異世界で美少女吸血鬼になったので”魅了”で女の子を堕とし、国を滅ぼします ~洗脳と吸血に変えられていく乙女たち~

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Ex4 彼女が正しい愛のあり方に気づくまでのお話

 




「あぁー、づがれだあぁ」
「お疲れ様、今日も大変だったね」
「うん、大変だった。褒めて。そして労ってぇぇ……」

 そう言うと、梨々花は玄関先で床に崩れ落ちた。
 ホラー映画のように、明るい茶色に染められた髪が、床にふぁさっと広がる。
 そして彼女は、すがるように同棲している婚約者に手をのばした。
 俊哉は、苦笑いを浮かべながらそんな彼女の手を掴み、引っ張り起こす。
 現在時刻は夜の11時半。
 梨々花が働くエステサロンの閉店時刻から、すでに4時間半も経過している。
 彼女が職場を出たのは11時過ぎ、閉店後の作業があるにしても、かなり遅い方だった。

「僕の給料がもっと高かったら、梨々花に無理させないで済むんだけどね」
「好きで始めたことだし、仕方ないよ」

 専門学校卒業後、完全週休二日制、ボーナス二ヶ月分支給、さらには正社員の待遇に惹かれて今のエステサロンに入社したのが運の尽き。
 歩合給が高く基本給が安いのでボーナスなんて雀の涙程度しか出ない上に、週休二日を守ってくれたのは最初の頃ぐらい。
 今では10連勤も平気で求められるようなハードスケジュールに、梨々花の体と心は摩耗しつつあった。

「よし、俊哉!」

 それまでぐでっと疲れ果てていた梨々花は、急に背筋を伸ばし目元に力を込めると、猛々しく言った。

「ハグしなさい!」

 要は甘えたいだけらしい。
 俊哉が優しく梨々花を抱きしめると、彼女は彼の胸の中で愚痴をこれでもかと言うほどに繰り返した。
 同僚、店長、客、無茶なノルマに、それが達成出来なかったばかりに買わされた自社商品の数々。
 ふざけんな、ふざけんな、と愚痴りながら俊哉の胸をぽかぽかと叩く。
 以前は一ヶ月に一度ほど、そして最近は一週間に一度ほど、彼女はこの甘えたがりモードへと突入する。
 それだけストレスが溜まっているということだろう。
 抱きしめて、背中を擦ってやることしか出来ない自分を、俊哉は情けないと嘆いていた。

 ひとしきり甘え尽くした梨々花は、テーブルに座り、俊哉が用意した食事にありつく。
 食事を終えたら風呂に浸かり、肌のお手入れを済ませたら明日の準備を行い、布団に入る。
 起きたらまた仕事に向かって帰ったら食事で――日々その繰り返しだ、まるで同じ毎日が延々と続いているような錯覚に陥る。
 いずれ独立を夢見る梨々花としては、キャリアアップのための勉強もしておきたかったが、今の状態が続くのならそれも敵わない。
 いや――あるいは、それもまた狙いなのかもしれない。
 上昇志向は、必ずしも群れの長にとって都合の良いものではないから。
 梨々花は疲れでぼんやりとする頭で口に雑穀米を運びながら、テレビに目を向けた。

「珍しいね、ニュースなんて見てるんだ。いつもなら深夜のお笑いのやつ見てなかった?」
「今日は木曜日だよ、あれは水曜」
「あー……そうだったっけ。んへへ、いかんですなあ、シフト制だとすっかり曜日感覚狂っちゃうんだよねえ。それにしても、ニュースを見てるのは珍しくない? 何かあったの?」
「また近所で殺人だって、しかも今度は3人」
「うえぇ、確かこの間も学校で見つかってたよね? 同じ犯人なのかな」
「それは2つ前。その前にも1つあったよ、公園の近くで学生が2人殺されたやつが」
「うわ、増えてる……ってことはこれで6人? しかも男だけ? サイコパスってやつなのかな」

 ここ最近、何かとこの街は騒がしい。
 学校で見つかった手足が引きちぎられた死体に、鋭利な刃物で体が真っ二つに裂かれた死体。
 どれも、常人の力で可能な犯行ではなかった。
 警察は、何らかの特殊な器具を使っての犯行だろうと睨んで捜査を続けているようだが、今のところ有力な目撃情報も無く、進展していない。
 そんな中で起きた、第三の殺人。

「私も帰ってくる時、警察官の人見かけたんだけどさ。かなり力入れてるっぽくない?」
「あれだけ大胆な犯行なのに犯人の姿も形も見つかってないみたいだからね。警察も躍起になってるんだよ」
「そんな中で起きた事件となると――」
「もっと必死になるだろうね」
「いやあ、警察官が増えると町の治安が良くなってありがたいですなあ」
「……それ、外で言うのやめなよ?」
「わかってるって。私これでも、職場じゃ真面目で頼りになる梨々花サンで通ってるんだから」
「そういやそうだったね、付き合い始めた頃は真面目な子だと思ってたし」
「んっふっふー、私ってば演技派だから」

