【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む

弓削鈴音

34話: 魂の回廊

『すー、はぁ』

 一回だけ深呼吸をして、私の中で渦巻く魔力を落ち着かせた。
 魔力という力はひどく不安定で、持ち主の心の状態にかなり影響される。

『……いい感じ』

 頭が冴えて、空気中に漂う魔力を含めたあらゆる魔力がはっきりと見える。
 最高のコンディションだ。これなら、同時に扱うのが難しいといわれる光魔法と闇魔法の複合魔法であるこの魔法も、ちゃんと扱える。

『《我は願う。魂の回廊をここに》』

 一気にグッと魔力が引き込まれるような感覚の後、淡い光が二人の間に現れる。

 魔素界に視界をアクセスさせると、輝くパイプが二人の間に出来ているのが見えた。

 魂の回廊が繋がれたのだ。

 アマリリスの魔力がラインハルトの呪いを払い、ラインハルトの呪いがアマリリスの魔力を消化していっている。
 時折魂の回廊が、物凄いスピードで行き交う魔力や瘴気によって揺れるが、エメラルドとジンさんのサポートのお陰でしっかりと形を保っていた。
 だんだんとアマリリスから溢れる白い光が弱まっていって、それに伴うようにラインハルトを覆う黒い靄が徐々に消えていく。

「よし!これならいけるんじゃねぇか、ユークライ?」

「俺に聞くな……まぁ、絶対成功するだろうけどね」

 上手くいったと、この場にいた全員が思った瞬間、まるで見計らっていたかのように黒いが現れた。

「な、なんだあれ!?」

 黒い蛇は赤い瞳を爛々と輝かせ私達を一瞥した後、アマリリスとラインハルトに噛み付こうとした。

『……残念でした』

 蛇が姿を見せた瞬間、炎が燃え上がり、琥珀色の宝石が強く輝き、回っていた雷の球が蛇へ襲いかかる。
 私達が何かをする間もなく、蛇は消えた。

『……今、のは────』

『まだ終わってないよ。集中して』

 エメラルドが呆然とした、どこか怯えている表情を浮かべていたから、少し語気を強くする。
 エメラルドはすぐに表情を引き締めると、再び集中し始めた。

『……アイカ様にも、そんな一面あるんですね』

 アスクが、少し驚いたかのように言ってくる。
 貴女が面倒見良いなんて何かあったんですか、とでも言いたいんだろう。

『なにそれ。ふざけてる暇あったら、周りを警戒しといてね?』

『わかってますよ。俺だって、あいつらをぶっ殺したいんですから』

『ぶっ殺すって……まぁ、うん、頼んだよ』

 アスクは軽く頭を下げると、神殿の外の方に視線を向けた。
 その目には、暗いけれど力強い光が宿っていた。




 会話をしていた間にも、アマリリスの魔力とラインハルトの呪いは互いを打ち消しあっていた。
 見た感じ、残り三割くらいだろうか。

『……気をつけて』

『え?何かあるんですか?』

『大地の精霊よ、今アイカ殿が説明するとして、そうすると我らだけでなく、アイカ殿の集中まで切れてしまう。説明する、そしてされる時と場所は、わきまえるべきものだ』

『そ、そういうものなんですね!わかりました!』

 エメラルドは、頷くと表情を引き締めた。

 デジャブを感じるこの光景に、思わずターフに声をかけたくなる。
 ターフは、元エーメとラルドの教育係で、一つ一つのことをしっかりこなすエーメと違い、色々と適当なラルドは、何度もターフに叱られていた。その名残で、今でもラルドはターフの名前を出すと大人しくなる。
 だからエメラルドにもターフは有効だと思うのだけれど……忘れっぽいところやどこか抜けているところは最早どうしようもないレベルになっているから、きっとぬかに釘なんだろうな。

