「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい
067 勇者
迫る赤子の群れに向き合ったキリルは、手をかざし魔法を放つ。
「レイン!」
ズドドドドドドッ!
光の雨が天より広範囲に降り注ぎ、密集する敵を一掃する。
“勇者”の魔法に、光や闇、火、水といった特定のカテゴライズは存在しない。
強いて言うのなら光に近いが、しかし、だからと言って光属性の使い手に再現できる魔法ではなかった。
軽微な魔力消費に、扱いの簡単さ、そして圧倒的な範囲と威力――改めてマリアはキリルの特殊性を認識する。
だが、それだけの魔法を放ったところで、細切れになった肉片はそれぞれが極小サイズの人型となり、再び彼女らに接近した。
「はああぁぁぁぁぁぁっ!」
フラムは振り上げた魂喰いを、地面に叩きつける。
爆ぜるプラーナ、吹き荒れる嵐。
大型ならばそよ風程度にしか感じなかったかもしれない。
だが分裂し、小さくなった今の彼らには、反・気剣嵐は致命傷である。
風に触れた途端にパンッ! と風船のように破裂していく赤子たち。
「シャイニング!」
さらに隣に立つマリアが、頭上に作り出した光球を飛ばす。
それは地面に着弾すると、爆発し、光のドームを作り出した。
その熱量で、分裂の余地も無いほどに焼き尽くし、溶かしていく。
確かに絶え間なく増殖する敵は厄介だ。
だが肉片すら残さず消すことさえできれば、封じることができる。
圧倒的な数の差は変わらないものの、赤子を打ち倒すことによって、確実に、少しずつマザーの力は削がれていった。
あとはどうやってコアを破壊するかだが――オリジンの力を持つ者と戦い慣れているフラムは、二人に尋ねる。
「キリルちゃん、マリアさん、コアの場所はわかってる?」
「おそらく上――天井の向こう側にあるのではないかと」
「問題はどうやってあそこまで行くか」
キリルは天を仰ぐ。
遠くに見える肉の壁は、到底人の手が届く高さではない。
それに仮に到達できたとしても、コアを破壊できなければ意味は無いのだ。
「私がフラムを抱きかかえてあそこまで飛べば、届くと思う」
誰かを抱えながらとなると、高度はギリギリだろうが――できないことはない。
剣を振るい、赤子を屠り、自らの身体に満ちる力を確認しながら、キリルは言った。
だがフラムは首を横に振る。
「それは大丈夫、私一人でも行けるから――重力反転っ!」
そう言ったフラムは、敵が突き出した拳を、物理法則を無視したふわりとした動きで跳躍し回避。
さらに背後を取り、後頭部に魂喰いを突き刺すと、反転の魔力を注ぎ込んで破裂させた。
「浮いた!? すごい……! すごいよフラムっ!」
褒めながらも、剣を振るう手を止めないキリル。
目の前に立つ敵は瞬く間に細切れにされていく。
「いや、キリルちゃんに比べれば大したことはないと思うけど」
謙遜ではなく、心の底からそう思う。
しかし嬉しくないわけではないので、フラムはほんのり頬を染めながら頭を掻いた。
「……やはり彼女は」
一人呟くマリアの言葉は、誰にも届かない。
さらに一方的な戦いは続き、三人の力はマザーが赤子を産み出す速度を完全に上回った。
「よしっ、このまま行けばっ!」
見えてきた希望にフラムの声が躍る。
もう少し敵を減らせば、邪魔されずにコアへの突撃を敢行できるはずだ。
だが――やすやすとそれを許すほど、マザーも甘くはない。
『ふざけないで』
彼の声が、王都に響いた。
『こんな、こんな小娘に私の夢が止められてたまるもんですか! やっと母親になれたのに、やっと幸せな子供になれたのに……認めない、私は認めないいいぃぃぃッ!』
ヒステリックに叫ぶマザー。
どこからともなく響く耳障りな音は、王都全体の空気を揺らし、フラムは足裏にピリピリとした感触を覚えた。
「ふっ……」
思わず嘲笑したマリア。
