その数分で僕は生きれます~大切な物を代償に何でも手に入る異世界で虐めに勝つ~
自己犠牲6
 神奈が全ての答え合わせをしてくれた。皮肉なものだ。助けたくてした事が将太の実践に対する答え合わせになってたのだから。
 将太が実践したかった事、それは、この世に無いものを召喚出来るのか。記憶や感情等の内面も代償の内に入るのか、だ。
 神奈のスタンガンは確実にこの世のものでは無い。詰まり、神奈が元々持っていたか、召喚したかの二通りになる。
 前者はまず無いだろう。よって、召喚した事になる。そして、神奈の体に異常や異変、無くなったものは無かった。詰まり、記憶や感情を代償にした事が分かった。
 残酷な話である。この世界はどこまでも彼に、彼女に、そして何より神奈に残酷であった。
________________
 少年は地面を踏み締めて数歩前に出た。少年を包んでいた光は静かに天に帰って行く。
 それでも尚、皆は自己犠牲の少年の元に走り出す。近付く赤い眼光と、銀髪の少女達に向かって、少年は右手を前に出し、噛み締める様に呪文を口にする。
 彼の本当の戦いが始まる。
 「視界共有!」
 
 その瞬間、彼の左目の前方に半径二センチ程度の幾何学模様の魔法陣が出現する。
 それと同時に、前方にいたヘルハウンド達の目にも同じ物が出現する。その数は数百にもなっていた。
 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ! 」
 「将太っ!!!」
 様々なヘルハウンド達の視界が僕の脳に、直接なだれ込んできて、吐き気と頭痛が脳を支配した。
 耐えるように、地面に穴を開けてしまう程、踏み込んだ。
 「うっ! ……っ!」
 数百の視界を一斉に脳内で背後に回す。すると、幾何学模様の着いたヘルハウンド達は乗っ取られたように、憑かれた様に後ろに振り返る。
 後は簡単だ。ヘルハウンドは知能が低い。本能で行動する。戦場に目の前に敵がいれば、もう分かるだろう。
 共喰いが始まった。
 だが、それは全体の十分の一にも満たない。
  まだだと、何度も、何度も脳内で復唱する。
 次は左、次は右、次は前方。脳が張り裂けそうだった。それもそうだろう。何百の視界を一人の脳が支えれる筈が無い、耐えれていたのは一重に『力』のお陰だった。
 「アアアアアアアアアッッッ! まだだ!」
 「将太、もうやめて! 嫌だ! 嫌だよ……」
 
 その時、背後から神奈を攫う人影が現れた。同じ学校の人間だろう。誰かは分からない。それだけ脳が限界に近いと言う事だろう。
 「神奈さん! ここは危ないです! 逃げましょう」
 「嫌だ! まだ将太がっ! 下ろして! 下ろしてよぉぉぉ! 将太ぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 「神奈さんごめんなさい! 睦さんの命令なので……」
 二人はいつの間にか豆粒の様に小さくなる。それでもまだ、神奈の声は届いていた。願うような、悲しい声は……僕にとってそれは暖かいものだった。
 ────ありがとう、神奈、ありがとう。感謝の気持ちが溢れだして止まらない。
 けれど、感謝したところで、彼の戦いは終わらない。まだまだ何百、何千といるのだから。
 時間は有限、黒いマントを纏った赤い光はジリジリと近づいていた。
 「視界共有!」
 「うっ…………! がっ! 」
 なだれ込んでくる視界に脳が揺れた。地震だろうか。違った。自分が揺れていた。
 「まだだぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 それから何十と、それを繰り返す。それに伴い共喰いの連鎖は拡大する。少年は、もう、既に機械と化していた。視界は目を瞑ったかのように、真っ黒だった。既に、限界は訪れていた。それを、煽るように、ただ、ただ、赤く揺れる炎が近づいてくる。
 「…………ん」
 その時、暖かくて透き通る様な見覚えのある。聞きなれた声がした。
 ──ああ……さち……
 でも、さち僕はまだ、そっちには行けないんだ。まだ、まだ守れてないのだから。大切な人がいるのだから。
 再び、足を地に埋める。前には依然と変わらないヘルハウンド達の姿があった。彼らに向かい、大きく息を吸う。
 「視界共有!!!」
 吐くのと同時に大きく口にする。
 脳に感情が思いが流れ込んで来る様だった。殺意や恐怖が。
 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
 