 と、思考が変な方に向かった時だった。
 さっきの蛇とは比べものにならないくらい大きな大蛇…いや、黒い竜が姿を表したのは。

 黒い鱗は鈍い光を放ち、周りに瘴気を撒き散らしている。
 人里に滅多に降りてこない、高い魔力量を持つ誇り高き竜種とは違う、禍々しい生き物。

 悪魔によって召喚されし竜、魔竜だ。

『ギュオーーーーー!!』

 魔竜は雄叫びを上げると、一番近くにいた私に襲いかかろうとする。
 しかし、魔竜は炎によって作られていた正八角形から出ることができずに、苦しそうな声を上げた。

「アイカ、あれは一体…!」

『ユークライ、説明は後で!とりあえず、こいつから離れて。私がどうにかする!』

 もがいている魔竜に、雷の球が襲いかかるが、簡単に鱗に弾かれてしまう。琥珀色の宝石も、強く輝いたあと耐えきれなくなったかのように弾けて割れた。

『ギュオーーーーーーー!!』

 魔竜が咆哮した瞬間、炎がいっせいに消えてしまった。

 阻むものがなくなり、やっと、とでも言うかのように、魔竜の怪しく光る紫と翠の瞳がこちらを向く。

『……オ前、我ヲ不快ニサセル。殺ス!』

『殺せるもんなら、どうぞご自由に…!』

 言葉を切ると同時に、風の刃を飛ばす。
 何十もの刃は、全て魔竜の鱗に浅い傷とも呼べないような跡をつけただけだった。

『精霊ガ我殺ス、無理ダ。諦メロ』

 思ったよりも語彙力がある。そこら辺の、中級悪魔が召喚した魔竜ではなさそうだ。

『ふぅ……』

 深く息を吐く。
 緊張も気負いも、油断も手抜きもない。
 自然に、けれど完璧に。

『こっち見ろ』

 真っ直ぐに魔竜の双眸を見据える。魔竜が驚いたように、目を瞬いて視線を返してきた。
 数秒だったかもしれないし、ほんのコンマ一秒だったのかもしれない。長く、けれど短い停滞があった後…

 わずかに魔竜がたじろいだ。

 その隙を見逃さず、一瞬で魔竜との距離を詰める。

『ギュォッ!?』

 魔竜の鱗に触れてみると、硬い手応えと冷たい感触が返ってきた。
 重なり合って隙間なく並んでいる鱗だが、薄くなっているところも勿論ある。普通なら気が付かないような小さな差だが、魔素界を見ていればすぐにわかった。
 そこに手を押し当て、一気に複数の魔法を発動する。

『……!!!』

『痛かったら、叫んでもいいんだよ?』

『グッ……精霊、調子ニ………グギャアアア!!』

 魔竜が苦しそうにのたうち回る。
 それでも手を離したりはせず、攻撃の手を緩めることもしない。

『……アイカ様、この老骨が留めを刺しても?』

 そう静かに声をかけてきたのは、意外にもターフだった。
 後ろを見てみると、アスクとナツミが目が合った。二人は黙って頷く。

『……オッケー、いいよ。任せた』

『有難く存じますぞ』

 ターフは軽く腰を曲げると、未だに抵抗を続ける魔竜に向き直る。
 そしておもむろに帯刀していた刀に手をかけた。

『……魔竜、大人しく朽ちろ』

 小さく呟くと、その言葉が消える前に一陣の風が吹いた。
 ゴトッ、と音を立てて魔竜の首が地に落ちる。それと同時に、力を失った魔竜の体がゆっくりと地面に倒れ、そして小さな光の粒子になって消えていった。

『お疲れ、ターフ。流石だね』

『いえ。アイカ様がこやつを弱体化させていたゆえに出来たことにございます。して、何をなさったか聞いても?』

『大した事じゃないよ。鱗の隙間から光魔法を付与した風の刃を体内に入れて、ズタズタに肉と臓器を切り裂いていっただけ』

『………いや、アイカ様、全然大した事じゃななくないよ!?瘴気に満ちた魔竜の体内で魔法を維持するとか、普通ならできませんよ!?』

『それはエメラルドの修行不足でしょ。誰だってできるよ』

『そんなの無理ですよー!』

 そう叫ぶ姿に、一瞬ラルドが重なって見えた。
 わずかに胸をざわつき覚えるが、すぐに波は引いていった。
 なんなんだろうな、と内心首を傾げる。
 と、集中が切れたからか魂の回廊が嫌な感じに揺らいだ。

