幸福論

tazukuriosamudayo

#4-2








その年の大晦日。

草野の母親は死んだ。
草野は母親の隣で母親の最期を見届けた。



それから数ヶ月しても草野は仕事場には帰って来なかった。
男は何度か草野の家に足を運んだが家はいつも留守で、実家にも誰もいない。



心配になったが、踏み込んではいけないような気がしてそこからは家に足を運ぶことも電話をかけることもやめた。





草野の母親が倒れてから1年が経とうとしてた8月のある日。


仕事の帰りにふと、いつもと違う道を通った時、男は見つけた。


草野はパチンコ屋の一番手前の席に座っていた。
その姿はさらに痩せこけ、髭も生えたままで、髪はボサボサ。目は死んでいた。


男はパチンコ屋に入ろうと足を踏み出したところで恐怖を覚えた。

かいていた汗も引き、足で地面を感じられない。



男は踏み出した足を戻して、パチンコ屋を通り過ぎた。

緊張は解け、自分の体温を感じる。






男は感じた。


自分は幸せなのだと。
恵まれた、幸福な人生。
自分には、親もいれば、仕事もある。

男は幸福を確認していた。








その約1ヶ月後。


草野は死んだ。
詳しいことはなにも分からなかったが、自殺だった。


男は、あの日、草野が言っていた言葉を思い出した。


「わかるか? 俺の母親は自分が死ぬ時のために俺をここに置いているんだ。俺は母親が死ぬ時のためにここにいる。他人の死を待つ人間だ。それってさ、おかしいだろ?」



"他人の死を待つ人間"



男はパチンコ屋で草野を見た時、このままでは草野は死ぬとどこかでわかっていた。





しかし、男は草野に声をかけるわけでもなく、ただ、'予測された運命'  を待つことしかできなかったのだ。


草野は闘った。
母が死ぬ最期まで。
彼は他人になっていく母親を見届けたのだ。


恐怖は容赦なく男を襲う。


あの時、パチンコ屋で声をかけたら草野は死ななかったのか?
草野が死ぬことがわかっていながら、草野から目を逸らし、死ぬのを待っていた。






男は、草野が死んだ悲しみよりも、草野の死をわかっていた自分への恐怖を感じていた。




草野の葬式には参列しなかった。





「草野、殺してくれよ。」

男はパチンコ屋の前ではそう呟いた。




自分に命があることに、
男は幸福さなど微塵も感じなかった。
それから妻に出会うまで、自分の幸福が全て不幸に思えたのだ。








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男はふかしたタバコを落ちていた10円玉の上に落とし、火を消した。




男が死ねば、不幸な記憶も簡単に消えるだろう。






「今、行くよ。」




男は再度車に乗り込み高速道路の入り口に向かった。





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