天下界の無信仰者(イレギュラー)
この思いに、嘘は吐けない。
「……すまない」
ここでなにを言っても彼女を納得させることはできない。分かっている。だからルシフェルは謝った。すまないと。
ウリエルとてこの決定が政治的なものだと理解していた。彼がそう決めたのならそうなのだろう。
だけど、だとしても、友人の死が報われないという現実に、彼女は再び俯いた。
「う、うう」
止まっていた涙が流れ出す。それはさきほどよりも大きく、彼女は思いを爆発させた。
「うわあああああ!」
大声が洞窟を震わせた。叫ぶような泣き声が響く。悲しみが止まらない。悔しくて仕方がない。愛していた人間に裏切られ、それに対しなにもできない。
ウリエルの泣き声を聞いてルシフェルも顔を下げた。
自分の決定で誰かを悲しませている。これほど彼女は泣いているというのに、自分はなにもできない。自分のせいで彼女を苦しめているのも同然だ。
ルシフェルは目を瞑った。強く、噛みしめるように目をつぶる。彼女の泣き叫ぶ声と悲しみが自分の心を殴りつけてくる。
胸が痛い。胸が痛い。胸が痛い。
胸が、ただただ痛かった。
その後ルシフェルは立ち上がり、遠見の池を後にした。
*
演説前、ルシフェルとミカエルは会議室で待機していた。ルシフェルは席に座ったまま両肘を机に立て顔は俯いている。意気消沈というべきか、今の彼にはいつもの覇気がない。
ルシフェルの様子をミカエルは背後から見つめる。その瞳が憂いに細められた。なんという弱々しい背中だろう。
普段の彼は自信と快活さに溢れ、星のように輝いていたというのに。目の前にいる彼の背中は翼をもがれた鳥のように、行方を失い途方に暮れているみたいだ。
ミカエルの目線が寂しそうに下がる。
「ミカエル」
「はい」
ルシフェルから名前を呼ばれすぐに返事をする。緩んでいた背筋を整えた。
「君は、どう思う?」
「私ですか?」
背中越しに聞かれる。どう思うとは、人間による天羽殺害事件のことだ。それについてミカエルの意見が聞かれている。
「私が意見するなど」
「いや、いい。聞いてみたいんだ」
本来補佐官が口出すことではない。これは四大天羽によって決められる最重要問題だ。ミカエルは口を濁すがルシフェルは改めて聞いてきた。
声は疲れの色が滲んでいた。
「私は……」
天羽長からの質問にどう答えたものか。ミカエルは思案する。軽々しく言えることではない。とても複雑な問題だ。
天羽たちの心情をくみ取らなければならないが、人間たちとの関係を悪化させることもできない。判断が天秤のごとく揺れ動き思考を鈍らせる。
「よく、分かりません。ただ」
「ただ?」
複雑な問題だ。絶対に正しいと言い切れる答えなど導けない。いや、そんなものははじめから存在しないのかもしれない。
思考はきしみを上げる。
けれど、思いならば一つだ。現実の問題とは反対に自分の心は一つのことだけを訴える。
思いとは、時に現実よりも純粋だ。
「一人の悪行で、人類すべてを憎むことは誤りです。そうならないか、それが心配です」
それが答え。具体的な方法など分からない。どうすればいいのかもてんで思い浮かばない。
それはそれで無責任な発言だと叱責されるものかもしれない。けれど思いは本物だ、こう思うことに嘘も偽りもない。
人類の平和。それを願っている。
この思いに、嘘は吐けない。
「そうだな……」
ミカエルの答えにルシフェルは小さく呟いた。具体性に欠ける役に立ちそうにもない意見だ、聞き流しているだろう。ミカエルはそう思った。
すると、ルシフェルは俯かせていた顔を持ち上げた。どうしたのかと疑問が過ぎる。
ミカエルが見つめる先。そこにある背中が、さきほどよりも大きく見えた。
「私たちと人類の交渉はまだ始まったばかりだ。困難の一つや二つ、あって当然だ。試練はその者の本質を暴く。重要なのは、なにを選択するかだ」
声は、以前より力強くなっていた。
「この問題を解決するには、どちらか一方だけを見ていてはだめだ。どちらにも気を配り判断しなくては」
事後法という厄介な問題。これを無視すれば人類は不信感を抱くだろう。しかし飲んだとしても天羽の怒りは収まらない。
どちらを選んでも悪化する。あちらが立てばこちらが立たずだ。考え出せば迷宮のように答えが見つからない。雁字搦めのパズルだ。
けれど一つの指針が道を示してくれた。それは荒れ狂う大海での羅針盤か、見失いかけていたものを教えてくれた。
