【旧版】諦めていた人生の続きで私は幸せを掴む
15話: 森と、前世の記憶
「……その、すまなかったな。」
 エスコートして頂きながらしばらくぶらぶらと庭園を歩いていると、第二王子がそう呟いた。
「僕みたいな、黒髪と婚約なんて、嫌だろう。」
 第二王子はそう言って、自嘲気味に笑った。
 急に、胸が締め付けられる思いがする。第二王子に、こんな表情をして欲しくない。
「だ、第二王子殿下のお髪は、綺麗です!羨ましいくらいです!」
 私の言葉に、第二王子がきょとんとする。さっきまでの辛そうな表情が消えていた。代わりに、いつものちょっと硬い顔ではなく、年相応の少し幼げな顔になる。
 今度はさっきと違った胸の締めつけがした。
「そ、それに、第二王子殿下は素晴らしいお方です。あの場で、わたくしを庇ってくださった。守ってくださった。すごく、すごく嬉しかったです。」
「……そう、か。良かった。君にそう言って貰えるなんてな。」
 そう言って、第二王子は笑顔を浮かべた。彼につられて、私の頬も緩んだ。
 この方といると、どうしてだか有りのままの自分でいられるような気がして、どうも安心してしまう。
 せっかくだから、ちゃんとした令嬢でありたいのに。
 彼に連れられて庭園をしばらく歩いていると、いつの間にか森のようなところに着いた。
「殿下、ここは?」
「王城の西にある森だ。森の精霊が作ったらしく、本当なら無いい空間に存在する、らしい。」
「そうなのですね。少し、不思議な気配が感じられます。」
 森からは、神秘的な空気が流れてきた。少しひんやりしていて、肌に触れると気持ちいい。空気もとても澄んでいる。
 あるようでなく、ないようである。
 蜃気楼とは、このような感じなのだろうか。存在が不確かなように感じられる。
「君に、見せたいものがあるんだ。付いてきてくれ。」
「あっ、殿下!」
 手を引かれて、私は森へ足を踏み入れる。
 森に入る瞬間、私は思わず目を閉じていた。何か薄い膜を通り抜ける感じがして、少し怖くなる。
「ふふっ、目を開けてくれ。」
 恐る恐る目を開けると、そこに広がっていたのは美しい森の緑だった。
「わぁ、すごく、綺麗……」
 白、いや、銀色の木漏れ日が辺りを照らしている。ところどころに咲いている花は、美しい白や銀色だった。
 花はそれぞれ違う形の花弁を持っていたが、雑多な感じはしない。一つ一つの良さを伝えようとしているようで、余計に見入ってしまう。
 緑、白、そして銀色だけで出来ている森は、その色の少なさに関わらず綺麗だ。むしろ、そこに美しさを感じる気がする。
「気に入ったか?」
 囁くように、第二王子が尋ねてくる。私は首を縦に振ると、つい同じように囁き声で返した。
「はい。この森を作られた、森の精霊にお会いしたいです。」
『へぇ。この子、わかってるじゃないの。』
「えっ!?」
 急に聞こえたその声に、私は思わず声を出してしまった。
 一つ目の理由は、それが精霊────しかもかなり高位であろう精霊の声だったから。
 二つ目の理由は、男の声なはずなのに、女性の口調だったから。
「……大丈夫か?」
 言葉を失った私は、第二王子の呼びかけにやっと我を取り戻した。
 頭を軽く振ってから、第二王子に微笑む。
「ご心配をおかけしました、殿下。大丈夫ですわ、はい、大丈夫です……」
 必死に、大丈夫だと言い聞かせる。そうもしないと、もったいない、と叫びそうだったから。
 彼は────彼女か?────すごく美形だった。いわゆる、"残念なイケメン"を見た感じだ。
『あら、ここのルールを知らないのね。』
「ルール、ですか。」
『えぇ。ここでは、他人の名前を呼ぶ時は、名前でしか呼んではならないの!』
 どういう、ルールなんだろうか。意図がまったくわからない。
 嫌がらせとか、冗談なのだろうか。
「このルールは、どなたがお考えになられたのですか?」 
 私の質問に、森の精霊は笑みを浮かべた。そして、第二王子をビシッと指差す。
 第二王子は指を差されているというのに、大して気にしたようでもなさそうだ。気心の知れた仲なのだろうか。
