朝を待って。

乳酸菌

一話 風薫る

なんとも香ばしい
朝の食欲を誘う匂いで目が覚めた。
今日が何曜日だったか数秒の間頭を働かせる。
「木曜日か。」
まだボヤッとしている意識の中でも匂いにつられてお腹が鳴った。
1日の予定を思い出し、曖昧に計画を立てる。
木曜日には講義が10時45分頃からあった。
そのあとバイトに行って、夜は昨日買ったゲームをやろう。主人公がお姫様を助けるために仲間を募ってお城に攻めに行く話だ。とにかくごく普通のありふれた、どこにでもあるような内容ではあるが、その単純さが僕に残された少しばかりの少年の心を震わせる。
それにしても、とにかく平凡な一日である。同じ1日を過ごすであろう人間が何人いるだろうかと思いながら、あくびを1つして自室からでてリビングに続く廊下を歩く。
朝の匂いが一歩一歩進むに連れ強くなってくる
「おはよう」
先に声をかけたのは僕だ
返事はない
無言のまま姉の京子が茶碗によそったご飯をかき込む
時計を見ると9時04分を指していた。
「やべ、、」
急に焦りだす僕に京子は「片付けとけよ」と、ひとつ言葉を置いて足早に家を出る。

 僕の家は昔から貧乏だった。
豪華な晩御飯や、家族での外食、ピクニックや誰かの誕生日会。そんな一大イベントはほとんど経験したことがなかった。
唯一思い出せる豪華な食事は運動会の時に家族と食べた唐揚げがたくさん入ったお弁当だった。
運動会などで食べる唐揚げは何故いつもの何倍も美味しく感じるものなのだろうか。

しかし、そんな思い出も遠い昔の話。
今はこのマンションの部屋に姉の京子と二人で住んでいる。
この生活になってどのくらいの時間が流れただろう
考えてもスッと浮かんでこないのは、子供だった自分にとって年単位の時間はその時間以上の価値と密度があったのだろう。
色々な人のお世話になり、そして迷惑をかけた。

僕達の父と母は、ある日突然姿を消した。
1つ「ごめんなさい。」と殴り書きされたメモ用紙一枚置いて
初めは悲しい思いで溢れかえり京子に至っては、それ以来必要最低限の言葉しか発しない。
それほど僕ら子供にぶつけられた衝撃は大きかったのだ。
「食ってる暇ないな」ボソッとつぶやき、残ったおかずを冷蔵庫にしまい軽く身支度をして、足早に部屋を出た。
大学までは自転車で行く。
電車の方が早く着くのだが、定期代がもったいという理由で京子も、もう2年間この生活を続けている。
苦ではあったが生きるためだ。
自転車に跨りペダルに足をかける。少し暖かい風が吹いていた。春の終わりを告げるような匂いがしていた。
五月も後半になる。すぐ後ろには忙しなく色濃い。そして、自転車登校の僕達にとって悪魔のような夏がそこまで来ていた。

コメント

コメントを書く

「文学」の人気作品

書籍化作品