ノスタルジアの箱

六月菜摘

心許なく届く声


声に誘われて恋することって、あるだろうか。
その人の声を想い出すだけで、胸に灯るような熱さを感じることは 。
なまえを呼ばれると、飛びつきたくなる。

低めの声がすき。ちょっと重く響くような弦楽器。
甘めの声もすき。透明なのに、少し掠れた時がまたいい。

すきな人の声をずっと、耳元で聴いていられたらいいのにね。



一度だけ、ほんとにただの友だちなのに
声が好みのせいで、恋に堕ちそうになったことがあるよ。
ただの電話での通達事項に、ふらふらしちゃって。くすくす。
気の迷いだから、抑えられてよかった。

私はきっと、逢っている時はちがう処に目を奪われているから
耳から入る声は、少し後から追いかけてくるような気がします。
あなたの声はもう、表情からわかっていて。
男の人は、男の人の響く声をしているから、すきなのです。
胸に手を当てたら、聴かずとも、振動してくるような。

私の声は、どう伝わっているのかな。
喋る声を、歌う声を、甘いねって言ってくれた人。



電話をかけるのが、苦手です。
かかってくるのはすきなくせに、めったに自分からかけなかった。 
もっと君からもかけてよって、拗ねられた日々。

メールなんてなくて、電話じゃないと進まない時代の恋。
あの緊張感が嫌で、でも勇気を出して。
あのどきどきに胸がしめつけられて、今でも倒れそうになる。

その瞬間、きゅっと耳にあてて
逢えない時間もそこにいるかのように、抱え込むように。
届く電波に乗ってくるひと時がいとしいのに、私は勝手だ。



ねぇ、声を知らない人の、声を聴きたい。
少しだけ、画面に横たわる文章から伝わってくる。
きっとあなたの声はこんな風だ。
私には今にも、聴こえるような気がしたんだよ。

君はこう言ってくれた。
人の声の聞こえる文に、時々他の音や、匂いや、色が見えることがある。
あなたの文字から声が聞こえると、僕はどんな人なのか気になるんです。

ね、私の声は、君に伝わりましたか。



恋の欠片は尖っていて、ささると痛い。

幾重も重なる、いつかの終わる恋と共に
声も匂いも、いつしか記憶から薄れゆき、色褪せた風景と化す。 
なのに夏の終わりに、秋の香りと共に
ふとした瞬間に帰ってくるのは何故。

いったい、幾つ落ちているのだろう。
拾って壜に集めたのに、またキラキラと。 性懲りもなく。

もう 忘れてもいい。 
もう 忘れたはずだ。 
いつまでも執着しないよう。だから、風が吹く。

なのに、なまえを呼ぶ声が聴こえたら
私は、はいって、返事をしてしまいそうだ。




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