「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい
091 ステルスダイバー
サトゥーキの訃報を聞き、崩れ落ちたオティーリエ。
ヒューグを除いたその他の面々も、みな驚愕し、微動だにせずに固まっている。
通信装置からは続けて、ロディの声が響いた。
『すごい音がしましたが、何かありましたか!?』
「ご、ごめんなさい、あまりに突然のことで落としてしまいましたの」
オティーリエは雑草に埋まった水晶を拾い上げると、眉間に皺を寄せてその表面に反射する光を見た。
実質、王国のトップである人間が死んだ。
つまり今、王都に残っているのは、ただの置物だったスロウと、エキドナぐらいのものだ。
『死因は何だ?』
少しだけ平静を取り戻したアンリエットが、ロディにたずねた。
『大聖堂のバルコニーから落下したとのことです。また、騎士が数人行方不明になっています』
「殺されたってことかなァ」
「大聖堂に侵入した上に教皇様を手にかけるとは、誰がそんなことをしたんだ……?」
『わかりません。目撃者も誰もおらず、王都は混乱しきっています』
その混沌は、簡単に想像できる。
特に困惑しているのは、王であるスロウだろう。
これまではサトゥーキの指示を聞けばいいだけだったが、今や糸の切れた人形のようなもの。
突然に自由と責任を押し付けられ、青ざめているに違いない。
『おいヒューグ、心当たりはないか?』
『はっ、わからないであります!』
『父親が死んだんだぞ?』
通信装置の向こうでは、アンリエットがヒューグを問い詰めていた。
だがヒューグは、父の死にまったく興味がないようだ。
『父親と知ったのも騎士になってからであります! 無論、教皇様としては慕っておりますし、その死を悼んでおりますが、肉親として思うことは何もないであります!』
『そう、か。ヘルマンは、何も知らないだろうな』
『……そういうのには、疎い』
心当たりはなし。
いや、殺す動機のある人間ならいくらでもいるが、しかし――
「仮に勇者たちが殺したとして、セレイドから、この状況でどうやって王都まで移動したんですの……?」
『不可能だ。もし移動の方法があったとしても、距離が遠すぎる』
「でも殺しそうな人間って言ったらあいつらしかいないよん? 魔族もいるし、おいらは決まりだと思うけどなァ」
『リターンの使用は封じているというのに、一体どのような手段を……』
アンリエットがそう言いかけたところで、言葉がぴたりと止まる。
「お姉様?」
心配そうに呼びかけるオティーリエ。
その直後、通信装置から鳴り響いたアンリエットの声は、
『なんだと……なぜお前たちがここにいるっ!?』
そんな、焦りと驚きの入り混じったものだった。
『馬鹿な、キマイラの包囲は完全だったはずだっ! おいオティーリエ、気をつけ――』
通信装置が地面に叩きつけられる音。
そして向こうから聞こえてくる怒号と、剣戟の音。
さらには魔法の爆発音まで鳴りはじめ、戦闘に突入したことがはっきりとわかった。
「お姉様っ、お姉様ぁっ!?」
『アンリエット様!?』
「ほら言わんこっちゃない」
「……こちらにも来たぞ」
いち早く三人の存在に気づき、盾を構えるバート。
彼と制御装置を、半透明の障壁――封邪の防壁が包み込む。
それだけが彼の役割だった。
戦闘はオティーリエとヴェルナー、そして待機しているキマイラに任せることとなる。
飛竜型が二体、獅子型が五体、人狼型が十三体。
制御装置を防衛するには十分すぎる戦力であるはずだった。
だがアンリエットの様子から察するに、相手もかなりの戦力を投入してきている。
そして、ついにその敵の姿を――ヴェルナーの視覚が捉える。
「キリルさんにはステータス上昇を、フラムさんにはステータス下降の魔法をかければいいんですね」
「うんっ、それでお願い」
フラムが笑顔で答える。
「私はいつでも行けるよ」
キリルは前方の敵を見据えながら、首を縦に振った。
シートゥムは目を細め、意識を集中させると、まずはキリルに魔法をかける。
「スターライト!」
彼女の頭上に白い魔法陣が現れ、そこから光が降り注ぐ。
光の粒子はキリルの肌に触れると、溶けるように体内に入り込み、力を与えた。
全ステータスを上昇させる光属性魔法“スターライト”だ。
シートゥムほどの使い手ともなれば、その上昇量は相当なものである。
そして続けて自身にも同じ魔法をかけ、能力を補強する。
それが終わると、今度はフラムの方を向き、別の魔法を発動した。
