バミューダ・トリガー
三幕 怪異事件の再発
―輪人、輪人!
―これを持っていて。
―願いごと、きっと叶うよ。
―――――――――――――――――――――――――
「!!っ恭香!・・・・・」
懐かしい姉の声に目を覚ます。目覚めた場所は、いつもの自室だった。
半分開かれた窓から吹き込む微風が、心地よく前髪を揺らす。
「夢、か」
そうと解ればさすがに残念ではあったものの、夢とはいえ姉の声を聞くことができた。それは懐かしく、寂しく、それでいて嬉しいことであった。
「大丈夫かー?弟よー」
急に叫んでしまったからか、紗奈が二階の部屋の前まで上がってきたようである。
「ああ、心配いらねぇよ」
「なら良し。早くおりなよー?朝ごはんできてるからねー」
その一言を残して、階段を下りる音が続く。
「今日は・・・土曜日か」
怪校には部活がない。
何故か、と言われても答えようは一つしかなく、ただ単純に、怪校は警察署の地下にあるため部活をするスペースが確保できないからだ。
実のところ俺は、地下にもそれなりの広さをもった空間があると考えている。しかしそれはただ、授業中に壁の向こうから音がしたような気がしたことがあったからだ。
確証はもとより、これ以上の推測のたてようもない。
そのため、週末は大抵休みだ。
いつも週末は家にいる俺だが、今日は寝覚めがいい方だった。
(ちょっと散歩でもするか・・・)
そう思いながら、階段を下りる。
下からは、甘い香りが漂ってきていた。
「今朝はフレンチトーストだよー」
そう言って紗奈は机の上に皿を並べる。
香ばしい香りと、卵と絡んだふわふわのパン。紗奈の作る朝ごはんの中でも、好きなものベスト3に入ってる。
(まあ、紗奈の手にかかればどんな料理も美味しく仕上がるのだが)
ばっちり揃えてあるフォークを手に取り、フレンチトーストを一つすくい上げ、かぶり付き、頬張る。
「・・・やっぱうまいんだよな」
「あたしの腕はフレンチのシェフに匹敵してるんだよー」
あながち間違ってもいない。なんなら、フレンチに限らず料理全般が得意だ。
年は俺と四つしか違わないのだが、さすが、様々な料理店で働いているだけある。現在も、昼は和菓子屋の菓子作り、夜は定食屋のコックを掛け持ちしている。
付け足すとするならば、さらにその合間に俺と自分の食事も作っている訳だ。
多い日には生活の八割の時間を割いて料理をしている。なんというスパルタ料理人なのだろうか。
そんなわけで日頃何かと俺を気にしてくれている紗奈にも、俺の今日の予定を伝えておくことにしよう。
「今日は散歩でもしてこようと思う」
「お?珍しいねー。いいんじゃない?たまには散歩も」
「昼には帰るよ」
「あたしは今日も、昼は仕事だから。昼食はどっかで買ってくるとかして、どうにかしてよー。あ、栄養には配慮してねー?」
「わかったよ。じゃ、行ってくる」
「行ってらっさーい」
(相変わらず能天気だな)
そんなことを思いながら、玄関の扉を開く。
時刻は、朝の九時。
散歩とは言ったものの、あまりこの町に慣れ親しんでいる訳ではない。
あまり行き先の候補も挙げられない状況なのだが、そこは男輪人、うじうじしないでスパッと決めにかかる。
昼まではかなりの時間がある。しかも、昼食も自分で用意する必要がある。近くに飲食できるような場所があるところと言えば・・・
拙い脳をフル活用する。
(まずは・・・公園かな)
俺は方針を思考した上で即決すると、公園に向かって歩きはじめた。
公園までは十分ほどだ。
(久々にブランコに乗るってのもアリかもな)
着いてからどうするかを考えなから、道沿いに少し歩き、鳥が並んだ桜の木を横目に十字路を曲がった、その時―
ザンッ!!
ドオオオォォォォ!!!
何かを断ち切るような音と、遠くからでもただ事ではないと判断できるほどの轟音がたて続けに起きた。
「何だっ!?」
突然の事に思考が追い付かない。
しかし今しがた、轟音が聞こえた方向は―
(俺の・・・紗奈の家、なのか!?)
