久遠
第32話 紅蓮の華
刃が交わり火花が散った。
その剣撃の強さにシルヴィアがのけぞる。
切断された四肢の腱は回復し、新たにつけられていく傷も超常的な早さで塞がっていく。
だがかれこれ数十分は戦闘を続けているにもかかわらず祭は無傷で疲れた様子もみせない。
シルヴィアは既に8度、並の吸血鬼なら絶命しているはずの致命傷を受けている。
初めはまるで戦闘狂のように笑顔を見せていた彼女もしだいに焦りが表情に出てきていた。
彼女にとって殺し合いは激しい踊りのようなもの。危機に瀕すれば瀕するほど楽しくなってくる。シルヴィア本人もそう思っていたはずだ。
違う。
彼女は生まれ持ったその強すぎる力ゆえに死闘というものをまだ経験したことがなかっただけである。所詮敵は圧倒的に自分よりも劣った人間。そう見くびっていたからこそ必ず勝てるという前提のうえで今まで戦いを求めてきた。強者を求めていた。今までの殺し合いなど彼女にとっては遊びに等しいものだったからだ。あの伝説のハンターにしてもそう。所詮はハードモードのゲームにすぎなかった。だがこれは違う。目の前の彼女は最強などよりも遥かに強い。
………負ける……?
「そんなわけないでしょ!」
一瞬感じた悪寒を無視するように言い放ち、疾風のように駆けた。
攻撃のタイミングを悟らせないよう祭の死角から死角へ跳び回る。
以前祭が繁華街の地下で重装悪鬼兵にみせたものと似ているが、ここまで縦横無尽ではない。
電柱に飛び移り、街灯をわって、獣の爪痕のようにコンクリートを削っていく。
祭がゆっくりと静かに息を吐く。構えを変えて、背を伸ばしまるで一本の木のような体勢をとる。
どこから攻撃しても十二分に致命傷を与えられることができそうに見える。だがむしろそれが怖い。この状況でそんな構えをとったということはそれだけ攻撃をさばけるという自信のあらわれかもしれない。
隙だらけのようにみえて、全く隙がないのだ。
針に糸を通すような気分になってくる。
どうして人間相手にこんな苛立ちを覚えなくてはいけないのだ。
シルヴィアが選んだ行動はここまできて正面からの突撃だった。
背後や側面などの死角に気を集中させていた祭からすればむしろ正面が一番の予想外。
見えてはいても判断が遅れる。防ぐことはできても、遅れた判断から生じる力なら押しきれる。それがシルヴィアの算段だった。
甘い。
攻撃はいともたやすく弾かれる。いや、弾かれたというより刃が交わった直後、フワリとシルヴィアの体が飛ばされたのだ。
強い力を正面からぶつけられたというよりかは、勝手に自らの力の向きが逆転したような感覚。
これぞ麻上流に伝わる防御剣術 内功の剣。
相手の筋肉を利用して攻撃を受け流す剣術だ。
中華拳法や合気道の技術を応用させたもので、コツは刃が触れた瞬間、相手と一体になること。
それにより相手の筋肉を意図的に操作する、といっても過言ではない。
相手からすれば押していたはずなのにいつのまにか引いていたという状態になるのだ。
今のシルヴィアの攻撃も、祭に向かっていたはずの力の向きは、刃が交わった時に逆方向へと変わりシルヴィアは後方へ飛ばされた。
この剣術を極めた者に正面からの攻撃は通用しない。全て力の向きが逆方向へと作用するためだ。
ただし筋肉のない車などの無機質な物体からの衝撃は受けることができない、さらに複数からの同時攻撃は対処できないというのが弱点だろう。
しかし一対一の対人戦においていかにこの剣術が有効か。
シルヴィアは今ので完全に戦意を削がれていた。
指輪のことなど放って、もう逃げてしまおうか、そう考えたほどである。
だがその選択肢を祭が許さない。
構えを戦闘的なものに変えて攻撃を放ってくる。
避けきれなかった刃がシルヴィアの耳を切り飛ばした。
まずい。いくら治癒能力が高いといっても欠損した部位ばかりはとかげのしっぽのように生やすことができない。
つまり首を落とされれば終わりなのだ。
鳴華!こいつを殺しなさい!
念話を飛ばして助けを請う。
だが鳴華は戦いを傍観しているままで全く動かない。
肝心なときに役に立たない下僕め!