彼女の体質を理解していても、本当に使ってしまっていいのか、シートゥムは少し緊張しているようだ。
キリルに魔法をかけたときよりも険しい表情で、手のひらをかざす。
「ソウルアブソーブ」
キリルのときと同じように、頭上に黒い魔法陣が生成される。
そこから振ってきた黒い粒子がフラムの体内に入り込み――本来はステータスを吸い取り、減少させるのだが。
しかし彼女は、確実に自分の体に力が満ちていくのを感じていた。
「ありがと、シートゥム」
「いえ……本当に、大丈夫なんですよね」
「ばっちりだよ」
「あっちはもう戦い始めてるみたいだし、私たちも早く片付けよう――ブレイブ!」
躊躇なく切り札を発動する。
短期決戦で決めるつもりのようだ。
これで、戦いの準備は完了した。
いつの間にやらオティーリエたちも武器を構え、戦闘態勢に入っている。
だがその表情には明らかに、城のときには見られなかった戸惑いが生じていた。
「女の子三人とは、おいらたちも舐められたもんだ……って言いたいところだけど」
魔族の内通者の存在によって、魔王の正体は軍の上層部には知れ渡っている。
しかしこうやって実際に姿を見てみると、やはり驚きは隠せない。
「勇者と魔王、そしてフラム。割と悪夢だろ、これ」
「お姉様……お姉様……ああぁ、お姉様ああぁぁぁぁ……っ!」
アンリエットの危機を知り、錯乱状態に陥るオティーリエ。
「チッ、相変わらず使いづらいなこいつ」
「よ、弱気になるなヴェルナー! 戦力ではこちらが勝っているんだぞ!?」
「あれのステータスを見てもそう言えるわけェ?」
ヴェルナーにそう言われて、バートは初めて三人のステータスを確認した。
--------------------
フラム・アプリコット
属性:反転
筋力:3182
魔力:3261
体力:2987
敏捷:3365
感覚:2864
--------------------
--------------------
キリル・スウィーチカ
属性:勇者
筋力:26493
魔力:25186
体力:25455
敏捷:27168
感覚:27136
--------------------
--------------------
シートゥム
属性:陽闇
筋力:4247
魔力:23793
体力:4159
敏捷:3916
感覚:5270
--------------------
絶句する。
これが、こんなものが、同じ人間のステータスなのか、と。
確かに数百体、あるいは数千体のキマイラがいれば、余裕を持って封殺できただろう。
あるいは彼女たちがセレイドで迎撃していれば、ジリ貧の戦いになって、王国が勝利していたはずだ。
しかし――想定外に背後を取られた今、彼らに絶対的な優位は無い。
「体が土で汚れてるねェ……はっ、地上と空中は完璧、か。だったら地中はどうだって話だよねん」
「お姉様、お姉様、おねえさまおねえさまおねえさま」
「どういうことだ?」
「おねえさまあぁぁぁぁっ、おねえさまっ、ああぁ、お姉様あぁぁっ!」
「うるさいなこいつ! 要するに、地面を掘っておいらたちの背後を取ったってこと」
通常なら、数日で数十キロメートルにも及ぶトンネルを掘るのは不可能だ。
だが彼女たちは普通じゃない。
勇者に魔王、英雄、そして三魔将――全員の力を総動員すれば、不可能すら可能にしてみせるだろう。
「ああぁぁっ、てめえ……フラムてめえぇぇぇぇぇッ! よくも、よくもよくもよくもお姉様をををおおぉおおおッ!」
鬼のような形相で、一人フラムに突っ込むオティーリエ。
「あーあー、行っちゃったよ」
「そ、そうだっ、戦いで時間を稼いでるうちに攻め込ませているキマイラを呼び戻すんだ!」
「やめときなーん」
「なぜだ!?」
「たぶんあいつら、捨て身だ。主要な戦力を全ておいらたちを潰すのに使ってる。つまり、セレイドの守りはスッカスカってこと」
それは必ずしも、必勝の戦術ではない。
ハイリスクハイリターンの、見方によっては無謀とも取れる手段である。
ヴェルナーは、両腕に装着した鋭く尖ったクローを構え、腰を低く落とした。
「時間が経ちゃあ、自動的においらたちの勝ちってことだねェ! キマイラの制御は任せたよん、バート!」
「りょ、了解したっ!」
オティーリエのあとを追って、彼は獣のように飛び出す。
さらにバートが制御装置に触れると、周囲に待機していたキマイラたちが一気に動き出した。
「オティーリエは私が相手するから、シートゥムとキリルちゃんは予定通りキマイラをお願い!」
