異世界で美少女吸血鬼になったので”魅了”で女の子を堕とし、国を滅ぼします ~洗脳と吸血に変えられていく乙女たち~
Ex6-2 ハイドアンドシークなんて柄じゃない
深夜0時、被害者との面会を終えた扇里は憔悴しきった様子で帰宅した。
どうやら遠方での面会だったらしい。
気だるげに鍵を開くと、ドアノブを握り、滑り込むように家の中に入る。
「おかえりなさい、お姉」
そう言って巫里を出迎えたのは、妹の扇里だ。
歯を見せながら笑う彼女を見て、巫里は不覚にも泣きそうになってしまった。
それだけ今日の出来事は負担だったということなのだろう。
「ただいまぁー!」
「うわっと!?」
巫里は言いながら、崩れ落ちるように妹に抱きつく。
力の弱い扇里は転げそうになりながらも、どうにかその場で抱きとめて、踏ん張った。
彼女は「もー、仕方ないお姉だなあ」と笑う。
しかし、一緒に行っていたはずの母の姿はそこにはない。
「あれ、お母さんは?」
「ん……本部の方に報告に向かってる、私は出来ることは無いから帰れって言われたのよ」
さすがに恥ずかしかったのか、巫里は頬を赤らめながら扇里から離れた。
だがその表情には、疲れが色濃く出ている。
そんな姉の様子を見て、扇里は心配げに問いかける。
「どうだった? その、被害者の女の人って」
「……」
返事はない。
どうやら、何かがあったようだが、できれば扇里には聞かせたくないようだ。
巫里は靴を脱ぐと、重そうな荷物とコートを持ったまま家に上がる。
荷物持ちを扇里が自ら引き受けると、小さな声で「ありがと」と告げる。
とは言え、間接的にではあるが扇里はすでに巻き込まれた身だ。
黙っておくのは道義に反するだろう――と、巫里は一旦ため息を挟んでから話し始めた。
「一応言っておくけど、会ったのは私と母さんじゃないわ。代理の人に会ってもらって、私たちはずっとその会話を聞いてたの」
「何されるかわかんないもんね、そっちの方がいいと思う」
「そうね。まあ、結局は無駄だったわけだけど。まず結論から言うと、女性はすでに人間では無かったわ」
「……?」
あまりに当たり前の事のように言うものだから、扇里はまともに驚くことすら出来なかった。
「じゃ、じゃあ本当に、吸血鬼になってたってこと? それで堂々とお姉たちの前に姿を表したわけ!?」
「そうなるわね。正確には吸血鬼じゃなく半吸血鬼だって、自分で名乗ってた」
「自分で……」
状況がいまいちつかめない扇里。
退魔の力を持つ、天敵とも言える相手が目の前に居るというのに、なぜ吸血鬼は自ら名乗り出たのか。
2人はリビングに移動しながら話を続ける。
テーブルには、扇里が作った夕食が並んでいた。
母と巫里が遅くまで留守にすることは以前から多々あったので、こう見えても意外と料理は出来るのだ。
「図々しいぐらい包み隠さずオープンにしてるものだから、私もお母さんも呆気にとられたわ。吸血鬼は光に弱いって聞いてたのに、明るい店内で平気な顔してたし」
「もしかして、それって”デミ”って付いてるから?」
「そこまでは聞いてないけど、おそらくは。半分吸血鬼になって、その分だけ光に強くなったんでしょう」
「でも半分ってことは、力も半分なんじゃない?」
「だったら良かったんだけどね……」
巫里は食卓の椅子に深く腰掛けると、大きくため息をつき、テレビのリモコンに手を伸ばした。
画面に映し出されたのはニュース番組だ。
真剣な面持ちの男性リポーターが、どこかのファミレスの前でマイクを握りしめている。
店内はビニールシートがかけられており様子を伺うことはできなかったが、周囲が異様な雰囲気に包まれていることだけはわかった。
「この店だったのよ、被害者と話をしたのは」
「えぇっ!? でもなんか事件が起きてるんじゃない、これって」
「――話が一段落しても、私たちは彼女の話を信じられなかった。だって、確かに私たちの目から見ても違和感のある存在ではあったけど、相手が人外であるとは言い切れない程度の微妙なものだったから」
そう、相手が自ら名乗らずとも、”目”を持つ彼女たちなら、見るだけで相手が人外であることぐらいわかるはずなのだ。
だが”半”吸血鬼だった影響か、巫里も母も、それを見るまでは目の前の女性が化物であることを確信出来なかった。
「だから、中々信じない私たちに痺れを切らしたんでしょうね、彼女は自分で言ったの。”なら力を見せてあげます”ってね」