らしくないリアクションに、フラムとキリルは彼女の方を見る。
「……今のは忘れてください」
マリアは気まずそうに顔をそらした。
とはいえ、にやつく二人も彼女と気持ちは同じである。
確かに図体はでかい、力も強い、沢山の命を危険に晒している。
しかし――もう恐ろしいとは思わない。
「まだ八歳だから可愛げがあったのかもしれないけど、それにしたって、マザー――あんたより子供たちの方がよっぽど迫力があったよ」
『あんなのは失敗作よ、理想を体現した今の私にたどり着くための、踏み台に過ぎない! そんなものより私が劣ってるなんてことあるわけがないのぉッ!』
喚くマザー。
フラムは両手を肩の高さにまで上げ、“やれやれ”と首を振った。
「あんなこと言ってるけど、キリルちゃんはどう思う?」
「方法は間違っていたかも知れない。でも、ミュートは他者を想っていた。母親、仲間、そして出会ったばかりの私に生き方を示してくれた」
『だから何よ!』
彼は理解しようとしない。
オリジンと同調してしまうほど、どこまでも孤独なマザーには、理解できないのだ。
「ミュートが私を導いて、フラムが私に勇気を与える。人との繋がりは、時に残酷だけど、けれど私を強くしてくれる。孤独なままじゃ見えない世界が、そこにはあるんだッ!」
今のキリルは、“勇者らしく”とは考えていない。
しかし勇ましく天に向かって言い切るその姿は、いつになく頼もしかった。
それをマザーも感じ取ったのだろう。
だからこそ、気に食わなかった。
彼にとって母は世界の全てだった。
その全てから否定された時点で、彼は他者を拒むようになってしまったのだ。
愛情も憎悪も全てが自己完結している。
そんな彼にとって、他者の支えで強さを得るキリルたちの存在は、さぞ目障りに違いない。
『下らない……下らない……下らない、下らないっ、下らないいぃぃぃぃぃぃっ!』
マザーの怒りに呼応するように、天井が波打つ。
そして膜を裂いて現れる、巨大な腕。
両腕が裂け目をさらにこじ開け、頭部が姿を見せる。
薄汚れた青色をしたそいつには、顔が無かった。
今までのような赤子ではない。
まるでマザーの人生の空虚を具現化したかのような、人型の化物。
突如現れたそいつは、ついに天井より落下した。
そして衝撃で地面を揺らし、重低音を轟かせ、透明な粘液に塗れた両足で大地をしっかりと踏みしめる。
それは――二十メートルを越える巨人であった。
『もういいわ、あなたたちはいらない、子供にならなくていい。このまま、殺してあげるぅっ!』
巨人は振り上げた拳を地面に叩きつける。
するとフラムたちの立つ大地が動き始め――回転を始める。
三人は同時に跳躍し、渦巻く地面から飛び退いた。
しかしルークのものと異なり、その範囲はかなり広い。
一度飛んだぐらいでは逃げ切ることはできず、彼女たちはそれぞれ別の方向へと疾走した。
『あっはははははは! 威勢よく啖呵を切った割には逃げてばっかりじゃない!』
マザーの笑い声が王都に響く。
連動して、巨人も肩を揺らした。
その足元には、赤子が群がっている。
彼らは縋るように足にしがみつくと、体を溶かし、巨人と同化した。
体を犠牲にして、力をわけ与えているのだろう。
そして手を天高くかざし、能力を行使する。
『ここは私の子宮の中、あなたたちはへその緒で繋がれた子供。どれだけ走ろうとも、逃げられっこないわ!』
“接続”によって、建物や大地が剥がれ、引き寄せられていく。
瓦礫を集め、それを逃げ惑うフラムたちに投げつけようという魂胆のようだ。
シンプルに高い破壊力を持つ一撃、まともに食らえばひとたまりもないだろう。
しかし、それは“フラムたちが逃げる”という前提あっての作戦。
現実は――マザーの思い通りにはならない。
彼の力によって浮き上がった瓦礫、三人はその上を飛び移りながら、むしろ巨人に接近していく。
『そんな小賢しいことをしたところでぇッ!』
