今様退魔師!~当主達の退魔記録~

松脂松明

怪奇ファイル

 暑さが少しだけ和らぐ夜。曽良場の繁華街もまた、日中の陽光によるストレスを解消せんとばかりに多くの人々がいた。
 酒に酔った者の感覚は麻痺し、ダルさ暑さを忘れさせる。おお、偉大なるかな酒精。救いの名は酒なり。

 だが有史以来、多くの者が酒で身を崩した。それは地位のことであったり、命のことであったりしたが。
 そう。多くの人々が忘れていた。

 酒精は多くのことを忘れさせてくれるが、その中には危機感も含まれるということを。

/

 中年男は酒によって意識が度々断絶していた。
 だから、今宵のことは単なる不運だったのだろう。たまたま、男は千鳥足で路地裏へと倒れ込んだ。

「ん、あー?室外機がなんだこりゃぁ?」

 暗いが、別に変わったところはない。何の変哲もない空調機の室外機に男は笑い声をあげた。
 一人でいることさえ忘却し、当然の風景にも驚き、誰はばかることなく言葉を口にする。意味がある言葉でなくともいいのだ。それは当たり前の一般人である男にとっては救いだった。

 当たり前に社会に疲れて、当たり前に癒やしを求めた。責められることなどない。性格面を見ても、彼とて善人というわけでもないが悪人というほどではない。ごく真っ当な少々性格が悪いだけの一般人だ。

 だから、今夜は単なる不運だったのだ。

 ピチャピチャパチャン

 音がする。どこかで聞いた気もする音。
 生物として人間にもその音に対する親しみは残っていたのか?やはり酒が原因だったのか?音がなってる間も男は室外機にもたれかかったままだ。

 ゴキリ、ボリ、ベリベリ…

 それは原初のリズムではないだろうか?
 生物としてではない。肉を食らう者としてのリズム。
 骨を折り、皮を剥ぎ、血を啜り、肉と内蔵を食らう。小気味よく没頭するものの音調。

 中年男は立ち上がろうとして、足元の何かで滑って転んだ。

「だりだぁ?こんなところにゲロしやがってよぉ…あはっはっ」

 暗いことは彼に訪れた最後の情け。足元の液体の色を見えにくく、してくれていた。

 心地よいリズムを中断した音に、肉食獣は素早く反応した。
 それは彼にとって幸運だった。

/

 赤の光源が白み始めた空の下の町を、毒々しく照らす。
 そこから少し離れたところでは、公職にあるもの特有の雰囲気を持った人々が慌ただしく動き回っていた。鼻にシワを寄せながら。

「こりゃひでぇな。被害者は本当に人間だったのかすらわからねぇじゃねえか」
「不謹慎ですよ多見さん。手を合わせることぐらい忘れないでください」
「む」

 二人の刑事はビニールで覆われた赤い何かに手を合わせた。多見も、被害にあったのが異種族だったとしても、死んで気分が良いというほどに人間性を失っているわけではなかった。

「おぉい!現場に落ちてる物はなんだろうと拾って調べろ!それで何かしら繋がりができる」
「「「はい!」」」

 部下たちが威勢よく返事をしたのを見て多見は静かに頷いた。

「これで16件目・・・・ともなりゃ、流石に慣れるもんだな」
「その回数だけ防げなかった我々への不満も凄いですけどね。世界基準で言えば小粒の事件でも、この小さな町でコレ…地元の怒りも当然というものですが」
「で、助けて退魔師様ってなるわけだ。神祇局が幅を効かせるのも当然ってか。気には食わねぇが…金治かなじ。件の助っ人様達は神祇局の息がかかってねぇってのは裏が取れたか?」

 鈍そうな外見の金治は、傷ついた顔を見せた。

「あーわりい。お前さんならとっくに済ませてるわな。しっかし、今の時代にそんな連中がいるもんだな。民間からの協力者に切った張ったさせるあたり世が末なのは変わらねぇが…捨てたものでもないな」
「毎週怪異だの妖怪だのに人が殺されるようになって何年ですかね?義憤を持つ若者がいても不思議じゃないですよ」

 だなぁ、と頷いて多見はタバコに火を点けた。
 紫煙があたりに流れて、血生臭さを和らげた。

「線香代わりだ。眼釣り上げるな金治。…場所を掴むぐらいのことはしなきゃ、ならんし真面目にやるさ。…まだまだ働き盛りのはずが、世界が変わってすっかり時代遅れ。それでも端役ぐらいはやれると見せなきゃな」

 何の神秘も持たぬ旧人類?それがどうした、そういう思いが多見の中で燃え始めた。

「…“ヒト食い”に一矢報いるぞ」

 しかし、これだけ騒がれていても路地裏に迷い込む人間が一向に減らないのも問題ないだろうか?金治はぼんやりと考えた。
//

 夏季考査も終わった双眸護兵は頭を悩ませていた。目の前にあるのは成績表。

「ゴッちゃんもだいたい同じか。出席重視以外の講義は全部優判定。必須講義もOKっと…なのに何で頭抱えてんの?」
「また会長に負けた…」

 曽良場大学では特待生は各学部一人である。
 符木津博光がそうであるように。

「うははは!私に勝とうなど十年早いね、ソウボー君!」

 特待生には結構な額が支給される。若くして独立した護兵にとってはヨダレが出るほど欲しい。
 かけた眼鏡のイメージに恥ないよう、本職を抱えながら護兵は十分健闘していたが…悲しいかな、同じ学部に狭霧華風がいたのだった。