『あたしの愛し子────ラインハルトのご先祖さま。大体二百年くらい前の事よ。彼も、あたしの愛し子だったわ。そして彼はね、好きな人に名前で呼んで欲しいという理由だけで、このルールを作ったの。彼と彼の好きな人には、身分の差があってね。』
 しょうもない、という言葉は飲み込んだ。というか、ちょっとロマンチックなようにも感じられ…いや、どっちかというと、可愛らしい、とでも言うのだろうか。
 というか、第二王子はこの事をもともと知っていたのかしら。もし知っていたら、どうして言ってくれなかったのか…
「殿下────」
『ブッブー、よ!名前で呼ぶの、な・ま・え、で!』
「うっ……」
 いきなり第二王子を名前呼びとは、ハードルが高い。けれど、ルールなら従うしかない。
「えっと……ら、ラインハルト様?」
『合格よ。ふふふ、あなたの事気に入ったわ。加護、あげちゃう!』
 加護とは、簡単に貰えるものでは無いのだけれど。まるで、お菓子をあげる、くらいの気楽さで言われてしまった。
 特に、森の精霊は高位精霊だから、ますます加護は貰いにくい、はずなのだが…
『森の精霊、カミルの加護をこの子に!』
 柔らかい、緑色の光が私を包む。この森と同じ、美しく洗練された雰囲気が、光から感じられる。
 光が消えた時、私は誰かの声が一瞬だが聞こえたような気がした。慌てて周りを見渡すが、誰もいない。
 けれどどうしてか、さっきまでより森が私を歓迎してくれているように思えた。
『あら、あなたって、アイカの愛し子だったのね。』
「はい。アイカの事、知っているのですか?」
 少し嬉しかった。アイカの事を知っている精霊と会うのは、私をもともと加護していた精霊以外では初めてだ。
『知ってるわよ。第二位なのに、それを鼻にかけないのだもの。たくさんの精霊から人気よ。』
「そうなんですか。アイカって、すごいんですね。」
『えぇ、そうよ。アイカはねぇ…』
 森の精霊…改め、カイルが話し始めたアイカの話は、知らない事ばかりだった。よく考えると、アイカの事を私はあまり知らな────
 あ、れ…?
 何かが、おかしい。私の中にあるアイカの記憶には、終わりまでの事しか無い。
 終わり?何の終わり?
 記憶の糸を必死に手繰り寄せるが、何も思い出せない。
「うっ……」
 頭痛がする。頭の中で、何かが暴れているような痛みに襲われる。
 思わず膝をついてしまう。平衡感覚がひどい。右が左に、左が上に思えてくる。世界が、回っていた。ぐるぐると、おかしくなりそうだ。
 不意に、目の前を映像が過ぎる。
 真っ暗な部屋に、浮かび上がる影。
 視界を埋め尽くすように飛び散る血。
 その間にも、頭は割れそうに痛かった。いや、痛いなんて言葉じゃ言い表せないくらいに、酷かった。
 視界がチカチカして、耳鳴りまでしてくる。
「くっ、うぅ、あぁぁ!」
「大丈夫か!?」
 誰かの声が聞こえた。その瞬間だけ、わずかに痛みが和らぐ。だが、すぐに痛みは襲ってきた。
 歯をギュッと食いしばるけれど、激痛は止まない。
「うぅ……っ!」
『お前な……じゃえ……』『……らな…』『さっさ…し……まえ…』
 どんどん歪んで形を失う世界で、誰かの声が聞こえる。精霊じゃない。人でも無い。
『き…ちゃ……』『こ…にくる……』『…るな……』
「あぁっ、うっ、くっ!」
『…………やめて、やめて!!』
 知っている声が響く。その声を聞いた瞬間、涙がつぅ、と伝った。
 そして、痛みや声が、全て消える。跡形もなく、消え去ってしまった。
 再び意識がしっかり戻った時、なぜか私は温もりに包まれていた。
「あ……」
 顔に、綺麗な黒髪が当たっている。驚いて横を見ると、ふわっと彼の香りがした。
 私が身じろぐと、とても優しい声が語りかけてくれる。
「安心しろ。僕がいる。」
「ラインハルト、様。」
 ラインハルト様は、私の事を抱き締めていた。彼の体温が、私を包んでいるようだ。
 こわごわとだが、私もゆっくり手を回す。すると、彼は私ももっと強く抱きしめた。
「様、なんて要らない。僕は、君にそんなふうに呼ばれたくない。ラインハルトって、呼んで」
「うぅ、ら、ラインハルト。」
 しゃくりあげながらも、私は彼の名前を呼んだ。