螺旋の力を纏った拳を、最速で接近するキリルに向ける。
その動きは巨体に似合わず素早い。
だがフラムは、殴打が繰り出される前に、腕を引くその瞬間を見逃さない。
「はあぁぁっ!」
すかさず魂喰いを振り下ろし、反・気剣斬を放つ。
鋭利な剣気は、巨人の腕の付け根に着弾。
今までの赤子なら、十分に破壊できるだけの魔力を込めたはずだった。
しかし剣気は表面に傷を刻み込むだけで、貫通すらしない。
とはいえ目的は達した。
直後、腕は前に突き出されるも、フラムの攻撃によって軌道がずれ、キリルには命中しない。
彼女は無事に“勇者の剣”の射程内にまで接近する。
「ブレードッ!」
右手に握る宝飾剣、その刀身を光が包み込む。
光はさらに長く伸び、闇を切り裂く刃となって、巨人に向けて振り下ろされる。
狙うは――気剣斬によって生じた傷口。
「やあぁぁっ!」
キリルに反転の力はない。
つまり巨人の皮膚を流れ、その肉体を守るオリジンの力を無効化することはできない。
それは単純に、17000を越えるデタラメなステータスにより繰り出される、力任せの斬撃だった。
ザシュウッ!
巨人の腕が、為す術無く切り落とされる。
『突破したですって!?』
「このぐらい、私の力さえあればっ!」
驚愕するマザーに、さらなる自信を得るキリル。
しかし切り落とされた腕の傷口は、すぐにねじれて止血される。
その光景を見て、フラムは確信した。
今までの赤子とは異なる外見に力――それは気のせいなどではなく、分け与えられた力に違いがあるからだ。
具体的に言えば、おそらくこの巨人には“コア”が埋め込まれているということであった。
おそらくそれは、王都を包み込む巨大な空間を維持するために必要な、いくつかのコアのうちの一つ。
フラムたちの生き方を目の当たりにし激昂した彼は、文字通り身を削って切り札を繰り出したのだ。
その右腕があっさりと切断されてしまったとなれば、そりゃ動揺もするだろう。
しかし、キリルは巨人に休む暇など与えない。
続けざまに薙ぎ払われる光の刃。
「もらったあぁぁぁぁ!」
キリルの剣が、巨人の首を捉えた。
この巨体では避けることはできまい。
命中する――そう確信するキリルの目の前から、突如、敵が消失した。
ゾクッ。
直後、背後から殺気を感じたキリルは振り返る。
するとそこには、“接続”によって転移した巨人の姿があった。
『この完全なる私が、そう簡単にやられるもんですか!』
巨人の背中から無数の触手が伸びる。
先端が勢いよく回転したそれは、キリルを取り囲むように殺到した。
『死ねやあぁぁぁぁぁぁッ!』
もはや母親という設定すら忘れて、殺意をむき出しにするマザー。
「わたくしを忘れてもらっては困りますわ」
その背後で、仮面の女が首元を血で濡らしながら微笑んだ。
「ジャッジメント」
そして射出される無数の光の剣。
ドドドッ!
それらは一斉に巨人の背中に突き刺さり、根本から触手を断ち切った。
『いつのまに後ろをっ!?』
正常な人間の――マリアの身体能力であれば、その背後を取ることはできなかっただろう。
しかし今の彼女は、全てのステータスがオリジンコアによって上昇している。
ブレイブを使ったキリルほどではないものの、フラム以上に驚異的な身体能力を保持しているのだ。
巨人は振り向き、マリアを押しつぶそうと拳を振り上げる。
しかし、それをキリルが許すはずがない。
鋭い一閃――その斬撃でもう一方の腕を切断し、巨人は両腕を失った。
『おおぉぉぉ……おおぉぉおおおおおおおッ! こんなっ、こんなことがっ!』
さらにマザーは苛立つ。
その間にもフラムが接近し、飛び上がる。
狙うは、おそらく心臓の付近にあるオリジンコア。
突き立てた剣は反転の魔力により皮膚を突破、肉を貫き、あと少しで急所に届きそうだった。
だがその直前に、マザーが吼える。
『私はァ、認めなあぁぁぁぁぁぁぁぁぁいッ!』
ゴオォォオッ!
