天下界の無信仰者(イレギュラー)
あなたは本当に純粋な方なんだなと
「失礼ですが、あなたはもっとご自身の立場を自覚された方がいい。私でさえ、こうして二人きりで話すことに躊躇いを覚えるというのに」
「君と話すのは初めてではないだろう」
「そういう問題ではなくて……」
どうやらこの天羽は根本から少し、お勘違いをされているようだ。そこを訂正しておかなくては今後も同じ問題が起きてしまう。そう考えウリエルは少々表情を固くしてルシフェルを見る。
「あなたに憧れ、尊敬している者は多い。それは同時に嫉妬も生みます」
「んん」
ウリエルの指摘にルシフェルはうねる。顎に手を添え難しい顔をしていた。
「だが、それは心が弱い証拠だ。己というものをしっかり持っていれば誰かに左右されることもあるまい。他者を妬むのではなく己を鍛えることこそが最善の解決であろう」
「天羽とはいえ、誰しもが強いわけではないのですよ、天羽長」
「んん」
ウリエルは言うが、ルシフェルはまたもうねり首を傾げている。要領よく人望もあり、優しい彼だがこういうところで疎いのは善性の欠点か。
「ふふ」
「なぜ笑う」
すると隣でウリエルが小さく笑った。口元に手を当てている姿は慎ましく、けれども顔は乙女のように無垢な笑みだった。
「いえ」
ウリエルはルシフェルに振り返り、青い瞳を向けた。
「あなたは本当に純粋な方なんだなと」
彼こそは善性の化身、明けの明星。誰もが羨む天羽の長。その曇りのない心にウリエルは静かに賞賛していた。彼は強く美しい。なによりも心が清らかだ。彼を尊敬せず、誰を尊敬できよう。
けれど当の本人は少々不機嫌そうで、どうもからかわれている気がしたらしい。
「そうなのか? 自分ではよく分からん」
「ふふ」
そんな彼を、再びウリエルは笑っていた。
その時、洞窟内に悲鳴が響いた。何事かと二人は遠見の池に視線を落とす。
「あれは」
そこに映し出されていた光景にウリエルが声をあげる。
見れば昼間の大通り、露店が並ぶ場所で盗難があったようだ。物を盗んだ男が猛然と走り邪魔な通行人たちをはねのけている。それにより女性が倒れていた。
それを見てウリエルは顔を手で覆った。見たくないのだろう。痛ましい姿と、人が犯す罪そのものを。人の幸福を見ただけで笑える彼女だが、同時に人の痛みは見ただけで辛くなってしまう。
その後盗人は衛兵に捕まえられ連行されていった。
事件が収まったことでウリエルも顔を覆っていた手を下ろす。けれど消沈した感情はまだ残っており、悲しそうな雰囲気を漂わせていた。
「ウリエル?」
彼女に声をかける。彼女は水面を見つめていた。
「……いえ。ただ」
ウリエルの視線の先。そこには、倒れた女性が池に映されていた。盗人によって転倒した女性だ。
そんな彼女を見つめ、ウリエルの表情は悲しそうだった。
「なぜでしょうね。そうすれば誰かが傷つくと分かっているはずなのに」
彼女は優しい。傷ついている人を思いやる心がある。
だからこそ彼女の心はいとも簡単に傷ついてしまう。誰かの幸福に共感できる。それは誰かの痛みにも反応してしまうということだ。
地上で起こる争いや痛み。それは容赦なく純真な彼女を襲う。
「それはな、ウリエル」
そんな彼女へ、ルシフェルはそっと声をかけた。
「自分が今、傷ついているからだ。ウリエル、苦しんでいる人を恨むな。私たちは人びとから苦しみを取り除くんだ。憎むべきは人ではない、苦しみそのものだ。それがなくなれば、人は善き行いをする」
「…………はい」
ルシフェルからの言葉に、ウリエルは悲しそうにそう答えた。
そんな彼女の表情を見てルシフェルも寂しそうな顔をするが、すぐに真剣な顔へ切り替えた。
「信じよう。いずれ誰しもが笑顔で暮らせる時代がくる。そのために今を努力するんだ」
「はい」
ウリエルは目をつむり祈るように言う。
誰しもが笑顔で暮らせる時代。そんな世界ができればいいと。
「そうですね」
ウリエルは微笑んだ。その横顔は美しい。
「……うん」
ルシフェルは正面に向き直り一回頷いた。やる気が今一度高ぶる。