『……っ、あぶな』

 魔竜のせいで色々面倒なことになったが、アマリリスとラインハルトの間にはまだちゃんと魂の回廊が繋がっている。
 魔竜の撒き散らした瘴気の影響がないか魔素界を通して見てみるが、大丈夫そうだ。

 魂の回廊の間では、アマリリスの魔力とラインハルトの呪いの瘴気が高速で交換されている。
 目測、あと一割ほどと言ったところか。

『ごめん、ちょっと魔竜に構いすぎたね。エメラルド、ジンさん。そろそろ魔法を解く。カウントするから、それに合わせて魔力を抑え込んで欲しい』

『抑え込む…?魔力って、誰の魔力ですか?』

『この魂の回廊を形成している魔力と、アマリリスの魔力と、ラインハルトの魔力。忠告しとくと、二人の魔力は人間だからと侮っちゃいけないレベルで強い』

『はっはっはっ!れべるとは何かわからんがわかったぞ、アイカ殿!』

 ジンさんが頼もしい返事をしてくれる。
 エメラルドも、緊張した面持ちで頷いた。

 私は深く深呼吸をすると、アマリリスに思念会話で言葉をかける。

(アマリリス、待っててね)

 返事は、もちろん返ってこない。アマリリスの意識は、今も醒めないままだ。

 アマリリスを覆う白い光は魂の回廊の方に寄せられたのか弱くなっていて、やっと見えた彼女の顔はすごく弱々しい。
ラインハルトも、顔にまで伸びている黒い蔦のような痣が薄れていてやっと顔色がはっきり見えるようになった。といっても良いとは言い難く、時折呻き声を上げている。

 見ているだけでも辛くなるくらい、ひどい状態で、ちゃんと目を開けてくれるか、全く予想がつかない。
 けれど私が、絶対に、目覚めさせる。

 アマリリスとラインハルトの間で交換される魔力は強い光を放っていて、これが魂の回廊を解除した時にどうなるのか……と考えると、少し背筋が凍えるような気もする。
 けれど、ジンさんとエメラルドが手伝ってくれているんだ。失敗は有り得ない。
 それに、私の後ろには信頼できる部下と、ヴィンセント、そしてユークライがいる。

 ユークライは私の方を真っ直ぐに見ていて、私の視線に気づくとわずかに微笑んだ。

 ……はぁ。これだけで頑張れる気がするなんて、私は結構重病みたいだ。

『いくね………3、2、1…ゼロ!』

 言い終わると同時に、アマリリスとラインハルトの間に魂の回廊を形成していた魔法を解除する。

『ぐっ……』

『うわっ!?』

 その瞬間に、魔力が爆発的に膨張しようとした。それをジンさんとエメラルドが抑えてくれるが、あまりにも膨大なエネルギーすぎてだんだんと二人が押されている。

『アイカ様、どうすればいい!?もう耐えられないよ!!』

 エメラルドがそう叫ぶ。
 もちろん、私も黙って見ていた訳では無い。放出されたエネルギーを抑えようと、何重にも結界を張ったり、吸収できる分を吸収したりした。
 それでも高位精霊二人がかり────実質三人で抑えられないのは、魔力があまりにも強くて多過ぎるからだ。

 けれど、アマリリスの魔力との親和性が高い私なら、ある方法を使ってこれをどうにかできる。

『あと十秒だけもたせて。そしたら私が魔力を変換するから』

『了解した。大地の精霊よ、大丈夫か?』

『は、はい!どうにかします!』

 エメラルドは辛そうに顔を歪めたが、それでも気丈に明るい声を出した。
 この子も成長したな、とぼんやり思ってしまうのは、多分緊張しているからだ。

 現実逃避はいい加減にして、荒れ狂う魔力に目を向ける。
 制御されていない魔力は大抵は凪いだ海みたいに静かなのだが、さっきまで高速で魂の回廊を流れていた魔力だからかその限りではない。今にも爆発しそうだ。