「わかりました」
「一匹も逃さない――!」
三人は散開し、それぞれの戦いへと突入する。
「ふっ!」
キリルはすれ違いざまに人狼型を一閃。
もはやこの程度の敵では相手にならないほど、圧倒的な能力を手にしていた。
「カオスサフォケイション」
シートゥムも負けじと、魔法で襲いかかってくる人狼型を一掃する。
彼女の両側から白と黒の、まるで糸を束ねたような魔力の帯が放たれた。
それらはゆるりとした動きで敵に迫ると、首に巻き付き体の動きを止める。
やがて呼吸だけではなく、肉体のあらゆる活動が低下したキマイラは、その場で朽ち果て、やがて灰のようになって崩れ落ちる。
「あなただって元は罪なき命だったはずなのに……ごめんなさい」
異形の命を奪うことにすら罪悪感を覚える――戦いの中においてもシートゥムは彼女らしさを失わない。
その力はあまりに圧倒的で、だからこそ使用には責任がともなう、彼女はそう考えているのだ。
「おおぉぉおぉおおおおお! フラムうぅぅぅぅッ!」
「オティーリエさん、やっぱりそっちが本性なんじゃない?」
「黙れ、腐れ売女があぁぁぁぁッ!」
虐殺規則すら使わず、オティーリエは力任せに剣を叩きつける。
フラムはそれを片手で止めた。
「くっ、舐めやがってェ!」
そのまま片手で押し返すと、オティーリエは吹き飛ばされる。
空中で体勢を持ち直しうまく着地したが、その力の差は歴然だった。
シートゥムのステータス低下魔法で得た力は、今までの比ではない。
あまりに軽い自らの身体に、うまく操れるかフラムが不安になってしまうほどだ。
「オティーリエさん、言っておくけどアンリエットさんなら生きてるよ」
フラムは呆れた様子でオティーリエに告げた。
あえて言う必要もなかったが、このまま錯乱した彼女に命を狙われるのも嫌なのだ。
「……なん、ですって?」
「シートゥムから人間は殺すなって言われてるから、生きたまま捕らえられてると思う」
聞いた途端に、オティーリエから敵意が消える。
単純なものだ。
そして生じた隙を――フラムは見逃さなかった。
向上した敏捷性を遺憾なく発揮し、瞬時にオティーリエに接近する。
「本当に、お姉様は生き――てぎゃっ!?」
頬にめり込むフラムの拳。
吹き飛んだオティーリエは地面を転がる。
参戦しようとしていたヴェルナーは、「何やってんのこいつら」と冷めた目で彼女を見ている。
「いっつぅ……わたくしが喜びに浸ってるときにあなたは……ッ!」
起き上がったオティーリエは、フラムを睨みつけた。
「戦闘中に浸るほうが悪い」
「お姉様が生きていましたのよ!? 全身でその喜びを表現するのがパートナーの務めというもの!」
「だから何? 言っとくけど私、まだあんたのこと殴り足りないから」
むしろ殺さなかっただけ感謝してほしいぐらいだ、と心の中で付け加える。
「あなた……以前と雰囲気が違うんじゃありませんこと?」
「かなり記憶が戻ってきたから。あと、自分が私にしたことを思い出してみてよ。ぶん殴って当然でしょ?」
あのときは、どちらかと言うと恐怖や戸惑いといった感情の方が勝っていた。
だが落ち着いた場所で冷静になって考えてみると、フラムがあそこまで暴力を振るわれる理由など一欠片も無いのだ。
だから彼女は憤る、そして泣いて助けを乞うまで打ちのめすつもりだった。
オティーリエは、少し考え込むような仕草を見せ、フラムに対する所業を思い出しているようだ。
そして、あっけらかんとした表情で言った。
「お姉様に関連する事象は、全て不可抗力ですわ」
フラムの頬がひくつく。
「そういうところがッ!」
今度は殺すつもりで――と言っても避けることを想定した上でだが、魂喰いを叩きつけた。
オティーリエは横っ飛びし、すぐさま剣を振るう。
放たれる血の刃。
血蛇咬《アングイス》――いや、絡新婦か。
どちらにしても、力ずくで対処するつもりでフラムは柄を握る手に力を込める。
今の彼女には、それが可能だ。
「おいらも忘れんないでよねェ!」
するとオティーリエとは逆の方向から、ヴェルナーが強襲した。
フラムは構わず剣を振り、プラーナの嵐を吹かせる。
出力で勝るフラムの騎士剣術は、オティーリエの牽制として放たれた虐殺規則をかき消した。
「もらったァ!」
ヴェルナーの爪が、背中からフラムの心臓を狙う。
彼女は軽く体をよじり、肩に刺さるよう位置を調整した。
ザシュッ、と肉をえぐる鋭利な刃。
「フレイムクロー!」
「っ!?」
彼は火属性の使い手だ。