そう、たった今異常が起きたとおぼしき方向には、俺と紗奈の住む家がある。
考えるより先に、体が動いた。
(どうか、無事で―)
一、二分かけてきた道のりを数十秒で駆け戻る。家のもとへたどり着く前に、道路に倒れている人影に気づく。
―紗奈だ。
「っ紗奈ぁああ!!」
すぐさま駆け寄り、紗奈の体を抱き上げる。紗奈からの反応は無く、全身を赤く染め、今なお出血が続いている事が素人目にも分かった。
奥に目をやると、家は煙に包まれ、崩壊した壁の破片や家具が通りにまで散乱していた。
(なんだ!何だってんだ!ここで一体何が!)
「はっ、、、り、輪人・・・」
「紗奈!」
紗奈が何とか意識を取り戻したようである。俺を弟ではなく名前で呼ぶ辺り、よほど伝えたいことがあるのだろう。
だが、いまだ血は流れており、このままでは紗奈の命が危うい。
「今、救急車を・・・!」
「いいから!!逃げてぇっ!!!」
目を見開いた紗奈は、普段の紗奈からも、今の身体的な状態からも想像できない程の大声をあげた。
その異様に必死な紗奈の姿に、背筋の凍るような悪寒を感じた、次の瞬間―
「あァ?なんかァ、どォやら、ミスっちまったみてーだなァ?」
半壊した家に漂う煙の奥から、それは姿を見せた。髪をすべて後ろに撫で付け、右手に、淡く輝く黒のグローブをつけた男。年は10代後半といったところだ。
(こいつが、これをやったってのか?こいつは・・・何だ?)
俺はすでに、自分の感情を抑えられるところにいなかった。
「お前は誰だぁああっ!!」
「うるせェよ。テメェが家にいりゃあこれでオシマイだったんだよォ!ったく、話がちげェよ!週末は家に居んじゃ無かったのかよォ??能力者さんよォ!」
(・・・えっ?)
今、目の前の男はなんと言ったのか。決定的な何かを、こいつは漏らした気がした。
(うるせェよ?)
(これでオシマイだった?)
(週末は家に居んじゃ無かったのかよ?)
「なん、だと?」
この男は、俺が週末外出をしないことを知っていたのだ。それはつまり、俺の情報がこの男に伝えられていたか、あるいは監視されていたということだ。それに、最後の「能力者」のフレーズ、怪異事件との関係があるとしか思えない。
(この異常事態には、裏があるっ!!)
「ゲホッ、はっ、はぁっ」
紗奈が咳き込む。
「お、おい紗奈!しっかりしろ!」
「そいつは無理じゃァねェかァ?」
紗奈の気を保とうとする俺を、嘲笑うかのように男は言う。
「黙れ!!」
そういい放つと、俺は携帯電話を操作した。
同時刻。
黒絹 翔斗と植原 諒太は朝の商店街を歩いていた。
「翔斗くん、今日の昼は何にする?」
「やっぱここは寿司だと思うんだが」
「えぇーまた?翔斗くんってほんと寿司好きだよね」
彼らは双方ともに同じ境遇の、限られた男友達である。たまの休日にはこうして、男の友情を深めている。
「でもやっぱ、輪人くんたちとも一緒に食べたいよね」
「ああ。でもあいつ、休日は家にこもるとこあるからなぁ」
「だね。じゃあまた今度誘ってみようよ」
「そうだな」
などと話しながら、商店街を進む。
ドオォン
遠くから響く轟音は商店街の活気に満ちた騒音にかき消され、二人の耳に入ることはなかった。