「金持ちなのに、俺からその座を奪う…!」
「いや、でも手抜くとそれはそれでキレるじゃん君…。常識人に見えて結構面倒だよねソウボー君も」
「というか、学年ごとに枠設けてないこの大学がおかしい気がするんだが…」

 ダルダルのダブダブな格好に似合わず、真っ当な内面の博光の呟きは続く足音にかき消された。

 サークル棟の共同スペースである。
 入り口が近い上に、誰でも入れるのでこうしたことがままある。…足音も荒くサークル棟に入ってきたのは狼男…ボー・ヴォルフだった。

「おっす、ヴォの字ー」
「おっす…じゃねぇよ。ああ腹立つ!…ああ、お前らにじゃねぇよ。そんな気分じゃねぇだけで…悪かった」

 獰猛そうに見えても文学を愛するボーは随分と機嫌が悪いようだった。気のせいか毛並みも逆だって見えるほど、怒気に溢れていた。
 その様子を見ていた護兵は…

「…ヒト食いに間違えられたか?」
「あ?お前、何か知ってんの?良くわかんねぇけど職質されて、警察署まで連れて行かれて缶詰だ!開放されたのも夜が明けてからだ!ふざけやがって!」

 答えならば護兵は知っていた。ある程度の情報も得ている。

「ゴッちゃん。ヒト食いって?」
「最近ニュースになってる連続殺人鬼さ。テレビ見てないのかね、博光君?」
「屋敷の形に合わないってんで、コソコソ見てるからニュースの時間外すっすねぇ。俺が当主のはずなんだがなぁ…」

 神秘が開示されてからというもの、世間の治安は悪化する一方である。人と混ざって暮らすようになった妖怪達とそれを嫌うものの抗争がゆえに。もっとも、帰化した妖怪たちは人間に分類されるはずなのだが…単純な好き嫌いというのはときに差別よりも厄介であるようだった。

「依頼があったから知ってる。昨日で17人目だったか?それだけケースがあれば、残った肉片もあったらしくてな。噛み跡から、犯人は犬のような頭部をしたモノ…まぁ生物かは確定してないが。それが五体と推測されている」
「その依頼、俺ん家来てない…」
「また依頼料で揉めたんだろ?」

///

 怒りが収まったボーはそのまま共同スペースで三人に混ざってコーヒーを啜っていた。

「…で俺が犯人と思われたってわけか。事情知れば仕方ねぇけど…やっぱムカつくぜ!」
「飲み好きで繁華街への出入りも頻繁。頭部は狼。ついでに大男。役満でかえって犯人に思えないパターン入ってるな」
「推理モノならあからさま過ぎるよね。ボー君も大変だな…まぁ私には時々普通の人間に見えるんだが」

 特殊な狭霧の意見はともかくとしても、傍から見てもボーは確かに問題がありそうだった。社会はどうしても外見で判断するものだ。

「しっかし、妙だな。どんなやつなんだ、真犯人って?俺達の仲間には思えんが…」
「そうなのかい?」

 冷静になったボーは毛深い腕を組んで、悩むポーズを見せた。

「17件目で、警察もとうとう結構いい線まで行ったらしい。人型のシルエットを複数の巡査が目撃した。だから職質されたんだろうさ」
「いや、だからソコが不思議なんだよ」
「?」

 当の間違えられた男が“それはおかしい”と感じているらしい。3人は興味深く、異種族の友人の言葉を待った。自販機の小さな音だけがしばらく流れた後、ボーは口を開いた。

「ちょっと前に話しただろ?俺らは意外と人間に近いって、そんな感じのことを」
「ああ、そういや言ってたな」

 博光の同意にボーもまた頷いた。

「俺達からすれば人間の方が俺たちに近いんだ…って言いたいがそこは今回は置いておく。俺たち標準的なワーウルフは単に頭が狼や犬に似た人間って言ったほうが本質に近いんだよ」

 ボーは湯気が収まりつつある、コーヒーが入った紙カップをかかげた。

「言葉もお前らと同じものが話せる…っていうのは前も言ったっけか。味覚もお前たちとほとんど同じなんだよ…犬や狼がコーヒー好きなんてのはいたとしても特殊例だろ?」
「つまり、君たちワーウルフにとっては人間なんて食べたくない?」
「ああ、美人は話が早くて助かるぜ。見た目が先行して伝承があんな感じになっているが、牛やら豚の方が普通に美味いのさ。わざわざ人間を襲う気にはならんよ。そこそこ強いし」

 しかし、件のヒト食いは犬に似た頭部を持ち、人間を食らう。同時期に牧場だとかスーパーに肉屋などが襲われた事件は無い。

「しかし…そういった連中はいるんじゃないのか?その線は?」
「ああ?…まぁ俺達の中にも野生に帰るべきとかわけわかんねぇ主張をするやつもいるが…ごく少数派だ。犯人は5人はいるんだろ?一箇所にそんな連中が住み着くか?そんでもって騒ぎを無計画に起こしまくるか?主張する程度には連中にも頭ついてんだぞ」

 つまりは曽良場で暴れているのはワーウルフやワードッグに似た何か。受けた依頼が奇妙なことに繋がりそうに思えてきて、護兵は小さくため息をついた。

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