だがシルヴィアの切り札はまだある。
戦いを楽しむために当初は使うつもりなどなかったが、こう劣勢続きだともう楽しむ余裕などない。
全力でこのハンターを撃滅する。
「やりなさい!」
シルヴィアの掛け声で祭の猛攻が止まる。
新たに出現した気配を察知したからだ。
叫び声をあげて夜道を入ってこちらに向かってくる者がいる。
一人だけではない。二人、三人……いや、まだいる。
計18名もの存在が祭に強烈な殺意を持って突撃してくるのだ。
シルヴィアが血を吸って洗脳した人間達である。
軍団の先頭がその手に持つゴルフクラブを祭の頭めがけてスイングした。
洗脳によって筋肉の使用限界を超えて力を放つそれは当たれば一撃で昏倒してしまうだろう。
だがいくら洗脳で力を底上げしているといっても所詮は人間の攻撃。祭にかすりもしない。
すかさず反撃しようと刃を振るうが、その刃は途中でピタリと止まる。
相手は人間。殺すことはできない……。
攻撃に躊躇している祭を二人目、三人目が彼女を襲う。
祭は簡単によけるが、彼女を挟むように攻撃してきた二人は互いの攻撃が当たって赤い血を撒き散らす。包丁が首筋に突き刺さり、ギターが頭を粉砕していた。
祭が顔をしかめる。
シルヴィアはその様子を見て笑みを浮かべた。
……やはりこいつもそうなのだ。人間を殺せない甘っちょろいハンターの一人……。
そんな奴と私が戦う必要はない、とさっきまで劣勢だったことを棚にあげるシルヴィア。
操られた人間達は連携など一切とらず、近くにいる者から順に祭を殺そうと飛びかかる。
ここは住宅街のど真ん中。もう少し広い場所ならいくらでもやりようがあっただろう。だが狭い。回避しても次の攻撃が絶え間なく続く。
仕方ないと祭は一人の足を刀の柄で叩き折ったが、そんなことなどお構いなしに超人的な身体能力を見せて腕だけで移動してくる。
戦闘不能にするには四肢を全て使い物にならないようしなければならないのか。
そんな状態で洗脳から覚めてもあまりにも心苦しい。
なら本体を倒すまで。
祭は襲い来る人間達の間を縫うように走り抜ける。
狙うはシルヴィアただ一人。
あまりの素早さにシルヴィアも驚く。
互いの距離はわずか1メートル。そこから最速の突きが放たれる。
麻上流鬼葬剣術 教えの壱 魔爪。
発射された弾丸のように繰り出される剣はあまりの早さにパアンッと空気の弾ける音がした。
シルヴィアの手がその攻撃を受け止めるよう顔の前に出るが刃は易々と貫通する。
しかし刃は勢いがおさまり鼻先で止めた。
なぜならシルヴィアの手に突き刺さる以前に他の物体が彼女の盾となったからだ。
「……な、なんで……」
シルヴィアの洗脳した相手は18人だけではなかった。
そしてその新たに現れた人物は祭のよく知る人物で……。
「吾郎!!」
直江と四ノ宮がそこに駆けつける。
三人は随分も前に兜山を降りていた。シルヴィアの手によって人払いがされている静まった街を見て急いで祭を探している最中、突然吾郎が何も言わずに走り出したのだ。
既に数日前から血を吸われて潜在的に洗脳状態であった吾郎がシルヴィアの呼びかけに答えたのだ。
そして彼はシルヴィアの盾となり祭の刃に貫かれた。
血を吐いて地に膝をつく吾郎。
その姿があの日の彼女と重なる。
『いいのよ、これで……』
「……先生……」
瞬間、祭の中で何かが顔を出す。
それに意志はない。自我などない。だが彼女にこう囁くのだ。
『殺せ。もっと殺せ……!』
無機質な声は自然と祭の知っているものへと変わっていく。直江の声に、鳴華の声に、あの時殺した師の声に、そして自分の声に。
まるでそれがお前の為すべきことなのだと言い聞かせるように、本能が祭の理性を誑かす。
殺してしまった殺してしまった殺してしまった殺してしまった………!
『それでいい。それでいい。それでいい……』
特別にならなくてはならない、麻上の門下生として優れていなくてはならない、全ての鬼を殺さなくてはならない、先生を超えなければならない。
『殺せ。もっと殺せ……!』
みんなを私が守らないといけない。目の前の吸血鬼を殺さなくてはならない。
でも私は吾郎を殺してしまった、先生を殺してしまった。
『いいのよ、これで』
あの日の先生が囁く、本能が、血が、囁く。鼓動が荒れる。
いつの日か、麻上家の当主は祭に言った。
『お前は麻上ではないがここで剣を磨く以上、麻上という名前を背負っているに等しい。必ず責務を果たせ。鬼を殺せ、魔を滅ぼせ、それはお前の師とて例外ではない。時がきて、あやつが自我を失った時、その手であやつを殺してやれ。どこぞの馬の骨に切られるよりも自ら手塩をかけて見てやった弟子に殺されるほうが幾分かましというもの。それこそがせめてもの弔いだと思え』
だが麻上家当主は祭のいない場所で彼女の師にこうも言っていた。
『あの娘にはお前が自我を失ったときのため自刃の代わりをするよう伝えてある。だがゆめゆめ忘れるな。あの娘はこの麻上に異界の血を入れるよう提案を持ちかけた立花家の娘。もし何かあった場合、お前の全力をもってあの娘を討ち滅ぼせ!』
その意味がこの日明かされる。
既に犠牲者は二人出ているが、今宵はさらに増えるだろう。
指輪が記憶を、記憶はその血に眠る異形の殺意を呼び起こしてしまった。
『殺せ……―――殺せ!』
そして紅蓮の華が咲き誇る。
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