巨人の体を取り巻くように、風が激しく渦を巻く。
「フラムッ!」
危険を察したキリルが飛び込み、フラムを抱きかかえて離脱した。
あれ以上近くに留まっていたら、今ごろ彼女の体は細切れになっていただろう。
「ごめん、ありがと」
「どういたしまして。それよりあれ――」
「厄介です、このままでは近づけませんね」
いつの間にか近くにいたマリアが言った。
旋風は、それそのものの破壊力もさることながら、瓦礫を巻き上げることでさらに破壊力を増している。
しかも少しずつ範囲が広がっており――どこまで拡大するのかはわからないが、いつか逃げ場はなくなる、キリルたちはそんな予感がしていた。
『ああぁぁぁぁああっ! 嫌よっ、こんなの認めないわあぁぁっ! 私はっ、私はああぁぁぁぁあっ!』
叫び狂うマザーの声は、まるで駄々をこねる子供のようだ。
「あの人は……母親の呪縛に囚われるあまり、子供時代から抜け出せなくなっちゃったのかもね」
「だからと言って同情の余地は無いよ、あいつさえいなければ傷つかずに済んだ人はたくさんいるんだ」
「わかってる。無関係の他人を犠牲にしていい理屈はないもん、私も許す気なんてない」
二人は真っ直ぐな瞳で、嵐の中央に立つ巨人を睨みつけた。
「……」
一方でマリアは黙り込んで二人の方を見ている。
彼女は少しだけ、マザーの気持ちが理解できたからだ。
人格は勝手にできあがるものじゃない、周囲の環境によって少しずつ形作られるものだ。
もしも彼の母親がスザンナ・スミシーでなければ――無意味な仮定だが、おそらくこのような化物は生まれなかっただろう。
避けようのない理不尽を前に、誰を憎めばいいのかわからなくなった人間は、時に世界全てを拒絶する。
大好きだった故郷の人々は、魔族に皆殺しにされた。
恩人だと思っていた教会の人々は、その魔族と繋がっていた。
信じていたものは、全て虚構だった。
ひょっとすると、もっと早くにこの真っ直ぐな――フラムやキリルのような人間と出会えていたのなら、また違う運命もあったのかもしれない。
だが今のマリアには、マザーこそが未来の自身の姿であるような気がしてならなかった。
「でもあの渦、どうやって突破しよっか。キリルちゃん、何か方法はある?」
「……単純に力で抜けられないか試してみる」
そう言ってキリルは一歩前に踏み出し、両手で剣を握って前に突き出した。
その切っ先を巨人の心臓部に向け、「ふぅ」と息を吐き出す。
そして――
「ブラスターッ!」
ドオォンッ!
