天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

危機

 ある種、理性すら振り切るほど純粋で強い思い。狂気が持つ純真な瞳に加豪かごうはもしやと声に出す。

 次の瞬間、訪れたのは激痛だった。

「ぐっ!?」

加豪かごうさん!?」

 ヨハネは一足で加豪かごうへと接近すると胸部へ殴りつけてきたのだ。咄嗟に加豪かごうは腕を交えて防いだものの、吹き飛ばされ背中から地面に落ちる。痛みに表情が歪む。ヨハネの細身から放たれたとは思えない、俊足しゅんそくで強烈な一撃だった。

「いい反応です。あなたでなければ防ぎきれなかったでしょう」

「止めてください先生!」

 ヨハネは倒れる加豪かごう悠然ゆうぜんと見下ろし、加豪かごうは痛みを堪えながら叫んだ。

「あなたの言う通り、私は狂信化きょうしんかしているのでしょう。いえ、間違いない。ならば問答は無意味だとも分かるはずだ。加豪かごうさん、私を止めたいなら、力づくしかありませんよ」

「二人とも下がってて!」

「でも、加豪かごうさん一人じゃ!」

 加豪かごうは奥歯を噛み合わせて立ち上がる。殴られた箇所に手を当てて調子を測るが、骨にヒビが入っているのか、痛みは退くどころかますます腫れあがっていく。尋常ではない痛みを感じている加豪かごう恵瑠えるが走り寄るが、片足をすさまじい衝撃が襲った。

「きゃあ!」

恵瑠える!?」

 ヨハネが黒の法衣から警棒を取り出し投擲とうてきしたのだ。直撃した衝撃に恵瑠えるの小柄な体が宙に浮き地面に叩き付けられる。

「これで栗見くりみさんは動けない。もたもたしていると悪化する一方ですよ、このように」

「うっ」

天和てんほ!?」

 即座に近づき、ヨハネは天和てんほの首を片手で締め上げた。細い首に五指ごしが食い込み、そのまま体が持ち上がっていく。

 このままでは天和てんほが窒息で死んでしまう。

 迷っている時間はなかった。

「我が信仰、琢磨追求たくまついきゅうの祈りここにけいを成す。我が神の威光よ、天地に轟き力を示さん」

 神に乞う。信仰の証を示し、奇跡を要求する。

神託物しんたくぶつ招来しょうらい雷切心典光らいきりしんてんこう!」

 友を助けるために、加豪かごうは神に力を申請した。

 加豪かごうを中心にして猛風が吹き荒れる。雷雲に包まれたような炸裂音と閃光が加豪かごうを覆い、神から貰い受けた神器、神託物しんたくぶつを手に取った。

「ほう、神託物しんたくぶつ。ですが切れるのですか、この私を」

 神託物しんたくぶつを前にしかしヨハネは悠然としていた。理性が低下している狂信化きょうしんかのせいか、顔は挑発的な笑みすら浮かべている。

 加豪かごうは睨み付けたまますぐには動かない。狂信化きょうしんかしているとはいえ相手は担任の教師。親愛しんあいの情はある。

 だが、加豪かごう琢磨追求たくまついきゅうの信者。他の者なら足を取られる迷いを振り切った。

「出来ないなら、初めから鍛えたりしない!」

 加豪かごうは駆け出した。狙いは天和てんほを掴む片腕。自身の身長ほどある巨大な刀身を加豪かごうは全力で振り下ろす。

「やはりあなたは素晴らしい」

「そんな!?」

「ですが、信仰心が足りないようだ」

 しかし、攻撃が当たった瞬間驚愕が起こる。

 斬れないのだ。腕を怪我しているとはいえ、目の前の現実が信じられない。

「どうして!?」

「どうして? 聡明そうめいなあなたには不似合な台詞ですね。分かっているはずだ」

 驚愕する加豪かごうをヨハネがたしなめる。天和てんほから手を放すと、押し付けられている神託物しんたくぶつを振り払った。押し返された加豪かごうが地面に着地する。視線の先には、傷一つ負っていないヨハネが平然と立っていた。

「あなたの神託物しんたくぶつを、私の神化しんかが上回っているのですよ」

「そんな……」

 加豪かごう唖然あぜんとなる。このようなことあり得ないが故に。

 神託物しんたくぶつがダイヤモンドならば神化しんかとは炭素の塊。両者をぶつければ砕けるのは炭素の塊が道理だ。しかし、炭素の塊をかき集め、強大な質量を用いればその例にはならない。