フラムの体に爪が触れた瞬間、それは炎を纏って傷口周辺を一気に焼き尽くす。
すると虐殺規則に使おうと思っていた血までもが蒸発し、台無しになってしまった。
苛立たしげに、彼女は無事な右腕でヴェルナーに剣を振るう。
だが彼は持ち前の身軽さで飛び避け、後退した。
「ちょこまかと!」
「わたくしを忘れられても困りますわ!」
オティーリエは剣を地面に突き立て、血の蛇を複数体、地中に走らせる。
潜蛇咬《セルペンス》だ。
さらに素早く剣を振るうと、血の刃を二発射出する。
フラムの火傷した左腕はまだ再生途中。
まずは血の刃への対処を――と右手だけで剣を大地に叩きつけ、気剣嵐《プラーナストーム》を放つ。
ゴオオォオッ! と吹く暴風がまず血蛇咬《アングイス》を消した。
「飛んでけぇッ!」
さらに大地に魔力を叩き込み――潜蛇咬が潜む地面もろとも、オティーリエの立つ地面の重力を反転させた。
すると浮島のように彼女の足元が浮き上がり、猛スピードで上昇する。
「こんなことまでできますの!?」
慌ててオティーリエはそこから飛び降りる。
着地を狙って気剣斬を放とうとするフラム。
それを阻止しようと、ヴェルナーが再び背後から彼女を狙う。
「そうはさせないってのォ!」
だがフラムは、後方から接近する彼の存在を察知し、ニヤリと笑った。
そう来ると思ったとでも言うように。
魂喰いを収納、未だ火傷が完治しない左腕を彼に向け、フラムは自らの体内で反転の魔法を炸裂させる。
「ぐうぅっ!」
痛みに顔を歪めながらも、標的は逃さない。
ズドドドドドッ!
彼女は弾丸のように指の骨片を一斉射し、ヴェルナーの体に叩き込んだ。
「か……はっ!?」
そんなことまでできるのか――フラムの想定外の攻撃に、彼は完全に意表をつかれていた。
確実に仕留めようと、彼女は追撃を仕掛ける。
「ぐ、おおぉぉおおおおおおおッ!」
だが彼は、着地の瞬間に全力で地面を蹴り、気合と根性でそれを回避した。
フラムの横薙ぎの斬撃が空を切る。
「離れさえすれば――」
仮に血蛇咬や気剣斬が飛んできたとしても、避けられる。
そうタカをくくるヴェルナーに対し、フラムはさらに想像を超える一手を打つ。
刃を伝う血と、刃に満ちたプラーナを絡めあい、高速で射出する――
「は……っ!?」
それはヴェルナーをもってしても避けられないほどの速さで迫り、そして彼の太ももを撃ち抜いた。
騎士剣術の威力、そして虐殺規則の拘束。
その両方を兼ね備えた一撃に、彼の右足の感覚は完全に喪失し、膝をつく。
「バカ、な……」
視認できないほどの速度だった。
ヴェルナーの敏捷性をもってすれば、通常の気穿槍ならば回避できただろう。
だが、今のは違う、反応すらできなかった。
「今の技は、まさか……フラムあなた、この短期間で、二つの剣術を組み合わせたとでも言いますの!?」
「最高の師匠のおかげでね」
キマイラが攻め込んでくるまでの間、フラムたちは穴掘りだけをやっていたわけではない。
フラムは新たな剣術を習得すべく、ガディオの指導を受けながら訓練していたのである。
二つの技、その根源となる力を正しく掌握し、ただ重ね合わせるのではなく、完全に一つにすることで威力を向上させる――
「虐殺剣術、血穿槍」
「そんなものを……わたくしとお姉様の間に土足で入り込んだ上に、身勝手に得体のしれぬ力と混ぜ合わせるなどと……!」
別に虐殺規則は二人だけの持ち物ではない。
確かにアンリエットは有数の使い手ではあるが、彼女らの他にも使用者はいるはずなのだ。
だが、オティーリエにそんな理屈は関係ない。
「フラム、やはりあなたはわたくしとお姉様の恋路を邪魔しますのね!?」
「心底どうでもいい」
フラムは遠慮なしに本音を吐き捨てる。
だがオティーリエには届いていないようだ。
彼女は剣を高くかざすと、血液弾倉の残量などお構いなしに、大技を放つ。
「もう容赦しませんわ――血界蛇ォッ!」
赤い大蛇が空を這い、フラムに牙をむく。
しかし彼女は落ち着いた様子で、生み出したプラーナを剣に満たし、刃に滴る血液――その内に秘められた力と混ぜ合わせる。
異なる波長と振幅を持つ二つの力。
この場合、すでに体外に排出された血液側を変えるのは難しい。
よって自らの体内で作り出すプラーナを、血液と結合させるのに都合のいい形にするのだ。
多少の集中力は必要だが、一度コツさえ掴んでしまえば、あとは同じことの繰り返しである。
魂喰いを構え、迫る血界蛇を見据え、思い切り縦に振り下ろす。
「血刃斬ッ!」
バヂィッ!
