天下界の無信仰者(イレギュラー)
正直な気持ち
穏やかじゃない。世界の仕組み、ひいては神にケチをつける言い方だ。どの神理の信仰者であれよろしくない発言だろう。そんな言葉、ヨハネが言うとは思わなかった。
「ええ。三つの神理を選べる、というのは逆を言えば、『三つしか選べない』ということなんですよ。私たちは三つの神理から一つの生き方を強要されているんです。しかし、選択肢を自ら選んでいるためにそこに気づけない。これが性質が悪い。神は神理を広げ、自らのことわり以外を認めない。宮司さん、あなたのような無信仰を許さない。では、神とは果たして寛容か?」
生き方を選択しているのではなく、強要されている? そんな考え聞いたことがない。
だが、その視点から見れば神とは導く存在なんかじゃない。支配者だ。自分が認めたもの以外認めないとするのは我がままで、傲慢とさえ言える。
「思ったのですよ。神とは、もしかするととても我がままなのではないかと。そんな存在が広げる神理とは一体何か。不備があって当たり前だった」
善意ではなくあくまで我意。愛他ではなくしょせんは利己。もしそうなら、建て前が救済だろうとボロが出る。完璧であるはずがない。
「慈愛連立。他者を皆が助け苦痛を無くす思想。私が信仰し、今も崇めている神理だ。だが、これも完璧ではなかった」
誰かが苦しんでいれば皆で助けるという神理。聞こえはいい。優しくて慈愛に満ちたものに感じる。だが、それでもヨハネは否定した。
「たとえばですね、皆で話し合って決めたのに、それで負担になっている者がいたとします。彼を助けるためには、彼以外の全員と敵対することになる。しかし、そうと分かっていても慈愛連立は他人の苦しみを助ける思想。目の前にある苦しみを助けざるを得ない。たとえ大きな問題の引き金になろうとも。それが慈愛連立。平和のためなら戦争も辞さない平和主義者。宮司さん、私はね」
ヨハネ先生は片手を胸に当て、心苦しい声で俺の名を呼んだ。いつもの笑顔は弱々しく、まるで懺悔室での告白者のようだ。
「あなたを救いたかった。皆から愛されるとまではいかずとも、受け入れられ、認められる世界にしたかった。だが、私には出来なかった……」
顔色を辛苦に染め上げ、悔恨の思いが滴り落ちる。
ヨハネ先生が明かした言葉。そこに込められている思いに、俺は、胸が締め付けられた。聞いていて、地面に沈んでいくようだった。
知っていたんだ。保健室で話してから、ヨハネ先生が俺のために他の生徒へ注意をしたり指導したりしていたこと。俺を庇ってくれたこと。
『私なりにもっと努力しなければ』
そう言ってくれた、あんたの笑顔を今でも覚えてるッ。
だけど、変わらなかった。そうそう人の意識は変わらない。でも、それはヨハネ先生が悪いとか努力が足りないとか、そんなんじゃない! 人を変えるってことは、それだけ難しいんだ。仕方がなかったんだ!
なのに、真面目なあんたは、そんな自分が許せなかったのか?
「出来なかったんですよ! 説明しても説得しても、あなたを恐れる人はいるんです! それも大勢! では、皆の不安は、どうやって取り除けばいい……?」
初めは声を荒げ、最後にはすぼめる。情熱と諦観が入り乱れた心情を表すように、声が揺れていた。
「それで、ですか……」
これまでの話で全てを理解したらしく、恵瑠の悲しそうな声が響く。
ヨハネ先生の動機。それは、あくまでも人助けの延長だった。皆の恐怖を無くすためだった。
「宮司さん……、あなたに、消えていただくしかないではないですか」
邪魔者をすら救いたいと願った。けれど周りはそうじゃなかった。ならばみんなのために、邪魔者は消しましょう。
それが、人を助け平和を作りたいとする、ヨハネの答えだった。
「私は慈愛連立の信者。平和こそが最優先事項だ。私はそのためならばなんでもしよう! 平和を維持するために死体がいるというのなら、私が用意しよう。私が殺そう。平和のために、犠牲を出そう! くっ、くくっ、はっはははははは! 平和のために犠牲がいるなど、なんという滑稽! 愚昧! あっはははは! ハッハハハハ!」
そして、ヨハネ先生は壊れたように笑い始めた。だが、同時に泣いていた。きっと本人も気付いていない。心の奥底で号泣しているもう一人の自分に気づいていない。
人を助けるために人を殺すという矛盾。狂気としか言いようがない。
いや。
狂信。狂った信仰者が陥る暴走状態。善悪ではなく、神理で行動する狂気の傀儡。
そんな姿に、俺たちの誰一人掛ける言葉がなかった。
「なんだよ、それ……」
拳が震える。奥歯を噛み締める。目の前にいる、以前とは似ても似つかないヨハネ先生の姿に。その理由に。
『やはり、あなたは怒っているよりも、笑っている時の方が素敵ですよ』
いつも笑顔でお茶らけて、誰かの笑顔のために頑張ってる人だった。
『黄金律という思想の下、宮司さんは自らの道を手探りながら進んでいるのです。では、それを続けることです』
無信仰者の俺でも真摯に相談に乗ってくれた。
優しい人だった。誰よりも尊敬できる人だった。こんなの本当のあんたじゃない!