「ところでよ、お前先週はどうして来れなかったんだ?」
友人の間柄とはいえ、会話のひとつもない時間とは、あまり居心地の良いものではない。
翔斗は先週の話を持ち出すことにした。
「愛しい妹といたんだよ。僕らは相思相愛なのさ。たまには一緒に時を過ごさないと、二人とも病んでしまうよ」
「お、おう、そうか。ならいいんだ」
(危ねぇ危ねぇ。もう少しで妹話を一時間ぐらい聞き続けるはめになるとこだったぜ)
さすがの翔斗でも、諒太のシスコンが治らないほどに手遅れであることはわかっていた。
そうこうしているうちに、二人は商店街の中間付近にある一件のラーメン屋に行き着いた。老舗の風格漂う外見からも、中から聞こえる談笑からも、その店が繁盛しているということが感じられる。
「あっ!ここなんかいいんじゃない?」
「おお、そうだな。ここにしよう」
「僕、ここのラーメン食べるの初めてだよ」
―と、その時だ。
チロリロリン チロリロリン
不意に翔斗の携帯電話が、振動を始めた。
翔斗は、今時見なくなったガラパゴス式の携帯を取り出す。
画面を見た翔斗が声を上げる。
「おっ?輪人からじゃねぇか!」
「もしかして、一緒に遊びたくなったんじゃない??」
ピッ
翔斗が通話のボタンを押す。
「おう!どうした輪人?」
「翔斗か!助けてくれ!!!」
聞こえてきたのは想像だにしていなかった、友人の焦燥の声。
耳をつんざく大声量。
「うおっ!??何だ、どうした!?」
「怪異事件だ!!家で紗奈が倒れた。病院へ運んでくれ!」
突然の電話は、にわかに信じがたい内容を伝えるものであった。
しかし、その切羽詰まった声色からも、輪人の人柄からも、それが冗談でないことは明らかであった。
「わ、わかった!お前は?」
「怪異事件を起こしたらしいやつが、目の前にいる!訳は分からねぇが、俺を狙ってる!一人じゃ紗奈を、守れな―」
「「ドォオオオン」」
電話の向こうの音と、自分の耳に直に響く音がかぶる。異変に気づいた商店街の客たちが、騒ぎ始めた。
「まずいね、怪異事件は機密のはずだよ」
「だが、輪人が心配だ!俺は輪人のとこへ行く!」
翔斗の言葉に、諒太が頷く。
「僕も同感だよ。騒ぎは警察に任せよう!」
「ああ!」
確固たる意思を宿して、二人は輪人の家へと向かう。
―――――――――――――――――――――――――
商店街から歩いて数分の場所に位置する住宅街に、男の声が響く。
「おいおい何だよォ!なかなか粘るじゃァねェか!」
四度目の攻撃。
脚に浅く大きな切り傷を負うことと引き換えに、直撃を回避する。
それは、不可視の攻撃。
斬撃とも衝撃ともつかない異質な衝撃波が、少しずつ、しかし確実に神河輪人を削っていく。
ドオオッ!
「っ!!」
回避に集中しすぎると危うく取り落としそうになる紗奈の体を、しっかり抱え直す。
「まァ、どーせお前ェは死ぬわけだァ。名前ぐらいは名乗ってやるよ」
「名前・・・!」
「代市 冬だァ。死ぬまで、忘れんなよォッ!!」
冬と名乗った男は叫びながら、夜を思わせる黒い輝きを放つグローブをつけた右手から、見えないエネルギーを解き放つ。
現時点で回避のタイミングを測る判断基準は、グローブが放つ輝きの強弱の変化と、冬の挙動のみだ。
ズアッ!