血の蛇と紅の刃が空中でぶつかり合う。
二つの力は拮抗している。
それを見てショックを受けたのは、オティーリエの方だ。
彼女にとってそれは渾身の一撃、切り札のつもりだった。
しかしフラムの方は、それを放つのにさほど消耗した様子はない。
二人の剣技の威力は互角、どちらに傷をつけることもなく、そのまま霧散し消え失せる。
フラムはすぐさま次の攻撃に移った。
おそらく先ほどと同程度の出力で仕掛けてくるはずだ。
それに対応するためには、オティーリエも血界蛇を使わねばならない。
だが血液弾倉の残量を見るに、出来てあと二発。
「くっ、キマイラは――」
他に助けを求めるなどオティーリエらしくもないが、そうしなければならないほど追い詰められていた。
しかしそのキマイラでさえも、押され、みるみる数が減っている。
こんなの、どちらが化物かわかったもんじゃない。
「ブラスター・イリーガルフォーミュラ!」
キリルが飛竜型キマイラに対し、ゼロ距離でブラスターをぶっ放す。
しかもいつの間に習得したのか、法外呪文まで使って。
魔族領で訓練していたのはフラムだけではない。
他の面々も、さらなる強化を図るべく魔族から魔法について学んでいたのだ。
極大の光の帯が天に向かって放たれ、直撃を食らった飛竜型の上半身が、焼け――いや、消滅する。
もちろんキリルも無傷というわけにはいかない。
複数の獅子型と飛竜型を相手にしているため、負傷はしているが、しかしあれだけの怪物を相手にしておきながら、致命傷に至るものは一つもなかった。
また、シートゥムも同様に――
「マーブルドリーマー・イリーガルフォーミュラ」
白と黒のマーブル模様が蠢く球体が、彼女の周囲に無数に浮き上がる。
手を前にかざすと、それらは一斉に二体の獅子型キマイラに殺到し、体内に入り込んだ。
そして触れた部位は、まるで枯れたように灰色に変色し、風に吹かれてさらさらと粉末となって飛んでいく。
やがて全身が穴だらけになったキマイラの体からコアが落下し、力を失って倒れてしまった。
「確かにこれは、悪夢ですわ」
ちゃっかりヴェルナーの言葉を聞いていたオティーリエは、彼の言葉を引用して頬を引きつらせた。
本来の作戦通り、制御装置を大量に配置できていれば、こんなことにはならなかったはずだ。
彼らが全てを破壊し終える前に、セレイドが滅びていたはずなのだから。
サトゥーキの焦りが招いた敗北。
いや――まだ負けたと決まったわけではないが、しかし劣勢なのは事実だ。
そして同時に訪れた彼の死。
フラムたちの言葉を信じるのなら、彼を殺したのは勇者たちでもなければ魔族でもない。
すなわち第三勢力だ。
ならばこの戦いは――圧倒的優勢だと思われたにもかかわらず、王国が敗北に追い込まれるこの状況は――王国でも魔族でもなく、突如現れた第三者が招いたものだとしたら。
「わたくしたちは、どこへ向かっていますの……?」
「ボーッとしないでよ、オティーリエ!」
フラムが血刃斬を放つ。
オティーリエは、血液残量が少ないことを理解しながらも、血界蛇《ヨルムンガンド》を使うしかなかった。
そしてぶつかりあった二人の技は、空中で相殺。
続けざまに構えるフラム。
悔しげに歯を食いしばり、前進して彼女との距離を縮めようとするオティーリエ。
接近戦ならば、リソース不足を補えると考えたのだろう。
しかし近づききる前に、フラムはもう一度血刃斬を射出する。
「はああぁぁぁぁぁあッ!」
フォンッ! と小さな体からは想像できないほど、鋭く黒い刃を薙ぐ。
飛来する紅の刃も、その振りの速さと比例して加速し、回避不能なスピードでオティーリエに迫るのだ。
「おおぉぉぉおおおおッ!」
そして彼女もまた、幅広刃の片手剣を振るい最後の血界蛇で――打ち消す。
「この距離なら負けませんわッ!」
十六歳の小娘に、副将軍まで上り詰めた自分が負けるはずがない。
そう自分に言い聞かせ、オティーリエは鋭利な刺突を胸に放つ。
フラムは左手のガントレットでそれをいなすと、右手で魂喰いを斬り上げた。
オティーリエは素早く後退、着地と同時にまた前進し無防備な太ももを切りつける。