 ヘルハウンド達の視界を後方に向ける。
 
 だが、それが最後だった。限界の限界だった。膝から崩れ落ち、次は顔を地面に埋めた。
 最後に見た光景は、地獄と言うに相応しい物があった。ヘルハウンドがヘルハウンドを喰らい。落ちた血に塩を塗り、それでも、まだ終わらない。
 「…………さんっ!」
 また、先程と同じ、さちの声がした。
 ──ごめん、さち……
 さちの声はどんどん近付いてくる。
 「将太さんっ!」
 たが、その声はさちの物では無かった。それは自己犠牲の少女、ココの声だった。
 その優しく、透き通る様な、さちによく似た声が耳元に来るまでに時間は、そうはかからなかった。
 「私、将太さんに会えてよかった」 
 ──なんだよ……それ……諦めてる様な言い方じゃないか……
「将太さん、ありがとうございます……私を助けてくれて……」
 彼女の声は泣いていた。恐怖と優しさで顔を濡らして泣いていた。見なくても分かった。
 ──違う……まだ……まだ助けて無い……
 「こんなに傷付いて……駄目じゃ無いですか……休んでなきゃ……」
 ──こんな傷、すぐ治す。すぐ治るんだ
 「もう大丈夫ですよ……」
 ──駄目だ、駄目だこれじゃ、前と同じじゃないか
 彼女の悟った様な、諦めた様な声をもう聞きたくは無かった。
 「次は私が傷付く番です……」
生きる事を諦めるなよ、どいつもこいつも弱過ぎる、自分勝手で、自由気ままに、自分が傷つくのが怖くて、自己保護をして────でも、でも、まだ、諦めちゃ駄目なんだ。
立てよ
立てよ
立てよ
立てよ
立てよ
立てよ!
 「貴方は生きてください……」
 そう言って彼女が微笑んだのが分かった。暖かい物が僕を包んだ。多分、僕を彼女は覆っているんだろう。
もう一度
もう一度
もう一度
もう一度
もう一度。
 「嫌だぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあ!!!」
 動かない足を、腕を、目を引き裂いて、立ち上がる。失うぐらいなら、壊れるくらいなら、立つぐらい造作もないだろう。
 「貴方がいない世界なんて! 生きる価値なんて無いんだ!!!」
 彼女は僕を包み込む様に立っていた。その横をすり抜ける。
 彼女は驚愕の泥を投げつけられた様な顔で僕を見る。
 「将太さんっ!」
 「生きる事を諦めるなよ!!!」
 脳なんて飛び散っても構わない。
 体が引き裂かれても構わない。
 
 何の為にここに来たのだ。
 全てを賭けよう。
 僕は貴方に全てを賭ける。
 足を埋めて、手を伸ばし、顔を上げる。
 
 叫ぶように唱える。僕の武器を、僕の力を。
 「視界共有!!!!!」
 その時の幾何学模様は先の物とは比べ物にならなかった。
 半径一メートルはあるかと言うほど大きなものだった。それと同時に、辺りの赤い眼光は一面、青に包まれる。
 それはまるで季節外れの、縁起もクソも無い、人類史上初の幻想的なイルミネーションだった。
 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッ!!!! 」
 ヘルハウンドの首を捻る。
 「行けぇぇぇぇぇえぇぇぇぇえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!!」
 地獄がまた、広がった。辺り一面には、鉄の臭いと真っ黒な死体が広がり出す。
 僕の作り出した、その惨状を噛み締めて、僕は眠りについた。
 「将太さんっ! 将太さんっ! 将太さんっ!」
 誰かが呼んでいる。多分ココさんだろう。僕は目覚める事が出来るかな……守れたのかな……あぁ、いや、まだやる事があった……でも、これは目覚めてからにしよう。
________________
 
