「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい

kiki

031 聖域を汚す愚か者どもへ

 




 ミルキットの作った夕食に舌鼓を打つ。
 フラムがその味を絶賛すると、エターナが悪乗りして便乗し、ミルキットは恥ずかしそうに俯く。
 しかし事実を言っただけである。
 実際、用意された夕食はあまりの美味しさに、みるみるうちに無くなっていった。

 食事を終えると、エターナはインクの分を上に運んでいく。
 残された二人は、後片付けを始めた。
 フラムの洗った皿を、ミルキットが拭いて食器棚に収めていく。
 息の合った二人の共同作業。

 いつもこんな平和な毎日なら――とフラムは名残惜しく感じていた。
 わかっている、どうせそう長くは続かないことぐらい。
 また近いうちに教会が何かを仕掛けてきて……いや、あるいはすでに仕掛けてきているのかもしれない。

「いつまでも、こういう生活を送れたらいいのに……」

 そうこぼしたのは、ミルキットだった。
 ちょうど同じことを考えていたらしい、フラムは何だか嬉しくなってくる。
 彼女はミルキットに食器を手渡しながら、微笑みかけた。

「そうできるように、私が頑張らなくちゃね」
「あっ……申し訳ありません、そういうつもりではっ」
「なんで謝るかなあ。私もミルキットと同じ気持ちだったから、決意を改めただけなんだからね。教会との戦いが終わったら、ここで気ままにゆっくりと暮らしたいよねぇ」

 それができるのはいつになることやら。
 考えるだけでも、立ちはだかる壁が多すぎて嫌になってくる。
 だがその先に待つ楽園のような毎日を手にするためなら、いくらでも戦える。

「ご主人様は、ずっと王都で暮らしていくんですか?」
「この家にも馴染んじゃったしねえ。でも、一回は故郷に帰らないと。“私はちゃんと生きてるぞ”って伝えるためにも」

 例え、頬の印が消えなかったとしても。
 いや、その時は今よりもさらに、前向きに考えられるようになっているはずだ。
 ミルキットが“おそろい”と言ってくれた時のように、これは二人の絆の証なんだと、胸を張って言えるぐらいに。

「その時、私はついていかない方がいいですよね」
「なんで?」
「だって、奴隷なんかがそばにいたって、気まずいだけだと思いますし……」
「え、私は両親に紹介するつもりでいたんだけど。この子は私の大事なパートナーです、って」
「パートナー……?」

 奴隷扱いされないことに、今さら異を唱えるつもりはない。
 けれど、果たしてその表現が正しいのかどうか、今のミルキットには判断できなかった。

「別に奴隷です、って言っていいけど、それはやっぱ今の私たちの関係とは違うかな、と思って。かといって友達って雰囲気でも無いし」
「だから、パートナーなんですね」
「まあ曖昧な表現ではあるけどね。もしかしたら、両親に紹介するときはもっと別の呼び方が見つかってるかもしんないけど」
「ご主人様のご両親に会うわけですし、その時はさすがに……包帯は、外した方がいいですよね」

 ミルキットは食器を置くと、包帯の端を指先で弄くりながら、もじもじとして言った。
 固まるフラム。
 包帯を外すかどうかなんて、全く考えていなかった。
 確かに両親に紹介するなら素顔は見せた方がいいだろう、しかし、自分以外の他人に見せるのはすごく気がひけるというか、率直に嫌というか。
 独占する喜びと、独占される充足感と。
 二人きりの夜に交わされる、あの儀式に込められた意味を、フラムもミルキットもはっきりと認識しつつある。
 形は違うが、同じ方向を向いた独占欲だ。
 フラムは最初の頃、そのうちミルキットも慣れて、素顔のまま外を一緒に歩けるようになればいい、と思っていた。
 しかし実際はどうだ、状況はさらに悪化して……いや、悪化と言うべきなのか、“深まった”とでも表現すべきではないだろうか。
 とにかく、今のフラムに、他人にその権利を譲るつもりはないのである。
 考えに考え抜いた挙句――