「があっ」
紗奈をかばって身を捻るも、左手に、鋭い痛みがはしる。
「チョロチョロォ、してんなよォっ!!」
冬が再び黒く輝く右手を構える。
後ろはコンクリートの塀、左手に紗奈を抱き締め、右側に飛び退こうにも、肩に触れるほど近くに電柱がある。逃げ場はなく、次の一撃が確実に輪人と紗奈の命を削り取るはずであった。
が―
そこへ二つの足音が駆けつけた。
「おい!輪人ぉ!!」
「輪人くん!怪我は?!」
「・・・っ、お前ら!」
意識のなかに滑り込んできた、まだ馴染み深くはなくとも、安心できる友の声。
「誰だァ?」
二人の登場に気をとられ、決死の一撃を放とうとしていた冬は、右手の構えを解いた。
翔斗と諒太。
二人の参戦は、事態を好転させるのか、それともただ、犠牲となる人間が増える結果となるのか。このときは分からなかった。
だがこのとき、満身創痍の輪人は、その目にしっかりと映していた。
何かに動揺した、冬の顔を。
そして―
冬のグローブの輝きのように、
黒く輝く翔斗のネックレスを。
―これを持っていて。
―願いごと、きっと叶うよ。
―――――――――――――――――――――――――
「!!っ恭香!・・・・・」
懐かしい姉の声に目を覚ます。目覚めた場所は、いつもの自室だった。
半分開かれた窓から吹き込む微風が、心地よく前髪を揺らす。
「夢、か」
そうと解ればさすがに残念ではあったものの、夢とはいえ姉の声を聞くことができた。それは懐かしく、寂しく、それでいて嬉しいことであった。
「大丈夫かー?弟よー」
急に叫んでしまったからか、紗奈が二階の部屋の前まで上がってきたようである。
「ああ、心配いらねぇよ」
「なら良し。早くおりなよー?朝ごはんできてるからねー」
その一言を残して、階段を下りる音が続く。
「今日は・・・土曜日か」
怪校には部活がない。
何故か、と言われても答えようは一つしかなく、ただ単純に、怪校は警察署の地下にあるため部活をするスペースが確保できないからだ。
実のところ俺は、地下にもそれなりの広さをもった空間があると考えている。しかしそれはただ、授業中に壁の向こうから音がしたような気がしたことがあったからだ。
確証はもとより、これ以上の推測のたてようもない。
そのため、週末は大抵休みだ。
いつも週末は家にいる俺だが、今日は寝覚めがいい方だった。
(ちょっと散歩でもするか・・・)
そう思いながら、階段を下りる。
下からは、甘い香りが漂ってきていた。
「今朝はフレンチトーストだよー」
そう言って紗奈は机の上に皿を並べる。
香ばしい香りと、卵と絡んだふわふわのパン。紗奈の作る朝ごはんの中でも、好きなものベスト3に入ってる。
(まあ、紗奈の手にかかればどんな料理も美味しく仕上がるのだが)
ばっちり揃えてあるフォークを手に取り、フレンチトーストを一つすくい上げ、かぶり付き、頬張る。
「・・・やっぱうまいんだよな」
「あたしの腕はフレンチのシェフに匹敵してるんだよー」
あながち間違ってもいない。なんなら、フレンチに限らず料理全般が得意だ。
年は俺と四つしか違わないのだが、さすが、様々な料理店で働いているだけある。現在も、昼は和菓子屋の菓子作り、夜は定食屋のコックを掛け持ちしている。
付け足すとするならば、さらにその合間に俺と自分の食事も作っている訳だ。
多い日には生活の八割の時間を割いて料理をしている。なんというスパルタ料理人なのだろうか。
そんなわけで日頃何かと俺を気にしてくれている紗奈にも、俺の今日の予定を伝えておくことにしよう。
「今日は散歩でもしてこようと思う」
「お?珍しいねー。いいんじゃない?たまには散歩も」
「昼には帰るよ」
「あたしは今日も、昼は仕事だから。昼食はどっかで買ってくるとかして、どうにかしてよー。あ、栄養には配慮してねー?」
「わかったよ。じゃ、行ってくる」
「行ってらっさーい」
(相変わらず能天気だな)
そんなことを思いながら、玄関の扉を開く。
時刻は、朝の九時。
散歩とは言ったものの、あまりこの町に慣れ親しんでいる訳ではない。
あまり行き先の候補も挙げられない状況なのだが、そこは男輪人、うじうじしないでスパッと決めにかかる。
昼まではかなりの時間がある。しかも、昼食も自分で用意する必要がある。近くに飲食できるような場所があるところと言えば・・・
拙い脳をフル活用する。
(まずは・・・公園かな)
俺は方針を思考した上で即決すると、公園に向かって歩きはじめた。
公園までは十分ほどだ。
(久々にブランコに乗るってのもアリかもな)
着いてからどうするかを考えなから、道沿いに少し歩き、鳥が並んだ桜の木を横目に十字路を曲がった、その時―
ザンッ!!
ドオオオォォォォ!!!
何かを断ち切るような音と、遠くからでもただ事ではないと判断できるほどの轟音がたて続けに起きた。
「何だっ!?」
突然の事に思考が追い付かない。
しかし今しがた、轟音が聞こえた方向は―
(俺の・・・紗奈の家、なのか!?)