 2人にとってテレビの中で起きている事件など他人事である。
 梨々花は本気で町の治安が良くなることを喜んでいる節があるし、俊哉も今日までは”送り迎えをするべきか”と考えていたが、警察官が増えるのを喜ぶ彼女の言動が、やんわりそれを拒んでいるのだと察してあえて言わなかった。
 ただそれだけのこと。
 日常を彩る色とりどりの花のうちの1つ。
 自分たちが巻き込まれることなど、想像もしていなかった。



 ◇◇◇



 翌日、梨々花はまだ疲れの取れない体で職場に出勤した。
 今日も長い一日が始まる。
 店長は理不尽で意味の分からない言動をやめないし、同僚は無駄に高圧的だし、客は販売ノルマのある商品をどう勧めようが買ってくれない。
 人の居ない場所でため息をついたのは、これで何度目だろうか。
 まだ時刻は14時を回ったばかりだというのに、ここでへたれていては最後まで持たない。
 だが、こうして一瞬でも気分転換しておかなければ、夜まで続かないのも事実だ。
 どうせすぐに次の客が来て、仕事が回ってくる。
「つかの間のサボりぐらい許してくれよなぁ」と言い訳じみた言葉をこぼす。
 うんざりしながら、しかしばっちりと営業スマイルを浮かべて客の元に向かった梨々花。
 しかし――彼女は客の姿を見た瞬間、思わず立ったまま凝視してしまった。
 整ったスタイルに、幼さと妖艶さが同居する不思議な魅力のある顔立ち、そして人とは思えないほど白く透き通った肌。
 梨々花がその客を見て真っ先に思ったことは、「いや、あんたエステに来る必要ないんじゃない?」だった。
 それほどまでに、圧倒的な美を放っていたのだ。

「どうかしましたか?」

 突っ立ったままの梨々花に、その少女は首を傾げながら話しかける。

「あ……ああ、ごめんなさい。思わず見惚れてしまって。えっと……日向様、今日はどのような施術をお求めで?」
「よくわからないんですが、友人からここのオイルマッサージが気持ちいいと聞いたので」
「へえ、お友達の紹介で。そうやって評判が広まって来てくれると嬉しいです。と言うことはつまり、ボディエステコースでよろしいですね」
「はい、それでお願いします」

 見たところ、彼女はまだ若い。高校生ぐらいだろう。
 この歳で1人でエステとは、最近の高校生はマセてるなぁ……とジェネレーションギャップを感じつつ、梨々花は客を個室へと案内する。
 二人きりの空間。
 部屋には嗅ぎ慣れたアロマの香りが、充満しており、微かに体を火照らせた。
 施術台に横たわる前に、彼女は衣服を脱ぎ、素肌を晒す。
 もちろん胸や局部は隠れてはいるが、それでも露出度は高い。
 客が目の前で脱ぐことなど日常茶飯事であるにも関わらず、梨々花の胸はなぜか高鳴っていた。

「(別にそっちの趣味は無いはずなんだけど……同性から見てもドキッとしちゃうぐらい綺麗な人って実在するんだ。こっから触れると思うと、なんかさらにドキドキしてきちゃった)」

 何人もの客を相手にしてきた梨々花でさえも、戸惑ってしまうほどの肌のきめ細やかさ。
 台にうつ伏せで横たわる彼女を前に、一度ごくりと喉を鳴らすと、彼女は剥き出しの背中に手を伸ばした。
 体温が、やけに低い。
 確かに血色が良いとは言えないが、それでも普通の人間に比べると体温はかなり低い方だろう。
 もしかして体温が低いことに美の秘訣があるのだろうか、などと考えながら、マッサージを続ける梨々花。
 いつもならここで、リラックスさせるために客との会話が始まる所なのだが、まるで勝手を知らない中学生男子のように言葉が見つからない。
 どうにか言葉をひねり出そうとしても、時折漏れる千草の「あんっ」という色っぽい声にかき消されてしまう。

 結局、その日は終始無言で施術は終わった。
 とてもではないが100点とはいい難い出来で、内心がっかりされていたらどうしようと落ち込んでいた梨々花だったが、帰り際に、

「ありがとうございます、とても気持ちよかったです。また来ますね、梨々花さん」

 と千草に言われたことで、かなり救われていた。
 それに最後に見せられた笑顔が、まさに絶世の美少女と言うべき可愛さで、しばらく脳に焼き付いて消えそうに無かった。
 彼女の体に触れた手のひらにも、未だその肌の感触が残っている。



 ◇◇◇



 その客は翌日もやってきた。
 まさか毎日やってくるなんて、そんな安くも無いのに――と思いつつも「昨日のがとても良かったので」と笑顔で言われて、嫌な気分になるわけがない。
 梨々花はいつも以上に気合を入れて、施術を行った。
 彼女は決して細い方では無いだろう、むしろ肉付きはいい方で、しかし筋肉も適度についている。
 何か運動でもしているのだろうか。
 女性は美しさを求める時、どうしても細さにこだわりがちだが、この客の場合は――それよりもよっぽど色気がある、と梨々花は触れながら感じていた。
 こんなに綺麗な女性、男性は放っておかないだろう。
 学校じゃさぞちやほやされているんだろうな、そんなことを考えていると、おもむろに千草が梨々花に問いかけた。