「それは、その時に考えよっか」

 彼女は、問題の先送りを選んだ。
 するとミルキットも、どことなくほっとした表情を口元に浮かべる。

「そう、ですね。まだ時間はあるんですもんね」
「そうそう、いっぱいあるから。あははは……」
「えへへ……」

 二人は笑って誤魔化すが、その場にいるだけで胸が苦しくなるような空気感が漂っていた。
 しかし――なんとなくではあるが、フラムには、その時はさらに病状が進行していそうな予感があった。
 ……たぶん、包帯姿のままで両親に紹介することになるんだろう。



 ◇◇◇



 静かに、何事もなく夜は過ぎ、また朝がやってくる。
 小鳥のさえずりでうっすらと意識を浮上させたフラムは、半分寝たままの意識の中で、一階から聞こえてくる音に耳を傾けた。
 トントントン、と包丁がまな板を叩く。
 じゅうじゅうと、フライパンで何かが焼ける。
 日常の音。平和の音。彼女の音。
 聞いているだけで胸が暖かくなる。
 思えば――故郷にいた頃も、朝起きると、こんな音がしていたはずだ。
 母親が作る朝食、そしてしばらくすると大きな声で『おきなさい、フラム』と優しい声が響いてくる。
 しかし、ミルキットは母親ではない。
 目覚めたからには、彼女一人に家事を任せるわけにもいくまい。
 いつもより早い時間ではあったが、フラムは上半身を起こして、目をこする。
 そして緩慢な動きでベッドを出た。
 あくびをしながら階段を降り、居間に顔を出すと、

「おはようございます」

 と爽やかな挨拶が聞こえてくる。

「ん……おはよぉ……」

 フラムがだらしなく返事をすると、ミルキットはくすりと笑った。
 そのまま洗面所へ。
 顔を洗い、軽く手で髪型を整えると、再び彼女の元へ戻る。

「今日は早いんですね、何かお仕事でもあるんですか?」
「んーん、なんとなく目が覚めただけ。これ切っとけばいいの?」
「お願いします……あ、ご主人様」
「んー?」

 ミルキットはフラムの方を見ると、頭の上に新芽のようにぴょこんと立つ寝癖に手を伸ばした。
 洗面所での処理が雑だったせいか、他の部分もまだぼさぼさだ。
 彼女は手櫛で髪をすいていく。
 頭を撫でられるようなこそばゆい感覚に、フラムは軽く身をよじった。

「はい、これで大丈夫です」
「あんがと、頭ぼーっとしてて適当にやっちゃってた」
「エターナさんにまた何か言われてしまいますよ」
「外に出る前にはもう一回見るんだし、ああも茶化さなくてもいいのにね」

 そのエターナは、寝起きでも一切髪が乱れていなかったりする。
 どうやら水分を操って髪をセットしているらしいのだが、フラムは常々、その使い方はちょっとずるいのではないかと思っていた。

「これが焼けたら、外のお花に水をあげてきます」
「わかった。あれ、かなり綺麗に咲いてたね」
「水をあげるだけでいいとは聞いていたのですが、いざ咲くまではうまくできるか少し不安だったんです。少し自信がついたので、今度は種からチャレンジしてみようと思います」
「いいじゃんそれ、何を植えるか私も一緒に選んでいい?」
「もちろんです!」
「んじゃ、今度のお休みの日にでも買い物に行こっか」

 朝食の準備を進めながら、約束を取り付けるフラム。
 ミルキットはさっそくどこに買い物に行くか頭の中で考えているようで、口元が上機嫌に緩んでいた。
 目玉焼きが焼けると、彼女はそれを皿によそい、キッチンを離れる。
 そして玄関の戸棚に置いてあるジョウロを手に取ると、外に出た。
 扉が開き、閉じる音。
 歩き、プランターに近寄り、しゃがむ。
 ジョウロを傾け一つ目の水やりを終えると、そのまま横に移動して次のプランターへ。
 その間、フラムは一人で、サラダの準備をすすめる。
 野菜を切り分け、四人分を食卓に並べたところで――