 頭には地面にしてはやけに柔らかく、暖かいものがあった。目を開けると、空が徐々に明るさを取り戻しつつあり、朝焼けに当たったココさんの白くて整った顔が幻想的に映し出されていた。
 ──あぁ……膝枕か……
 彼女は僕が目覚めたのに気付き、目に涙を溜めた。
 「将太さん……おはようございます……」
 「おはようございます……」
 おはようございますと言う場所にしては、以前と変わらない場所で、小高い丘の上。そこには血生臭く、辺り一面には三千を超える黒い死体が見渡せ、全然気持ちのいい朝とは普通なら言えないのだろうが、僕は違った。
 気持ちいいとは別物だが、満足感を得ていた。これだけの死体を作り出しておいて守った人間は、ココさん一人なのだが。それでも、それでも僕は────救われた気持ちになった。
 「僕は……貴方を傷つけましたか……?」
 「はい……貴方も傷つきました……ですが、それ以上に私も傷付きました……」
 彼女の目から溜まっていた雫が、頬を伝って僕の額目掛けて、ぽつぽつ落ちてきた。
 「僕は……貴方を救えましたか……?」
 「はい……貴方も救われました……それ以上に私は貴方に救われました……」
 「貴方は……私の勇者です……」
 彼女は頬に涙の代わりに、笑みを溜めた。
 その柔らかくて、包み込むような優しい笑顔はどこまでも、どこまでも、さちに似ていた。
 「私は貴方に恋をしました」
 「僕も貴方に恋をしたかも知れません」
 「でも、私は数日後には殺されます。殺されなかったとしてもおぞましい姿になって村人を襲うでしょう」
 彼女は涙を浮かべて、僕に決意と覚悟を固めた顔を向けて言った。
 「知っています」
 情報屋の言っていた事は正しかった様だ。
 彼女は驚きを隠せない表情を見せたがすぐにいつも通りの落ち着いた顔に戻る。
 「なら私を殺してください。殺されるなら貴方がいい……」
 言うと思っていた。彼女は何処までも頑固で弱い人間だから。答えなら決まっている。
 「僕は貴方を………」
 ずっとずっと、彼女に言うセリフを考えていた。だけど『好き』と同じように他のセリフが見つからなかった。本当の自分の思いを伝えるのに、これ以上の言葉はない。
 「僕は貴方を……救います」
 彼女は笑った。彼女も分かっていたのだろう。僕がそう言う事に。
 自己犠牲の少年少女は似ている。
 僕と彼女は似ている。
 「無理です……どんな事をしてもなってしまうのですから……」
 「いいえ、出来ます……」
 「いいえ、やらせません……もう、貴方に傷付いて欲しくない……」
 「僕は貴方のいない世界の方が傷付きます……」
 
 「貴方は本当に自分勝手の頑固者です……」
 彼女は相変わらず、涙を僕の額に落としながら笑った。
 「僕は自分勝手の頑固者です……」
 それにつられて僕も頬に皺を刻む。
 「一つお願いがあります……僕はきっと、記憶を無くしてしまいます……だから、ここに僕が記した本があります。それを起きた時、僕に渡してください……」
 情報屋に貰った本をココさんに預けた。情報屋が渡したのはこの為だったのかもしれないと思った。今になっては分からないのだが。
 「私をまた好きになってれますか……?」
 