バックステップ、すぐさま剣を振り下ろし気剣斬で反撃。
だが彼女は横に飛んでそれを回避、さらにくるりと回りながら残りわずかな血液で血蛇咬を放った。
大剣で撃ち落とそうとするフラム。
しかし血の刃は斬撃をするりとくぐり抜け、彼女の右腕に食らいついた。
口角を吊り上げるオティーリエ。
ここが好機と見て、攻勢に出る。
右半身に狙いを定め、素早く小刻みに刺突、左薙ぎ、逆袈裟、そしてまた刺突――間髪を入れずに繰り出される怒涛の攻撃が、フラムの体にいくつもの傷を刻んでいく。
左腕しか使えない彼女は、追い詰められているようにも見えた。
しかしオティーリエは気づいていない。
勝利を焦るあまりに、次第に攻撃が雑になっていることに。
そして、ステータスでも彼女に勝り、体力的、精神的な余裕のあるフラムが、これしきで追い詰められるはずがないということに。
オティーリエはフラムの心臓をめがけて渾身の突きを放った。
「もらいましたわ!」
フラムはそれを、待っていたと言わんばかりに――右手で掴んだ。
「んなっ……!? どうして右手がっ」
「だから言ったでしょ、最高の師匠がついてるって」
虐殺規則の使い手ならば、血の拘束を解除する方法があると言っていたのはオティーリエだ。
今日までの間に、その方法を身に着けたまでのこと。
解除に少々の時間はかかったが、こうなればもう、負ける気はしない。
とはいえ殺すことは禁じられているため、魂喰いで斬りつけてはならないわけだ。
そこでフラムは、剣を収納し、左手で拳を作る。
「ま、待ちなさいフラム……わかったわ、わたくしはもう負けを認めますわ……」
アンリエットも生きている。
ならばこれ以上、戦う必要もないだろう。
しかし、だからどうしたというのか。
「あのとき、私は泣いてたよね」
王城に囚われている間、フラムは二度、オティーリエから暴行を振るわれた。
「たぶんあのときのオティーリエさん、私がやめろって言ってもやめなかったと思うんだよね」
一度は首を閉められ、もう一度は蹴られ、殺されかけ。
そもそも、殺さずに彼女を生かしている時点で自分は優しいのではないか――フラムがそう思ってしまうほどのことを、彼女はしてきたのだ。
握る拳に力がこもる。
ガントレットがギシリときしむ。
「も、もう勝負はつきましたのよ……!?」
「まだ」
フラムの瞳に憤怒が宿り、彼女はニタァっと悪魔のように笑った。
「私の怒りが、収まってない」
そして拳が振り下ろされる。
全力の一撃がオティーリエの右頬に突き刺さり、顔を歪めながら吹っ飛んだ。
そのあまりの勢いに、彼女は剣を手放してしまう。
フラムはそれを投げ捨てると、尻もちを付いた彼女の胸ぐらを掴んだ。
「まだまだぁっ!」
「ひぎっ!?」
今度は右拳でぶん殴る。
また吹き飛んで、地面に倒れたオティーリエ。
彼女にゆっくりと歩み寄ったフラムは、今度は馬乗りになって拳を振り上げる。
見上げる瞳は、恐怖に揺れている。
「そんな顔してるけど、あんたたちが私にやったことは、もっとひどかったんだからね!?」
「あのときは、お姉様のことで頭が真っ白になっていましたのよ……」
目をそらしながらオティーリエは言った。
そんな彼女の鼻からはだらだらと血が流れている。
「……もう、殴りませんの?」
「これ以上やると、殴り殺しそうだからやめとく」
怒りが完全に収まったわけではないが、どこまで殴れば収まるのかもわからない。
だから、やめられるところでやめておいた。
キリルとシートゥムの戦いも決着が付いたようだ、二人はそれぞれ最後の一体を消し飛ばすと、「ふぅ」と大きく息を吐く。
肩が上下しているところを見るに、彼女たちも中々大変な戦いだったようだ。
立ち上がったフラムは、二人に笑顔で声をかけた。
「おつかれさま」
「フラムさんこそおつかれさまです」
「でもまだ、肝心の制御装置が壊せてないから」
フラムたちの視線が、一斉にバートの方を向いた。
彼はこめかみに冷や汗を浮かべながら、「うっ」と声をあげる。
「ど、どんなに強い力を持っていようと、俺の封邪の防壁を突破することはできないからな!」