九重ここのえさんは、彼氏とかいるんですか?」
「へ、私ですか?」

 まさか逆に聞かれてしまうとは、想定していなかった展開にもわず間抜けた声が漏れる。

「急にごめんなさい。綺麗な人だから、きっと素敵な彼氏さんが居るんだろうなと思って」
「いえいえ、と言うか私が綺麗だなんて滅相も無い」

 と言いつつも、悪い気はしない。

「日向様の方がずっとお綺麗ですよ、こんなに透き通った肌をした人、私見たことありませんもん」
「そうでしょうか。私には九重さんの方がずっと魅力的だと思いますよ」
「もう、おだてたって何も出ませんからね? でも一応、彼氏はいますけど」
「へえ、同棲されているんですか?」
「よくわかりましたね、もしかして顔に出てました?」

 言いながら、頬を手でむにむにと引っ張ったり潰したりする梨々花。

「ふふふ、何となくですよ」

 千草は笑いながらそう言った。
 彼女はうつ伏せなので表情はよく見えなかったが、微かに見えた横顔は恐ろしいほど美しい。
 ますますわからない。
 なぜ彼女が、わざわざ安くないお金を払ってまで、こんな場所にやってくるのかが。

「そういう日向様はどうなんですか? それだけ可愛いと、世の男どもは放っておかないんじゃないですか?」
「私は全然です、彼氏も居なければ好きな男性も居ませんよ」
「あれー、そうなんですね。こんな可愛い女の子がフリーでいるなんて、みんな見る目ありませんね」
「別に男の人に見られたいとは思いませんから。九重さんとかと一緒に居る方がずっと楽しいです」

 男のために綺麗になろうとしているのかと思えば、そういうわけでもなく。
 しかも、さらに話を聞いてみると、美容に関心があるわけでも無さそうで――しかしそれでも、千草は毎日のように店に通うのだった。



 ◇◇◇



 千草はボディエステ以外にも、梨々花が勧めると何でも買ってくれた。
 未成年に売りつけるのは忍びないと思いつつも、何も言わないでいるとむしろ彼女の方から「おすすめの商品はありませんか?」と聞いてくるのだ。
 そんな彼女の事を、店長はカモだと思っているらしく、今度は高額な機器を売りつけろと言ってくる。
 もちろん「親御さんに見つかって問題になるかもしれませんよ」と言って断ったが、現状でも十分すぎるほど上客である。
 そして千草が通うようになってから5日目。
 梨々花もいつの間にかその時間を心待ちにするようなった頃。
 良心の呵責に耐えきれなくなった彼女は、意を決して千草に尋ねた。

「日向様はどうして、私を指名してくださるんですか?」
「九重さんは綺麗だし、話は面白いし、一緒に居て楽しいから……ですが」

 梨々花の胸がきゅっと締め付けられた。
 それを言うなら、彼女だって同じだ。
 千草は誰よりも綺麗で、少しでもそんな彼女の気を引きたくて饒舌になってしまうし、下らない話にも興味を持って接してくれるのが嬉しくて仕方ない。

「ひょっとして迷惑でしたか?」
「い、いえっ! むしろ嬉しくって……私も日向様と一緒に居ると楽しいですよ」
「良かった。九重さん忙しそうだから、こうでもして会いにこないと、中々お話できなさそうですし」

 そのためにお金を払ってまで会いに来てくれるなんて――梨々花は思わず涙腺が潤みそうになった。

「あ、もちろんエステが気持ちいいから、というのもありますよ」

 千草はフォローするように言った。
 しかし、梨々花は湧き上がってくる罪悪感を抑えきれない。
 自分に会うためにお金を使ってくれているなんて。
 千草との時間は、今や梨々花にとって仕事中のオアシスのような存在であり、むしろこちらがお金を払って来て欲しいぐらいだった。

「あの、日向様。ご迷惑じゃなければ、なんですが……連絡先を交換しませんか?」

 気づけば、梨々花はそんなことを口走っていた。
 従業員が客に対して連絡先を聞くなど、見つかれば即懲罰のやらかしである。
 しかしそれは、バレたらの場合の話。
 お互いの同意の上なら、何ら問題は無いのである。

「もちろんです! あと……名札には名字しか書いてないんですが、下の名前を聞いてもいいですか?」
「梨々花ですよ。九重梨々花。呼び捨てでも何でも好きに呼んでください」
「じゃあ梨々花さんで。私のことも千草と呼んでください」
「千草様?」
「ふふっ、それじゃあ主従関係みたいですよ。あとは口調も崩してもらって結構です」
「怪しい関係と思われたら大変だもんね。じゃあ千草ちゃんって呼ぶけど、これでいい?」
「はい、そっちの方がずっと良いです、梨々花さん」