「……?」

 ――外から、全く音がしないことに気づいた。
 居間を、廊下を小走りで通り抜け、外に顔を出す。

「ミルキット?」

 左右を見回しても彼女の姿は無く、水を垂れ流すジョウロだけが転がっていた。
 水を汲みに行ったのか、あるいは近所のおばちゃんに話しかけられたのか。
 否。
 フラムの研ぎ澄まされた感覚が、その“音”を捉える。

「上……」

 屋根の上方を移動する足音が、二人分。
 片方はやけに重い音を出している、まるで別の誰かを抱えながら移動しているように。

 ――とんだ失態だ。
 フラムは自分の迂闊さを、自殺したくなるほど悔いた。
 外にでた瞬間を狙っての誘拐、明らかに素人の仕事じゃない。
 そして狙われていたのは、間違いなくフラムではなくミルキット。
 誰が指示したのかはわからないが、ミルキットを守りたいのならその可能性も考慮しておくべきだった。
 家の前だったら大丈夫だなんて油断は捨てるべきだった。

 悔いて、悔いて、悔いて、血が滲むほど唇を噛んで。
 その憤りをぶつけるように地面を蹴り跳躍――民家の屋根の上に飛び乗った。
 着地、膝をついた姿勢で視線を左右に振り索敵。
 開けた視界の向こう側に、東の方へ逃げていく黒ずくめの二人組を発見する。
 ギリ……と歯ぎしりをし、忌々しげにそいつらを睨みつけたフラムは、民家の棟を真っ直ぐに疾走。
 端まで到達すると、躊躇せず踏み切って空中を舞った。
 そうやって家から家へと飛び移り、ミルキットを攫った連中を追跡。

「――スキャン」

 静かに魔法を発動する。
 戦力を確認――一人目、意識を失ったミルキットを抱えている、大柄な男。
 名前はトライト・ランシーラ、筋力と体力が2000オーバー、ステータス合計値は8000弱。
 二人目、ふざけた調子で宙返りを披露する、やけに身軽で細身な男。
 名前はデミセリコ・ラディウス、敏捷が2000台後半、感覚も高めの見た目通りスピード特化型の冒険者らしい。
 合計値はこちらも8000弱、弱点らしい弱点は三桁しかない体力の低さぐらいか。
 どちらもAランク冒険者。
 只者じゃない、どうりで気配も物音もせずにミルキットをさらえたはずだ。
 だが、以前のフラムならともかく、今の彼女には彼らと戦えるだけの力がある。
 問題は、いかにして距離を詰めるかだが――屋根の端に右足を引っ掛けると、足全体に精製したプラーナを集中させて、彼女は大きく飛躍した。
 前方にあった民家を越えて、一戸飛ばしで一気に接近する。

「なんだありゃ!?」
「聞いてないぞ、簡単な仕事じゃなかったのか?」

 自分たちを凌駕する速度で追ってくる小柄な少女の姿を見て、男たちはさすがに焦りはじめた。
 サティルスからは、ただの奴隷の女を誘拐するだけの仕事だと聞いていたのだが。
 スキャンをして見ても、表示されるのは0の羅列。
 フラム・アプリコットという名前には見覚えがあるが、本人だったとしたらなぜ奴隷の印を顔につけているのか。
 だが本人で無いとすれば、Aランクである自分たちの速度についてこれる彼女は一体何者なのか。

「ちっ、仕方ないな、俺が引き受けよう。トライトは先に行っててくれ」
「ああ、やばかったら逃げろよ!」

 報酬の高さから、まっとうな依頼でないことは彼らもわかっていた。
 そもそも、サティルスから引き受けたこの仕事は、ギルドを通していないいわゆる“裏依頼”だ。
 確かに得るものは大きいが、リターンの大きさに見合うだけのリスクがあることを覚悟しなければならない。
 仮にここで命を落とすようなことがあったとしても――『楽な仕事』という彼女の言葉を信じた、彼らのミスである。

