海の声

漆湯講義

188.不安の扉

"とん"と立った美雨の手を引いて船内へと足を進めると、俺たちはツルツルとした椅子へと腰を下ろす。
蒸し暑い船内には扇風機が動いているだけで、雑誌や帽子などで風を送る島の人々がチラホラと座っていた。
そして客を入れ替えた船はゴポゴポと大きな音を立てて港を離れていく。
待ってろよ…海美
もどかしさに落ち着かない手のひらを強く握り、なんとか落ち着かせると、船内の古い円盤型の時計に目をやって時間を確認した。


長い時間波に揺られていた気がする。が、再び見た時計の針はそれほど変わっていない。
港に船が近づくと、俺は停止するのを待てずに席を立った。

『セイジッ!だから焦ったってイミない、座んなよ』

俺は渋々、席に半身を腰掛けると、ジッと窓の外を見つめる美雨に尋ねた。

「お前はなんでそんな冷静にいられんだよ。心配じゃないのか?」

その問いに、美雨は窓に額を付けると『冷静なワケないじゃん、もっと心配な事があるだけ』
そんな事を言ったのだった。

船を降りてバスで病院へと向かう。
このぎこちない感じ…なんかやだな。
バスが病院の前へと止まると、俺はゆっくりと立ち上がって美雨を見た。
すると窓の外を見ていた瞳が俺へと動いた。

『びっくりした…もう先に進んじゃったかと思ってた』

そんな事を言う美雨はなんだか嬉しそうだった…

「行くわけねぇだろ?ほら、行くぞ、手ッ」

差し出した右手にグッと力が入って重みが加わる。そして腕を引き上げ、その重みがふわっと軽くなったと思うと同時に美雨の身体が俺の胸へと飛び込んできた。

『ば、ばか!引っ張りすぎ!』

「んな事ないだろ。お前が軽すぎんだよ」

そんなやり取りをしただけで、少しだけいつもの二人に戻れたような気がした。
俺は小さく深呼吸をすると、美雨の頭をポンと叩いてバスを降りた。


懐かしい…
大きな病院を目の前に"あの日"の思い出が蘇る。
"三人"で訪れたあの日。
今よりも日差しが暑くて、バスで冷やされた身体もここに来るまでに汗だらけになってたっけ。

"怖いけど、頑張るよ、私"

そんな言葉が遠い記憶の中で呟かれている。

あの時、隣に居た海美は、今はもう"一人しか"居ないんだ。

エアコンの効いた広いロビーを通って部屋の前に到着すると、不安と恐怖、期待と喜びがぐにゃぐにゃに混ざり合った気持ち悪いような感情が喉元まで込み上がる。
部屋の前で立ち止まり、俺たちの来た方向を見て居るはずのない"海美"の姿を探してしまう。
そして下を向いて心を落ち着かせようとした俺を他所に、美雨の手が部屋の扉を開いた。


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