作ろう。よき時代を。誰しもが笑顔で暮らせる世界を。そのためにがんばっていくのだと、その目は期待に輝いていた。
「君と話すのは初めてではないだろう」
「そういう問題ではなくて……」
どうやらこの天羽は根本から少し、お勘違いをされているようだ。そこを訂正しておかなくては今後も同じ問題が起きてしまう。そう考えウリエルは少々表情を固くしてルシフェルを見る。
「あなたに憧れ、尊敬している者は多い。それは同時に嫉妬も生みます」
「んん」
ウリエルの指摘にルシフェルはうねる。顎に手を添え難しい顔をしていた。
「だが、それは心が弱い証拠だ。己というものをしっかり持っていれば誰かに左右されることもあるまい。他者を妬むのではなく己を鍛えることこそが最善の解決であろう」
「天羽とはいえ、誰しもが強いわけではないのですよ、天羽長」
「んん」
ウリエルは言うが、ルシフェルはまたもうねり首を傾げている。要領よく人望もあり、優しい彼だがこういうところで疎いのは善性の欠点か。
「ふふ」
「なぜ笑う」
すると隣でウリエルが小さく笑った。口元に手を当てている姿は慎ましく、けれども顔は乙女のように無垢な笑みだった。
「いえ」
ウリエルはルシフェルに振り返り、青い瞳を向けた。
「あなたは本当に純粋な方なんだなと」
彼こそは善性の化身、明けの明星。誰もが羨む天羽の長。その曇りのない心にウリエルは静かに賞賛していた。彼は強く美しい。なによりも心が清らかだ。彼を尊敬せず、誰を尊敬できよう。
けれど当の本人は少々不機嫌そうで、どうもからかわれている気がしたらしい。
「そうなのか? 自分ではよく分からん」
「ふふ」
そんな彼を、再びウリエルは笑っていた。
その時、洞窟内に悲鳴が響いた。何事かと二人は遠見の池に視線を落とす。
「あれは」
そこに映し出されていた光景にウリエルが声をあげる。
見れば昼間の大通り、露店が並ぶ場所で盗難があったようだ。物を盗んだ男が猛然と走り邪魔な通行人たちをはねのけている。それにより女性が倒れていた。
それを見てウリエルは顔を手で覆った。見たくないのだろう。痛ましい姿と、人が犯す罪そのものを。人の幸福を見ただけで笑える彼女だが、同時に人の痛みは見ただけで辛くなってしまう。
その後盗人は衛兵に捕まえられ連行されていった。
事件が収まったことでウリエルも顔を覆っていた手を下ろす。けれど消沈した感情はまだ残っており、悲しそうな雰囲気を漂わせていた。
「ウリエル?」
彼女に声をかける。彼女は水面を見つめていた。
「……いえ。ただ」
ウリエルの視線の先。そこには、倒れた女性が池に映されていた。盗人によって転倒した女性だ。
そんな彼女を見つめ、ウリエルの表情は悲しそうだった。
「なぜでしょうね。そうすれば誰かが傷つくと分かっているはずなのに」
彼女は優しい。傷ついている人を思いやる心がある。
だからこそ彼女の心はいとも簡単に傷ついてしまう。誰かの幸福に共感できる。それは誰かの痛みにも反応してしまうということだ。
地上で起こる争いや痛み。それは容赦なく純真な彼女を襲う。
「それはな、ウリエル」
そんな彼女へ、ルシフェルはそっと声をかけた。
「自分が今、傷ついているからだ。ウリエル、苦しんでいる人を恨むな。私たちは人びとから苦しみを取り除くんだ。憎むべきは人ではない、苦しみそのものだ。それがなくなれば、人は善き行いをする」
「…………はい」
ルシフェルからの言葉に、ウリエルは悲しそうにそう答えた。
そんな彼女の表情を見てルシフェルも寂しそうな顔をするが、すぐに真剣な顔へ切り替えた。
「信じよう。いずれ誰しもが笑顔で暮らせる時代がくる。そのために今を努力するんだ」
「はい」
ウリエルは目をつむり祈るように言う。
誰しもが笑顔で暮らせる時代。そんな世界ができればいいと。
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「……うん」
ルシフェルは正面に向き直り一回頷いた。やる気が今一度高ぶる。
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