なのに、なのに、なのにッ! 
「あんたがそうなっちまったのって、ようは、俺のせいかよッ!?」
俺を助けようとしてヨハネ先生は頑張って、結果狂信化してしまった。俺がいなければ、こうなることはなかった。
俺が、狂わせてしまったんだッ。
「なあ、俺のせいなのかよ……?」
感謝してる。恥ずかしくて口には出来なくても、返せるものなら返したいとさえ思っていた。なのにこんなことになってしまった。無信仰者の俺は、自分だけじゃなく大切な人まで不幸にしてしまったんだ。
なんだそれ? 俺の人生ってなんなんだ? いつも嫌なことばかりで、それだけじゃなく、周りまで不幸にするってか?
「ふざけんなぁあ!」
思いを爆発させて、力の限り叫んだ。
「俺の人生は最悪だよ! 生まれた時から親には冷たい目で見られ、周りのガキからは石を投げられた。辛くて泣き叫んでも、誰も聞いてやくれない! 親しいやつなんか一人もいなかったんだ! 分かるか? 一人もだぞ!?」
孤独の世界で疎外感と憎しみだけを植えつけられた、そんな存在。それが宮司神愛ってやつだった。
「最低の人生だ! 公園の便所の底よりも居心地が悪い! ずっと一人で、周りは嫌がらせしかしてこない。唯一傍にいてくる女もいたが、そいつは友達にはなってくれないし。だけど友達になるために頑張った」
ずっとそばにいてくれて、俺を支えてくれる人がいた。その人を救うために頑張った。
「自分なりに努力して、したこともない愛想笑い浮かべてさ。だけど不気味だと批評食らって苦笑いさ。それでも頑張って頑張って頑張って。そしたらどうだ? 気づいたら、いつの間にか仲間がいたんだ。嘘みたいだろ? 俺みたいな人間でも、誰かを信頼できたんだ! 信仰者とは分かり合えないって信じてた俺が! ……だっていうのにそいつらときたら、ハッ、なんだ? 刃物を振り回すヒステリック女に真性のアホ、セットにはウサギに欲情する変態女だぞ! 俺の人生どーなってんだ!?」
「ちょっと! 誰がヒステリック女だって!?」
「神愛君、それはひどいと思います!」
「宮司君……、もっと言っていいわよ」
「おまけにだ! 何が最悪かって!」
最悪だと思っていた人生でも、輝いていた時間はあった。出会いがあった。それは加豪や恵瑠、天和だけじゃない。人生を変えるほどの素敵な出会いはもっと前。
「俺の人生の中で、唯一の良心と言ってもいい!」
その出会いに感謝した。これほど素晴らしい人はいないと思えるほど尊敬した。だからこそ辛かった。想いは溢れて、涙がこぼれた。
最悪の人生で、それは奇跡のような出会いだったから。
「あんたが俺を殺そうとしていることだ! これはなんのクソジョークだよ! 俺は、俺はあんたならいいと、本気で思ってた! なのに、くそったれ……! 俺の人生っていうのは、いつだってこんなんかよ!」
胸に収まりきらない思いが頬を伝って地面に落ちる。感謝していた。それだけに、現実は残酷だった。
「ありがとうございます、宮司さん。しかし、あなたには消えていただくしかない」
思いを受け取ったヨハネ先生が感謝を述べる。だが、方針までは変わらなかった。
「……他の三人はどうするつもりなんだ?」
「私があなたを殺したことを口外されれば平和が乱れる。ならば、あなたと共に殺すしかありません」
「あんたの目的は俺を消すことだろ? ならこいつらは関係ないはずだ! …………俺が退学する」
「ええ。三つの神理を選べる、というのは逆を言えば、『三つしか選べない』ということなんですよ。私たちは三つの神理から一つの生き方を強要されているんです。しかし、選択肢を自ら選んでいるためにそこに気づけない。これが性質が悪い。神は神理を広げ、自らのことわり以外を認めない。宮司さん、あなたのような無信仰を許さない。では、神とは果たして寛容か?」
生き方を選択しているのではなく、強要されている? そんな考え聞いたことがない。
だが、その視点から見れば神とは導く存在なんかじゃない。支配者だ。自分が認めたもの以外認めないとするのは我がままで、傲慢とさえ言える。
