初めての恋

神寺雅文

告白の先に見えたあの日の約束85

 どれくらいの時間歌ったのだろうか。春香の表情から陰鬱な雰囲気が消えたころ、西の空がほんのり茜色に染まっていた。

「朋希くん……あのね……」
「な、なんだよ」

 さすがに寒くなってきたので曲のアウトロに合わせて弦を弾く力を弱めた朋希。それに気が付いた春香が歌うのを止め、少し頬を赤らめた。初めて面と向かって春香に名前を呼ばれた朋希は固唾を飲む。

「……ありがとう。本当にありがとう。わたし、朋希くんに出会えて本当によかった」
「ちょ、まてよ! せっかく泣き止んだのに! ああ、もう!」

 また泣き出した。朋希は居ても立っても居られない。だから、あれだけ大事にしていたアコースティックギターを足元にぞんざいに投げ捨てると大粒の涙を流す春香を抱きしめた。そして囁くように優しい声色で自分の想いを告げたんだ。

「これからどんなことがあっても俺はお前の味方だ。例えどんなにじいちゃんになっても、俺はお前の隣にい続け笑顔にし続ける。これから、どんなことがあってもお前のためなら何でもしてやる。夢だって一緒に追いかけてやる! だから泣くな! 笑え! 春香は笑顔が似合う女の子だ」
「……うん。わたしもずっと朋希くんと一緒に歌っていたい……」

 ギター小僧とはいつの時代も“キザ”である。何歳であろうが“ロマンチスト”である。朋希は小学二年生にして、告白を通り越してプロポーズをしてのけて、春香も春香でそれを快諾した。当然、当時の二人にはまさかこれが大人の世界言う、結婚する男女が夜景を見ながら――甘い一時を過ごしながら交わす誓いの言葉とは露知らず。でも、確かに二人は誓い合った。

「は、ハクシュン! やべ! 安心したら急に寒くなってきた」
「そういえば上着は? 春香のお家に来た時から半そでだよね?」
「やべ、忘れた」
「ええ、普通忘れないよ。じゃあ、これで暖かいね」

 フフって笑った春香が朋希の腫れた様に赤くなる手を大事そうに両手で握って「はあ~」と白い息を吹きかける。

「ば、ばか止めろって! こんなの大したことない」

 さすがにこれは恥ずかしかった。反射的に手を引っ込めて誰かに見られていないか周囲を巡視する。当然、誰も見ていないわけであるから、春香はあからさまに照れる朋希にグイっと近づき、躊躇うことなく体をくっ付けた。

「ごめんね、朋希くんはこういうの嫌いだよね。でもね、こうしているとみやちゃんやなおと一緒にいるみたいで落ち着くの……だから、もう少しだけ甘えたいな」

 そんなことを言われては誰も拒めないだろ。さすがにここでは寒すぎるので室内に入ることを提案して、窓ガラスが割れた春香の部屋へと戻った。

「すまん、いま父さんと母さんに連絡したからすぐ交換してくれるはず」
「朋希くんのお父さんお母さんはガラス屋さんなの?」
「ん~違うけど違くない。まあ、こんど遊びに来いよ。春香もきっと気に入るからさ」
「うん」

 応急処置的に雨戸を閉め暖を取る二人。体調が悪い春香をベッドに押し込んだ朋希は、目線を合わせるためにすぐ脇の床に胡坐をかいて座った。

「あ、そっか! 今日はクリスマスか。いいな、プレゼント、俺今年ギター買ってもらったからないんだよな」

 勉強机の上に未開封の赤いリボンの付いたクリスマス柄の化粧箱置いてあるのを見つけた朋希は、微睡みだした春香にそんな自虐的なことをいう。

「……わたしのじゃない……なおに渡すための誕生日プレゼント……。グス……」

 仕方のないことではあるが墓穴を掘った。

 十二月二十五日は春香にとって“なお”と言う女の子を祝う日であるのだ。楽しい会話をするつもりでいただけに、二の句が継げなかった朋希は苦し紛れに大げさに手を叩いて会話を切り替えた。

「そうだ! クリスマスソング歌ってやるよ!」

 子供の朋希に気の利いた話題を見つけるすべはない。結局これしかなかった。声変わりもまだまだなハイトーンボイスで、クリスマスソングの代名詞――ジングルベルを歌うことにした。

