天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

なんで、なぜ、お前は…………

 ミカエルの言うことは正しい。まず間違いなく、最も平和的に解決する手段だ。これならば誰も傷つけることなく終わらせられる。

 だが、ルシフェルは胸中で顔を横に振った。

(駄目だ、遅すぎる)

 最善の方法。それは同時に手遅れだった。

(それに、どれだけ署名を集めても神の考えは変わらない)

 署名活動によって数が集まればそれは大きな武器になる。それであの天主が考えを変えるとは思えないが、ミカエルの考え自体は決して間違っていない。

 そして、これでは遅すぎる。仮に天羽の過半数の署名を集めようとしたら数ヶ月、いや、数年経っても終わらない。

 それだけの時間、とてもではないが待てない。その数年はあまりも長すぎる。

 なのに。

「大丈夫ですよルシフェル、きっと変えられます」

 彼は、諦めていなかった。未来を。希望を。彼は誰よりも輝いていた。

 なぜ、それほどまで輝けるのだろう。

 なぜ、信じられるのだろう。

 未来を。

 希望を。

 信じることの強さ。

 ミカエルは強い。その強さをルシフェルは目の当たりにする。

「それに約束したじゃないですか」

「約束…………?」

 いきなりの言葉に咄嗟に思いつかない。馬鹿みたいだった。さきほどから聞き返してばかりだ。

 それほどまでにルシフェルにとってこの状況は場違い過ぎた。まるで、夢の中にいるみたいだ。

 かつて、まだ希望を胸に邁進していた頃に戻ってきたみたいに。

 二人で共に夢を語り合った、輝かしい時間へと。

「なにを言ってるんですかルシフェル」

 聞き返すルシフェルにミカエルは明るく笑う。忘れてしまったんですか? とからかうように。

 ミカエルは希望に輝く顔をルシフェルに向ける。

 それで言うのだ。

 かつてした、二人の約束を。

「二人で夢を叶えるんですよ! 平和な時代を作ろうと!」

「…………」

 言葉が、出なかった。

 そんな約束、忘れていた。言われるまで。今の今まで。

(なんで、なぜ、お前は…………)

 まぶしかった。その明るい表情が。純粋な思いが。汚れを知らない純真な心が。夢にまっすぐで、諦めることをしない意志が。

 希望を持ち、行動し、信じる強さ。

 まぶしかった。それらのすべてが。

 なにもかも、失ったルシフェルには。彼のすべてがまぶしかった。

 痛いくらいに。

「ルシフェル?」


「いや……」
 ルシフェルは目を逸らした。今のミカエルは見ていられない。長い洞窟を抜けて太陽を見上げたように、直視できない。

 それでも少しだけ目を向けてみる。ミカエルの純粋な目が見えた。

(駄目だ、誘えない)

 これから起こる天主への反逆。その一員にミカエルを誘おうとも思ったが、ルシフェルはすぐに視線を落とした。

(ミカエルは裏切らない。まだ諦めていない。争いを止められると本気で信じている)

 彼の瞳を見ればすぐに分かる。これは希望を信じている者の目だ。誰よりも強く、誰よりも正しく、ゆえに、裏切り者として歩み始めている自分とは交わらぬ者だ。

(それに)

 それほどまでにミカエルはまっすぐな男だった。

(裏切る彼を、見たくない)

 そんな男が裏切る様を。なにより、

(そんな私を、見られたくない)

 彼はなんて言うだろう。これほど前向きに努力している彼は、今のルシフェルを知ってなんと言うだろう。

 叱責? 失望? 落胆?

 彼は親友だ。だからこそ、そう思われたくなかった。そんな自分を、見せたくなかった。

 彼は未来のため希望を持って進んでいる。

 ルシフェルは、今苦しんでいる者のため、正義を進もうとしている。

 その時点で、二人が立っている場所は絶対的に違うのだ。

 かつては、同じ場所で夢を語り合っていたのに。

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