そう、たった今異常が起きたとおぼしき方向には、俺と紗奈の住む家がある。
考えるより先に、体が動いた。
(どうか、無事で―)
一、二分かけてきた道のりを数十秒で駆け戻る。家のもとへたどり着く前に、道路に倒れている人影に気づく。
―紗奈だ。
「っ紗奈ぁああ!!」
すぐさま駆け寄り、紗奈の体を抱き上げる。紗奈からの反応は無く、全身を赤く染め、今なお出血が続いている事が素人目にも分かった。
奥に目をやると、家は煙に包まれ、崩壊した壁の破片や家具が通りにまで散乱していた。
(なんだ!何だってんだ!ここで一体何が!)
「はっ、、、り、輪人・・・」
「紗奈!」
紗奈が何とか意識を取り戻したようである。俺を弟ではなく名前で呼ぶ辺り、よほど伝えたいことがあるのだろう。
だが、いまだ血は流れており、このままでは紗奈の命が危うい。
「今、救急車を・・・!」
「いいから!!逃げてぇっ!!!」
目を見開いた紗奈は、普段の紗奈からも、今の身体的な状態からも想像できない程の大声をあげた。
その異様に必死な紗奈の姿に、背筋の凍るような悪寒を感じた、次の瞬間―
「あァ?なんかァ、どォやら、ミスっちまったみてーだなァ?」
半壊した家に漂う煙の奥から、それは姿を見せた。髪をすべて後ろに撫で付け、右手に、淡く輝く黒のグローブをつけた男。年は10代後半といったところだ。
(こいつが、これをやったってのか?こいつは・・・何だ?)
俺はすでに、自分の感情を抑えられるところにいなかった。
「お前は誰だぁああっ!!」
「うるせェよ。テメェが家にいりゃあこれでオシマイだったんだよォ!ったく、話がちげェよ!週末は家に居んじゃ無かったのかよォ??能力者さんよォ!」
(・・・えっ?)
今、目の前の男はなんと言ったのか。決定的な何かを、こいつは漏らした気がした。
(うるせェよ?)
(これでオシマイだった?)
(週末は家に居んじゃ無かったのかよ?)
「なん、だと?」
この男は、俺が週末外出をしないことを知っていたのだ。それはつまり、俺の情報がこの男に伝えられていたか、あるいは監視されていたということだ。それに、最後の「能力者」のフレーズ、怪異事件との関係があるとしか思えない。
(この異常事態には、裏があるっ!!)
「ゲホッ、はっ、はぁっ」
紗奈が咳き込む。
「お、おい紗奈!しっかりしろ!」
「そいつは無理じゃァねェかァ?」
紗奈の気を保とうとする俺を、嘲笑うかのように男は言う。
「黙れ!!」
そういい放つと、俺は携帯電話を操作した。
同時刻。
黒絹 翔斗と植原 諒太は朝の商店街を歩いていた。
「翔斗くん、今日の昼は何にする?」
「やっぱここは寿司だと思うんだが」
「えぇーまた?翔斗くんってほんと寿司好きだよね」
彼らは双方ともに同じ境遇の、限られた男友達である。たまの休日にはこうして、男の友情を深めている。
「でもやっぱ、輪人くんたちとも一緒に食べたいよね」
「ああ。でもあいつ、休日は家にこもるとこあるからなぁ」
「だね。じゃあまた今度誘ってみようよ」
「そうだな」
などと話しながら、商店街を進む。
ドオォン
遠くから響く轟音は商店街の活気に満ちた騒音にかき消され、二人の耳に入ることはなかった。
「ところでよ、お前先週はどうして来れなかったんだ?」
友人の間柄とはいえ、会話のひとつもない時間とは、あまり居心地の良いものではない。
翔斗は先週の話を持ち出すことにした。
「愛しい妹といたんだよ。僕らは相思相愛なのさ。たまには一緒に時を過ごさないと、二人とも病んでしまうよ」
「お、おう、そうか。ならいいんだ」
(危ねぇ危ねぇ。もう少しで妹話を一時間ぐらい聞き続けるはめになるとこだったぜ)
さすがの翔斗でも、諒太のシスコンが治らないほどに手遅れであることはわかっていた。