 それだけなのに、じわっと涙が溢れてくる。
「ライン、ハルト。」
「あぁ。────何があったかは、言わなくてもいい。ただ、泣くなら僕の前で泣いて欲しいんだ。つまらない、独占欲だけど。」
「うっ、ラインハルト、私、私は!」
 涙で視界が歪んだ。けれど、さっきのように不安は無かった。すぐそこにある温もりが、私の暗い感情を払拭してくれる。
「怖いの。アイカも、助けられなくて。辛くて、痛くて、怖くて。」
 めちゃくちゃな私の言葉を、ラインハルトは私の背中をさすりながら聞いてくれた。
「寒い。怖いの。暗くて、誰も、いない。」
「僕がいる。いるから。」
 ラインハルトは、何度も「いるから」と繰り返してくれる。
 彼がそう言ってくれるのが嬉しくて、だんだんと涙が収まってきた。
「ラインハルト……ありがとう、ございます。」
「ん?……気にするな。僕は、君の婚約者だから。」
 一度も言ってもらったことのないその言葉に、私は再びワッと泣き出してしまった。
 そのうちだんだん落ち着くと、私はある感情に襲われた。
 恥ずかしすぎる。
 私とラインハルトは婚約者で、別にハグをするくらいなら問題はない。けれど、こんなに泣きじゃくるなんて、もう十六歳だというのに…
 ラインハルトは私より年上だから、きっと甘えさせてくれていたのだろうけれど、やっぱりとても恥ずかしい。
「ラインハルト、あの、もう、落ち着きましたので……」
「そうか。」
 ラインハルトは、少し名残惜しそうに立ち上がる。そして、手を差し伸べてくれた。
 彼の手を借りて立ち上がってドレスの埃を落としていると、腕を組んで立っていたカミルが私に声をかける。
『落ち着いたみたいね。まったく、あなた、精霊に対する影響力強すぎよ!あたしは大丈夫だけど、他の子達も騒いでいるじゃない!』
「えっ、あっ、えぇ!!」
 最初の「えっ」は、カミルがいた事に驚いたから出た声。
「あっ」は、見られた事が恥ずかしくなって出た声。
 そして最後の「えぇ!!」は、あたり一面を埋め尽くす精霊を見た事によるものだった。
 エスコートして頂きながらしばらくぶらぶらと庭園を歩いていると、第二王子がそう呟いた。
「僕みたいな、黒髪と婚約なんて、嫌だろう。」
 第二王子はそう言って、自嘲気味に笑った。
 急に、胸が締め付けられる思いがする。第二王子に、こんな表情をして欲しくない。
「だ、第二王子殿下のお髪は、綺麗です!羨ましいくらいです!」
 私の言葉に、第二王子がきょとんとする。さっきまでの辛そうな表情が消えていた。代わりに、いつものちょっと硬い顔ではなく、年相応の少し幼げな顔になる。
 今度はさっきと違った胸の締めつけがした。
「そ、それに、第二王子殿下は素晴らしいお方です。あの場で、わたくしを庇ってくださった。守ってくださった。すごく、すごく嬉しかったです。」
「……そう、か。良かった。君にそう言って貰えるなんてな。」
 そう言って、第二王子は笑顔を浮かべた。彼につられて、私の頬も緩んだ。
 この方といると、どうしてだか有りのままの自分でいられるような気がして、どうも安心してしまう。
 せっかくだから、ちゃんとした令嬢でありたいのに。
 彼に連れられて庭園をしばらく歩いていると、いつの間にか森のようなところに着いた。
「殿下、ここは?」
「王城の西にある森だ。森の精霊が作ったらしく、本当なら無いい空間に存在する、らしい。」
「そうなのですね。少し、不思議な気配が感じられます。」
 森からは、神秘的な空気が流れてきた。少しひんやりしていて、肌に触れると気持ちいい。空気もとても澄んでいる。
 あるようでなく、ないようである。
 蜃気楼とは、このような感じなのだろうか。存在が不確かなように感じられる。
「君に、見せたいものがあるんだ。付いてきてくれ。」
「あっ、殿下!」
 手を引かれて、私は森へ足を踏み入れる。
 森に入る瞬間、私は思わず目を閉じていた。何か薄い膜を通り抜ける感じがして、少し怖くなる。
「ふふっ、目を開けてくれ。」
 恐る恐る目を開けると、そこに広がっていたのは美しい森の緑だった。
「わぁ、すごく、綺麗……」