 名前で呼び合うだけで、ぐっと距離が縮まったような気がした。
 実際、連絡先を交換して、下の名前で呼んだということは、友人と言っても過言ではない。
 梨々花は施術を終えると、こっそり携帯端末を持ってきて、千草と連絡先を交換した。
 そして仕事が終わってから、彼女から届いたメッセージを確認する。

『お仕事おつかれさまでした』
『また明日、会いに行きますね』
『これ、ちゃんと送れてますか?』

 そんな微笑ましい言葉が並ぶ画面を見て、梨々花の頬は思わず綻んだ。



 ◇◇◇



 マンションに帰ると、俊哉が夕食を作って待っている。
 いつもなら疲れ果てて帰ってくる所なのに、今日はやけに上機嫌な梨々花を見て彼は、

「何か良いことでもあったの?」

 と問いかけた。
 すると梨々花は食卓に携帯端末を取り出し、画面を見て微笑む。

「んー、友達が増えたって言えばいいのかなあ」
「お客さん?」
「うん、すっごく可愛い子なの。多分高校生ぐらいかな。信じられないぐらい肌が綺麗で、でも彼氏とか居ないんだって」

 彼女の肌を揉みしだいた時の感触を思い出しているのか、梨々花は目を瞑りながら虚空で手をわしゃわしゃと動かした。

「動きが卑猥なんだけど……高校生の女の子に変なことしないようにね。それにしても、その年でエステ通いなんてお金持ちの子なのかな」
「たぶんそうだと思う。だって毎日来てくれるんだよ? うちそんなに安いわけじゃないのに」
「それはまた随分懐かれてるみたいだね、仕事外で会ってあげた方がいいんじゃない?」
「そう思って、連絡先交換したの。文章のぎこちない感じがまた可愛くってさ!」

 待ってました、と言わんばかりに携帯端末の画面を俊哉に見せつけ、目を輝かせる梨々花。
 彼は我慢で流れる文字を見ながら呆れたように言った。

「ベタ惚れじゃないか……」

 すっかり千草に夢中になっている梨々花に、苦笑いを浮かべざるを得ない。
 そんな時、テレビからまた不穏なニュースが流れてきた。
 ――新たに2名の男性の死体が発見された。
 この報せには、さすがの梨々花も表情を曇らせる。

「また殺人かあ、これで何人目だっけ?」
「この町だと、先日3人以来だから久々だね。いや、久々って良い方もおかしいか。でも毎日どこかしらで殺人が起きてるみたいだね。そして犯人の姿も形もまだ不明、と」
「さらに警察が増えるねえ。俊哉は大丈夫なの? 犠牲者は全員男ばっかりって話だし、私心配なんですけど」
「僕も最初は夜中に1人で帰ってくる梨々花の方が危ないんじゃないかって思ってたけど、こうなってくると僕の方が危ないかな。なんだって犯人は男ばっかり狙うんだか」

 男に恨みを持つ人間の犯行ってことで、ひょっとしたら犯人は女性ではないかという疑惑がネットだとちらほら流れている。
 しかし女性に男性の体を鋭利な刃物で真っ二つにしたり、引きちぎったりする力はない。
 かと言って、男性にそんな力があるかと言われれば微妙な所で。

「犯人は人間じゃない、なあんて話もあるらしいからね」
「ああ、それね、僕も見たよ。吸血鬼が殺してるってやつだよね」
「今時吸血鬼は無いよね、吸血鬼は。せめて狼男とか、阿修羅とか、そういうおしゃれなのにして欲しいかな」
「梨々花のセンスは相変わらずよくわかんないね……」

 都市伝説に根拠など期待するだけ無駄である。
 だが、今回に限ってはそれこそが真実である――優秀な誰かが感づき、ネットに流したのかもしれない。
 おそらくその人間が男なら、とっくに死んでいるだろう。
 そして女なら、すでに人間では無くなっているだろう。



 ◇◇◇



 梨々花は、日に日に千草にのめり込んでいく。
 毎日肌に触れていても飽きることはない。
 底知れぬ魅力に囚われて、もはや彼女以外の客などどうでもいいと思うようになっていた。
 千草はそんな梨々花に対して、無邪気にこんなことを提案する。

「ん、ふぅ……はあぁっ……連続で60分コースをお願いしたら……もっと、梨々花さんと一緒に居られるんでしょうか」
「ぷふっ……いや、まあ、普通は店長に怒られて無理だと思うけど」

 やってできないことは無い、のだろうか。
 本当にそれが出来るのなら、仕事中に合法的に千草とずっと一緒に居られるので、悪くはない提案なのだが。
 しかし、実質年下である彼女のヒモになるような感じがして、いたたまれない気分になる。

