
否、恐らくはそれ以上。
未だに能力の発現を達成していない鈴にとって、今、この状況こそが前線で敵と対峙する初めての場面なのだ。
それがどうだろうか。
目の前に広がるのは、衝突の痕により痛ましく砕けた、かつての学び舎である警察署正門。
硝子や金属の破片を撒き散らして大破したパトカー。
その傍らで横たわる、確かめるまでもなくこと切れていることが判る警察官。
どこをとっても最悪。鈴が地面にへたり込むこと無く、また、絶叫せずに自我を保てていることが奇跡である。
そして、神河輪人という高校生は、その奇跡を逃すことを良しとしない。
その一瞬があるなら、親愛なる友のために決断することを厭わない。
「鈴っ!!逃げろぉっ!!」
一度だけ、見開いた目を瞬く鈴。
その瞬きと同時に、鈴に思考力が蘇る。
「え、ええ!」
顔は強張らせたまま、足は震えたまま。
しかし、それでも良い。
振り絞った勇気と生存本能のままに、雲雀鈴はきびすを返して駆け出し、少なくとも彼女は助かる―。
「―なんて言って、おとなしく逃げ帰るとでも思ってるわけ?」
「・・・え?」
来た道を振り返った鈴は、しかし足を踏み出さない。踏み出せない、のではなく、断固たる意思で、逃走という選択肢を破り捨てたのだ。
俺の勧告を断ち切って、鈴は悪を許さぬ正義の心で凛とした視線を女に向ける。
「ヘェ?キヒヒッ!面白イ友達が居るんだネ?面白イのは良いけド、死人を見テ、そいつを殺しタ犯人らしき異常人を見テ、それでも逃げないというのハ・・・キヒィ!まるで殺されたいみたいニ見えるヨ?」
一連の流れを意外にも静観していた女が、思わぬ収穫を獲たとばかりに嬉々とした声を上げる。
「生憎だけど、私に死ぬ気は毛頭ないわ。・・・それに何より、ここで神河を置いて逃げていって、万が一神河に死なれたりしたら、きっと一生後悔するし、そんな自分を許せない!」
ああ、確かにそうかもしれない。
気高く優しく、ついでにプライドも高い鈴は、得体の知れない異常人に襲われている友人を見捨てたりはしない。
見捨てて逃げる自分を許しはしない。
ならば、かける声はひとつ―
「鈴・・・協力してくれ!あの女は相当な手練れだ!二人の方が勝率は上がるし、お前がいると心強い!」
俺の言葉が届いた時、鈴はどんな顔をしていただろうか。
相手への警戒心から、真っ直ぐに件の女を見据えていた俺に、鈴の顔を確認する手だては無かった。
しかし別段、想像し難いわけでもない。
―きっと、鈴は。
「当っ然!そんな当たり前のこと、わざわざ言う必要なんてないわよ!」
喜んで首を縦に振るだろうから。
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「なあ、諒太?輪人と鈴はどこ行ったんだろうな?」
風のように走り去ったクラスメイト二人の後を追って歩いていた黒絹 翔斗が、同じく学友の動向を気にしている植原 諒太に問いかけた。
「そうだね、輪人くんの家にもいないわけだし、当てをつけるのは難しいと思うよ」
翔斗と諒太は、商店街前でさながら愛の逃避行でもしているかのように走り抜けていった二人を、尾行してみることにした。
「今の、なんだろう?」
「まあ!ロマンチックねぇ」
「わしにもあんな時代があったんじゃがのぉ」
などという町の人々の話に聞き耳を立てつつ、ようやっと神河輪人の家・・・もとい倉橋紗奈の家に着いたところで、さっぱり行方を見失ってしまっていた。
「なんか、嫌な感じがすんだよなぁ」
柄にもなく表情を曇らせた翔斗が呟く。
「それって、もしかして《風読》を使ってる?だとしたら、何か悪いことが起こるのかもしれないね・・・」
諒太もまた、顎に手をやって眉を寄せた。
黒絹翔斗の能力である《風読》は本来、微細な空気振動の察知により、攻撃の先読や回避をすることに特化したものだ。
しかし近日では、相手の思考や言いたいことを先読みするレベルにまで成長を遂げていた。
その翔斗が「嫌な感じがする」などと言った日には、そこに常人以上の信憑性が生まれる。
「行き違いにはなってないわけだし、家にいないとしたらあっちの道路に向かって行ったはずだよ。僕らも行ってみよう」
「おう、そうだな。《風読》は俺の意思に反して使ってることも多いみてぇだし、今のが《風読》でもたらされた感覚なら、輪人と鈴が心配だっ」
本調子を取り戻してきた様子の翔斗は、持ち前の身体能力を発揮し、それこそ風のように駆け出した。
「おっと、翔斗くん行動が早いねっ」
そう言うと、諒太も翔斗に引けを取らない走力で追従した。
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共に死線を乗り越えた二人の男子は、支えるべき二人の友のために疾走する。
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