初めての恋

神寺雅文

解き明かされる過去34

 五月二十五日水曜日、雨天、一軍室内練習場
 季節も春から夏へと変わり始めた五月下旬にしては、朝方から降り始めた雨はえらく冷たかった。お決まりの夢から目を覚まし、まだ朝方だと勘違いして二度寝しようとしたらその三十分後に目覚まし時計がけたたましくなった。
 うむ、壊れてはいないようだ。最近鳴る前に止めていたから久しぶりの金切り声で目まいがするほどだ。どうやら、僕自身の体調も天候と同じくあまりよろしくない様だ。連日の疲れが体調不良としてその顔を出した。
「今日は雨だし、バスで行こうか」
 誰ともなくそう提案したのは、先に玄関前で猫柄の傘をさしていた奈緒だった。どうやら僕を待っていたようで、玄関ドアをのっそり開け顔を出すと奈緒と目が合い微笑まれた。朝一で見る女の子の笑顔ってのは良いものだな。って内心思っていたが、冷気で鳥肌が立つ。
「大丈夫? 体調悪い?」「ん、あまりよろしくはないかな。今日の奈緒が普段より数倍可愛く見える」「な、なに言ってんのよ! バカ!」
 バス停は奈緒ん家の前を通って五十mくらい離れた場所にあり、そこまで二人で傘を差し並走で向かう中、こちらを覗き込んできた奈緒に赤面された上で鞄で肩を叩かれた。
「そんな冗談言えるなら大丈夫ね。 ほら、これ上げるから飲みなさい」「なにこれ?」「あたし特製の栄養ドリンクよ、たぶん効くわ」
 ステンレス製のタンブラーを鞄から取り出したと思ったらそれを突き付けられた。
「優香ちゃんが教えてくれたのよ。拓哉君も好きらしいからみやびも好きよきっと」
 冷雨のせいだろうか、奈緒の頬が霜焼けした様に赤くなっている。
 優香さんのレシピか。一抹の不安が頭をよぎるのは、奈緒がレシピを無視し奇抜なアレンジを加える子だと言うのを知っているからである。この前の家庭科の授業でチャーハンを作るのに隠し味として入れたのはハチミツであった。
 ただただ甘く炒めただけの白米を我慢してすべて平らげたのは良い思い出だ。互いに作った料理を交換して食べると言う制度があれほど憎たらしく思ったのは初めてであった。欠席の拓哉の代わりに我こそはと群がってきた男共が食べたいと言っていたがそこは幼馴染の特権てやつを行使し、二次被害を抑えたのは功績と言えよう。
「どしたの? あ、もしかして間接キスとか思ってるんでしょ? みやびのえっち~」「な、別にそんなこと思ってねーし! 飲めばいいんだろ」
 バス停に着き、ベンチに腰を下ろしていざ試飲。酸っぱい臭いが立ち上り鼻孔を刺激され若干躊躇ったものの、意外と旨かった。
「ハチミツ&レモンってところか? 美味いじゃないか! 久しぶりに美味いぞこれ!」「久しぶりって……、やっぱりこないだの美味しくなかった? みやびなんだか疲れてる様だから工夫してみたんだけど。失敗だったかぁ……」
 なるほど、あの場違いな甘さにはそんな意味があったのか。やはり奈緒の気遣いは天下一品か。常識よりも思いやりが先行してしまう性分なのか。うん、いい子に育って幼馴染として僕は鼻が高い。
「そんなことないぞ、奈緒は素敵な女の子だ。胸を張ってくれ。でも、料理には料理の基本てのがあると思うから、その優しさは別の場所で生かしてくれると僕も周りの人も喜ぶと思う」
 チビチビと奈緒特製ドリンクを飲む。奈緒汁と命名したいところではある。が、鉄拳制裁を食らうので僕の中だけで呼称しようと思う。奈緒汁最高!
「なによ、今日は随分と優しいじゃないの? こりゃ、槍がふるわね」「じゃあ、これからは毎日槍が降るな。困った困った」「ば~か、謙虚なのもみやびの良さってのを忘れないでよね」「これでも謙虚だっての。本来なら世界の終末が訪れてもおかしくはない」
 そんな冗談を交えてバスが来るのを待ち、既に満員御礼のバスに乗り込み学園へと向う。
 みな考えることは同じか、学生でごった返すバス、ギュウギュウと奈緒がその体を押し付けてくる。大胆な娘である。
「奈緒、胸が合ったってるって」「しょうがないじゃない、こんなに混んでるんだから! あ、動かないでよ」
 そう言われても窓側に追いやれた奈緒を肉の壁から守るのにこちとらもう限界よ。昨日痛めた二の腕からお腹、太ももと悲鳴を上げている。両手で奈緒に対して壁ドンをしているがそれでも肉壁は迫ってくるんだ。奈緒の大切な二つの膨らみが苦しそうに潰れてしまうのも無理はない。
「どうした?」「んっちょっと擦れて痛いの」
 どこがよ? ってあえて聞き返さなかったのはあまりにも奈緒の吐息に色気が混入していたからである。
 ああ、やばいこんな時に愚息が窓を解き放ち「おはよ」って挨拶したそうにウォーミングアップを始めている気配を感じた。こんな時は母親の顔を思い出すのが良いのだ。経験上そうなのであるから、瞑想して真剣に母さんの顔を思い浮かべる。

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