カッターナイフ

Az003101

統合失調症

その刃を振り回す俺がいた。目の前にいた親を切りつけていた。


ーーこれは、夢・・?
ふと目を覚ますと、そこは暗闇の中だった。
ーーそうだ、さっきの光景は夢に違いない。
だって、カッターナイフは何ヶ月も前に親に取り上げられている。なのに、あのリアルな感覚は、一体どこからきているのだろうか?

だんだん、記憶が鮮明になってきた。
ここは病院の個室。窓も電気も無い。あるのは、ベッド、トイレ、そして自分からは開けられない分厚い扉だけ。
要するに、隔離状態。俺は、暴れる危険人物とみなされたわけか。周りの人物に危害を及ぼす恐れがあるから、ここに連れてこられた。

それにしても、普段はコンタクトレンズを使用しているのにそれも着用していないうえ、眼鏡も取り上げられているから周りの様子が殆ど把握出来ない。
なんとなく夜中に自己紹介をしてきた担当医らしき人物が2人いたことも覚えている。だが、その顔も声も全く記憶に残っていない。視界の制限、そしてぼんやりした感覚。

永遠に終わらないのかと思うほど長い長い時間。暗闇。

ふと、ノック音が聞こえた。ようやく来た。久々に、少しだけ外の空気が吸える。
その医師は、薬を与えようとしていたのだろう。しかし、その時無心だった俺はその飲まされたものを細かく噛み砕いた。物凄く苦い味がしたところで、それが何かにようやく気がついた。

俺の名前は橋本卓哉。18歳。
確か、診断された病名は統合失調症だったはずだ。
受験本番に差し掛かるにつれ、プレッシャーが俺の体を襲った。まず始めに体に出た症状は、極端な食欲の減少。次に来たのが、過食。1日3食を食べられない日も多く、生活リズムが崩れ、もともと夜中にも勉強していたせいかどんどん夜型に変わっていった。

受験本番。センター試験は何とか受験したが、試験問題が全く頭に入らず、結果は散々だった。

センターの結果を覆すには、さらなる勉強しかない。そう考えた俺は、活動できる時間全てを勉強に割こうとした。風呂の時間も、食事の時間も犠牲にして。
そういえば、精神科に行こう、とは何度も親に言われていた。食事量が極端に変わった頃だったか?
だが、俺は受験勉強でそれどころではないし問題は無いと断り続けた。精神科なんて、心のおかしい人間が行く場所だ。俺はそんな場所に用はない。

だが、当然身体はもたなくなり、何日も寝込むことになった。そこで、親がひとこと。
「お医者さんに、診てもらいに行こう?」
力尽きた俺は、さすがに承諾した。

センター試験が終わった後には、リストカットを始めていた。親に作ってもらったご飯を床に投げつけ、食器を割ったこともある。

無理矢理勉強を始めた時は、誰かに見張られているような恐怖に襲われた。友人数人から送られたLINEには、大量のスタンプや意味不明なテキストで返し続けた。次第に、誰からも連絡は来なくなった。

あぁ、俺はおかしい人間なんだな。「精神科」の看板を見て思った。

結局、診断結果は統合失調症の初期段階と思春期の妄想の延長。苦笑いした。
そういえば、部活の引退と同時に失恋もしている。進路希望の違いを理由に、彼女と別れたのだ。
彼女とはクラスが違ったが、当然ながらLINEの連絡先は知っていたので、時々連絡は取っていた。しかし、俺のまともに連絡が取れない症状になってからはLINEが来なくなった。

精神科の先生は、女だった。こういった病気は珍しいことではないから、決して落ち込む必要はないと、そして、どうか精神科の偏見を少しずつでいいからなくしていってほしいという言葉を残した。
珍しいことではない?
周りは、みんな進学先が決まっていくのに?
疑問に思った。

高校に行けなくなるほど寝込んだのは登校日終了間近だったので、卒業することだけはできた。しかし…

卒業式直前の診察で激しく荒れ、携帯を診察室の壁に投げつけるなどした。その結果、入院が決まり、卒業式に出席することはできなくなった。
もっとも、俺の意識がはっきりしだした頃には、とっくに卒業式の日など終わっていたのだが。