 「えぇ……きっと……きっと……」
 彼女は涙の溜まった僕の額に口を当てた。
 「約束ですよ……?」
 「はい……約束です」
 実質、別れの前だと言うのにどちらも笑顔を崩さなかった。
 少年は右手を上にあげて唱える。彼女を救う為に、自分の為に、さちの為に。
 「我が『記憶』を捧げる。神よ『悪魔の呪いの解けた彼女』を与え給え」
 その瞬間、自己犠牲の少年、少女を白い光が覆った。初めの光が始まりの合図なら、これは終わりを告げる鐘と言ったところだろう。
 その光は暖かく、まるで太陽の日に包まれているかのような、お母さんに抱きしめられてるような。
 ──ねぇ……神様……僕は彼女を救えたのかな……
________________
 いつの間にか何も見えなくなっていた。そこは真っ白だった。そこでは、僕の周りを記憶の欠片が横を過ぎていく。なんの迷いも、躊躇も無く、通り過ぎ、消えていく。
 ──僕にはこんなにも楽しい事、苦しい事があったのだ。
 初めて気づいた。
 苦しい事も、楽しい事も、全てが全て僕を生かしていたんだ。僕の一部だったんだ。この事さえ、きっと僕は忘れてしまう。
 ──あぁ……忘れたくないな……
 「お兄ちゃん……」
 前方から声がした。その声は間違うことの無い、紛うことなき、さちの物だった。僕は驚きで顔を濡らした。
 「お兄ちゃん……私の為に高校行かせてくれようとしてたよね……」
 さちは悲しそうな顔でこちらを覗いてくる。
 「うん……そうしようとしてたね……」
 そうだ。さちが生きてれば高校に行く筈だったのだ。
 「お兄ちゃん……遊園地行く約束してたよね……」
 「うん……行きたかったな……」
 
 さちとの遊園地は、きっと楽しいだろう。
 「お兄ちゃん……いつも私を庇ってくれていたよね……」
 「うん……そんな事……あれれ、おかしいな……あったかな?」
 どうしたのだろうか。僕は何を言おうとしていたのだろうか。
 「お兄ちゃん……私の事……好き?」
 
 「そんなの決まって…………君は……誰…………?」
 彼女は涙を落とした。何か忘れてはいけない物を忘れている気がする。誰だろう、彼女は、僕は、何を忘れている。
 「私を……また思い出してね……?」
 分からなかった。だけどここで言わなければならない事は知っていた。本能が、約束の様な、儀式の様な、契約の様な、そんなもの。
 「思い出す! 絶対に思い出す! だから、だから待ってて!」
 僕は、何かに吸い込まれる様に彼女から通り過ぎていく。
 
 彼女に手を伸ばすが届かない、彼女は遥か遠くに行ってしまう。
 記憶じゃない、本能が告げていた。
 彼女を忘れては駄目なのだと。
 『君を絶対に思い出す』そう誓って、僕はまた目を瞑った。
________________
 高い丘の上、自己犠牲の少女は目を開かない少年をまるで、お姫様を持つ様に運んでいた。
 
 日は登り朝焼けが彼らを照らした。
 それは、ピエタ像そのものであった。彼が救ったのはたった一人だし、崇拝される事も無い、その後、彼らが報われるかどうかさえ分からない。だが、その光景は、ただ、ただ、美しかった。
 その光景を見ていた。能天気な情報屋も、よく笑う神も、気まぐれな魔女も、頑固な王も、全てが真剣な眼差しで彼らを見ていた。
 
 これから何が起こるか分からない。
 この世界は彼らに残酷で悲惨だ。
 だからといって彼女、彼等は諦めないだろう。ずっとずっと抗い続けるだろう。彼等は生きる事を諦めないだろう。
 これは自己犠牲の少年少女の物語。
 大切な物と引き換えに何でも手に入る残酷で悲惨な世界の物語。
 少年少女がした自己犠牲の未来は。
 少年少女が代償にした未来は。
 