「実際、毎日こうして来てもらって、ほとんどマッサージしながらお話してるだけってのも問題だしね」
「そうは言っても……んっ、フェイシャルケアに全身パック、痩身コース、ヘッドスパなんてのも試しましたし、もう、大体網羅したんじゃないでしょうか?」
「普通は繰り返すものなの! まあ、千草ちゃんの場合は、何やってもほとんど変わらなかったけども」

 元が綺麗すぎて、やっても無駄なのだ。
 それでも千草が”気持ちいい”と言ってくれるので施術自体は行うのだが。

「いくら経済的に恵まれてるからって、お金だって無限にあるわけじゃないんだよ? プライベートで会えれば十分だと思うけど」
「でも……ぉ、梨々花さん、休みは少ない、ですしっ……ひゃ、ふ、、仕事も、終わるの……遅いじゃないですか」
「そこまでして、私と一緒に居たいの?」
「居たい、です」

 即答され、梨々花の頬は赤らむ。
 千草が自分に対して、ただならぬ感情を抱いていることは薄々理解していた。
 そして梨々花もまた――オイルでてかった彼女の背中を見ながら、微かに見える豊かな胸に触れたい、と思う程度には千草のことを想っていて。

「梨々花さん、は……私のこと嫌い、ですか?」
「そりゃあ、好きだけど」

 好きと言った瞬間に罪悪感で胸が痛むのは、おそらく俊哉のことを考えてしまうからだ。
 つまり――この気持ちは友情などではない。
 梨々花の手が止まる。
 これは間違いなく、浮気だ。そして彼女はそれを、止めようとは思っていない。
 むしろ今だって、もっと千草と近づきたいとばかり考えている。
 そして同時に、こんな卑怯なことも考えてしまうのだ。
『職場で会うだけなら気づかれないはず、それに同性だし俊哉は絶対に疑わない』と。

「店長さんには私から聞いておきますから、良いって言われたら、ずっと一緒に居てくれますよね?」

 大人しい少女かと思いきや、意外と押しは強くて。
 どうせ無理だろうけど、と思いながら梨々花は首を縦に振った。
 言うまでもなく、その日のうちに店長は千草に”説得”され、あっさりとその望みは果たされることとなった。



 ◇◇◇



 その日から、梨々花の奇妙な毎日が始まった。
 朝早く職場を出て、朝礼とミーティングを済ませると、すぐに千草がやってくる。
 彼女と個室に入ると、最初の1時間ほどはマッサージをして、残りの時間は閉店までずっと2人きり。
 何気ない会話を交わしたり、スキンシップを取ったり。
 仕事をしているという感覚はまったくない。
 だと言うのに、店長はやけに機嫌は良いし、同僚は文句一つ言おうともしない。
 残業だって減らしてくれた。
 21時ごろに体力の有り余った状態でマンションに帰ると、私がかまってくれるからか、俊哉も少し嬉しそうだった。
 何一つとして、不満なことはない。
 だが、あえて言うのなら――何もかもが都合が良すぎて、少し怖くなってくることぐらいか。



 翌日も千草は朝からやってきた。
 彼女と会っている間だけは、不安から逃れることができる。
 ただただ幸せだった。
 一緒に居るだけで、ただ話を聞いているだけでも、他の誰と居る時よりも満たされていた。
 千草がお返しと言ってマッサージの真似事をしたり、恋人ごっこでもするように恋人繋ぎをしてみたり、ただ意味もなく抱き合ってみたり。
 昨日よりもさらに、梨々花は彼女の体温を感じることが多くなっていた。
 少しひんやりしていて、けれどちゃんと血は通っていて、とても心地よい。
 男と抱き合った時とは違う、柔らかくて優しげな感じ。
 千草が耳元で囁く。

「俊哉さんと抱き合ってる時と、どっちがいいですか?」

 彼女はとてもいじわるだ。
 梨々花はそれを聞くと、ごくりと生唾を飲み込み、震える唇で言葉を紡いだ。

「千草ちゃんの方が、良いに決まってるじゃない」

 一度裏切ってしまえば、崩してしまうのはあまりに容易い。
 むしろ、俊哉を裏切ることで、梨々花は興奮を覚えるようになりつつあった。
 その日、千草はわざわざ梨々花が仕事を終えるまで店の前で待っていた。
 健気な行動に胸が高鳴る。
 2人は手をつなぎながら梨々花の住むマンションの目の前まで共に歩き、別れ際、2人は気づけば抱き合い、見つめ合い、唇を重ねていた。
 そしてキスの感触が消えないままに部屋に入り、平然とした顔で俊哉に「ただいま」と告げる。
 夕食を終え、風呂から上がると、珍しく彼が梨々花を求めてきた。
 最近は疲れている様子だったから諦めていたそうだが、帰りも早く、疲労も感じられない今なら抱けるのではないかと考えたようだ。
 もちろん、梨々花は断った。
 つい数日前まではあんなに好きだった俊哉の事が、今では千草への想いを強めるための踏み台にしか思えない。
 触られるなんてもっての他だ、本当は一緒に暮らすのも嫌で、今すぐ千草の元へ向かいたいぐらいだった。
 けれど、まだ早い。
 彼女の物になるには、もっともっと、心の深い所まで明け渡してからでないと。