「まずは……小手調べから行かせてもらう」

 彼は腰ベルトにつけられたケースから、液体を滴らせるダガーを両手で一本ずつ引き抜いた。
 それを「ふっ!」と息を吐き、振り返り右で一投。
 さらに後方に跳躍し距離を取りつつ、左手で投擲する。
 それは弾丸の如く、一直線にフラムを狙った。
 直後、デミセリコは次のダガーをケースから取り出す。
 右か左か、はたまた上か。
 どちらへ避けたにしても、そこに追撃を加えるつもりであった。
 しかし――フラムは迫る短剣に気づいても、まったく回避しようとしない。
 愚直に、狂的に、ひたすらデミセリコに向かって直進を続ける。

「馬鹿な、死ぬぞ?」

 見えていないのか、それとも何か策があるのか。
 彼はフラムの方を振り返ったまま、走り続ける。
 そして彼女の脇腹にダガーの先端が触れ――

「リヴァーサル」

 フラムもまた、小手調べついでにそれを反転させた。
 ダガーは向きを変え、今度はデミセリコに向かって射出される。
 二投目は、彼女が前に出した右の手のひらに突き刺さった。
 ぶじゅっ、と湿っぽい音をたてながら手の甲にまで貫通するも、走る痛みは右腕全体がびくんと震える程度。
 刃にべったりと付着した毒だって、ベルトのエンチャント『この装備はあなたの毒への抵抗力を奪う』によって意味をなさなかった。

「これが“反転”とやらの力ってことか!?」

 デミセリコは、反射された短剣を隣の家に飛ぶことで避ける。
 その飛翔中、牽制のためにフラムに目掛け投擲。
 彼女は体を反らし避けると、手のひらに刺さったダガーを引き抜き、不安定な姿勢のまま足裏で屋根板を叩く。
 横に回転しながら空を舞う。
 その遠心力を利用して、腕をしならせ着地したばかりのデミセリコに血まみれの刃を投げ放った。
 フオォンッ――フォームは不格好だし、慣れていないせいか軌道はぶれ、速度はあまり出ていない。
 だが足をついて間もない彼には、それすら避けるほどの余裕がない。
 その場で止まって迎撃せざるを得ないのだ。
 腰にさげた、投擲用より少し刀身の長い刃渡り五十センチほどのグラディウスを右手に握る。
 そして――ガギンッ! フラムの投げたダガーを叩き落とした。
 しかし彼は動きを止めた、それはフラムに接近されることを意味する。
 二人の間には、すでに背中を向けて逃げられる距離は無い。
 接近戦の覚悟を決めたデミセリコは、もう一方の腰に下がった短刀も抜き、二刀流となりフラムと向き合う。

「Aランク相当の実力を持つ人間の名前ぐらいは覚えているつもりだったのだが、まさかまだ存在も知らない冒険者がいるとはな。それもまだ若い女と……」

 そして彼は、何やら語り始めた。
 無論、そんな言葉はフラムの耳に届かない。
 彼女の考えていることはただ一つ。
 ミルキットを傷つけるこの男たちを――

「絶対に、許さないッ!」

 フラムの両腕を黒い篭手が包む。
 禍々しい装備に包まれた右手で魂喰いを引き抜くと、技も策もなく、馬鹿正直に力いっぱい薙ぎ払った。
 デミセリコは一歩後退、胸元を大剣の先端がかすめる。
 そこですぐさま前に出て、彼女の太ももを切りつけた。
 ぶしゅっ、とフラムのズボンが破れ、血が滲む。
 そしてまた、彼はフラムから距離を取った。

「シャドウミスト」

 そこで手をかざし、魔法を発動する。
 フラムの周囲を取り囲む漆黒の霧が、彼女の視界を奪う。
 すぐさま脱出を試みるが、どこからともなくデミセリコの凶刃が迫り、と腕を切り裂く。
 次は脇腹に、次は頬に、次は足、肩、背中、また腕――四方八方から絶え間なく繰り出される、踏み込みの浅い攻撃。
 視界を封じ、ダメージの蓄積によって動きを鈍らせ、頃合いを見て致命傷を与える。
 それが彼の戦闘スタイルだった。

