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春野ひより

演説



 「聞いてくれ、みんな」

 翌日、さすが有言実行と言ったところか、
 番谷は放課後教室の皆に堂々と言い放った。

 もちろん最後まで僕に話した時と
 同じように楽しそうに、嬉しそうに、
 一生懸命伝えようと話していた。

 その日一日一度だって番谷は
 不安になって僕の所には来なかった。
 その日のうちに情報は同学年に、
 下手すれば全校に広まるかもしれない。

 はたまた本来の情報に尾ひれがついて
 忌み嫌われる的になるかもしれない。
 そんな博打に出るというのに、
 彼は一人でそれを乗り越えたのだ。

 僕はふと泣きそうになった。
 肩が震えるのを抑え、一秒も番谷の
 顔から視線を逸らさなかった。
 同様に彼を見つめる教室の顔は、
 動揺、驚愕、尊敬と、様々だったが
 番谷は彼らの処理の進行に合わせて
 ゆっくりと話した。

「だから、俺はこれから海外に留学して
いつか法律を変えようと思う。
みんなには応援してもらいたい。
頼む」

 彼の演説ともとれるそれが終わると、
 どこからともなく拍手が巻き起こった。
 気付けば廊下にも人が集っていて
 至る所から拍手が聞こえた。

 僕は周りを見渡したが、誰ひとりとして
 番谷を軽蔑の目で見る者はいなかった。
 歓喜に溢れる番谷と目が合い、
 僕は目一杯に涙を溜めながら微笑んだ。

「よかった」

 呼吸のように言葉を落とした時と、
 涙が零れた時は同時だった。

 もしかしたら、番谷が批判されるのでは
 ないかと不安だった。
 堂々としていた番谷とは反対に、
 僕ばかりが杞憂のことで彼を信用して
 あげられてなかった。

 きっと彼なら変えられる。
 もっと住みやすい世界を日本に
 与えてくれるだろう。
 僕に世界の色を与えてくれたように。





 番谷の一ヶ月ぶりの部活の復帰に、
 部員皆が歓迎した。
 と、同時に師範にこっぴどく叱られ、
 跪座二時間での見取り稽古の命が下された。

 彼が久しぶりに部活に参加しただけで
 部員に活気が戻り、皆の中りが
 いつもより良かった気がした。

 弓道では他の運動同様に精神と
 体力がものをいう。
 いや、精神力で言えばどの競技よりも
 必要になる。
 個人より団体の方が落ち着けるから
 そちらを好むものもいれば、
 個人の方が他人と結果を共有する
 故の責任感を負わなくていいので
 そちらを好むものもいる。
 たった一人の存在でも、
 前後で引いてもらえるだけで
 落ち着いて引けるものもいる。
 番谷の存在が、部員皆のその存在で
 あることが僕の誇りだ。

 本人はきっと気づいていないのだろうけど。

「久々だこの緊張感」

 罰を受けながらそう言って微笑む彼は、
 心のわだかまりが全て溶けたように見えた。
 それを見て僕も微笑んだ。

「引きたいか」

「引きたくて引きたくてしようがないね。
でも留学したら向こうで弓なんて
持てないだろうなあ」

「道場から一張り持っていけよ。
弦も買い込んでさ」

「向こうで広めろって?」

「悪くないだろ」

「いいな、それも」

 遠くを見て話す番谷の左手には、
 相変わらず蛸があった。

 一ヶ月弓に触れていないでまだ蛸が
 残っているなんておかしい。
 彼は一ヶ月ちかく引いていなかったと
 思った。
 しかし、僕らと時間をずらして引きに
 来ていたのかもしれない。
 隠れた努力。
 僕は彼には頭が上がらないと思った。


 頑張れなんて、冗談でも言えない。
 他人事のように言うだけなら誰にでもできる。
 自分のことを過大評価し過ぎと
 言われてもいい。
 僕は番谷の助けになりたいんだ。




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