 次の日も千草はやってきた。
 2人は部屋に入るなりキスを交わし、抱き合い、そして施術台にもつれ込むように倒れ込んだ。
 重ねるだけでは飽き足らず、ディープキスも交わす。
 飲み込んだ千草の唾液は信じられないほど甘く、梨々花は繰り返し「もっと、もっと」とせがんだ。
 その日は結局キスと服の上からの触れ合いだけで終わってしまったが、別れ際に千草ははっきりと宣言した。

「明日、梨々花さんのこと抱きますから」

 そう言って不敵に微笑み去っていく彼女を見て、梨々花はその場で頬に手を当てたまま膝から崩れ、動けなくなってしまった。
 部屋に戻る際、廊下を歩きエレベーターに乗っている間、ずっと彼女は「千草ちゃん」と名前を繰り返し呟き続けた。
 そうしないと耐えきれないぐらい、頭の中が明日への期待と千草でいっぱいになっていたのだ。

 部屋に入ってからも梨々花が冷静さを取り戻すことはなかった。
 もはや俊哉の存在は彼女の眼中に無く、何を言っても、何をしても反応はない。
 ただ頭の中では千草のことだけを考え、時折携帯端末を取り出しては、最近の彼女からのメッセージを食い入るように見つめている。
 明らかに異常な姿に俊哉は不安を募らせたが、”疲れているのだろう”と結論づけて、強引な行動は取らなかった。
 テレビのニュースは、また男性の死体が5体見つかったことを報じていた。



 次の日、梨々花は朝から上の空だった。
 ついに今日、千草が抱いてくれる。
 そう思うだけで体の火照りが収まらない、俊哉のことなど考えている余裕は無い。
 ただひたすらに千草を想い、千草に恋い焦がれ、千草を求め続ける。
 病的としか言いようのない様子の梨々花を見て、俊哉は幾度となく、

「今日は休んだ方がいいんじゃない?」

 と提案したが、彼の言葉が梨々花の耳に届くことは無かった。

 そしてついに、その時はやってくる。
 開店と同時に姿を表した千草は、まるでそこが自分の家であるかのように個室へと向かった。
 そこでは、すでに梨々花が下着姿で待ち受けていた。
 千草は、いつでも準備万端と言わんばかりに待ち受ける梨々花に近づくと、首に触れ、頬までなで上げ、そして顔を引き寄せた。
 まずは挨拶代わりにキス。
 ただそれだけで、梨々花は発情した猫のように甘えた喘ぎ声を漏らす。
 口づけしながら、千草は手を彼女の臀部へ向けて滑らせた。
 柔らかく、貼りのある若々しい曲線をなで上げると、梨々花はひときわ大きな声をあげる。

「あぁぁあんっ、だめっ、お尻ぃっ!」

 彼女には見えていないが、印はそこに浮き上がっていた。
 千草はそれを確かめて満足すると、梨々花を施術台に押し倒していく。
 彼女は仰向けになって、年下の少女に無美貌な姿を晒した。
 その瞳は潤み、頬は赤らみ、胸元は汗ばんでいる。
 梨々花は、俊哉相手でも感じたことのない、未曾有の興奮を覚えていた。
 心臓も破裂してしまいそうなほどに高鳴っている。
 そんな彼女を見て、千草は微笑みながら近くの台からマッサージ用のオイルが入ったケースを取ると、自らの手のひらの上に広げた。
 そしてそれを、梨々花の素肌が露出された部分へと塗りたくっていく。

「あ、あぅ……ん、ふ……っ」

 首筋に、脇。

「ふうぅんっ、ひぅ……ひゃ、んっ」

 腕、お腹。

「は、はあぁぁぁ……ふぅ、ぉ、ぉう……」

 太もも、さらにはふくらはぎまで。
 梨々花はもどかしいくすぐったさに、腹筋にきゅっと力を込め、首を仰け反らせながら反応した。
 千草もそこで衣服を脱ぎ、下着姿になると、オイルを自らの身体に塗り込んでいく。
 そしてぬらついた体で、肌同士をこすり合わせるように、梨々花の上に乗って体を動かした。
 にゅちっ、にゅちっ、とオイル同士が絡み合う音が個室に響く。
 その音に合わせるように、2人はユニゾンするように鳴いた。

「あっ、んあぁっ、千草っ、ちゃぁんっ……!」
「んふっ、ふうぅ……り、りか……さんっ、素敵ですよぉっ……」
「ひああぁぁっ!」

 肝心な部分はまだ触れ合っていないが、それでも剥き出しの肌と肌が触れる度に、梨々花の脳に甘い電流が走る。
 さらに体をこすり合わせながら、千草は彼女の唇を奪った。
 触れるだけではない、舌と唾液を絡ませ合う官能的なキスだ。
 体の至る所でぬるぬるとした液体が絡み合い、下品な音が狭い部屋に反響する。
 これはまだ前戯にすぎない。
 2人の交わりは、まだ始まったばかりだった。