「ブラスター」
問答無用でシュゴオォッ! と光の帯を放つキリル。
「ひいぃぃぃっ!」
怯えるバートだが、一応彼に当たらないようには配慮してある。
それに――
「……本当に壊れないんだ」
障壁は彼女のブラスターを使ってもなお、そこに健在だ。
法外呪文を使ってもいいが、消耗しているキリルとしては無駄遣いになる可能性は避けたい。
「困りましたね、あれを壊さないと戦いは終わらないのですが。全員で協力して、ありったけの魔力を注いでみますか?」
「それで失敗したら、まずいと思う」
「私もフラムと同意見かな。説得して諦めてもらうのが一番だと思うけど」
「俺は絶対に諦めないぞ、亡くなられた教皇様のためにも、勝利を持って帰るのだ!」
「……亡くなった?」
首をかしげるキリル。
フラムはオティーリエの方を向いて、視線で『どういうこと?』と問いただす。
「バート、あなた阿呆でしたのね……」
「な、なにがだ?」
「サトゥーキ様が死んだことをバラしてどうすんだって話だよん」
「はっ……!?」
どうやらアホだったらしい。
この歳まで、ここまでの実力を持っていながら副団長にもなれなかったのだ、こういう抜けた一面が彼の評価を下げていたのだろう。
「じゃあ、サトゥーキが死んだって本当なんだ……」
「その反応を見るに、あなた方が殺したというわけでもなさそうですわね」
「私たちは人間を殺したりはしませんっ!」
強弁するシートゥム。
むしろ彼女は、サトゥーキが死んだことを悲しむだろう。
「バート、もういいんじゃありません? たぶんこの様子なら、わたくしたちの身の安全も保障されると思いますわ」
「だがっ! このまま成果もあげずに帰れば、国民にどういう顔をしていいのかわからんだろう!」
「往生際が悪ぃなァ」
「なんとでも言えッ! 俺のこの“完全に閉じられた領域”がある限り、勇者だろうと魔王だろうと突破は叶わん!」
バートの言い回しに、フラムがぴくりと反応する。
そして顎に手を当て、目を伏せて考え込みはじめた。
「フラム、どうかした?」
キリルは不思議そうに彼女の方を見た。
「いや……今の、“閉じられた領域”って……」
「そうだ、俺の力は周囲の空間を閉じ、内と外を別の領域として隔絶することで、あらゆる攻撃を防ぐ――」
「じゃあ、開けばいいのかな」
「は……?」
シンプルな答えだ。
閉じられた領域なら、反転してやれば開くはず。
フラムは魂食いの刃を障壁にこつんと当てると、軽く魔力を導通させた。
「開け」
それだけで十分だったらしい。
バートご自慢の障壁は瞬時に消滅し、制御装置を守るものは無くなった。
そして直径一メートルほどの水晶体に近づいたフラムは、「えいっ」と大剣を叩きつける。
バキッ、と刃がめり込み、全体にヒビが入ると、表面に浮かび上がっていた光の点が消える。
それと同時に――セレイドを襲撃していたキマイラたちが、ぴたりと動きを止めた。
空中に浮かんでいたものたちも、次々と地上に落下していく。
「こんなあっさりと……俺の、障壁が……」
がっくりとうなだれるバート。
「これで、キマイラも止まったんだよね」
「あっちの戦いが終わってるならそうだと思う」
「お姉様を襲撃したのは、残る全員ということですの?」
オティーリエの問いに、フラムは「うん」と頷く。
ガディオにエターナ、ライナス、セーラ、ネイガス、ツァイオン、ディーザ――勇者と魔王はいないものの、あちらは数の暴力でアンリエットたちを押し込んだ。
「いくらお姉様といえど、そんなの勝てるわけがありませんわ」
そう言って、彼女は地面に体を投げ出した。
もはや戦意などかけらも感じられない。
『石に話しかける……これでいいのか。誰か聞こえているか、ガディオだ』
するとそのとき、地面に落ちていた手のひらサイズの水晶体から、覚えのある声が聞こえてくる。
「あれ、なんだろ……」
「通信装置ですわ」
「遠くの人と話せるってこと?」
キリルが尋ねると、オティーリエは小さく首を縦に振る。
フラムは落ちていたそれを拾い上げ、返事をした。
「ガディオさん、フラムです。ちゃんと聞こえてます」
