天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

お美しい……

 気づいた瞬間自分が保てなくなる。自己矛盾に押し潰される。

 ウリエルは気づいた。だから彼女は戦えない。戦うために必要な動機がなくなってしまったから。

 あれほど熱く燃えていた信仰心は燃え尽きて、吹けば飛んでいく灰へと変わってしまった。

 ウリエルの変貌。それはかつてと比べものにならないほど憔悴したものだった。

 それを目の当たりにしてラグエルの表情が曇る。

「やはり、間違いだった。あなたは人間と接触し過ぎた。地上への布教が交代制なのは我々天羽が人間に染まらぬようにするためだ。我々の崇高さと純真さを保つため、人間との接触は最小限に保たねばならない。だが、あなたは戦場に居すぎた。あなたならば大丈夫だろうと楽観していたが、よもやあなたがそこまで……!」

 ラグエルに去来するのは後悔だ。憧れや尊敬は時に目を曇らせる。誰もが予想だにしていなかった。

 ウリエルがこうも変わってしまうこと。だが誰も彼女の苦しみに気付いてあげれなかったこともまた事実。

「失望か?」

「…………」

 ウリエルの言葉にラグエルは答えられない。

「褒めては、くれないか」

「…………」

 返答はない。そのことにウリエルは寂しそうだった。それを見てラグエルも寂しそうな表情を浮かべた。

 その後表情を引き締める。気持ちを切り替え、ここに来た目的を思い出す。

「ウリエル様、あなたに堕天羽登録の警告を発します。身柄を拘束し、天界へと連行します。抵抗する場合、堕天羽の認定を行ないます」

 天羽を見張り堕天羽を裁く。それがラグエルの役目だ。

 その性質上彼の位は高い、七大天羽なのも頷ける。その執行となれば四大天羽であろうとも逆らえない。

「ウリエル様。どうか応じてください。私も出来るだけ便宜を図ります。みなもあなたの帰りを待っている!」

 ラグエルの言葉に偽りはない。

 ウリエルの行為が天界で裁かれることになっても擁護はするし、多くの尊敬を集めるウリエルが戻ってくることは天羽みなが願っていることだ。

「…………」

「ウリエル様!」

 けれど、ウリエルは答えない。黙秘を続けている。

 代わりに、

「ラグエル」

 ウリエルはラグエルを見た。

 悲しそうな瞳で。

 夜の暗がりに純白の翼が広がる。翼が開く音と共に八枚の羽が展開された。

 羽自体が微かな光を発しウリエルを照らし出している。ウリエルは左の掌を上に向けると、そこから炎が渦を巻いて現れた。

 熱風に煽られ白色の長髪が巻き起こる。

 輝く翼、揺れる長髪は優雅だ。渦を巻く赤に、なびく白色。暗闇の舞台に白衣のドレス。

 彼女の持つ色彩が幻想的なまでの一致を見せる。

 その中で、彼女は悲哀に満ちた瞳を向けていた。

「ごめんなさい」

 それは問答の終了を意味していた。言葉ではすでに止められない。彼女の諦観はそこまで深く、固かった。

「……フッ」

 ラグエルは笑った。あれほど拒まれ続けていたことに胸は焦燥していたというのに。

 彼女は堕天羽としての道を進もうとしている、止めねばならない。

 ここで止めねば彼女は敵になってしまう。それだけはなんとしてでも阻止しなければならない。

 そう思うのに。

 それすら失念するほどに、

「お美しい……」

 彼女は美しかった。見目も、その心も。悲哀の美とでも表現するような、そんな儚いがゆえの美しさがあったのだ。

 その美しさに心を惹かれ、ラグエルは小さく笑った。

 抵抗はしなかった。ウリエルから放たれる炎の奔流を、ラグエルはむしろ受け入れた。

「がぁああ!」

 全身を呑み込む炎熱、体を蝕む熱量にラグエルは声を漏らす。

 ウリエルの攻撃に吹き飛ばされたラグエルは地面に倒れた。それを見てウリエルは翼を羽ばたかせ、夜空へと飛び立った。

 決別の言葉はなく、無言での別れだった。

 飛び立つウリエルを見送りラグエルは瞳を閉じる。その表情は、微かに笑っていた。

 この日より、ウリエルは正式に堕天羽となった。天界の法を破り天羽を裏切って。

 それから少しして天界紛争は終戦した。

 堕天羽たちは逃げ去り、同時にルシファー協定により多くの天羽は天界に戻り、天界の門ヘブンズ・ゲートは閉じられた。

 残された天羽だけが特別に人間に紛れ、彼らを見守り続けていくことになる。

 人類史における天羽の歴史。それはこうして幕を下ろしたのだった。
 
 しかし、それから二千年後。

 人類史に、新たな天羽の歴史が刻まれる。

「「「「開かれよ!」」」」

 人類が彼らの存在を忘れていた頃、神が当たり前にいるこの時代に。

「「「「天界の門ヘブンズ・ゲート!」」」」

 無数の軍勢、天の御使いは現れる。曇天に空いた光の穴から、その者たちは町に舞い降りた。

 人類は知るのだ、天羽は存在したことを。

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