 ◇◇◇



 ――ー明日は、久々の2人同時の休みのはずだった。
 俊哉は前もって旅行雑誌を買いあさり、どこへ遊びに行こうか計画していたのだ。
 そんな彼の元に届いた、一通のメッセージ。

『今日は泊まりになる。明日も夕方ごろにならないと帰らないと思う』

 ぶっきらぼうな、梨々花らしくないその文章を見た瞬間、俊哉は職場のデスクでがくっと崩れ落ちた。
 これが仕事終わりで良かった、途中だったら以降の仕事が手につかなくなっていただろうから。

「どうした七尾、彼女にフラれでもしたか?」

 どんっ、と彼の背中を叩きながら言うガタイの良い男。

「似たようなもんですよ、野崎先輩」
「おっと、マジでそうだったのかよ。珍しいな七尾、お前んトコ彼女と仲良かったろ?」
「それが最近様子がおかしくて。明日も休みだってのに、今日から泊まりで出かけるそうで」
「ご愁傷様だな。どうだ、今日は俺が愚痴に付き合ってやろうか?」
「……お願いしてもいいですか」

 野崎は、何かと俊哉のことを気にかけていた。
 彼が落ち込んでいればこうして飲みに誘ってくれるし、かと言ってプライベートに首を突っ込みすぎることもない。
 俊哉に限らず、多くの同僚から頼りにされる、そんな男だったのだ。

 野崎の言葉に甘えて、俊哉は居酒屋で彼に愚痴りまくる。
 仕事のこと、彼女のこと、将来のこと、本当に結婚してうまくいくのか。

「お前んトコ、なんでまだ結婚してないんだっけ?」
「式代がまだ溜まってないんです。親に迷惑をかけたくないから、自分たちで全部貯めてから結婚しようって」
「しっかりしてんなあ。確かエステティシャン、だっけか」
「ええ、毎日僕より帰りが遅いぐらい忙しいんですよ」
「なるほどな、それで七尾が料理を作って彼女の帰りを待ってるってわけか。尽くすねえ」
「先輩の所はどうだったんですか? 確か共働きでしたよね」
「俺ん家はなぁ……」

 他愛もない会話が続く。
 酒も入っているので、俊哉はいつも以上に饒舌で。
 何もかもを吐き出して、吐き出した分だけアルコールを詰め込んで――結果、彼は22時ごろにはすでに酔い潰れてしまっていた。
 足元も覚束ない俊哉は、野崎が手配したタクシーに乗せられ、マンションまで運ばれる。
 そして壁で体を支えながらようやく部屋にまでたどり着くと、倒れ込むようにソファに寝転がった。
 そのまま就寝。
 外の明るさに起こされ、二日酔いでガンガンと痛む頭を抱えながら目を覚ます。
 起きると同時に、彼は近くにあった携帯端末に手を伸ばし、時間を確認した。
 朝の11時、普段ならとっくに起きている時間だし、寝過ごしても梨々花が起こしてくれるはずだった。
 だが、その彼女は今はいない。

「メッセージ届いてるし」

 ひょっとすると彼女からかもしれない。
 そんな淡い期待を抱いて開くと、送り主が同僚だったことに気づき肩を落とす。
 こんな休日の朝から何だと言うのか、嫌な予感しかしない。
 出社しろという連絡だったら無視しよう、そう心に決めた彼の目に飛び込んできたのは――

『野崎先輩が死体で見つかった』

 そんな、信じられない一文だった。

『例の事件に巻き込まれたらしい。今日の18時から通夜があるから……』

 その後にも文章は続いていたが、それらを俊哉が見ることは無かった。
 ショックのあまり、手元から端末がこぼれ落ちたからだ。

「なんだよ、それ……昨日、一緒に飲んだばっかじゃないか……」

 たちの悪い嘘だと思いたかったが、そんな雰囲気でもない。

「う、うううぅ、ぅぅぅぅううううう……!」

 俊哉は頭を抱え込むと、ソファに顔を埋め、自分ひとりではどうしようもない理不尽の数々に怨嗟をぶつけるように、長い長い唸り声をあげた。



 ◇◇◇



 ちょうどその頃、町のラブホテルの前に、梨々花の姿はあった。
 彼女はうっとりとした表情で千草に腕を絡め、ぴたりとくっついている。
 昨日のエステサロンの個室で、閉店後は近場のラブホテルで、そしてその後は千草の部屋で――今日の彼女の予定は、そんな具合で全て埋まっている。
 千草は自分が借りている部屋に向かって歩き始めたが、ついていく梨々花の足元はガクガクで見ている方が不安になるほどだ。

「大丈夫ですか? 4度も気絶したんですから、無理したらいけませんよ」
「腰が抜けて歩けないなんて、情けない姿見せたくないし……」
「今更じゃないですか、あれだけ恥ずかしい姿を見せておいて」
「ううぅ、そりゃそうだけどぉ……!」