扇里がつばをごくりと飲み込む。
紗綾の話を聞いた時とは段違いの、強い緊張感が部屋を包み込んでいた。
「実を言うと、私は何も見てないの。事が起きる直前に、母さんがとっさに抱きしめてくれて、視界を塞いでしまったから。でも音だけは聞こえていたわ、店内に居た女性の叫び声と――飛び散り、床に叩きつけられる血の音が」
「人が、死んだの?」
「母さんが言うには、突然黒い渦のような物が現れて、店内の全ての男性の体内に入り込んでいったんだって。その直後、影を取り込んだ男性たちの頭は全て弾けてしまった」
――そして、ニュースで報じられているような惨劇が起きてしまった。
死者18名、全員即死。
身元判別が難しいほど見事に頭部が消し飛んでおり、現場周辺には血の臭いが蔓延しているとのこと。
これでいい加減に人間たちは気づくだろう。
一連の犯行が、人の手によるものではないということを。
「思えば以前から、彼女たちは犯行を隠そうとはしていなかった。犠牲になった男性たちは、時に手足が千切られていたり、時にオブジェのように公園のポールに突き刺されていたりと、まるで死体を使って遊んでいるかのような有様だったもの」
「隠す必要なんて、無かったってこと?」
「自分たちの力に、それだけの自信があるんでしょうね」
「……お姉、あんなのに勝てるの?」
扇里の問いかけに、巫里は無言で首を横に振った。
「もちろん勝てないってわけじゃないのよ? 私はまだまだ未熟だから難しいでしょうけど、母さんや本家の人たちが動けば平気だと思う」
「お母さんってそんなに強いんだ」
普段の母の姿しか知らない扇里には、彼女が吸血鬼と戦う姿など到底想像できなかった。
確かにただの主婦にしてはスタイルも良いし、運動神経も優れているとは思っていたが。
2人はしばし黙り込んで、テレビに見入っていた。
漠然と、姉に協力出来るのなら、とネットでの噂の流布の役目を、扇里は軽い気持ちで請け負った。
妹のコンプレックスを少しでも解消できるのなら、と巫里は軽い気持ちで頼んだ。
だが、身近でこれだけ大きな事件が起きてしまった今、果たしてその仕事を受けた/頼んだことが正しかったのか――
「……なんかごめんね、扇里」
「やめてよそういうの。あたしは、お姉の役に立てて嬉しかったし」
「でも、危険なことに巻き込んでしまったかもしれないのよ?」
「お姉だって一緒じゃん」
「違うわ、私に戦う手段だって――」
「一緒なんだって!」
珍しく大きな声をあげる扇里に、巫里は思わず気圧された。
強い意志が込められている。
例え危険だったとしても、巻き込まれない方が、仲間外れの方がずっと嫌だと主張している。
「扇里……」
「それに、もし危険だったとしてもさ、お姉が守ってくれるんでしょ?」
「まあ、もちろんそのつもりではあるけど」
「にひひっ」
扇里が嬉しそうにすると、巫里は少し恥ずかしそうにもみあげをかきあげ、耳に引っ掛けた。
「まあ、母さんからも扇里を守れって言われてるから。でも、もうこれ以上はネットでの噂の拡散もしなくていいわよ。堂々と動いてるってことがわかってるんだもの、多分連中、動じてないわ」
自分がやってきた事が無駄だと言われ、扇里は少し落ち込む。
本家や警察は、今まで犯人像が見えてこなかったのは、証拠隠滅をしてきたからだと思いこんできた。
しかし、真実はそうではない。
目撃者はみな、男なら殺され、女なら奴らの仲間にされていたからだ。
最初から姿を隠すつもりなどなく、やりたいようにやった結果として、証拠が残らなかっただけのこと。
「何か他に、あたしに出来ることは無いかな?」
「守りやすいように、可能な限り私の傍に居なさい。それぐらいしか無いわ」
「……そっか」
「気持ちだけ貰っておく。ありがとね、扇里」
巫里はそう言って、扇里の頭を優しく撫でた。
ふわりと暖かな感触が頭の上で動くたび、懐かしい気持ちが沸き上がってくる。
幼いころはよく、巫里はこうして扇里の頭を撫でてくれたものだ。
あの頃はまだ、自分と姉の違いなどさほど意識していなかったが――
こうして久々に頭を撫でられてみると、姉は姉で、妹は妹で、ちゃんと血の繋がった家族なのだと実感出来る。
扇里はしばらく巫里に頭を撫でてもらいながら、ノスタルジーに浸っていた。
◇◇◇