そうこうしているうちに、二人は商店街の中間付近にある一件のラーメン屋に行き着いた。老舗の風格漂う外見からも、中から聞こえる談笑からも、その店が繁盛しているということが感じられる。
「あっ!ここなんかいいんじゃない?」
「おお、そうだな。ここにしよう」
「僕、ここのラーメン食べるの初めてだよ」
―と、その時だ。
チロリロリン チロリロリン
不意に翔斗の携帯電話が、振動を始めた。
翔斗は、今時見なくなったガラパゴス式の携帯を取り出す。
画面を見た翔斗が声を上げる。
「おっ?輪人からじゃねぇか!」
「もしかして、一緒に遊びたくなったんじゃない??」
ピッ
翔斗が通話のボタンを押す。
「おう!どうした輪人?」
「翔斗か!助けてくれ!!!」
聞こえてきたのは想像だにしていなかった、友人の焦燥の声。
耳をつんざく大声量。
「うおっ!??何だ、どうした!?」
「怪異事件だ!!家で紗奈が倒れた。病院へ運んでくれ!」
突然の電話は、にわかに信じがたい内容を伝えるものであった。
しかし、その切羽詰まった声色からも、輪人の人柄からも、それが冗談でないことは明らかであった。
「わ、わかった!お前は?」
「怪異事件を起こしたらしいやつが、目の前にいる!訳は分からねぇが、俺を狙ってる!一人じゃ紗奈を、守れな―」
「「ドォオオオン」」
電話の向こうの音と、自分の耳に直に響く音がかぶる。異変に気づいた商店街の客たちが、騒ぎ始めた。
「まずいね、怪異事件は機密のはずだよ」
「だが、輪人が心配だ!俺は輪人のとこへ行く!」
翔斗の言葉に、諒太が頷く。
「僕も同感だよ。騒ぎは警察に任せよう!」
「ああ!」
確固たる意思を宿して、二人は輪人の家へと向かう。
―――――――――――――――――――――――――
商店街から歩いて数分の場所に位置する住宅街に、男の声が響く。
「おいおい何だよォ!なかなか粘るじゃァねェか!」
四度目の攻撃。
脚に浅く大きな切り傷を負うことと引き換えに、直撃を回避する。
それは、不可視の攻撃。
斬撃とも衝撃ともつかない異質な衝撃波が、少しずつ、しかし確実に神河輪人を削っていく。
ドオオッ!
「っ!!」
回避に集中しすぎると危うく取り落としそうになる紗奈の体を、しっかり抱え直す。
「まァ、どーせお前ェは死ぬわけだァ。名前ぐらいは名乗ってやるよ」
「名前・・・!」
「代市 冬だァ。死ぬまで、忘れんなよォッ!!」
冬と名乗った男は叫びながら、夜を思わせる黒い輝きを放つグローブをつけた右手から、見えないエネルギーを解き放つ。
現時点で回避のタイミングを測る判断基準は、グローブが放つ輝きの強弱の変化と、冬の挙動のみだ。
ズアッ!
「があっ」
紗奈をかばって身を捻るも、左手に、鋭い痛みがはしる。
「チョロチョロォ、してんなよォっ!!」
冬が再び黒く輝く右手を構える。
後ろはコンクリートの塀、左手に紗奈を抱き締め、右側に飛び退こうにも、肩に触れるほど近くに電柱がある。逃げ場はなく、次の一撃が確実に輪人と紗奈の命を削り取るはずであった。
が―
そこへ二つの足音が駆けつけた。
「おい!輪人ぉ!!」
「輪人くん!怪我は?!」
「・・・っ、お前ら!」
意識のなかに滑り込んできた、まだ馴染み深くはなくとも、安心できる友の声。
「誰だァ?」
二人の登場に気をとられ、決死の一撃を放とうとしていた冬は、右手の構えを解いた。
翔斗と諒太。
二人の参戦は、事態を好転させるのか、それともただ、犠牲となる人間が増える結果となるのか。このときは分からなかった。
だがこのとき、満身創痍の輪人は、その目にしっかりと映していた。
何かに動揺した、冬の顔を。
そして―
冬のグローブの輝きのように、
黒く輝く翔斗のネックレスを。
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