「思ったのですよ。神とは、もしかするととても我がままなのではないかと。そんな存在が広げる神理とは一体何か。不備があって当たり前だった」
善意ではなくあくまで我意。愛他ではなくしょせんは利己。もしそうなら、建て前が救済だろうとボロが出る。完璧であるはずがない。
「慈愛連立。他者を皆が助け苦痛を無くす思想。私が信仰し、今も崇めている神理だ。だが、これも完璧ではなかった」
誰かが苦しんでいれば皆で助けるという神理。聞こえはいい。優しくて慈愛に満ちたものに感じる。だが、それでもヨハネは否定した。
「たとえばですね、皆で話し合って決めたのに、それで負担になっている者がいたとします。彼を助けるためには、彼以外の全員と敵対することになる。しかし、そうと分かっていても慈愛連立は他人の苦しみを助ける思想。目の前にある苦しみを助けざるを得ない。たとえ大きな問題の引き金になろうとも。それが慈愛連立。平和のためなら戦争も辞さない平和主義者。宮司さん、私はね」
ヨハネ先生は片手を胸に当て、心苦しい声で俺の名を呼んだ。いつもの笑顔は弱々しく、まるで懺悔室での告白者のようだ。
「あなたを救いたかった。皆から愛されるとまではいかずとも、受け入れられ、認められる世界にしたかった。だが、私には出来なかった……」
顔色を辛苦に染め上げ、悔恨の思いが滴り落ちる。
ヨハネ先生が明かした言葉。そこに込められている思いに、俺は、胸が締め付けられた。聞いていて、地面に沈んでいくようだった。
知っていたんだ。保健室で話してから、ヨハネ先生が俺のために他の生徒へ注意をしたり指導したりしていたこと。俺を庇ってくれたこと。
『私なりにもっと努力しなければ』
そう言ってくれた、あんたの笑顔を今でも覚えてるッ。
だけど、変わらなかった。そうそう人の意識は変わらない。でも、それはヨハネ先生が悪いとか努力が足りないとか、そんなんじゃない! 人を変えるってことは、それだけ難しいんだ。仕方がなかったんだ!
なのに、真面目なあんたは、そんな自分が許せなかったのか?
「出来なかったんですよ! 説明しても説得しても、あなたを恐れる人はいるんです! それも大勢! では、皆の不安は、どうやって取り除けばいい……?」
初めは声を荒げ、最後にはすぼめる。情熱と諦観が入り乱れた心情を表すように、声が揺れていた。
「それで、ですか……」
これまでの話で全てを理解したらしく、恵瑠の悲しそうな声が響く。
ヨハネ先生の動機。それは、あくまでも人助けの延長だった。皆の恐怖を無くすためだった。
「宮司さん……、あなたに、消えていただくしかないではないですか」
邪魔者をすら救いたいと願った。けれど周りはそうじゃなかった。ならばみんなのために、邪魔者は消しましょう。
それが、人を助け平和を作りたいとする、ヨハネの答えだった。
「私は慈愛連立の信者。平和こそが最優先事項だ。私はそのためならばなんでもしよう! 平和を維持するために死体がいるというのなら、私が用意しよう。私が殺そう。平和のために、犠牲を出そう! くっ、くくっ、はっはははははは! 平和のために犠牲がいるなど、なんという滑稽! 愚昧! あっはははは! ハッハハハハ!」
そして、ヨハネ先生は壊れたように笑い始めた。だが、同時に泣いていた。きっと本人も気付いていない。心の奥底で号泣しているもう一人の自分に気づいていない。
人を助けるために人を殺すという矛盾。狂気としか言いようがない。
いや。
狂信。狂った信仰者が陥る暴走状態。善悪ではなく、神理で行動する狂気の傀儡。
そんな姿に、俺たちの誰一人掛ける言葉がなかった。
「なんだよ、それ……」
拳が震える。奥歯を噛み締める。目の前にいる、以前とは似ても似つかないヨハネ先生の姿に。その理由に。
『やはり、あなたは怒っているよりも、笑っている時の方が素敵ですよ』
いつも笑顔でお茶らけて、誰かの笑顔のために頑張ってる人だった。
『黄金律という思想の下、宮司さんは自らの道を手探りながら進んでいるのです。では、それを続けることです』
無信仰者の俺でも真摯に相談に乗ってくれた。
優しい人だった。誰よりも尊敬できる人だった。こんなの本当のあんたじゃない!