入院生活は、とにかく暇だった。
だが、何を思ったか分からないが暴れていた頃、枕を投げつけたり、頭を壁にぶつけたりしたことは覚えている。

親は3日に1度ほどの頻度で見舞いに来てくれたようだ。友人が来てはいけない病院だったようで、友人が来ることはなかった。

ようやく落ち着いた頃、入院している人と共同の場で食事を摂るようになった。あまりの美味しさに、泣いたこともある。周囲の人にはドン引きされてしまったが。

「橋本くん」
隔離状態だった頃、暴れている映像でも写っていたのか、このようにアナウンスされたような覚えがある。
そのせいか、入院した人に名前を聞かれて名乗ると、呼ばれてた人?と聞き返されることもあった。多分そうです、とだけ答えていたと思う。

少し病状がよくなると、部屋が移動になった。今度は、自ら鍵をかけることのできる個室だった。そこには、小さめのテーブルや椅子、服を入れるタンスもあった。その時、母親から眼鏡を渡されたので、視界の不自由さからは解放された。

部屋以外の共同空間には、テレビや漫画、雑誌、新聞などが置かれていた。しかし、テレビをまともに見ることはできず、変な音声の連続のように感じたし、テレビから自分の物音を盗聴されているような気がした時さえあったほどだ。そのせいで、テレビがついている空間で、スリッパを投げてしまったことがある。その時は、看護師が駆けつけて、俺の暴走を抑えられた。

「これ、やってみる?」
それは看護師から言われた言葉で、手にしていたのは塗り絵だった。
最初は、何を子ども騙しのものを?と思ったのだが、久々にやってみると案外楽しめた。まぁ、できはともかくとして、だが。
同じ絵の塗り絵が、ナースステーションに飾ってあり、俺の幼稚な作品とは桁違いのクオリティだった。

その、桁違いな塗り絵を塗った人と話す機会があった。というのも、その塗り絵を見ていたら、隣にやって来た人がどう思う?と尋ねてきて、俺が綺麗だと思います、と返したら、ありがとう、実はそれ、私が塗ったんだよと言われたのが最初の出会いである。

彼女の名は、水野えりというそうだ。年は女性だから聞けないが、俺より5〜10くらいは上か?といった雰囲気であり、栗色のショートヘアであった。まつ毛が長く二重で、正直元カノよりも好みの容姿であることを否定はできなかった。

どうやら水野さんは絵を描くことが好きで、入院してからはイラストを描いたり、塗り絵をしたりとイラスト中心の生活を送っているという。本当はルール違反だが、消灯の9時を過ぎてから、入院している人の共同空間での明るい場所を探し、絵を描くことがよくあるのだと言った。確かに、俺も消灯の時間にはなかなか眠れないから、ばれないなら消灯後にも共同空間に行って雑誌でもめくってみようか、という気分になった。

そして、夜が来た。やはり眠れない。母親が俺の部屋がかわった後に持ってきてくれた置き時計によると、現在の時間は午前2時だ。
布団から起き上がると、内側からかけていた鍵を開け、共同空間に出てみた。なんだか、修学旅行の消灯後のことを思い出し、楽しくなると同時にそのころ仲良くしていた同級生のことを考えると胸が軽く痛みもした。


修学旅行は元カノと同じクラスだったし、付き合ってもいた。
同じ部屋の連中から、夜中抜け出す約束はしていないのかと冷やかされたのもよく覚えている。そんなことするわけねえだろ、とか言いながらも、そんなことをやってみたかったなあと思う俺がいたのも事実だった。その同じ部屋の連中の一部も連絡はくれていたが、何せあのような行動に出てしまっては、連絡が途絶えてしまっても当然だった。
今更反省しても、送ってしまった内容は消せないし、卒業してしまった以上しばらく会う機会も無い。このまま、自然と縁が切れてしまうのだろうと思うと虚無感に襲われた。