 「私は貴方に……救われましたよ……」
 
 これは自己犠牲の少年少女の物語。
 将太が実践したかった事、それは、この世に無いものを召喚出来るのか。記憶や感情等の内面も代償の内に入るのか、だ。
 神奈のスタンガンは確実にこの世のものでは無い。詰まり、神奈が元々持っていたか、召喚したかの二通りになる。
 前者はまず無いだろう。よって、召喚した事になる。そして、神奈の体に異常や異変、無くなったものは無かった。詰まり、記憶や感情を代償にした事が分かった。
 残酷な話である。この世界はどこまでも彼に、彼女に、そして何より神奈に残酷であった。
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 少年は地面を踏み締めて数歩前に出た。少年を包んでいた光は静かに天に帰って行く。
 それでも尚、皆は自己犠牲の少年の元に走り出す。近付く赤い眼光と、銀髪の少女達に向かって、少年は右手を前に出し、噛み締める様に呪文を口にする。
 彼の本当の戦いが始まる。
 「視界共有!」
 
 その瞬間、彼の左目の前方に半径二センチ程度の幾何学模様の魔法陣が出現する。
 それと同時に、前方にいたヘルハウンド達の目にも同じ物が出現する。その数は数百にもなっていた。
 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ! 」
 「将太っ!!!」
 様々なヘルハウンド達の視界が僕の脳に、直接なだれ込んできて、吐き気と頭痛が脳を支配した。
 耐えるように、地面に穴を開けてしまう程、踏み込んだ。
 「うっ! ……っ!」
 数百の視界を一斉に脳内で背後に回す。すると、幾何学模様の着いたヘルハウンド達は乗っ取られたように、憑かれた様に後ろに振り返る。
 後は簡単だ。ヘルハウンドは知能が低い。本能で行動する。戦場に目の前に敵がいれば、もう分かるだろう。
 共喰いが始まった。
 だが、それは全体の十分の一にも満たない。
  まだだと、何度も、何度も脳内で復唱する。
 次は左、次は右、次は前方。脳が張り裂けそうだった。それもそうだろう。何百の視界を一人の脳が支えれる筈が無い、耐えれていたのは一重に『力』のお陰だった。
 「アアアアアアアアアッッッ! まだだ!」
 「将太、もうやめて! 嫌だ! 嫌だよ……」
 
 その時、背後から神奈を攫う人影が現れた。同じ学校の人間だろう。誰かは分からない。それだけ脳が限界に近いと言う事だろう。
 「神奈さん! ここは危ないです! 逃げましょう」
 「嫌だ! まだ将太がっ! 下ろして! 下ろしてよぉぉぉ! 将太ぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 「神奈さんごめんなさい! 睦さんの命令なので……」
 二人はいつの間にか豆粒の様に小さくなる。それでもまだ、神奈の声は届いていた。願うような、悲しい声は……僕にとってそれは暖かいものだった。
 ────ありがとう、神奈、ありがとう。感謝の気持ちが溢れだして止まらない。
 けれど、感謝したところで、彼の戦いは終わらない。まだまだ何百、何千といるのだから。
 時間は有限、黒いマントを纏った赤い光はジリジリと近づいていた。
 「視界共有!」
 「うっ…………! がっ! 」
 なだれ込んでくる視界に脳が揺れた。地震だろうか。違った。自分が揺れていた。
 「まだだぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 それから何十と、それを繰り返す。それに伴い共喰いの連鎖は拡大する。少年は、もう、既に機械と化していた。視界は目を瞑ったかのように、真っ黒だった。既に、限界は訪れていた。それを、煽るように、ただ、ただ、赤く揺れる炎が近づいてくる。
 「…………ん」
 その時、暖かくて透き通る様な見覚えのある。聞きなれた声がした。
 ──ああ……さち……
 でも、さち僕はまだ、そっちには行けないんだ。まだ、まだ守れてないのだから。大切な人がいるのだから。
 再び、足を地に埋める。前には依然と変わらないヘルハウンド達の姿があった。彼らに向かい、大きく息を吸う。
 「視界共有!!!」
 吐くのと同時に大きく口にする。
 脳に感情が思いが流れ込んで来る様だった。殺意や恐怖が。
 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
 