 その暴れ回る魔力に、丁寧に、だけれど今できる最速のスピードで、自分の魔力を潜り込ませていく。
 蜘蛛の巣みたいに張り巡らせた、無数の魔力の糸。その一本一本に意識を集中させて……

『……ふっ!』

 一気に網状にして、魂の回廊の魔力を捕まえる。

『くっ……』

 糸が引きちぎられそうになるのを耐えて、そこから魔力を吸収していく。
 魔力が強すぎるからか、酔いにも似た感覚に襲われたが、それでも吸収は止めない。

 私の魔力と、魂の回廊の魔力が混ざり合っていく。
 十分に混ざり、ある程度の量を吸収し終えた頃合を見計らって────といっても、ほんの一瞬のことだったけれど────ある大規模な魔法を展開した。

 ヒュイー、と風が通るような音がする。その音は高鳴りしたあと、すっと消えていった。

『……ははっ、相変わらず滅茶苦茶ですね、アイカ様は』

 アスクが、ちょっと引きつったような笑顔を浮かべる。

 変換魔法、と呼んでいるこの魔法は、その名の通り、魔法や魔力を異なるものに変換する魔法だ。
 威力や方向を変えるだけでなく、上手くやると属性を変えることまでできる。

『今から二人に回復魔法をかける。ナツミ、補助を』

あれ・・ですわね?』

 ナツミの問いに黙って頷く。
 正直、声を出すのも辛い。

 今、私の中では吸収され 、そして変換された魔力が渦巻いている。その総量は私の平時での魔力保有量を超えていて、辛うじてその魔力を抑え込んでいる状態だ。そう長くは持たない。

『ふぅ………癒せ』

 短く呟いて、それに合わせて魔力を回復魔法に変換する。
 ただの回復魔法じゃない。光魔法と無魔法の複合で、瀕死の人でもすぐに万全の状態に戻せるほどの回復力を持つ。
 基本的に魔法には固有の名前はついていないが、私やナツミ達の間では"ヒーリッシモ"と呼ばれているこの魔法は、本当なら私一人ではできない。私の光魔法の適正がかなり低いためだ。
 けれど出来ているのは、記憶の精霊をこの身におろしているから。そして、いつもよりも強く、そして光魔法と相性のいい魔力を使っているから。

『アイカ様、魔力は足りますの?』

『うん。さっき吸収した分しか使ってないから、全然大丈夫』

『まぁ……この御二方、やはり普通の人間ではないのですわね』

 ナツミが驚いたように口を押さえた。
 その後ろで、アスクとターフが彼女に同意するように軽く頷く。
 後で説明しなくてはな、と思った瞬間のことだった。

 ヒーリッシモが終了し、最後にアマリリスとラインハルトの上で金色の優しい光の粒子が弾けた。
 アマリリスの頬に朱が差し、ラインハルトの顔や手を覆っていた黒い痣が、宙に浮かび上がるとどこかへ消える。

 そしてそれとほぼ同時に、カサッ、というかすかな音がした。
 余程耳をすましていないと聞こえないような音だったけれど、辺りをさっきからずっと警戒していた彼らは、はっきりと捉えたようだった。

『……へぇ、こりゃあ大漁じゃないですか。アイカ様、本当になんでもっと早くに教えてくれなかったんですか?そしたら、色々と用意したのに』

『この場にいないエラやスノーのためにも、美しく殲滅して差し上げないとですわね、ふふっ』

『正面はアスク、右はナツミ。儂は左だ。抜かるなよ』

『『了解』』

 まだ姿を見せない敵を前に、彼らはもうすでに殺気をあらわにしていた。

 ピリピリと身を焦がすような緊張が高まる。
 そして、ラインハルトのまぶたがかすかに震えた。

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