ここでなにを言っても彼女を納得させることはできない。分かっている。だからルシフェルは謝った。すまないと。
ウリエルとてこの決定が政治的なものだと理解していた。彼がそう決めたのならそうなのだろう。
だけど、だとしても、友人の死が報われないという現実に、彼女は再び俯いた。
「う、うう」
止まっていた涙が流れ出す。それはさきほどよりも大きく、彼女は思いを爆発させた。
「うわあああああ!」
大声が洞窟を震わせた。叫ぶような泣き声が響く。悲しみが止まらない。悔しくて仕方がない。愛していた人間に裏切られ、それに対しなにもできない。
ウリエルの泣き声を聞いてルシフェルも顔を下げた。
自分の決定で誰かを悲しませている。これほど彼女は泣いているというのに、自分はなにもできない。自分のせいで彼女を苦しめているのも同然だ。
ルシフェルは目を瞑った。強く、噛みしめるように目をつぶる。彼女の泣き叫ぶ声と悲しみが自分の心を殴りつけてくる。
胸が痛い。胸が痛い。胸が痛い。
胸が、ただただ痛かった。
その後ルシフェルは立ち上がり、遠見の池を後にした。
*
演説前、ルシフェルとミカエルは会議室で待機していた。ルシフェルは席に座ったまま両肘を机に立て顔は俯いている。意気消沈というべきか、今の彼にはいつもの覇気がない。
ルシフェルの様子をミカエルは背後から見つめる。その瞳が憂いに細められた。なんという弱々しい背中だろう。
普段の彼は自信と快活さに溢れ、星のように輝いていたというのに。目の前にいる彼の背中は翼をもがれた鳥のように、行方を失い途方に暮れているみたいだ。
ミカエルの目線が寂しそうに下がる。
「ミカエル」
「はい」
ルシフェルから名前を呼ばれすぐに返事をする。緩んでいた背筋を整えた。
「君は、どう思う?」
「私ですか?」
背中越しに聞かれる。どう思うとは、人間による天羽殺害事件のことだ。それについてミカエルの意見が聞かれている。
「私が意見するなど」
「いや、いい。聞いてみたいんだ」
本来補佐官が口出すことではない。これは四大天羽によって決められる最重要問題だ。ミカエルは口を濁すがルシフェルは改めて聞いてきた。
声は疲れの色が滲んでいた。
「私は……」
天羽長からの質問にどう答えたものか。ミカエルは思案する。軽々しく言えることではない。とても複雑な問題だ。
天羽たちの心情をくみ取らなければならないが、人間たちとの関係を悪化させることもできない。判断が天秤のごとく揺れ動き思考を鈍らせる。
「よく、分かりません。ただ」
「ただ?」
複雑な問題だ。絶対に正しいと言い切れる答えなど導けない。いや、そんなものははじめから存在しないのかもしれない。
思考はきしみを上げる。
けれど、思いならば一つだ。現実の問題とは反対に自分の心は一つのことだけを訴える。
思いとは、時に現実よりも純粋だ。
「一人の悪行で、人類すべてを憎むことは誤りです。そうならないか、それが心配です」
それが答え。具体的な方法など分からない。どうすればいいのかもてんで思い浮かばない。
それはそれで無責任な発言だと叱責されるものかもしれない。けれど思いは本物だ、こう思うことに嘘も偽りもない。
人類の平和。それを願っている。
この思いに、嘘は吐けない。
「そうだな……」
ミカエルの答えにルシフェルは小さく呟いた。具体性に欠ける役に立ちそうにもない意見だ、聞き流しているだろう。ミカエルはそう思った。
すると、ルシフェルは俯かせていた顔を持ち上げた。どうしたのかと疑問が過ぎる。
ミカエルが見つめる先。そこにある背中が、さきほどよりも大きく見えた。
「私たちと人類の交渉はまだ始まったばかりだ。困難の一つや二つ、あって当然だ。試練はその者の本質を暴く。重要なのは、なにを選択するかだ」
声は、以前より力強くなっていた。
「この問題を解決するには、どちらか一方だけを見ていてはだめだ。どちらにも気を配り判断しなくては」
事後法という厄介な問題。これを無視すれば人類は不信感を抱くだろう。しかし飲んだとしても天羽の怒りは収まらない。
どちらを選んでも悪化する。あちらが立てばこちらが立たずだ。考え出せば迷宮のように答えが見つからない。雁字搦めのパズルだ。
けれど一つの指針が道を示してくれた。それは荒れ狂う大海での羅針盤か、見失いかけていたものを教えてくれた。
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