翌朝、母はまだ戻っていない。
昨晩、巫里が帰ってくるよりも早く寝てしまった父は、今日は朝が忙しいとかで扇里が起きるのとほぼ同時に家を出ていった。
昨日はごちそうになったから、と巫里が朝食を作る。
実を言うと、姉の方はあまり料理が上手ではない。
案の定、出てきたのは潰れてスクランブルエッグか目玉焼きかわからなくなった――
「扇里、何よその目は。どこからどう見ても卵焼きじゃない!」
卵焼きらしい。
それと見かねた扇里が調理した焼き魚に、扇里が昨晩タイマーをセットしておいた白ご飯、あとはインスタントの味噌汁。
自分で作ると言った割には巫里の作業量がやけに少ない気はするが、まあ、まずまずの出来だろう。
「……納得行かないわ、手順通りに作ったはずなのに」
朝食の準備を終え、互いに椅子に座ってもなお不満げにぶつぶつと文句を垂れる姉に、扇里は苦笑いを浮かべた。
あと、ほんの少しだけ優越感を覚えている。
扇里が優秀な巫里に勝てる分野はほとんどない、料理はその数少ないうちのひとつなのだ。
もっとも、彼女が本気で料理を勉強したのなら、すぐに追い抜かれてしまうだろうが。
「あんまり不貞腐れてると遅刻するって。はい、いただきます」
「いただいまーす」
2人は手を合わせて言うと、握った箸で並ぶ料理をつまんだ。
いつもなら朝練習で早く出る巫里だが、今日からは扇里と合わせて登校するらしい。
この歳になって姉妹で一緒に学校へ向かう、というのは扇里にとって若干気恥ずかしかったが、それよりも嬉しさの方が上回っている。
それだけじゃない、しばらく剣道部も休み、つきっきりで護衛をするのだとか。
「お姉さ、確かにあたしを守ってくれるとは言ってたけど、部活を休むことまで無かったのに」
「部活だって誰かを守る力を得るためにやってるんだもの、肝心な時に訓練の方を優先してたんじゃ本末転倒じゃない」
「大会、近いんじゃなかったの?」
「別に順位とかに興味ないから」
同じ部活の人間が聞いたら殴られそうな発言だ。
しかし、それが彼女の本音なのだろう。
ただ必要だからしているだけで、本当にやりたい事などではない。
だが少なくとも、扇里を守りたいと願う巫里の気持ちは本物だった。
「それとも、扇里は私に付きまとわれて迷惑だった?」
「それは無い、けど……まあ、お姉がそう言うなら気にしないことにする」
「ええ、そうしなさい」
巫里は優しく微笑む。
その表情は、どこか超然としているとでも言えば良いのだろうか。
扇里とは致命的に違う価値観を抱きながら生きてきた者が、意識せず――そう、意識などしない、嫌味でもないのだ、だが自然と上から下へと向けて、見下しながら向けられる笑顔。
手は届かない、あまりに遠い、そう実感させられてしまう。
どれだけ一時的に家族の感覚を取り戻しても、根本的な立場が変わらない限り、自分と姉が交わることはないのだ、と。
扇里は姉の作った不出来な卵焼きを口に運びながら、思うのだった。
◇◇◇
吸血鬼の魔の手が迫っていると言っても、劇的に生活が変わるわけではない。
朝のホームルーム前の教室はいつもどおり、生徒たちがいくつかのグループに別れ、ガヤガヤと騒いでいる。
机の横のフックにカバンを下げた扇里の元にも、いつものように紗綾が近づいてきた。
またオカルトの話でも聞かされるのだろう。
そう思いながら彼女の方を向きながら「おはよう」と告げた扇里は、その顔を見たままピタリと止まった。
違和感が、あったのだ。
髪型も、分厚い眼鏡も相変わらずだが、何かが明らかに違っている。
「さーや、もしかしてメイクしてる?」
「……う、うん」
目周りのメイクと眉が整っているだけで随分と印象が違う。
それに、そばかすも薄くなっているし、艶のあるリップグロスの影響か、表情がやけに色っぽく見える。
加えて、反応もしおらしい。
まるで女の子のようではないか。
「どう、でござるか? せ……わ、私なりに、頑張ったつもりでござるが」
しかも、”私”と来たか。
扇里は思わず頭を抱えた。
紗綾に限って、少なくとも高校在学中はそのようなことは絶対にありえないと思っていたのだが。
赤らんだ頬、女性らしい口調を意識した喋り方、そして突然のメイク。
これはおそらく、間違いないだろう。
縁のない扇里にだってわかる。
「まさか、好きな人でも出来たの?」