「馬鹿らしい」

 フラムは言い捨てる。
 そのようなちまちまとした戦い方が、自分に通用するものか、と。
 傷はすぐに再生される。
 痛みもほどんどない。
 それにこんな霧だって――振り上げられる黒い刃、込められる不可視の力。

「はああぁぁぁっ!」

 剣が振り下ろされると、弾けたプラーナが全てを吹き飛ばす暴風を巻き起こす。
 ゴオォォオオッ!
 放たれた気剣嵐プラーナストームが、黒い霧を吹き飛ばす。
 デミセリコは飛び退き、隣の民家へ移動している。
 そこへすかさず、フラムは続けざまに騎士剣術キャバリエアーツを繰り出す。

「逃がすかあぁぁっ!」

 両腕で横一文字に虚空を切り結び、射出される鋭い剣気――気剣斬プラーナシェーカー
 それを再び、羽虫のように飛んで避けるデミセリコ。
 空中でフラム目掛けてダガーを投げるも、ただの悪あがきだ。
 首を傾けるだけで避けられてしまった。
 彼女はさらにもう一発、今度は空間を袈裟斬りにし、斜めにプラーナの刃を射出する。
 今度はただ放っただけではない、そのプラーナに“反転の魔力”を込めて――

「冗談じゃ、ないぞっ!?」

 額に冷や汗を浮かべながら、また飛び跳ねる。
 気剣斬プラーナシェーカーは彼の足元をかすめて彼方へと飛んでいった。
 ――が、フラムはぼそりと、「帰っておいでリヴァーサル」と宣言する。
 すると一度は通り過ぎたそれは向きを反転し、背中からデミセリコに迫る。
 ぞくり――自らの後方から飛来する殺意に気づいた彼は、その場で体をひねり、やり過ごそうとした。
 ザシュウッ!
 しかし無情にも、右の二の腕から先が吹き飛ぶ。

「がああぁぁっ!」

 脂汗をにじませながら、苦悶の声をひねり出す男。
 彼の視線の先には、また黒い刀身を天に掲げるフラムの姿が写っていた。
 勝てない――そう確信したデミセリコは、彼女に背中を向けて敗走を開始する。
 逃げられるかはわからない、だが勝つ可能性より逃げ切れる可能性の方が高い、そう判断したのだ。
 フラムは遠ざかる彼の姿を見て、構えを変える。
 その先端をデミセリコの背中に向け真っ直ぐ伸ばし、そして弓の弦を引くように、柄を握る両手を腰のあたりに持ってくる。

「ふうぅぅ……」

 呼吸を整え、今日、最も澄んだプラーナを刀身に満たした。
 デミセリコは、屋根から屋根へと飛び移り、離れていく。
 狙うのは、体が空中に浮き上がった、無防備な状態の瞬間。
 ミルキットをさらった男の姿はすでに見えなくなっている。
 つまり、彼女の行方を知るには、あの男から聞き出すしか無いのだ。
 殺してはいけない、刺し貫くのなら、もう二度と動けなくなるようにあの足でなければ。
 タイミングを計る。
 彼の居場所は、現在、石で出来た屋根の中央。
 右足が地面を蹴る、前進。
 左足が地面を蹴る、前進。
 右足、左足。
 右、左、右、左――
 そして、右のつま先が屋根の端にかかり、ふくらはぎの筋肉が力み、収縮する。
 フラムの目が見開き、両手に力が篭もる。
 ――今だ。

「はぁァッ!」

 突き出される剣。
 放たれる、細く鋭い杭のような一撃――気穿槍プラーナスティング
 バシュウッ!
 それは矢のごとく飛翔し、狙い通りデミセリコのふくらはぎに着弾、貫通する。
 彼は、足にぽっかりと開いた穴から血を吹き出しながら、空中でバランスを崩し、家と家の間に落下していく。
 そして受け身も取れずに地面に叩きつけられると、左腕に鈍痛が走った。
 高さが高さだけに、骨が折れてしまったのかもしれない。
 しかし止まってはならない、すぐにあいつ・・・が追ってくる。
 どうにか動く足で、地面を這いずりながらその場を離れようとする。
 が、そんな状態で逃げ切れるはずもなく。
 タンッ、と空から降り立ったフラムは男の側に立つと、血を垂れ流すふくらはぎの傷を、上から踏みつけた。