 ヘルハウンド達の視界を後方に向ける。
 
 だが、それが最後だった。限界の限界だった。膝から崩れ落ち、次は顔を地面に埋めた。
 最後に見た光景は、地獄と言うに相応しい物があった。ヘルハウンドがヘルハウンドを喰らい。落ちた血に塩を塗り、それでも、まだ終わらない。
 「…………さんっ!」
 また、先程と同じ、さちの声がした。
 ──ごめん、さち……
 さちの声はどんどん近付いてくる。
 「将太さんっ!」
 たが、その声はさちの物では無かった。それは自己犠牲の少女、ココの声だった。
 その優しく、透き通る様な、さちによく似た声が耳元に来るまでに時間は、そうはかからなかった。
 「私、将太さんに会えてよかった」 
 ──なんだよ……それ……諦めてる様な言い方じゃないか……
「将太さん、ありがとうございます……私を助けてくれて……」
 彼女の声は泣いていた。恐怖と優しさで顔を濡らして泣いていた。見なくても分かった。
 ──違う……まだ……まだ助けて無い……
 「こんなに傷付いて……駄目じゃ無いですか……休んでなきゃ……」
 ──こんな傷、すぐ治す。すぐ治るんだ
 「もう大丈夫ですよ……」
 ──駄目だ、駄目だこれじゃ、前と同じじゃないか
 彼女の悟った様な、諦めた様な声をもう聞きたくは無かった。
 「次は私が傷付く番です……」
生きる事を諦めるなよ、どいつもこいつも弱過ぎる、自分勝手で、自由気ままに、自分が傷つくのが怖くて、自己保護をして────でも、でも、まだ、諦めちゃ駄目なんだ。
立てよ
立てよ
立てよ
立てよ
立てよ
立てよ!
 「貴方は生きてください……」
 そう言って彼女が微笑んだのが分かった。暖かい物が僕を包んだ。多分、僕を彼女は覆っているんだろう。
もう一度
もう一度
もう一度
もう一度
もう一度。
 「嫌だぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあ!!!」
 動かない足を、腕を、目を引き裂いて、立ち上がる。失うぐらいなら、壊れるくらいなら、立つぐらい造作もないだろう。
 「貴方がいない世界なんて! 生きる価値なんて無いんだ!!!」
 彼女は僕を包み込む様に立っていた。その横をすり抜ける。
 彼女は驚愕の泥を投げつけられた様な顔で僕を見る。
 「将太さんっ!」
 「生きる事を諦めるなよ!!!」
 脳なんて飛び散っても構わない。
 体が引き裂かれても構わない。
 