 白、いや、銀色の木漏れ日が辺りを照らしている。ところどころに咲いている花は、美しい白や銀色だった。
 花はそれぞれ違う形の花弁を持っていたが、雑多な感じはしない。一つ一つの良さを伝えようとしているようで、余計に見入ってしまう。
 緑、白、そして銀色だけで出来ている森は、その色の少なさに関わらず綺麗だ。むしろ、そこに美しさを感じる気がする。
「気に入ったか?」
 囁くように、第二王子が尋ねてくる。私は首を縦に振ると、つい同じように囁き声で返した。
「はい。この森を作られた、森の精霊にお会いしたいです。」
『へぇ。この子、わかってるじゃないの。』
「えっ!?」
 急に聞こえたその声に、私は思わず声を出してしまった。
 一つ目の理由は、それが精霊────しかもかなり高位であろう精霊の声だったから。
 二つ目の理由は、男の声なはずなのに、女性の口調だったから。
「……大丈夫か?」
 言葉を失った私は、第二王子の呼びかけにやっと我を取り戻した。
 頭を軽く振ってから、第二王子に微笑む。
「ご心配をおかけしました、殿下。大丈夫ですわ、はい、大丈夫です……」
 必死に、大丈夫だと言い聞かせる。そうもしないと、もったいない、と叫びそうだったから。
 彼は────彼女か?────すごく美形だった。いわゆる、"残念なイケメン"を見た感じだ。
『あら、ここのルールを知らないのね。』
「ルール、ですか。」
『えぇ。ここでは、他人の名前を呼ぶ時は、名前でしか呼んではならないの!』
 どういう、ルールなんだろうか。意図がまったくわからない。
 嫌がらせとか、冗談なのだろうか。
「このルールは、どなたがお考えになられたのですか?」 
 私の質問に、森の精霊は笑みを浮かべた。そして、第二王子をビシッと指差す。
 第二王子は指を差されているというのに、大して気にしたようでもなさそうだ。気心の知れた仲なのだろうか。
『あたしの愛し子────ラインハルトのご先祖さま。大体二百年くらい前の事よ。彼も、あたしの愛し子だったわ。そして彼はね、好きな人に名前で呼んで欲しいという理由だけで、このルールを作ったの。彼と彼の好きな人には、身分の差があってね。』
 しょうもない、という言葉は飲み込んだ。というか、ちょっとロマンチックなようにも感じられ…いや、どっちかというと、可愛らしい、とでも言うのだろうか。
 というか、第二王子はこの事をもともと知っていたのかしら。もし知っていたら、どうして言ってくれなかったのか…
「殿下────」
『ブッブー、よ!名前で呼ぶの、な・ま・え、で!』
「うっ……」
 いきなり第二王子を名前呼びとは、ハードルが高い。けれど、ルールなら従うしかない。
「えっと……ら、ラインハルト様?」
『合格よ。ふふふ、あなたの事気に入ったわ。加護、あげちゃう!』
 加護とは、簡単に貰えるものでは無いのだけれど。まるで、お菓子をあげる、くらいの気楽さで言われてしまった。
 特に、森の精霊は高位精霊だから、ますます加護は貰いにくい、はずなのだが…
『森の精霊、カミルの加護をこの子に!』
 柔らかい、緑色の光が私を包む。この森と同じ、美しく洗練された雰囲気が、光から感じられる。
 光が消えた時、私は誰かの声が一瞬だが聞こえたような気がした。慌てて周りを見渡すが、誰もいない。
 けれどどうしてか、さっきまでより森が私を歓迎してくれているように思えた。
『あら、あなたって、アイカの愛し子だったのね。』
「はい。アイカの事、知っているのですか?」
 少し嬉しかった。アイカの事を知っている精霊と会うのは、私をもともと加護していた精霊以外では初めてだ。
『知ってるわよ。第二位なのに、それを鼻にかけないのだもの。たくさんの精霊から人気よ。』
「そうなんですか。アイカって、すごいんですね。」
『えぇ、そうよ。アイカはねぇ…』
 森の精霊…改め、カイルが話し始めたアイカの話は、知らない事ばかりだった。よく考えると、アイカの事を私はあまり知らな────
 あ、れ…?
 何かが、おかしい。私の中にあるアイカの記憶には、終わりまでの事しか無い。
 終わり?何の終わり?