剣から、あまりに眩く激しい光の帯が放たれた。
「ひやっ!?」
その衝撃によろめき驚くフラム。
マリアは無言だが、ぐっと両足に力を込めて踏ん張った。
射出された魔力の塊は、真正面から渦と衝突。
ぶつかり合う力と力はバヂバヂッ、とスパークする。
その音は聴覚が麻痺するほど凄まじく、その光は周囲が真っ白に染まるほど強烈であった。
最初は拮抗していた二つのエネルギーだが、次第にブラスターの力が横に逸らされ、ずれていく。
そして渦の側面を滑るように受け流されてしまった。
曲げられた光の帯は近くにあった建物に命中すると、跡形もなく蒸発させた。
「くっ……いなされた」
「でもかなり耐えてたよ!」
「あと少し渦を弱めることができれば打ち勝てるかもしれません。フラムさん、“反転”であれに干渉できませんか?」
「うん、やってみるね」
「わたくしもありったけの魔力で援護します」
「フラム、気をつけてね!」
キリルの言葉に力をもらい、フラムは強く地面を蹴り自ら渦に突っ込んでいく。
魔力だけを流し込むのなら、プラーナで飛ばすのではなく直接ぶつけるのが有効的だ。
紅色の柄を両手で握りしめる。
眼前に迫る暴風の障壁。
低く構えた漆黒の剣、その刃を傾ける。
「はあぁぁぁぁぁっ――ぶち抜けッ!」
フラムは全力で魂喰いを振り上げた。
オリジンの力場と反転の魔力が接触した瞬間、閃光が弾ける。
それはキリルの放ったブラスターと同じか、それ以上のまばゆさであった。
「同じコアを使う者として思うところはありますが……」
さらにマリアの周囲に無数の、そして様々な形をした光が浮びあがった。
それら全ては高速で回転し、自ら威力を高めていた。
同じオリジンの力だ。
しかし、少なくとも今のマリアに、マザーの味方をする理由は一切ない。
「わたくしのありったけ、受けなさい!」
ズガガガガガァッ!
浮かび上がった全てが、一斉に巨人に向かって飛来する。
二人の力同様に、それらも渦と反発しあい、炸裂した。
「ぬああぁぁぁぁあああああッ!」
『無駄よ、そんなことをしても、私には絶対に届かないわぁ!』
「届くっ、絶対に届かせてみせるんだからあぁぁぁぁぁぁッ!」
フラムとマザーの感情がぶつかりあう。
それは――結果の見えた力比べであった。
なぜならばマザーは一人であり、フラムには待つ人がいるからだ。
明らかに、目に見えて、巨人を包む渦は弱まっていた。
「キリルちゃんッ!」
「今度こそ行くよっ、ブラスタアァァァァァッ!」
キリルは剣を両手で構え、高エネルギー砲を照射する。
ズドォォンッ!
反動で彼女のかかとが地面を削り、体が後退する。
勇者のステータスを持ってしても顔をしかめてしまうほどの威力。
それが弱まった渦にぶつかれば――もはや耐えることはおろか、受け流すことすら不可能であった。
「いっけえぇぇぇぇぇぇぇッ!」
キリルの叫びに呼応するように、ブラスターはさらに出力を増す。
『届かない……届く、わけがあぁぁっ!』
マザーの拒絶むなしく、光の帯は巨人に届いた。
ジッ――バシュウッ!
あまりの高温に、焼けることすらなく、蒸発していく巨人の上半身。
フラムはそこから投げ出されたオリジンコアを発見。
跳躍し、放物線を描いて地面に落ちようとするそれに迫った。
『させないッ!』
巨人の残った下半身が分裂し、赤子の形に変わる。
そしてコアに手を伸ばそうとしたが、
「それはこちらの台詞です」
マリアの光の剣が敵を焼き尽くし、それを阻止した。
遮るものはもう何もない。
コアに近づいたフラムは剣を振り下ろし、反転でそれを破壊する。
『おおぉぉぉおおおおおッ!』
パキッ、と黒い水晶が真っ二つに割れると、マザーは苦しそうに呻いた。
さらに王都を覆う赤黒い膜が波打っている。
フラムたちには知る由もないことだが――外では、巨大な赤子が苦しげに身をよじっていた。
「これで倒したってこと?」
「ううん、たぶんまだコアが残ってる。全部破壊しないと、マザーが死ぬことはないと思う」
「先ほどは自分からコアを差し出してもらえましたが、残りはそう甘くないでしょうね」
待つのではなく、攻めなければ。
三人は一斉に空を見上げた。
