初めての恋

神寺雅文

解き明かされる過去16

「たっくんを助けてくれたら、私をヌードデッサンのモデルにしていいからね」「え、それは遠慮しときます」「魅力ないかな? 奈緒ちゃんや春香ちゃんと違い」
 そんなことはない。ないのであるが、背後からとてつもなく危険な視線を感じて全力で嬉しい申し出を断った。少し、つまらなそうに微笑む千鶴姉さんに案内されて拓哉の部屋にたどり着くまで、五分くらいかかったのはこの豪邸が悪戯に巨大であるからであろう。
 拓哉ゾーンと案内されて連れてこられた小ホールくらいの空間で僕は変な目まいに襲われたのは、拓哉の成長過程とか生まれてから今日までという、一種のパビリオンが僕を出迎えたからだ。
「ここよ、あとは任せたからねみーちゃん」
 重厚な樫の木で出来た重たい扉の前に案内され、いつの間にかそんなあだ名で僕を呼ぶ千鶴姉がどこか不安げに微笑むと来た道を戻っていく。帰りの道に一抹の不安を覚えつつも、僕は宅内には不釣り合いなカメラ付きの呼び鈴を鳴らすのであった。
「たーくやくん! 遊びましょう!」
 軽快な呼び出し音と共に陽気な声を扉の向こうにいるであろう拓哉に送る。が、当然と言えば当然であるが無視された。いや、もしかしたら僕のやり方が悪かったのかもしれない。今度は、二回呼び鈴を押して、少し足を開いて腹から声を出す。
「たーくやくん! 遊びましょう!」
 我ながら完璧な呼び出し方である。これなら、引きこもり一年目くらいなら、思わず躍り出てきてしまうに違いない。
 が、至極当然であるがうんともすんとも拓哉は言わない。おかしいな、もしかしたら、やり方ってよりは相手方が眠りに入っていて聞こえていないだけかも知れない。
 仕方ない、次は十回呼び鈴を鳴らした上で、クソ固い樫の木で出来た扉を軽快に四回ノックしてみる。
「たーくやくん! 遊びましょう!」
 ダメだ、出てくる気がしない。やり方ではなくて、相手方の都合でもなく。これが明らかな無視である。キング・オブ・シカトである。
 でも、そんなの関係ないね。拓哉ならきっとノッてくれるはずだ。大きな扉の向こうで引き籠る友人を呼び出すのにぴったりなあの歌を熱唱する。
「トントト、トント。雪だるまつくろ~ドアを開けて~――」
 言うまでもない。我が人生における、これが渾身のボケだ。
 拓哉相手にしかできないお茶目な僕を披露する。出会って初日にエアバンドをして教頭に怒られた仲だ。このくらい拓哉なら造作もない。たっぷりフルで歌い、曲の間にある悲劇のシーンにも心を震わせる完璧な再現に無駄な期待も高まり、拓哉の返答を待つがまあ、結果は目に見えていたさ。
 雪よりも冷たく、氷よりも固い樫の木の扉は開くことはなかった。僕の熱唱を返していただきたいものだ。なんて軽口を叩けたのも、ここまでであった。
 非常に嫌な気分になるのは、僕なら拓哉の力になれるとさっきまで思っていたからであり、拓哉なら僕を受け入れてくれると勝手に確信していたからだ。自分の傲慢な思い込みに虫唾が走る。
 誠に、恥ずかしい限りだ。所詮、拓哉と僕の友人関係はまだ一カ月程度だ。それは世間では日が浅いと言う。職人の世界なら、素人以下だ。スポーツ業界なら、ほとんど未経験者である。つまり、そんな月数などほとんど役に立たないのである。
 十六年、同じ屋根の下、同じ環境で、酸いも甘いも共に経験した家族をもってしても解決できないのだ。僕なんかが拓哉の心の傷を治せるなんてもってのほかである。おこがましいにもほどがある。
 そう思えば思うほど、悔しくて堪らない。僕はなんて無力で、なんて矮小な男なのだろうか。大好きな友を助けることも出来ない男が、何が恋愛だ。何が告白だ。何が彼女だ。何が、僕に任せろだ。奈緒や春香にカッコつけておきながら、このありさまだ。大見え切っておきながら、ゴールを外すことがこんなにも恥ずかしいことだとは思いもよらなかった。ビックマウスと称される某サッカー選手がすごい精神力で自分を追い込んでいるんだと、いまさら関心してしまう。
 そう思うのと、自分への怒りがこみ上げてくるのはほとんど同時であった。
 自分だけが幸せになろうとしていたあの時の自分が憎くて堪らない。自分だけ順調に恋路を進み、分からないことがあれば拓哉に助けを求めて見事成功すれば自分の手柄の様に喜んだ。
 こんな僕が拓哉と出会わなければ、拓哉がこんなことにはならなかったかもしれないのだ。
 知らず知らずのうちに、拓哉に頼ることが当たり前になっていたし、助けてくれるのは友達だから当然だと決めつけていた。友情に熱い拓哉の好意に胡坐をかいていたのだ。
 なんて卑しい人間なんだ僕は。
 ほぼ無意識で呼び鈴を押すが、何故か鳴らなかった。もしかしたら、僕がしつこくてインターホンの電源を落としたのかもしれない。そこまで、うっとうしがられてはもはや立つ瀬がない。奈緒や春香、優香さんにどんな面さげて会えばいいんだ。

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