なのに、なのに、なのにッ! 
「あんたがそうなっちまったのって、ようは、俺のせいかよッ!?」
俺を助けようとしてヨハネ先生は頑張って、結果狂信化してしまった。俺がいなければ、こうなることはなかった。
俺が、狂わせてしまったんだッ。
「なあ、俺のせいなのかよ……?」
感謝してる。恥ずかしくて口には出来なくても、返せるものなら返したいとさえ思っていた。なのにこんなことになってしまった。無信仰者の俺は、自分だけじゃなく大切な人まで不幸にしてしまったんだ。
なんだそれ? 俺の人生ってなんなんだ? いつも嫌なことばかりで、それだけじゃなく、周りまで不幸にするってか?
「ふざけんなぁあ!」
思いを爆発させて、力の限り叫んだ。
「俺の人生は最悪だよ! 生まれた時から親には冷たい目で見られ、周りのガキからは石を投げられた。辛くて泣き叫んでも、誰も聞いてやくれない! 親しいやつなんか一人もいなかったんだ! 分かるか? 一人もだぞ!?」
孤独の世界で疎外感と憎しみだけを植えつけられた、そんな存在。それが宮司神愛ってやつだった。
「最低の人生だ! 公園の便所の底よりも居心地が悪い! ずっと一人で、周りは嫌がらせしかしてこない。唯一傍にいてくる女もいたが、そいつは友達にはなってくれないし。だけど友達になるために頑張った」
ずっとそばにいてくれて、俺を支えてくれる人がいた。その人を救うために頑張った。
「自分なりに努力して、したこともない愛想笑い浮かべてさ。だけど不気味だと批評食らって苦笑いさ。それでも頑張って頑張って頑張って。そしたらどうだ? 気づいたら、いつの間にか仲間がいたんだ。嘘みたいだろ? 俺みたいな人間でも、誰かを信頼できたんだ! 信仰者とは分かり合えないって信じてた俺が! ……だっていうのにそいつらときたら、ハッ、なんだ? 刃物を振り回すヒステリック女に真性のアホ、セットにはウサギに欲情する変態女だぞ! 俺の人生どーなってんだ!?」
「ちょっと! 誰がヒステリック女だって!?」
「神愛君、それはひどいと思います!」
「宮司君……、もっと言っていいわよ」
「おまけにだ! 何が最悪かって!」
最悪だと思っていた人生でも、輝いていた時間はあった。出会いがあった。それは加豪や恵瑠、天和だけじゃない。人生を変えるほどの素敵な出会いはもっと前。
「俺の人生の中で、唯一の良心と言ってもいい!」
その出会いに感謝した。これほど素晴らしい人はいないと思えるほど尊敬した。だからこそ辛かった。想いは溢れて、涙がこぼれた。
最悪の人生で、それは奇跡のような出会いだったから。
「あんたが俺を殺そうとしていることだ! これはなんのクソジョークだよ! 俺は、俺はあんたならいいと、本気で思ってた! なのに、くそったれ……! 俺の人生っていうのは、いつだってこんなんかよ!」
胸に収まりきらない思いが頬を伝って地面に落ちる。感謝していた。それだけに、現実は残酷だった。
「ありがとうございます、宮司さん。しかし、あなたには消えていただくしかない」
思いを受け取ったヨハネ先生が感謝を述べる。だが、方針までは変わらなかった。
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