「なっ、ななっ、なななっ! 私に限ってそんなことあるわけがないでござろうっ! た、ただ、ちょっと綺麗な人とお知り合いになって、メイクを教えて貰っただけでですな!」
「綺麗な人? ってことは、女の人なの?」
「うむ、その通り。ゆえに好きな人などではなく、あまりに綺麗で私には縁のない相手なのに非常に優しく接してくれてほんのちょっぴり憧れてしまっただけで……」
「ふぅん、さーやがそこまで言うなんて珍しいね。よっぽどだ」
「まさに人間離れした美しさでござった」
やたら大げさに言う紗綾に、思わず吹き出しそうになる扇里。
まあしかし、元が良いおかげか、メイクをするとクラスでも少々目立つ程度には今の彼女は美少女だ。
あとはぼさっとした髪型と、昭和みたいな眼鏡さえ変えれば、男子から告白される程度には可愛くなれるのだろうが。
しかし、当の本人が男子からの告白になどこれっぽっちも興味が無さそうだ。
「でも、基本インドア派のさーやがどこでそんな美人さんと出会うの?」
「たまたまですな、コンビニに買い物に出かけたら、店内で声をかけられて……」
「あっちから?」
「メイクをしたら絶対に可愛くなる、今でも十分に可愛い、ぜひ私にやらせて欲しい、と。最初はナンパかと思って警戒したでござるが、同性で、悪い人でも無さそうなのでそのまま付いていって」
「そこで、メイクをしてもらった、と」
「ついでに”また会いに来る”ことを条件に道具も貰ったでござるよ」
あまりに都合のよすぎる話に、扇里が訝しむ。
「……それ、怪しくない?」
紗綾も同じことを考えていたのか、顎に手を当てながら考え込んだ。
「確かに扇里の言う通り、正直、距離感が近いと言うか、メイクどうこうよりも私に興味を持っているような気はすると言えば……」
「危ない人だ。あんまり入れ込まない方がいいよ?」
「とは言え、私も悪い気はしないというか」
「さーやが新たな扉を開こうとしている……よしわかった、私は遠い場所から生暖かく見守ってるからね!」
「い、いや、そういうわけではなくっ!」
慌てて弁解する紗綾だったが、先立って”憧れ”と言う言葉を使ってしまったばっかりに、あまり説得力が無い。
女性でも惚れてしまうような美人――その女性がどのような姿なのか想像していると、扇里はふと昨日の会話を思い出す。
「ねえ紗綾、なんかそれ……カーミラみたいじゃない?」
「はははっ、まさかあの人が吸血鬼だとでも? そんなオカルティックな発想、扇里らしくも無いでござるなあ」
「ほらでも、つい昨日、大事件が起きたばっかりだし!」
18名もの男性の頭が突如破裂し、全員即死した。
そんなあまりに奇怪な現象は、日本全国に大きな衝撃を与えた。
普段はニュースの話などしない生徒たちも、不安そうな面持ちで事件について語り合っている。
中には、「本当に吸血鬼は実在するんじゃないか?」とまさに真相そのものを突いている者もいた。
だが、紗綾は笑いながら否定する。
「よしんば彼女がカーミラだったとしても、男性の恋人が居るカーミラなど聞いたことありませぬなあ」
「男性の恋人?」
「電話越しではござるが、彼女が彼氏らしき男性と話しているのを聞きましてな。だから、万が一にも新しい扉を開くことなど無いし、吸血鬼でも無いということで」
「そっか……じゃあ、大丈夫なのかな」
専門家ではない扇里には断言できなかったが、男性の恋人が居るというのなら心配は必要無いだろう。
半吸血鬼たちは、男性だけを容赦なく殺し続けている。
徹底して、女性には傷一つ残していないのだ。
まあ、彼氏持ちの女性に紗綾が狙われているという可能性も無いわけではないが――
「一応、気をつけときなよ?」
「だから心配無用だと何度言えば……」
しつこい扇里に、少しふてくされる紗綾。
その後、すぐに担任が教室に入ってきて、同時にチャイムが鳴った。
HRが始まる。
今日も変わらない一日が過ぎていく。
◇◇◇
放課後、扇里は巫里と待ち合わせをしている校門付近へと向かった。
掃除係だったせいで、少し遅くなってしまった。
扇里は下駄箱から靴を取り出し、小走りで校庭に出る。
マフラーを巻き、コートを羽織っていても、冬の寒風は隙間を通り抜けて肌を刺す。
外に出ると同時に、彼女は両手で体を抱きながら震えた。
そして「寒い寒いっ」と独り言を繰り返しながら、遠くに見える巫里の元へと向かった。
