海の声

漆湯講義

93.お泊りソウダン

『で?何で美雨ちゃんをうちに泊めたいの?』

俺はリビングのソファーに腰掛ける母さんの背中に今まで感じたことのないような緊張を感じていた。
きっとそれは結婚の許しを得る為に義父の元へと話をしに来ている男の人の気持ちと似ていることだろう。
俺は汗ばんだ手のひらを何度も握っては開き、喉が詰まりそうになるのを咳払いで誤魔化しつつ答える。

「その…新しい学校の事とかこの島の事聞きたくて…さ?だからいいでしょ?」

相変わらず母さんはソファーに座ってテレビに流れるコマーシャルを見つめ続けている。

『そんな事、美雨ちゃんを泊めてまで聞く事じゃないわよねぇ?』

「えっ、それは…その…」

『誠司、美雨ちゃんは女の子なのよ?あちらの家の方は何て言っているの?突然よく知らない男の子の家に泊まるなんて心配になってしまわないかしらね。』

「そんなの分かってるけど…」

『分かってるけど何?少しでも一緒に居たい?』

「そんなんじゃねーよ!!」

『ならちゃんと美雨ちゃんのお家まで送り届けてあげるのが誠司のやるべき行動じゃないかしら??』

母さんは怒っている様子でもないが、その言葉には真剣な気持ちが込められていた。
何も言い返す言葉が見つからず、"分かったよ"と俺の喉が声を震わせようとした時だった。

『あの…すいません。』

俺の後ろから現れたのは美雨だった。
だけどなんか雰囲気が違う…先程までの"おいっ!バカセイジ!"なんて言っていた面影はこれっぽっちもなくて、俺の横に並んだのは"しおらしい女の子"だった。

『あらっ美雨ちゃん。今誠司には言ったんだけど…やっぱりお泊まりはまだ早いかなって思うの。まだ知らないんでしょ?お家の方は。』

すると美雨は伏し目がちに両手を後ろに組み、モジモジと似合わない仕草をしつつこう言ったのだった。

『そうなんですぅ、知らないんです…知られたくないんです…』

『だけどね、美雨ちゃんそれは…』

『今日だけは帰りたくなくて…きっと帰ったら私…何されるか。いや、何でもないんです…気にしないで下さいッ。』

別人の様な美雨の目にはキラキラと輝く粒が光る。それが頬を伝って床へと零れ落ちていった。

『どういう事?私なら話せる事なら詳しく聞かせてちょうだい。』

母さんがソファーから立ち上がり、美雨の側へとしゃがみこむと、そっと美雨の肩に手を置いた。


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