いた。水野さんが、窓際のライトが付いて微妙に照らされたテーブルの端に座っている。彼女は俺のことには気づいていない様子で何かを描いているようだった。その様子につい見とれてしまったが、なんだかストーカーのようで気持ち悪いよなとも思い、結局側にあった少年漫画を適当に手に取った。
その時の物音でだろう、水野さんが俺の方を見た。はじめは驚いた様子だったが、無言で彼女の隣の椅子を引いてくれた。隣に来ていいよ、というサインだろう。
「すみません。眠れなくて」
俺が言うと、水野さんは人差し指を立てた。しまった、消灯時間を過ぎているんだった。俺が焦った様子でいると、水野さんは絵を描いていたらしい絵とは別のルーズリーフを出し、「ゆっくりしていってね」とだけ書いてくれた。
黙って頷き、漫画を開いてみたが、暗いしなんとなく落ち着かないしでその内容は全く頭に入ってこなかった。センター試験のときの頭が真っ白になった状態と似ているようではあったが、全然違った。少なくとも、この感情は試験中の焦りとは異なるものだったからだ。

結局、昨晩は俺の方が後に共同空間にきて、先に再び眠りに行ったので、水野さんが何時に眠りに行ったのかは分からなかった。

翌朝は、寝起きが悪かった。やはり、ルール違反はよくないということを身体に教えられてしまった。
毎朝6時半に始まる体温測定。36度5分だった。
7時の朝食の時間になると、最も広い空間が患者で埋まった。水野さんの場所もこの朝に初めて認識したが、俺のいつも座る席の後方だったし近くもなかったので、そのときは水野さん以外の近くの人と話していた。

ようやく、病棟からの外出許可が出た。俺を含めた患者3人と看護師1人の計4人。病院の駐車場を通り、小さな建物の中に入った。
その中には、エレクトーンがあった。俺は楽器演奏能力がさっぱりだったが、患者の中にはピアノを習っていた人もいて、その人は小さなころに弾いていたらしい曲を簡単に披露していた。
その演奏を聴いていて、そういえば、大学に入ったらバンドに入ってボーカルをやりたい、と考えていたことを思い出した。そんなことを忘れきって勉強していたということに俺自身驚いた。完全に自分を見失っていたということだろうか。

あの夜以来、水野さんとはあまり話す機会がなくなった。というのも、俺はもともと絵には興味がないし、彼女の邪魔をしたくなかったからだ。

「最近、自傷行為はないみたいだね」
担当医から言われた。入院前の医師とは異なり、男だった。もう1人補佐で女性の医師もいるが、その人は他の患者を診る時間が長いようであまり会うことはなかった。
一時期リストカットをしていたことがある俺は、刃物はもちろん筆記用具を持つことさえ禁止されていた時期があった。だが、俺の荒々しい行動が減っていくのを見た看護師が医師に相談してのことだろう、この前の塗り絵の時久々に筆記用具を握らせてもらえた。
だが、左手首のリストカットの痕は完全には消えていない。リストカットを始めて間もなく父親からカッターナイフを取り上げられたが、自分で隠れて購入し人目のつかないところで自傷行為を繰り返していたせいだろう。
「はい、最近は手首を切りたいと思うことはぐんと減りました」
まだ、時々は自分をいじめてやりたくなる。今でも、夜中に自分の身体を叩きつけることはあるのだ。だから、自傷行為が「ない」と完全に言われると、本当は少し間違っている。だが、これ以上薬を増やされたくはないし、余計なことは言わないようにしているのだ。
「あの…退院まで、どれくらいかかりますか?」
素朴な疑問を医師に投げてみた。
「うーん、まだ何とも言えないかな。まずは外泊許可が出ることを目指そう」
外泊許可が出れば、家で一泊できる。そういう日が増えてくると、退院に近づけるそうだ。

携帯電話を投げつけていた頃と比べると乱暴な行動が劇的に減った俺は、外出許可が出た後外泊許可が出るまでにそこまで多くの日数を必要とはしなかった。
両親には、とにかくよく休んでいけと言われた。病院には、変な人もいてなかなか落ち着かないだろうから、と。だが、実際には俺が周りの人に迷惑をかけていたことの方が多いし、むしろ他の人は俺よりも落ち着きがあり、助けてもらうことの方が多かったくらいだ。それは、病状と年齢の若さだけが原因ではないだろう。
実際に自分が精神病にかかってみて、精神科に対する偏見がいかに大きかったかを痛感させられた。マスコミの精神鑑定の報道などに踊らされていたのだろう。そして、両親もその中に入ってしまっているような気がしたが、精神病の偏見については上手く説明できそうもなかった。
だが、ある日珍しく読んだ新聞記事で、「犯罪者のうち精神病にかかっている人は1%にも満たない」という内容を読み、俺は衝撃を受けた。
それからは、数日間新聞記事のコラムなどを読む日が続いた。そういえば、センター試験の日はまともに文章が読めなかったのに、ここまで回復している。自分でも驚きだった。