「お姉ーっ! ごめんごめん、掃除係だから遅くなっちゃってさあ……ってあれ、誰かと電話でもしてたの?」
扇里が声をかけると同時に、彼女はバッグに携帯端末を仕舞い込む。
「うん、母さんからだった」
「何だって?」
巫里は口ごもった声で、眉をへの字に曲げて困った表情を浮かべながら言った。
「ルーマニアに行くことになった、って」
「るー、まに、あ?」
扇里は、こてんと首を傾ける。
一瞬、それが何を意味する単語なのか頭が理解できなかったのだ。
だがすぐにそれが国名であることに気づき、姉と同じく困惑する。
「ルーマニアって……ヨーロッパの? そういう名前のお店とかじゃなく!?」
「うん……」
「なんでまたそんな場所にっ!?」
冬の澄んだ空気に、大きな声は良く響く。
周囲の人々は驚いた表情で、一斉に2人の方を見る。
注目を集めるつもりなど無かったのだが、反射的に大声が出てしまった。
扇里は気まずくなり、思わず「う」とうめいた。
見かねた巫里が彼女の手を取り、ひとまずここから離れるべく歩きだす。
「お姉、ごめん。あまりにいきなりだったから取り乱しちゃった」
「仕方ないわ、私だって聞いた時は似たようなリアクションだったから」
「でも、またなんでルーマニアなの?」
事件が起きているのは、ここ日本だ。
現在進行形で大量の死者が増え続けている現状、ヨーロッパ旅行と洒落込む余裕など無いはずだった。
もちろん、扇里だってそれがただの旅行であるとは思っていないが、しかしオカルトに興味が無い彼女が、吸血鬼とルーマニアにどんな繋がりがあるのか知るはずもない。
「吸血鬼伝承の発祥地だから、専門家もそっちの方が多いんだって。昨日の一件で、現状の戦力じゃ半吸血鬼に対抗するのは不可能だと判断した本家が、母さんを向かわせることにしたんだとか」
「その本家って、ヨーロッパにもツテがあるぐらい影響力大きいんだ」
「みたいね。私も意外だった、ずっと偉そうにふんぞり返ってるだけのいけ好かないジジイ共と思ってたんだけど」
巫里は不機嫌にそう吐き捨てた。
この言い草、彼女もあまり”本家”なる組織のことを良くは思っていないらしい。
妙な力さえなければ、その役目だって本当は背負いたくは無いのかもしれない。
「とにかく、それでしばらく母さんは帰ってこれないらしいから」
「お父さんはそれ知ってるの?」
「父さんには真っ先に連絡が行ってる見たい、あれでもうちの両親って仲いいみたいだから」
「にひひっ、確かに情けないお父さんと強気のお母さんでお似合いだよね」
白金家の父は、典型的な婿養子である。
母の実家が本家なる格式高い組織だとするのなら、尚更のこと肩身が狭いことだろう。
それでも文句一つ言わず、家計を支えるために働いてくれているのだから大したものだ。
母は基本的に情けない父を叱責することが多いが、それでも2人が仲睦まじい夫婦であることを子供たちは知っている。
そのまま2人は両親トークで盛り上がり、あっという間に駅にまで到着した。
改札を通り抜けると、暖房の効いた車両にギリギリで間に合い、ほっと一息をつく。
満員に近い混んだ電車の中で、吊革を握りながら扇里は携帯端末を操作し、巫里は物憂げに外を見つめる。
自宅の最寄りの駅までは20分ほど。
その間、2人の間に会話はほとんど無かった。
駅から出て、再び寒空の下を歩いていると、前方からパトカーが近づいてくる。
フロントガラスの向こうに見えるのは、見覚えのある女性の姿だ。
「やっほ、今日は寒いわねえ」
サイドガラスが開き、中から手をヒラヒラと振りながら姿を現す香菜。
久々に会うのか、巫里は彼女の顔を見た途端にキラキラと目を光らせた。
「香菜さん! 久しぶりっ、元気だった!?」
「うわお、今日は巫里ちゃんも一緒なんだ、珍しいね。私は元気だよー、元気だけが取り柄ってよく上司にも言われてるからね」
「そんなこと無いわよ、香菜さんは明るさも取り柄だから」
「あっははは、巫里ちゃんったら全然フォローになってないぞっ」
久々だから、やけに話がはずんで、2人ともきゃっきゃとはしゃいでいる。
ほんのり蚊帳の外になった扇里は、手持ち無沙汰に車内を眺めていた。
ふと、助手席に座っている婦警さんと目が合う。
会釈してきたので、軽く頭を下げておいた。
どうやら昨日会った時とは違う人みたいだ、ペアを組む相手は毎日変わるものなのだろうか。