「あっ、ぐああぁぁぁっ!」

 苦しみ、転げ回るデミセリコ。
 お構いなしに、ぐりぐりと傷を広げていくフラム。

「はっ、はあっ、あぐっ、が……い、いだ……いっ」
「ミルキットは、どこ?」
「やめへ、くれ……っ、たの、むがっ、あぁ……ッ!」

 踏みつける足にさらに力がこもる。
 しかし男は苦しむばかりで、フラムの質問には答えない。

「ミルキットはどこって聞いてるんだけど」
「あぎゃあぁぁっ! あっ、はっ、はああぁ……」

 意地でも口を割らないつもりなのか、どんなに問いかけても答えは返ってこない。
 このままでは、出血多量で死んでしまう。
 死人に口なし――とは少し意味が違うが、死んで依頼主の情報を漏らさないつもりなのだろう。
 腐ってもAランク冒険者だ、それぐらいの矜持はあるらしい。
 だがフラムとしても、ここで諦めるわけにはいかなかった。
 彼女は、落下の衝撃でデミセリコが落としたグラディウスを拾い上げると、刃を彼の足の甲に当て、ぼやく。

「こういうのあんまりやりたく無いんだけどな」

 嫌いだ、本当に。
 痛いのも、痛がられるのも、苦しいのも、苦しませるのも、傷つくのも、傷つけるのも、全部。
 本当は大嫌いで、やらなくていいのなら避けたいことばかりだ。
 けれどミルキットを救うためなら、やるしかない。
 そうしないと、この理不尽で満ちた世界は、フラムの望みを聞いてくれないから。
 彼女は握った短刀をおもむろに振り上げ、彼の足に突き刺した。
 ザクッ――突き立てられた刃が、骨を削りながら貫通する。

「ごっ、おおぉおおッ!」

 まあしかし、腕を落とされても、ふくらはぎを貫かれても話さなかったのだ、まだ何も言わないだろうことは想像できる。
 だからフラムは柄を握ったまま、彼の肉体に反転の魔力を注ぎ込んで、さらなる苦痛を与えることにした。

剥がれてしまえリヴァーサル

 パキッ。
 小さな、乾いた音がデミセリコの足先から鳴った。

「――ッ!?」

 声も出ないほどの、激痛。
 反転し、裏返ったのだ。
 彼の、足の親指の爪・・・・が。

「ミルキットはどこにいったの?」

 ブンブンと首を横に振るデミセリコ。
 それでもまだ、彼は耐えるようだ。
 所詮はどこかで聞いたことがあるだけの、付け焼き刃の知識に過ぎない。
 だからフラムのそれは、まだまだ甘いのかもしれない。
 仕方ない。
 彼女ははまた、別の指の爪を裏返した。
 パキリ――彼は小さく喘いだが、やはり答えはない。
 中指、薬指、小指――全てを裏返しても、彼は仰け反り、歯をガチガチと鳴らし、首を震わせるばかりで、肝心のミルキットの居場所を吐こうとはしなかった。
 そこで、足の爪が尽きる。

「はあぁ……はぁ……は……あぁ……」

 少し開いた間を小休止だと勘違いしたのか、デミセリコは呼吸を整え始めた。
 苛立つフラム。
 仕方ない、だったら次は、別のものを反転させるしかない。
 改めて柄を握り直し、魔法を発動。

