初めての恋

神寺雅文

友達05

「う、上手くないか?」「ここりゃ、マジで歌姫だわ」
 春香さんの番になり早々に、僕と拓哉はどぎぼを抜かれ開口しきっている。天使が歌えばきっとこんな声色で賛美歌を歌うに違いないし、徳を積んだ者だけが行ける極楽浄土でお釈迦様や天神たち相手に歌を披露できる者がいるのであればきっと春香さんであろう。彼女の歌はまさに天にも昇る澄んだ歌声で僕らはその美声に聴き入ってしまっていた。
「へへ~ん、どう? うちの歌姫の歌声は?」「すごいよ! マジで! 誰に教わったの?」
 遠慮がちに微笑む春香さんを差し置き、なぜか得意げな表情をするのは奈緒。奈緒も奈緒で歌は上手い方で、二人で行くといつも採点で競い合い僕が完敗して毎回おごるハメになっていた。これはもしかしたら、彼女たちもこれまでの日々の中で何度もカラオケでその歌声を競い合い切磋琢磨してきたんじゃないだろうか。
「えっと、内緒ですぅ~」「もしかして例の男の子ってやつ?」「……、はい」
 おいおい、マジかよ。そんな顔するの反則だよ。  拓哉の質問に赤面する春香さん。どうみてもその表情はある男を思い出しての照れ笑いや好意に近い何かを抱いている“女”の表情である。僕の心臓が走ってもいないのにバクバクと鼓動を早め変な汗が額や掌ににじみ出てくるのはそれが原因だと理解できたからだ。
 コの字型の椅子にテーブルを挟んで男子女子と別れて座る僕らの間には、目に見えない一枚の壁が立ちはだかっているのだ。
 所謂これが心の壁ってやつなのかもしれない。片思いをする側とされる側、両者には絶対的な違いが存在する。それを現在進行形で僕は思い知らされて、悔しくて悔しくてたまらなくなった。
「つ、次は僕が歌う!」「お、なんだなんだ? 急にやる気出してどうしたんだ?」「拓哉、僕マジで負けたくないんだ」
 拓哉にだけ聞こえる声でそう告げ、僕は十八番の曲をセットした。顔も名前も知らない誰かに、春香さんはあんな表情を見せるんだ。今現在、一緒にいる僕ならもっと良い表情を見せることが出来るかもしれないって思ったんだ。もし、できなくても、このひと時だけは僕を見てほしかった。あの時の様に微笑んでほしかったんだ。
「お~、みやび~本気じゃん。春香にいいとこ見せたいんでしょ?」「違う、僕の魂を春香さんに見てほしいだけだ! 心の叫びを聞いてほしいんだ」
 マイクをテーブルから拾い上げ靴を脱ぎ棄て、椅子の背もたれに片足を置き天を仰ぐ。スタンバイOKだ。ここからは僕だけのステージ。最高のパフォーマンスを見せてやるぞ。
「……、まったくも~。春香、ああなったみやびはめちゃくちゃよ? 覚悟しなさい?」「え、どういういみ――」「オレの声をきけええええええええええええええええええええええええええええ」
 奈緒も奈緒でおもむろに耳に指を差し込みこれから訪れる衝撃波に備える。それに春香さんが疑問を持つ前に僕が絶叫していた。 そう、僕の十八番はパンクロック。誰かに囁き想いを伝えるバラードとはかけ離れた、誰かにではなく全世界に発信した攻撃的な歌詞が特徴のパンクロックだ。歌が上手い下手ではない。歌声が綺麗汚いでもない。大事なのは己の魂を世界にぶつけたいそれだけだ。
「なるほど、こいつはやべ~! こんな男俺は見たことがないぞ!」「みやび! やりすぎ! 春香がびっくりしてるわよ!」「WO! おおおお! 俺のリビドーは止まらない! たとえ世界を敵に回しても! 正義が悪が混ざったこの世界で俺は! 俺はあああああああ」
 本当に申し訳ないと思っている。どう考えてもお嬢様の春香さんがマイクなしでも十分聞こえる、こんな怒鳴り声で歌う乱暴的な歌を受け入れるわけがないんだ。普通なら、引かれてしまう。ドン引きもいいとこで、拒絶反応を示されないだけでも奇跡と言えるレベルだ。 さあ、肝心の春香さんの反応と言えば――。

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