「あー、実は昨日の子さ、体調不良で今日は休んでるの」
扇里の心を読むように、香菜が言った。
「電話してるんだけど、どうも様子がおかしくってさ。今日は帰りにスポーツドリンクでも持ってお見舞に行くつもり」
「そうだったんだ。香菜さんって意外と面倒見良いんだね」
「これでも出来る先輩だからね」
「おしゃべりが多いってよく言われてそうだけど」
「あはははは……鋭いなあ、扇里ちゃんは」
図星、なおかつ地雷だったらしい。
香菜は少し物憂げな表情を見せた、うるさすぎて上司に怒られた記憶でも蘇っているのだろうか。
「実は、扇里ちゃんが今日も1人で帰ってるなら、物騒だから誰かと一緒が良いよって言うつもりだったんだけどさ」
「ってことは、すれ違ったのは偶然じゃなかったわけだ」
「はっきりとした時間まではわかんないから、運が良ければ会えればいいいな、程度だっただけどね。そしたら見事ビンゴだったってわけ。私の勘も捨てたもんじゃないわね。でもま、巫里ちゃんが居るなら大丈夫か」
「ええ、扇里は私が守ってみせますから」
「言い切るかぁ……これぞ姉妹愛ね。とは言え、2人でも夜は危険でしょうから、くれぐれも出歩いたりしないように」
人差し指を立てながら、まるで警官のように香菜は言った。
そして、昨日の反省からか会話を早めに切り上げ、「じゃねっ」と軽く手を振ってパトカーは走り去っていく。
扇里と巫里は、その姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
◇◇◇
翌日、画面の向こうでは相変わらず被害者は増え続けているが、扇里たちの日常に変化はない。
朝、目を覚ますと扇里は真っ先にパソコンの電源を付ける。
流れていく情報の羅列の中には、ちらほらと吸血鬼に関する話題が紛れていた。
もはや扇里が何もせずとも、噂は勝手に広がっていく段階にある。
彼女が拡散を止めようが止めまいが、状況が変わることは無いだろう。
紗綾が参加しているオカルトクラスタも、元気に深夜から朝に至るまで、吸血鬼に関する議論に熱中していた。
だが――そこに紗綾のアカウント名は記されていない、今日は会話に混ざっていないようだ。
一通りチェックを終えると、リビングへ向かう。
先に起きていた巫里が、「おはよう」と優しく笑って扇里を迎えた。
2人は並んで朝食の準備を始める。
さらにしばらくすると父が降りてきて、久々に3人で食事を採った。
そして、本当に久々に3人同時に家を出た。
通学路、香菜とまたすれ違う。
今日は軽く挨拶するだけだったが、少し顔色が悪い様子だった。
どうやら風邪が流行っているとかで、彼女の部下もそれで休んでいるらしい。
「香菜さん、感染ってないといいんだけどね」
と扇里が言うと、巫里は眉間にしわを寄せながら「うん」と弱々しい相槌を打った。
その後の巫里の足取りは重く、扇里もそれに合わせる形でゆっくりと歩いていった。
学校に到着、それぞれのクラスの教室へと向かう。
巫里と一緒に家を出ているので、1人のときより時間は早い。
だが、それにしたって席の空きが目立つような気がした、こちらでも風邪が――あるいはインフルエンザでも流行っているのだろうか。
あまり好きではないが、マスクを用意しておいた方がいいかもしれない、と椅子に座ってぼんやりと考える。
しばしそうして時間を潰していると、ぽつぽつと席が埋まり始めた。
いつもの時間になると、紗綾もやってくる。
だが……その姿を見た瞬間、扇里の思考が停止した。
化粧は昨日と変わっていない、眼鏡だってかけている、しかし癖っ毛が直毛になっているのだ。
これだけでもかなり印象が違う、と言うか扇里ですら一瞬、誰だかわからなかったぐらいである。
「お、おはよ……」
「おはよう、扇里。変……かな?」
「どっちかって言うと、見た目というより口調の方が変だと思う」
「普通に離した方が好みだって言われたから、素の状態に戻してみたんだけど」
あれは素じゃなかったのか、と言う突っ込みすら忘れてしまうほど、扇里は唖然としていた。
あとは、相手に合わせて口調を変えてしまうほど、紗綾が例の女性に夢中になっていることにも驚きだ。
やっぱりそういう意味の”憧れ”だったんじゃ――と追求しようとも思ったが、やめておいた。
藪蛇な気がしたからだ。
「これで眼鏡まで外したら、いよいよ誰だかわかんなりそうだね。にひひっ」