 記憶の糸を必死に手繰り寄せるが、何も思い出せない。
「うっ……」
 頭痛がする。頭の中で、何かが暴れているような痛みに襲われる。
 思わず膝をついてしまう。平衡感覚がひどい。右が左に、左が上に思えてくる。世界が、回っていた。ぐるぐると、おかしくなりそうだ。
 不意に、目の前を映像が過ぎる。
 真っ暗な部屋に、浮かび上がる影。
 視界を埋め尽くすように飛び散る血。
 その間にも、頭は割れそうに痛かった。いや、痛いなんて言葉じゃ言い表せないくらいに、酷かった。
 視界がチカチカして、耳鳴りまでしてくる。
「くっ、うぅ、あぁぁ!」
「大丈夫か!?」
 誰かの声が聞こえた。その瞬間だけ、わずかに痛みが和らぐ。だが、すぐに痛みは襲ってきた。
 歯をギュッと食いしばるけれど、激痛は止まない。
「うぅ……っ!」
『お前な……じゃえ……』『……らな…』『さっさ…し……まえ…』
 どんどん歪んで形を失う世界で、誰かの声が聞こえる。精霊じゃない。人でも無い。
『き…ちゃ……』『こ…にくる……』『…るな……』
「あぁっ、うっ、くっ!」
『…………やめて、やめて!!』
 知っている声が響く。その声を聞いた瞬間、涙がつぅ、と伝った。
 そして、痛みや声が、全て消える。跡形もなく、消え去ってしまった。
 再び意識がしっかり戻った時、なぜか私は温もりに包まれていた。
「あ……」
 顔に、綺麗な黒髪が当たっている。驚いて横を見ると、ふわっと彼の香りがした。
 私が身じろぐと、とても優しい声が語りかけてくれる。
「安心しろ。僕がいる。」
「ラインハルト、様。」
 ラインハルト様は、私の事を抱き締めていた。彼の体温が、私を包んでいるようだ。
 こわごわとだが、私もゆっくり手を回す。すると、彼は私ももっと強く抱きしめた。
「様、なんて要らない。僕は、君にそんなふうに呼ばれたくない。ラインハルトって、呼んで」
「うぅ、ら、ラインハルト。」
 しゃくりあげながらも、私は彼の名前を呼んだ。
 それだけなのに、じわっと涙が溢れてくる。
「ライン、ハルト。」
「あぁ。────何があったかは、言わなくてもいい。ただ、泣くなら僕の前で泣いて欲しいんだ。つまらない、独占欲だけど。」
「うっ、ラインハルト、私、私は!」
 涙で視界が歪んだ。けれど、さっきのように不安は無かった。すぐそこにある温もりが、私の暗い感情を払拭してくれる。
「怖いの。アイカも、助けられなくて。辛くて、痛くて、怖くて。」
 めちゃくちゃな私の言葉を、ラインハルトは私の背中をさすりながら聞いてくれた。
「寒い。怖いの。暗くて、誰も、いない。」
「僕がいる。いるから。」
 ラインハルトは、何度も「いるから」と繰り返してくれる。
 彼がそう言ってくれるのが嬉しくて、だんだんと涙が収まってきた。
「ラインハルト……ありがとう、ございます。」
「ん?……気にするな。僕は、君の婚約者だから。」
 一度も言ってもらったことのないその言葉に、私は再びワッと泣き出してしまった。
 そのうちだんだん落ち着くと、私はある感情に襲われた。
 恥ずかしすぎる。
 私とラインハルトは婚約者で、別にハグをするくらいなら問題はない。けれど、こんなに泣きじゃくるなんて、もう十六歳だというのに…
 ラインハルトは私より年上だから、きっと甘えさせてくれていたのだろうけれど、やっぱりとても恥ずかしい。
「ラインハルト、あの、もう、落ち着きましたので……」
「そうか。」
 ラインハルトは、少し名残惜しそうに立ち上がる。そして、手を差し伸べてくれた。
 彼の手を借りて立ち上がってドレスの埃を落としていると、腕を組んで立っていたカミルが私に声をかける。
『落ち着いたみたいね。まったく、あなた、精霊に対する影響力強すぎよ!あたしは大丈夫だけど、他の子達も騒いでいるじゃない!』
「えっ、あっ、えぇ!!」
 最初の「えっ」は、カミルがいた事に驚いたから出た声。
「あっ」は、見られた事が恥ずかしくなって出た声。
 そして最後の「えぇ!!」は、あたり一面を埋め尽くす精霊を見た事によるものだった。
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