 圧倒的な信仰心。加豪かごうを以てしても到底及ばない神化しんか恩恵おんけい加豪かごうが手に持つダイヤモンドでは、ヨハネの山のような炭素を断ち切れない。

 量が質を凌駕りょうがした瞬間だった。

加豪かごうさん! 私たちのことはいいから、加豪かごうさんだけでも逃げてください!」

「でも!」

「いえ、誰も逃がしません。皆さんにはここで死んでもらいます」

 恵瑠える加豪かごうに言うもののヨハネは許さなかった。残酷な言葉が三人に告げられる。

「時間がありません。残念ですが、そろそろ終わりにしましょう」

 そう言うとヨハネは両腕を広げた。まるで誰かを受け入れ抱き締めるように。いつくしみの心を表すようにして、ヨハネは語り出した。

「全ての、疲れた者よ、苦しむ者よ、私のところへ来るがいい」

「これは」

 反応したのは恵瑠えるだった。しかしこれがなんなのか、他の二人も理解する。

「争う者よ、剣を捨て、悩める者よ、責めるのを止めよ。私は、なんじらの嘆きと悲しみがなくなることを、誰よりも願う者。この地上から、全ての痛みが無くならんことを祈る者」

 それは神へと捧げる祈祷きとう。己の信仰を神へと示し、認められた者のみが手にできる奇跡の具現ぐげん

「故に我らが天主てんしゅイヤスよ、我が祈りに応えたまえ。救済の光にて照らしたまえ」

 まるで聖書の朗読ろうどくを思わせる声調せいちょうでヨハネは言い終え、背後で無数の光が集まり像を作り出す。

神託物しんたくぶつ招来しょうらい

 結ばれた像は実体を伴って、ヨハネの信仰を称え上げるように出現した。

神を見つめる深紅の天羽スカーレット・エクスシア

 光が弾かれる。そこから現れたのは羽を持つ女性だった。天井に届きそうなほどの体が宙を浮き、右手に巨大な剣を、左手には円形の盾を装備している。血に濡れたようなセミロングの髪はウエーブがかかっており、女性の顔立ちながらも瞳は戦意に満ちていた。純白の翼は広げれば体育館の端から端まで届くほど。全身を包む白衣が聖光に輝き、羽を持つ者の威厳を発していた。

「これが、ヨハネ先生の神託物しんたくぶつ?」

「そんな、大き過ぎます」

「……へえ」

 脅威を目の前にして、しかし三人の口から出たのは称賛しょうさんだった。狂信化きょうしんかしているとはいえあまりに巨大。

 紅白の羽を持つ者が加豪かごうを睨む。瞬間、片手で扱う大剣が襲ってきた。大きさは三メートルを優に超えている。

「きゃああ!」

 神託物しんたくぶつで防ぐが勢いに吹き飛ばされる。地面に激突してからも引っ張られるようにして滑った。

「う……」

「では、お別れです」

 ヨハネの言葉を合図に神託物しんたくぶつが剣を振り上げる。斬るという表現では生易しいほどの破壊の一撃。照準は加豪かごうに定まり、攻撃の合図を待っている。

加豪かごうさん、起きてください!」

「起きないと死ぬわよ」

 二人が加豪かごうを急かす。加豪かごうも立ち上がろうとするが、腕を地面に突き立てるだけで体が持ち上がらない。加豪かごうを助けようとするが恵瑠えるは足を負傷し天和てんほにも術がなかった。

 絶体絶命の窮地きゅうち加豪かごうは剣を構える神託物しんたくぶつと、寂しそうに笑うヨハネを睨み上げた。

「さようなら……。許して欲しい、などとは言いませんよ」

「っく!」

 ついに神託物しんたくぶつの剣が動く。防ぎようのない一撃に加豪かごうは震える拳を地面に叩き付け、悔しさの中で目を閉じた。

 しかし。

 それは訪れた。

「止めろぉぉおおお!」
 
 ガラスを破る音と同時に叫び声が響き渡る。見れば差し込む光の中に人影があり、ガラスの破片と共に加豪(かごう)とヨハネの間に降り立った。突然表れた人物に目が離せない。全員が注目し、現れた男子に三人は名前を呼んだ。

神愛かみあ?」

神愛かみあくぅん!」

宮司みやじ君、来たんだ……」

 地面に着地した男子が起き上がる。その後ヨハネに正面を向け、怒号どごうが体育館に轟いた。

「俺の仲間になにしてんだテメエェエエ!」

 驚愕と歓喜と期待の眼差しを受けて。天下界てんげかい無信仰者イレギュラー宮司みやじ神愛かみあは登場した。

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