「かなぁ。一応、目の方も明日か明後日にはどうにかなるって言われたんだけど」
「……目が、どうにかなる?」
「たぶんコンタクトのことじゃないかな」
「あ、ああ、そうだよね」
いくらその女性が器用だったとしても、視力までも操ることが出来るはずはない。
扇里は一瞬でも疑問に思ってしまった自分を笑い飛ばしたい気分だった。
それからHRの時間まで会話をしていても、口調以外の違和感は無い。
変わったのは見た目だけだ、内面まで変わるわけがない。
わかりきったことなのだが、直接話すことでそれを実感し、扇里はほっと胸をなでおろした。
◇◇◇
学校終わり、また校門で待ち合わせした扇里と巫里は、2人で帰路につく。
巫里は相変わらず暗い表情で、心ここにあらずと言った様子だった。
「お姉?」
扇里が名前を呼ぶと、はっと現実に引き戻されたように「えっ、なに?」と反応する。
「いや、考え込んでる様子だったからさ。何かあったのかなと思って」
「ああ……いや、大したことないのよ。ただ、今朝の香菜さんの様子が変だったのがどうも引っかかって」
「それって、吸血鬼絡みでってこと?」
「どうかしらね。考え過ぎなんでしょうけど、こう、体調の悪そうな香菜さんを見てると漠然と嫌な予感がしたのよ」
あまりに具体性の無い不安だからか、巫里は申し訳なさそうに言った。
確かに彼女には不思議な力があるが、予知能力や特別勘が優れているということはない。
「今日、うちのクラスだと8人も風邪で休んでたんだよね。流行ってるのは確かみたいだよ?」
「そう、ね。私のクラスでも7人休んでたから……香菜さんもただの風邪なのかしら」
「あんまり気を張り詰めてると、いざって時に疲れてて全力が出せないかもよ? こういう時だからこそリラックス、リラックス」
言いながら、扇里は巫里の後ろに周り、彼女の方を揉んだ。
その手つきは少々乱暴だったが、巫里の口元には笑みが浮かんでいた。
「そうね、私の役目は扇里を守ることだものね」
2人はじゃれあいながら歩く。
夕日が照らす帰り道、風は寒いが、心は温かい。
あまりに平和な時間に、吸血鬼の話なんて全部嘘っぱちで、このまま何事もなく毎日が過ぎていくのではないかと――扇里は、そんなことを考えていた。
◇◇◇
父は今日も帰りが遅いらしく、姉妹は2人で準備したホワイトシチューを、2人だけで食べた。
巫里も調理に参加したので、味は正直ほどほどとしかコメントのしようがない出来だったが、自分たちで作ったものだ、美味しくないわけがない。
調子に乗って食べすぎてしまい、ぽっこりと膨らんだお腹を見せ合いながらひとしきり笑うと、巫里は1人でテレビの前に座り、扇里は自室に戻りパソコンと向かい合った。
電源を付け、起動が完了すると、彼女の目に映ったのはアイコンに重なるように浮かび上がった赤色の『1』という数字。
「ダイレクトメッセージ……珍しいな。私に何の用ですか、っと」
アイコンをクリックしてメッセージを開くと――その一文目を見て、扇里は動かなくなった。
彼女はそのままじっと、画面上に映る文字の羅列を凝視している。
『こんばんは、白金扇里さん。私は半吸血鬼の日向千草と申します』
戦慄とは、まさにこういう状態の事を言うのだろう。
全身に寒気が走り、肌が粟立ち、体が動かなくなる。
こんなにも体は冷えているというのに、けれど心臓はバクバクと高鳴っていて、背中に汗がじとりと滲んだ。
白金という名字も、扇里という名前も、偶然で的中するほどありふれてはいない。
それに、扇里はネット上に個人を特定出来る情報を残さないように徹底してきた。
つまり、現実世界で彼女を知る者にしか、こんな真似は出来ないということだ。
しかし――この日向千草という名前に、扇里は全く心当たりが無かった。
『この度は、吸血鬼の存在を世の中に広めるお手伝いをしていただきまことにありがとうございました。おかげさまで私たちの存在を信じる人間は確実に増えているようです』
丁寧な口調が不気味さを増長させている。
『別に気づかれようが気づかれまいがやることは変わらないので、放っておいてもよかったのですが、調べてみるととても愉快な家系のようでしたので、こうして連絡を取らせていただきました』
ただのいたずらであれ、と強く願ったが、その線も消えた。
なぜなら、白金の家のことを知っているからだ。
