初めての恋

神寺雅文

解き明かされる過去32

「……、私だって二人のことは誰よりもずっと、ずっと知ってるんだもん。でも、私がもう駄目だと思ったら助け呼ぶからね?」
 最近よく見る遠い目ってやつを春香がまたしている。なんだか時間の流れを遡っている様な表情であり、聞き方によっては“ずっと”がまさに時を遡っている意味で使われている気がした。
「うん、ありがとう」
 でも、春香が見逃してくれると言っているのだからこれ以上話を長引かせる必要もないだろう。屋外から一軍がこちらに向かって来ている声が聞こえ、もうそんな時間かと春香に洗濯物のことを聞く。
「もしかして、洗剤切れてる?」「あ、そうなんだ。洗剤の場所を雅君に聞こうと思ってここまで来たんだった」
 小さく声を漏らし両手の先で口元を隠した春香。可愛い仕草であると思いつつ、洗剤の場所を春香に告げると足早に倉庫の方へと向かって歩き出した。
「雅君は先に行ってて、私が持ってくるから。あ、その顔で奈緒に会うのはよした方がいいから、顔洗ってから洗濯場に行ってね」
 マネージャーをしている時の春香は髪型をポニーテールにしている。そのせいか精の中に動が混じっており、凛とした美しさがある、弓道部のエースです。って紹介されたら信じてしまいそうだ。
 夕刻だからこそ、霞む斜陽が射す通路を春香の後ろ姿がどんどん進んでいく。その後ろ姿を僕は見つめて思った。
「あれ、どこかでこんなことなかったか?」
 春香のポニーテール姿は初めて見るし、こんな汗臭い通路で春香を見送る事は当然今日が最初であり最後であろう。こんな状態じゃなければ、僕が取りに行ってたであろうし。
 とにかく、何故か激痛に歪む体を引きずりながら見送る春香のそんな後ろ姿を僕は見えなくなるまで見続けていたのであった。
「何もなかったでしょうね?」「なんだよ、何か起きる前提か?」
 確かに手洗い場で顔を洗うとヒリヒリと痛みが走り、近くの鏡で顔を見ると擦り傷がたくさんできていた。唇も切れているし、春香が言っていたこともこれなら理解できる。むしろ、春香が洗剤を取りに来てくれて助かったと言えるだろう。
 その春香が戻る前に奈緒と優香さんと合流した矢先、奈緒に疑いの目を向けられた。
「その絆創膏なに? 一体中で何をしてるのよ?」「寺嶋の真似してドリブルしたら転んじゃってさ、あいつら良くあんなにも上手くできるよな~。ねえ、優香さん」「え、はい。寺嶋君のボール捌きはたーくんにも負けませんからね」
 先に水洗いを始めている優香さんにキラーパス。感の鋭い奈緒とバカ正直に会話していたら、どこでボロが出るか分かったもんではない。それより、やはり拓哉への愛情が強い優香さんをいじった方がよっぽど建設的である。
「たーくんのさ、どこが好きなの?」「そうですね、普段はズボラなのにサッカーのことになると途端に人が変わったように真面目になって、誰よりもチームのために、仲間のために睡眠時間を削って努力するところとか、だから寝坊しがちでなんですけどね、それを起こすのが気が付いたら当たり前になって他の人じゃこんな可愛い寝顔見れないんだなって――、あ、なんですかそんな顔して! あああ、私とても恥ずかしいこと言っちゃった」
 ああ、拓哉のやつめこんな素直で可愛い子を悲しませて罰が当たるぞ。お腹を壊して一日中トイレに籠ってしまえばいいのだ。
 どうやら僕の表情に右記のことがらがすべてが出ていたようで優香さんが自分の発言に自ら悶絶している。
「でも、わかるな~優香ちゃんのその気持ち。なんだろね、母性本能ってやつなのかな? わたしが何かしてあげなくちゃって思っちゃうんだよね~」「そう、そうなんです! 奈緒さんも経験あるんですか?」
 男を幼馴染に持つ者同士。何か繋がるものがある様だ。僕とたらいを挟んで意気投合しそうな勢いを見せている。
「だって、ね? 分かるでしょ?」「あ~確かに。放っておけませんね、一人で無理しそうなタイプだと思います。私が身をもって体験しましたもん」
 うむ、居心地が悪い。言葉だけでは不自然な会話である。奈緒の変な間にすかさず理解を示した優香さん。濁る水に視線を落としている僕には、見えない何かをお互いで感じ取ったと言わんばかりに話を発展させていく。

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