外泊後、久々に水野さんと話す機会があった。ナースステーションに飾られていた綺麗な塗り絵がなくなったのでどうしたのかと訊いたら、とても気に入って見ていた人がいたそうで、その人にプレゼントしたのだという。俺は絵にはあまり興味を示さない方だったが、水野さんの描いたイラストや塗り絵には関心があったので少し欲しいとは思ったが、自分から頼む勇気は出なかった。

そうこうしているうちに、水野さんの退院の日が来たようで、彼女はリュックサックを背負い、大きめの鞄を手にしていた。
「橋本くん」
彼女は、漫画を読んでいる俺の姿に気づいてくれた。
「会えてよかった。はい、これ」
そう言って渡してくれたのは、彼女の携帯電話番号が書かれたメモだった。右下には、水野さんが描いたらしいスマホのイラストがあった。
「ありがとうございます。公衆電話か家から、またかけてみます」
公衆電話は病棟の中にある。1フロアにつき1台だ。また、携帯電話は入院中には持つことを禁止されているため、親が持っている。
とはいうものの、何を話せばいいのか分からず、個室のベッドで彼女が渡してくれたメモを眺めてはため息をつく日が続いた。

外泊を繰り返したある日、ついに俺の退院の日が決まった。5日後だそうだ。
それが決まった直後、なぜだかまたあの塗り絵がやりたくなった。看護師に尋ねたら、すぐに出してくれた。前回よりは、少しだけマシな出来になったような気がした。

退院4日前。この頃には普通にテレビを見ることもできるようになっていたので、共同空間のテレビの前でぼんやりとし、指定された時間に風呂に入った。
3日前には、1時間以内なら自由に外出してもよいというルールに変わっていたので、病棟の近くでカップラーメンと炭酸ジュースを購入し、消灯直前にそれらを食べたり飲んだりした。
2日前。弾けもしないくせに、エレクトーンのある施設に行ってみた。ドレミの歌の、ドレミだけ弾いて終わった。続きの音が分からなかったのだ。これではボーカルは難しそうだと、内心苦笑していた。
そして、退院前日。あの日以来、初めて消灯時間のルールを破った。しかし、あの時いた水野さんの姿はもうどこにもない。時の経過を感じ、以前彼女が座っていた場所に腰かけ、ただ時間だけが過ぎていった。

退院当日は、荷物の片付けなどに追われ、慌ただしかった。担当医師を入院先で継続するか、以前の病院に戻るか尋ねられ、迷ったが家からの距離の問題もあったので、以前の病院に戻ることを決めた。何となく、入院から解放された気分にもなるという理由もあった。


そして、思いついた。退院したことを、水野さんに連絡しよう。


しかし、書かれた番号を何度押しても、この番号は現在使われていないとしか言われなかった。
機種変をしてしまったのだろうか?その答えを知る方法は残されていなかった。


久々にコンタクトレンズを入れた。日常生活に戻ったようにも感じたが、さすがに長時間つけることはできなかった。まだまだ、完全に今まで通りの生活に戻るにはリハビリが必要だということを実感した。

俺の引き出しにしまわれていたカッターナイフを出し、久々に刃も出してみた。赤い液体が、微妙に残っていた。
その端の刃を折り、捨てた。水野さんからもらったメモも、同時に捨てた。
人生は甘くない。浪人も苦しいだろう。それでもまだ、生きている。

捨てられた刃の先が、鈍く輝いていた。

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コメント

  • papiko184

    この作品の作者です。
    パスワードを忘れてしまったので、新規アカウントから失礼します。
    お褒めの言葉ありがとうございます。
    今後はpapiko184で更新させていただきます。もしよろしければ、よろしくお願いいたします。

    1
  • 増田朋美

    はじめまして。突然お邪魔してしまいすみません。
    偶然読みましたが、お上手ですね。
    入院生活がより具体的で分かりやすかったです。
    これからも、作品を読めるのを楽しみにしています。

    0
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