その先にあるコア――それを破壊できるのは、フラムただ一人だけである。
「マザーが苦しんでる今がチャンスかもしれない」
「フラム、本当に行くの?」
キリルは心配そうに尋ねた。
その気持ちが、フラムは嬉しかった。
「私にしかできないことだから」
「……わかった」
「わたくしも援護しますわ、必ず守り抜いてみせます」
頼もしい言葉を受けて、フラムの体はいつになく活力に溢れていた。
あといくつのコアが残っているのかはわからない。
しかし、負ける気がしない。
「重力よ、反転しろ!」
そして彼女は地面を蹴って、天高く舞い上がった。
実を言うと、あんな高さまで飛ぶのは初めての経験だ。
だが魔力にはまだまだ余裕がある、途中で尽きさえしなければ落ちることは無い。
『させ……る、ものか……!』
マザーは苦痛から復帰しつつあった。
彼は怨嗟のこもった声をフラムに向けると、天井の膜の向こうから、二本の赤黒い触手をけしかけた。
その太さは、一つ一つが彼女の体と同じぐらいある。
さらに全ての先端が回転しており、当たれば、フラムの体は瞬時にしてミンチにされてしまうだろう。
「やらせないッ、ブラスター!」
「セイクリッドランス!」
地表のキリルとマリアが援護する。
光の帯と槍によって、現れた触手は全て破壊された。
安堵し、表情を緩める二人だったが――それで終わりではない。
次は四本、倍の数になった触手がフラムに襲いかかる。
だがその程度ならばまだどうにかなかった。
再び地表からの魔法によって砕け散る。
そして次は――八本。
フラムが天井に届くまでにはまだ距離がある。
この調子で増えるのだとしたら、次は十六本、その次は三十二本、さすがに二人では対処できない量だ。
フラム自身も、迫る触手に剣を振るい対処したが、徐々に追い詰められていく。
「ここまで来たのに……これ以上増えるんなら、一旦戻らないとまずいかもっ」
『ひひゃはははははっ! 届かない、届かせない、何度も好き放題やらせてたまるもんですかぁッ!』
マザーはすっかり調子を取り戻している。
フラムを囲む、六十を越える数の触手。
「おおおおぉぉおおおおおおおッ!」
だがそれらは、地上で巨大な岩の剣を構える男によって両断された。
放たれた剣気が、むしろ逆に触手の方をミンチに変える。
その全身は血だらけだが、闘気は満ち満ちている。
「ガディオさんっ!?」
『どうしてっ!? どうして自力で逃げ出せてるのよぉおおおお!』
「ふん、俺もわからん。勝手に力が弱まったから這い出ただけだ」
先ほどのコアの破壊は、全ての繭にも影響を及ぼしていた。
精神汚染が弱化し、特に強い意志を持つ者は、自力で逃げ出せるようになっていたのである。
『くそっ、くそがあぁぁぁぁッ! でもまだよ、まだ私には力が残って――』
「でもこっちにも役者が残ってるんだよなぁ……そらよっ!」
現れた男は矢を放つ。
それは空中で弾け、無数の弾丸となって全てが正確に触手を撃ち抜いた。
「ライナスさんまでっ!」
「……あぁ」
ライナスの無事を確認すると、マリアも安堵する。
もっとも、体は傷だらけで、本当は立っているだけで精一杯なのだが。
傷を治癒するために駆け寄る彼女の姿を見て、ライナスは優しく微笑んだ。
そして二人が復活したということは――
『まだよっ、まだ負けてたまるもんですかあぁぁぁぁぁっ!』
「残念、わたしもいる」
今度は水の散弾が天に向けて放たれ、残ったなけなしの触手を全て粉々にした。
「エターナさんっ、無事だったんですね!」
「余裕」
フラムにピースサインを向けるエターナだったが、どう考えても強がりである。
だが生きている。
みんな生きて、フラムを助けてくれている。
『こんな……仲間なんて、他人との繋がりなんてっ、そんなものおおぉおおおッ!』
もう阻むものは何もない。
「おおぉぉおおおおおおッ!」
フラムの剣は天を貫く。
阻むオリジンの力も反転でねじ伏せ、膜を裂き肉を断ち奥へ奥へ。
その向こうに存在するコアへと――一直線に突き進んだ。
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