一番の友人である紗綾ですら知らないというのに、なぜ日向千草はそこまで。
名前が偽名であると仮定して、このようなメッセージを送ってくる人間が居ないかと記憶の中を探ったが、扇里のあまり広くはない交友関係の中でさえも心当たりの相手は1人も居なかった。
『どうやら人外を討つ退魔の一族とやらの血を引いているようですね。退魔の巫女と言うことはお姉さんの巫里さんは当然処女でしょうから、今からその味が楽しみです』
不気味さとは別の意味で背筋が凍る。
ディスプレイ越しにねっとりとした視線を受けたような気がして、扇里は気味の悪さを感じていた。
ターゲットは自分では無いようだが、それが姉であろうと同じこと。
『ところで、最後に確認なのですが、あなた方の住所は○○県××市△△町2丁目3-4で間違いなかったでしょうか。もし違う部分がありましたら、返信にて訂正をお願いいたします』
メッセージはそこで終わっていた。
住所まで知っているということは、すでに外から見張られている可能性もある。
寒気がして、扇里は勢い良く椅子から立ち上がり、乱暴に普段はあまり動かさないカーテンを閉めた。
だが――カーテンを閉めた所で、向こうはすでにこちらの個人情報を掴んでいるのだ。
閉じこもった所で、逃げられるわけではない。
バレている。名前も、家系も、住所も、何もかも。
この文章は間違いなく、自分に向けての脅迫文なのだろう。
見立てが甘かったのだ。
複数のプロキシサーバを経由した程度では、千草の追跡から逃げ切ることは出来ない。
見つかってしまった、近づいてきている、きっと今も、確実に、少しずつ少しずつ。
もう他人事ではない、間接的でもない。
巻き込まれてしまった、完全に、直接的に。
扇里の手が震え始める。
それを止めようと強く拳を握りしめるが、今度は腕全体が震えだした。
コンコン。
そこに――ちょうど見るテレビが無く暇だったのだろう、巫里が部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
扇里は今、返事できる状態に無いのだが、こういう時に限って勝手に部屋に入ってこないのだ。
「扇里ー?」
呼びかける声。
扇里は震える体でどうにか立ち上がり、ドアの方へと近づいていく。
そして開いて、姉の姿が見えた瞬間に――その胸に飛び込み、体を抱きしめた。
「うわっ!? なに、どうしたの? さっきのお返しとか?」
いきなり抱きつかれた巫里はもちろん驚いたが、扇里の体の震えに気づき、すぐに抱き返した。
そのままあやすように、背中をぽんぽんと優しく叩く。
「どうしたのよ、嫌なことでもあった?」
巫里の問いかけに、扇里は胸に顔を埋めたまま、パソコンの方を指差した。
「んー?」
状況が把握できていない巫里は、ひとまず指さされたパソコンの前にまで移動する。
そしてディスプレイを覗き込み、映し出された文章を読んだ瞬間、瞬きも呼吸も忘れて、先程の扇里同様に静止した。
「これって、まさか……」
それは沈黙の後、ようやく絞り出した第一声であった。
言ってから、巫里は一瞬で表情を引き締め、スイッチを切り替える。
「……扇里、この家から早く出ましょう。いつ奴らが襲ってくるかわからないわ」
「でも、どこに行くの……?」
「ひとまず今日はホテルに泊まりましょう、本家に頼めばすぐに手配してくれると思うから。父さんと母さんには私の方から連絡しておくわ、だから準備を早く!」
「わ、わかった!」
強い語気に押されて、扇里は巫里の胸から離れて準備を始める。
下着や制服、洋服をクローゼットからバッグに詰め込み、携帯端末と充電器、財布の確認、そしてノートパソコンの入ったバッグも手に持つ。
一方で巫里の方も、自室に戻り最小限の荷物をまとめた。
そして、2人は自宅を後にする。
重たい荷物を背負いながら、駅の近くにあるホテルを目指して、手を繋ぎながら歩き始めた。
空は暗い、雲がかかっているせいか、星どころか月すら見えない。
世界は影で満ちている。
まさに今日のような夜こそが、半吸血鬼が最も力を発揮出来る状況なのだと、扇里と巫里は知る由もなかった。
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コメント
トリュウ♪
今回もワクワクしました。次回も楽しみです。応援してます。