天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

人に怒り、人類を憎まず、か

「人に怒り、人類を憎まず、か」

 答えは決まっていた。ルシフェルの声には自信と活気が宿っていた。落ち込んでいた意気が晴れ渡っているのが分かる。

 ルシフェルの答え。それはどちらも立たせること。思考の天秤は右でも左でもなく、真ん中を選んだ。

 しかし、それはもっとも難しいことだ。秤はすぐに揺れる、乱れる。それを水平に保ち続けることなど困難だ。

 それでもその道を行くのか。

 試練はその者を試す。ここでどちらかを選択することも可能だ。それは容易い。けれど真に志しが高い者ならば、困難こそ正しい道。

 それを選べるかどうか。試練はいつも、自分を見つめている。

「私たちの同胞を殺めた者は間違いなく悪だ。それは人類たちにも訴えるべきことだ。しかし裁くことはしない。人類とともに歩むべき道をここで閉ざすことはない。それに反感を覚える仲間もいるだろう。それらの者に対し、私は訴え続けていく」

「天羽長……」

 彼の迷いのない言葉にミカエルは聞き入っていた。落ち込んでいる彼など彼らしくない。いつもの彼が戻ってきた。その喜びを感じるとともに、その強さに憧れる。

 夢が阻まれ、情熱に水を差される。ショックを受けるのは当然だ、普通の者なら諦めてしまう。
 しかし彼は諦めない。それだけの、強さがあるからだ。

 ルシフェルは椅子を動かしミカエルへ振り向いた。その顔は英気に溢れ、微笑んでいた。

「ミカエル、つき合ってくれるか?」

 憧れの者からの誘いに、ミカエルは元気に答えた。

「はい。当然です、天羽長」



 ルシフェルによる演説は予定通りに行われた。そこで彼は今回の事件を悲劇であると説明する一方、人類との関係を終わらせるような選択はしてはならないと天羽に説明した。

 このことはリアルタイムで天界中のいくつもの空に映し出され全天羽に伝えられた。当然失意をあらわにする者もいた。このことに憤りを覚えていた者は少なくない。

 しかしルシフェルの説明は続く。一つの誤りによってすべてを憎むのは間違いであると。この困難を乗り越えた先の未来と平和のために選択しなければならない。

 ルシフェルが説く言葉には強い情熱があった。平和を作りたい。その願いが言葉の節々から感じられた。悲しみと苦しみ。それを踏まえ、平和を作る難しさを話し、その上で言う。

 人類との共栄のため、平和を実現するために。

 必要なのは怒りではなく、罪を許すという慈愛の心なのだと。

 その演説に初めは反感を覚えた天羽も徐々に考えを改めていった。彼が演説を終える頃、この決定に反論するものは減っていた。

 それはルシフェルの強い意志があってこそ実現できた、歴史に残る演説だった。

 時を同じくミカエルはすぐさに地上へと降り王族たちと話をまとめ上げた。他国からはその高貴な姿勢に敬服を表され、事件を起こした国の王族からも一部感謝が伝えられた。

 政治だろう、表だって自分たちの非は認められなかった。

 だが、もしかしたら粛正として侵攻されるのではないかと、ある高官は夜も眠れなかったと話してくれた。その者と話をしてミカエルは思い知った。

 彼らも怖かったのかと。今日に至るまで天羽の決定に怯えていたのだ。

 苦しみを憎み、人を憎まず。かつてルシフェルが教えてくれた言葉を、ミカエルは理解できた気がした。

 それからも、ルシフェルは天界での演説に走り回っていた。

 同胞殺害という訃報ふほうに胸を痛めていた仲間たちへ実質上の無罪を言い渡すのは心苦しかった。

 会場に、時には木の下に。場所を問わず集まってもらった天羽の目の前で話をする。

 中には途中で泣き出す者もいた。それでもルシフェルは懸命に話した。人類全体との友好のため、ここは抑えて欲しいと。

 彼の情熱は本物だった。ルシフェルも亡くなった天羽のことは悲しいが、それでも理想を語った。

 その熱は彼らの心にも次第に伝わっていき、ルシフェルがそう言うのならと改めて賛同を示してくれた。

 ルシフェルとミカエルの行動、それに他の四大天羽たちもルシフェルの決定を受けてから縁の下で活動していった。そうしてこの問題は収束を見せ始め、ついには解決へと至ったのだ。

 人類は尊敬を。天羽は未来への理想を。ルシフェルたちはその架け橋となり、和解へと至った。人類と天羽との法ができたのだ。

 努力が、報われた結果だった。

「よかったな」

 とある丘の上でルシフェルは隣に立つミカエルに話しかけていた。芝生がそよ風に靡かれ気持ちよさそうに揺れている。

 頭上には青空が広がり眼下には浮遊する島と雲が流れていく。ここには二人しかおらず穏やかな時が流れる。

「はい」

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