 何の為にここに来たのだ。
 全てを賭けよう。
 僕は貴方に全てを賭ける。
 足を埋めて、手を伸ばし、顔を上げる。
 
 叫ぶように唱える。僕の武器を、僕の力を。
 「視界共有!!!!!」
 その時の幾何学模様は先の物とは比べ物にならなかった。
 半径一メートルはあるかと言うほど大きなものだった。それと同時に、辺りの赤い眼光は一面、青に包まれる。
 それはまるで季節外れの、縁起もクソも無い、人類史上初の幻想的なイルミネーションだった。
 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッ!!!! 」
 ヘルハウンドの首を捻る。
 「行けぇぇぇぇぇえぇぇぇぇえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!!」
 地獄がまた、広がった。辺り一面には、鉄の臭いと真っ黒な死体が広がり出す。
 僕の作り出した、その惨状を噛み締めて、僕は眠りについた。
 「将太さんっ! 将太さんっ! 将太さんっ!」
 誰かが呼んでいる。多分ココさんだろう。僕は目覚める事が出来るかな……守れたのかな……あぁ、いや、まだやる事があった……でも、これは目覚めてからにしよう。
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 頭には地面にしてはやけに柔らかく、暖かいものがあった。目を開けると、空が徐々に明るさを取り戻しつつあり、朝焼けに当たったココさんの白くて整った顔が幻想的に映し出されていた。
 ──あぁ……膝枕か……
 彼女は僕が目覚めたのに気付き、目に涙を溜めた。
 「将太さん……おはようございます……」
 「おはようございます……」
 おはようございますと言う場所にしては、以前と変わらない場所で、小高い丘の上。そこには血生臭く、辺り一面には三千を超える黒い死体が見渡せ、全然気持ちのいい朝とは普通なら言えないのだろうが、僕は違った。
 気持ちいいとは別物だが、満足感を得ていた。これだけの死体を作り出しておいて守った人間は、ココさん一人なのだが。それでも、それでも僕は────救われた気持ちになった。
 「僕は……貴方を傷つけましたか……?」
 「はい……貴方も傷つきました……ですが、それ以上に私も傷付きました……」
 彼女の目から溜まっていた雫が、頬を伝って僕の額目掛けて、ぽつぽつ落ちてきた。
 「僕は……貴方を救えましたか……?」
 「はい……貴方も救われました……それ以上に私は貴方に救われました……」
 「貴方は……私の勇者です……」
 彼女は頬に涙の代わりに、笑みを溜めた。
 その柔らかくて、包み込むような優しい笑顔はどこまでも、どこまでも、さちに似ていた。
 「私は貴方に恋をしました」
 「僕も貴方に恋をしたかも知れません」
 「でも、私は数日後には殺されます。殺されなかったとしてもおぞましい姿になって村人を襲うでしょう」
 彼女は涙を浮かべて、僕に決意と覚悟を固めた顔を向けて言った。
 「知っています」
 情報屋の言っていた事は正しかった様だ。
 彼女は驚きを隠せない表情を見せたがすぐにいつも通りの落ち着いた顔に戻る。
 「なら私を殺してください。殺されるなら貴方がいい……」
 言うと思っていた。彼女は何処までも頑固で弱い人間だから。答えなら決まっている。
 「僕は貴方を………」
 ずっとずっと、彼女に言うセリフを考えていた。だけど『好き』と同じように他のセリフが見つからなかった。本当の自分の思いを伝えるのに、これ以上の言葉はない。
 「僕は貴方を……救います」
 彼女は笑った。彼女も分かっていたのだろう。僕がそう言う事に。
 自己犠牲の少年少女は似ている。
 僕と彼女は似ている。
 「無理です……どんな事をしてもなってしまうのですから……」
 「いいえ、出来ます……」
 「いいえ、やらせません……もう、貴方に傷付いて欲しくない……」
 「僕は貴方のいない世界の方が傷付きます……」
 
 「貴方は本当に自分勝手の頑固者です……」
 彼女は相変わらず、涙を僕の額に落としながら笑った。
 「僕は自分勝手の頑固者です……」
 それにつられて僕も頬に皺を刻む。
 「一つお願いがあります……僕はきっと、記憶を無くしてしまいます……だから、ここに僕が記した本があります。それを起きた時、僕に渡してください……」
 情報屋に貰った本をココさんに預けた。情報屋が渡したのはこの為だったのかもしれないと思った。今になっては分からないのだが。
 「私をまた好きになってれますか……?」
 
 「えぇ……きっと……きっと……」
 彼女は涙の溜まった僕の額に口を当てた。
 「約束ですよ……?」
 「はい……約束です」
 実質、別れの前だと言うのにどちらも笑顔を崩さなかった。
 少年は右手を上にあげて唱える。彼女を救う為に、自分の為に、さちの為に。
 「我が『記憶』を捧げる。神よ『悪魔の呪いの解けた彼女』を与え給え」
 その瞬間、自己犠牲の少年、少女を白い光が覆った。初めの光が始まりの合図なら、これは終わりを告げる鐘と言ったところだろう。
 その光は暖かく、まるで太陽の日に包まれているかのような、お母さんに抱きしめられてるような。
 ──ねぇ……神様……僕は彼女を救えたのかな……
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 いつの間にか何も見えなくなっていた。そこは真っ白だった。そこでは、僕の周りを記憶の欠片が横を過ぎていく。なんの迷いも、躊躇も無く、通り過ぎ、消えていく。
 ──僕にはこんなにも楽しい事、苦しい事があったのだ。
 初めて気づいた。
 苦しい事も、楽しい事も、全てが全て僕を生かしていたんだ。僕の一部だったんだ。この事さえ、きっと僕は忘れてしまう。
 ──あぁ……忘れたくないな……
 「お兄ちゃん……」
 前方から声がした。その声は間違うことの無い、紛うことなき、さちの物だった。僕は驚きで顔を濡らした。
 「お兄ちゃん……私の為に高校行かせてくれようとしてたよね……」
 さちは悲しそうな顔でこちらを覗いてくる。
 「うん……そうしようとしてたね……」
 そうだ。さちが生きてれば高校に行く筈だったのだ。
 「お兄ちゃん……遊園地行く約束してたよね……」
 「うん……行きたかったな……」
 