「ジングルベル人グルベル、鈴が鳴る!」
「ジングルベル人グルベル、鈴が鳴るぅ~」

 ベッドの中で顔だけ出した春香が寝言のようなか弱い声で一緒に歌う。何回か一緒に歌った後、春香は小さく寝息を立てながら寝入ってしまった。どうやら、あまり寝れていなかったのは本当のようだ。その目の下のクマがなんだか申し訳なさそうに朋希を見ている。

「ゆっくり休め」

 歌うのを止めた朋希はまた床に腰を下ろすとほとんど無意識で春香の額をそう言いながら撫でていた。高熱にうなされろくに寝ていなかった時、自分の母親がそうしてくれ安心したのを覚えている。だから、朋希も春香に「ゆっくり休め」と何度も言った。

「……まま……手…握って……」
「うん、だからゆっくり休めよ」

 言葉と同時に朋希の手を握った春香。寝ぼけていることは明白だったから動じることもない。朋希は堂々と好きな子の寝顔を見ながら、好きな子の手を握ればいいのだ。
一時はどうなるかと思ったこの作戦も、笑顔を見れるだけではなく急激に距離を縮めることもできたのだ。何もかも上手くいった。

「……」
「……」

 気が付けば朋希も船を漕いでた。朋希も朋希で春香のことを考えていつもより夜更かしをしていた。だから、春香の家に猛スピードで近付いてきてガレージにほとんど追突する形で停車した車から、スーツ姿の一人の男が飛び降りてきた事に気が付くことはできなかった。それとほぼ同じくして自身が呼び寄せたなんちゃって“ガラス屋”も到着したが、これも朋希は気が付かなった。二人は仲良く手を繋いで深い眠りにつことしているのだから――。

「なんで二人がここに! いまはそれどころじゃない! 春香の部屋のセキュリティが鳴ったんだ」
「だから、話を聞けってこのわからずや! 俺も仕事で来たんだよ!」
「誰がわからず屋だ! お前こそ、経営がやばいからって親友相手にガラスの押し売りをするんじゃない! 家は新築でまだどこも割れて――」
「違う! せがれがここにもってこいって言ったから俺らは来ただけで、まさかお前の家だとは思わなかった。それに、朋希のランドセルが玄関に置いてあったから間違いなくここのガラスが割れているはず――」

 ドタドタと騒がしく近づいてくる足音、大の大人が口論しながら春香の部屋に入り、目の前の光景を目の当たりにして言葉を飲み込んだ。

「そうか、朋希が言っていた子は春香ちゃんか」
「ああ、なんだそうだったのか。どこの英才教育を受けた紳士が春香を庇ってくれたかと思ったら、バカ仕込みの生粋のギター小僧か」

 合点がいく二人。その間をすり抜けた小柄の女性が寝息を立てる天使の寝顔を見てほほ笑んだ。

「まるでカップルみたいね」

 あながち間違いではない。が、スーツ姿の男――春香の父がその言葉にかみついた。

「だれがこんな男の息子に愛娘を渡すか!」
「あら、女ってのは好きな男のためなら、たとえ両親だろうと嫌うわよ? いまからそんなこと言ってたら女子高生くらいになったころには春香ちゃんに嫌われるちゃうわよ? この寝顔みてみなさいよね、この仕事一辺倒バカ」
「ぐぬぬ」

 一人娘に嫌われることほど恐ろしいものはない。独り言のように呟いた「数か月振りか。こんな寝顔みるの」を最後に春香の父親はそれ以上の何も言わなかった。

「あの後に何があったのかまでは聞かないさ。俺たちだって最初ニュースで知ったときは驚いたさ。お前がこの俺にさえ何も話さないで、こっちに引っ越してきたくらいだもんな、察するさ。でもな、もっと大事なことは、あんなに笑顔がチャーミングな春香ちゃんに、こんなクマができてしまっていることだ」

 この辺から朋希はうっすらと起きていた。大人たちが何を言っているのか理解はできていなかったし、最初は夢でも見ていると思ったが、母親が日頃愛用する香水の匂いを間近に感じて脳が覚醒した。

「い、いまは話せない。俺だってまだ心の整理がついていたない。……、おれはあいつのことをまだ愛しているんだ……」
「泣くなバカ……」

 普段ふざけてばっかいる父親が一切ふざけた様子を見せないのだ。起きるに起きられない。そのまま狸寝入りを決め込んで、本当に寝てしまい起きた頃にはクリスマスパーティーが開催されることになっていた。

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