『そうか、その様子だと無事に終わったようだな』
「はい、ガディオさんの方こそ無事でよかったです」
万が一怪我人が出たとしても、それを治癒できるようにセーラを連れて行っていたわけだが。
『無事ではあるが、捕虜にするには面倒なやつが一人いてな、少し手を焼いているところだ』
「例の騎士団長ですか」
「お姉様の声を聞かせていただけませんかっ!?」
『ああ、両手両足を魔法で拘束してようやく大人しくなった』
「大変ですね……こっちは比較的、落ち着いていますが……」
「お姉様ぁっ、わたくしです、オティーリエですわあぁぁぁぁぁっ!」
急に元気が出たオティーリエを見て、フラムの頬が引きつる。
「……なんか、うるさいのが一人います」
『そのようだな……アンリエット、あれを黙らせてやってくれないか』
『オティーリエ、私は無事だぞ。だから落ち着いてくれ』
「お姉様あぁっ! はい、わかりました、落ち着きますわっ!」
興奮しながら言う台詞ではない。
しかし黙ったので、結果オーライである。
「色々とみなさん事情はおありのようですが、ひとまず捕虜として、セレイドにお連れするという形でいいでしょうか?」
話が一段落したところで、シートゥムがそう提案した。
もっとも、捕虜なのだからわざわざ尋ねる必要もないはずなのだが。
「ま、おいらはもう抵抗はしないよ」
「わたくしも、お姉様と会えるなら何だっていいですわ」
「障壁が破られた以上、何をしたって無駄だろう」
文字通りお手上げ状態の三人に、抵抗の意思は無い。
シートゥムは返事を聞いてほっとしたのか、胸に手を当てて息を吐いた。
戦闘経験のほとんどない彼女は、今までずっと緊張していたらしい。
こうして、王国と魔族の戦いは、魔族側の勝利という形で終わりを迎えた。
捕虜たちをセレイドに連行しつつ魔王城へ戻るフラムたち。
その途中、フラムと並んで歩くキリルが、暗い表情で口を開く。
「……なんか、釈然としないな」
「なにが?」
「王国との戦争って言うから、もっと大きな戦いになると思ったんだけど、制御装置を壊すだけであっさり終わったから……」
「確かに、苦戦はしなかったね。でもそれっていいことじゃない?」
「ん……」
キリルはまだ納得できていないようだ。
フラムにだって気持ちはわかる。
セレイドの周辺に放置されたままの、人形のように固まったキマイラたちを見ていると、『まだ戦いは終わってないのではないか』と不安にもなる。
しかし、もう彼らが動き出すことはないのである。
「サトゥーキが死んだって」
「そんなことも言ってたね」
「あれ……王都に残ったマリアがやったんじゃないかな。やることがあるって言ってたよね」
「それは、ありえるかも」
「でも、今の状態でサトゥーキが死んだら、王国が混乱するのはわかりきってる」
「確かに……スロウだけじゃ、政治とか絶対に無理だよね」
他人事のようだが、これから王都に帰るフラムたちも、いずれその問題に直面することになるだろう。
ミルキットと気ままに暮らすには、もう少し時間がかかりそうだ。
「ねえ、フラム」
ついにキリルは足を止めてしまう。
そして俯いて、地面を見つめながら言うのだ。
「本当に、終わったのかな」
見えない何かが見えているわけではない。
しかしその存在を、キリルは感じているのかもしれない。
だが、フラムも――その感覚が、まったく理解できないわけではないのだ。
だからこそ、『終わったんだよ』と断言できなかった。
言葉に詰まって、悩んだ挙げ句――手を差し伸べて、こう言うしかなかった。
「帰ろう、キリルちゃん」
キリルは揺れる瞳でフラムを見つめると、その手を取って、力なく笑みを浮かべる。
「……うん。そうだね、フラム」
そしてフラムとキリルは手をつないで歩き出す。
不安を分かち合い、少しでもやわらげようと悪あがきをする。
きっと、うまく行きすぎたから、この気持ちはそれが原因なのだろう――と、二人は自分に言い聞かせた。
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