 さちとの遊園地は、きっと楽しいだろう。
 「お兄ちゃん……いつも私を庇ってくれていたよね……」
 「うん……そんな事……あれれ、おかしいな……あったかな?」
 どうしたのだろうか。僕は何を言おうとしていたのだろうか。
 「お兄ちゃん……私の事……好き?」
 
 「そんなの決まって…………君は……誰…………?」
 彼女は涙を落とした。何か忘れてはいけない物を忘れている気がする。誰だろう、彼女は、僕は、何を忘れている。
 「私を……また思い出してね……?」
 分からなかった。だけどここで言わなければならない事は知っていた。本能が、約束の様な、儀式の様な、契約の様な、そんなもの。
 「思い出す! 絶対に思い出す! だから、だから待ってて!」
 僕は、何かに吸い込まれる様に彼女から通り過ぎていく。
 
 彼女に手を伸ばすが届かない、彼女は遥か遠くに行ってしまう。
 記憶じゃない、本能が告げていた。
 彼女を忘れては駄目なのだと。
 『君を絶対に思い出す』そう誓って、僕はまた目を瞑った。
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 高い丘の上、自己犠牲の少女は目を開かない少年をまるで、お姫様を持つ様に運んでいた。
 
 日は登り朝焼けが彼らを照らした。
 それは、ピエタ像そのものであった。彼が救ったのはたった一人だし、崇拝される事も無い、その後、彼らが報われるかどうかさえ分からない。だが、その光景は、ただ、ただ、美しかった。
 その光景を見ていた。能天気な情報屋も、よく笑う神も、気まぐれな魔女も、頑固な王も、全てが真剣な眼差しで彼らを見ていた。
 
 これから何が起こるか分からない。
 この世界は彼らに残酷で悲惨だ。
 だからといって彼女、彼等は諦めないだろう。ずっとずっと抗い続けるだろう。彼等は生きる事を諦めないだろう。
 これは自己犠牲の少年少女の物語。
 大切な物と引き換えに何でも手に入る残酷で悲惨な世界の物語。
 少年少女がした自己犠牲の未来は。
 少年少女が代償にした未来は。
 
 「私は貴方に……救われましたよ……」
 
 これは自己犠牲の少年少女の物語。
コメント
鼻血の親分
春野並木様、
読み終えてしばらくぼーっとしてしまいました。短編でありながら重いテーマを扱っているため、一気に読んでしまったからかもしれません。非常に考えさせられる作品でした。
物語の構成、情感、描写が素晴らしく、世界観や作者様の想いも独創的で、才能を感じます。また、伏線の回収も巧みです。素晴らしい作品に出会えて嬉しいと同時に他の作品も読んでみたいと思いました。
春野並木
66586さん
読んでくださり誠にありがとうございます!
トラウマ編は1番考えた場面でもあるので感動してくれて嬉しいです!
次の更新は遅くなりますが引き続きお待ち頂けると光栄です!
ノベルバユーザー66586
ここまで一気に読みましたが面白かったです!
さちの話では感動して涙が溢れました; ;
次の更新も楽しみにしてます!
春野並木
しろなさん
読んでくださり誠にありがとうございます!
そう言ってもらえると励みになります!!!
次の更新は遅くなりますが引き続きお待ち頂けると光栄です!
しろな
すごく良かったです!!
次の更新楽しみに待ってます!!