壊れてしまえリヴァーサル

 ゴギッ。
 フラムの魔法発動と同時に、今度は足の小指・・が反転する。

「っ、ぐ、お、おおぉおお……ッ!」

 これはさすがに応えたのか、デミセリコの腹筋に限界まで力が入り、“お”の形に開いた口から呻き声が漏れる。

「ミルキットはどこに行ったの?」

 声にさらなる迫力がこもる。
 それでも、デミセリコはゆっくりと首を横に振った。
 冒険者として褒められるべき口の堅さだ。
 しかし今は、ただフラムの機嫌を損ねるだけの行為に過ぎない。
 一本ずつ指を裏返し、その度に問いかける。
 話さない、話さない、話さない。
 フラムのストレスは最高潮に達そうとしていた。
 爪でも足りぬ、指でも足りぬ、ならばもはや、足そのものを裏返すしかあるまい。
 本当は嫌だけれど、お前が悪いのだ。
 柄を強く握りしめ、魔力を流し込む。

千切れてしまえリヴァーサル

 バチュッ。
 骨が砕ける音と、血肉が飛び散る音が混ざり合う。

「っ、あ、あぁぁぁあああああああっ!」

 苦痛に堪えきれず、彼は思わず叫んだ。
 反転し、ひっくり返ったのは、足の上半分・・・・・である。
 かかとは地面についているのに、つま先は空を見ている――彼の足はそんな異常な状態になっていた。

「はっ、はっ、はひっ、ひいぃっ……!」
「ミルキットはどこに行ったの? 言わなかったら、死なない程度にもっと酷いことするけど」

 これ以上に辛いことがあるのか――デミセリコは戦慄する。
 涙と鼻水と涎で、顔はもうぐちゃぐちゃだった。
 恥など、尊厳など、もうどうでもいい。

「わ、わがっだ、いうからっ、いうがらゆるじでぐれぇっ!」

 もはや、人間が耐えられる拷問ではなかった。
 これ以上黙っていたのでは、何をされるのかわからない。
 宣言通り、死ぬ前に、死ぬよりも辛い苦痛を何度も味わうことになるだろう。
 そうなるぐらいなら、プライドなど捨てて、命を取るべきだ――彼はついにその決断をしたのである。

「さ、サティルス、だっ……! サティルスが、町で見かけた、包帯の、奴隷を連れてこいって……だからぁっ!」

 女々しく震えた声で、彼は言った。

 ――まだ彼女を傷つけ足りないのか、あのクソババアめ。

 フラムは心の中で毒づく。
 まあ、それはなんとなく予想が付いていた、問題はどこに連れて行かれたか、だ。
 素直に屋敷に連れていくとは思えない、そんなことをしたらウェルシーがとっくに尻尾を掴んでいるはずだ。
 つまり、別の施設、あるいは別の通路があると考えるのが自然だろう。

「だから、どこに連れて行ったのか教えてよ」
「地下室だっ! 屋敷の、地下に、あの女が……使ってる、悪趣味な部屋がある、らしい。そこにつながる通路がっ……屋敷の、南東の、少し離れた場所にある、緑の屋根の民家の、中にある。ダミーなんだ、民家は、ただの入り口でっ」
「そっか、そこにいけばミルキットが居るんだ」

 一刻も早く助けにいかなければ。
 東区の方角を向くフラムに、デミセリコは“助かった”とでも思ったのか、ほっと息を吐く。
 だが、最後に彼の方を振り向いたフラムは、足に突き刺さった剣を抜き――今度は太ももを刺し貫いた。

「がああぁぁぁぁあっ!」

 そして、すぐに引き抜き、投げ捨てる。
 生じた傷口からは、多量の血液が濁濁と流れ出し始めていた。
 どうやら、大腿動脈が損傷しているようだ。
 苦しむデミセリコだったが、あまりの痛みにその場で死にかけの幼虫のように蠢くことしかできない。
 助けを呼ぶのは難しそうだ。
 この様子では、偶然、奇跡的に修道女が通りがからない限りは、放っておけば数分後に息絶えているだろう。
 フラムは、彼の生死にさほど興味はなかったが、どちらかと言えば死んだ方が良いと思っていた。
 だから最後に突き刺した。
 とはいえ、死の瞬間を見届けるほどではない。
 すぐに背中を向けると、彼から貰った情報を元に、東区を目指して駆け足でその場から離れていった。





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