 たまには年上らしい一面も見せなければ、と意気込んで望んだラブホテルでの戦いだったが、結果は見ての通り千草の圧勝だった。
 だがそれでも、大人のプライドというやつはまだ残っているのである。
 もう腰がガクガクで歩くことすら辛い状態だが、今度こそイニシアチブを握ってみせる。
 そう決意しながら千草の部屋へと向かった。

 そこは店からもそう遠くない、マンションの一室。
 千草の後について部屋に足を踏み入れると、そこには驚くほど殺風景な、生活感のない空間が広がっていた。
 家具らしい家具はベッドしか無く、他に置いてあるものと言えば、部屋に隅に置かれた何かの入ったゴミ袋と、冷蔵庫ぐらいのものだ。
 部屋に来れば千草が何者なのか、その謎も解けるかと期待していたのだが、むしろ謎が深まってしまった。

「ここで、暮らしてるの?」
「いえ、ここは拠点の1つというだけで、暮らしているわけじゃありません」
「……拠点?」

 首を傾げる梨々花に、千草は微笑むばかりで何も答えない。
 ”そんなことはどうでもいいから”と言わんばかりに、彼女は梨々花の背中を押してベッドの近くにまで誘導すると、早速抱きつきながら押し倒した。

「ま、待った、ストップ!」
「どうかしましたか?」

 このままではまた優位に立たれてしまう。
 それだけは避けたい所だった。
 しかし、止めた所で梨々花に何か逆転の案があるかと言えば、そういうわけではない。
 何も思いつかなかったので、ひとまず止めてみただけなのだ。

「えっと……喉、乾いたんだけど」
「ああ、それなら冷蔵庫に入ってますよ。好きなのを選んでもらって構いません」

 一旦千草は梨々花の上から退く。
 これでどうにか、押し倒されてその流れで好き放題される、という線は封じることが出来た。
 一安心する梨々花。
 喉が乾いているというのもあながち嘘ではなく、気持ちを落ち着ける意味でも冷たいお茶でも飲んでクールダウンしたい所だった。
 彼女はキッチンへと移動し、一人暮らし用らしき小さめサイズの冷蔵庫の前にしゃがみ、ドアを開いた。
 30代ほどの男の生首が、目を開いた状態でこちらを見ていた。

「ひっ……!?」

 思わず、梨々花の喉から引きつった声が出る。
 それが生首だと理解するまでに若干の時間を要したせいか、その声が叫びに変わるまでの間にはタイムラグがあった。

「ひやぁぁぁあああああああ!」

 座り込んだまま後ずさり、首をブンブンと横に振る梨々花。

「しっ、死んでるっ、し、死体、が……っ、千草ちゃん、千草ちゃぁんっ!」
「あ、そう言えば死体を入れてたんでしたね。ごめんなさい、飲み物は切らしてるみたいです」

 近づいてきた千草には、全く動揺している様子は無い。

「し、ってた……の? 死体が、入ってるの、知ってて……」
「ええ、だって私が殺しましたから」

 あまりにあっけらかんと言うので、梨々花は信じることが出来なかった。
 人を殺すという行為は、本来そんな軽いものでは無いはずなのだ。

「ちなみにあちらのゴミ袋には体のパーツが入っていますよ」
「なん、で? どうして? なんでそんなことぉっ!」
「だって、最近起きてる殺人事件の犯人は、私たち・・ですから」

 男性だけが狙われた、類を見ない規模の大量殺人。
 ワイドショーやニュースを賑わせ、記者や警察官が躍起になって証拠を探すも、全く見つからない完全犯罪。
 その犯人が――まさか、こんな可憐な少女だったとは。
 誰も想像していないだろう、もちろん梨々花だってそうだった。

「誰が流したんでしょうね、吸血鬼が犯人だって噂。驚きました、だってあれ本当なんですから」
「本当?」
「はい、私は吸血鬼です。正確には半吸血鬼デミヴァンプ。一度は死んだ身ですが、世界に平和をもたらすために戻って来ました」

 何から何まで、梨々花には理解出来なかった。
 吸血鬼? 半吸血鬼デミヴァンプ? 一度は死んだ? 世界平和?
 全てが彼女の知識の向こう側にある、どれだけ頭をひねろうとも納得の行く辻褄は見えてこない。

「梨々花さん、今は頭が混乱していて意味がわからないでしょうが、話はシンプルなんですよ。私に身を委ねるか、それとも俊哉さんを選ぶか」
「千草か、俊哉か……」
「私を選んでくれたのなら、永遠に幸せになれる世界に招待します。快楽だって、さっきまでの非じゃありません」
「さっきよりも、すごいの?」
「何倍も、何十倍も。そして私は、梨々花さんにその気持ちよさを味わって欲しいと思っています。だって、私はあなたのことが好きですから」

 その笑顔に、その言葉に、嘘偽りがあるとは思えなかった。
 紛れもなく千草は本気なのだ、本気で梨々花に恋をして、本気で梨々花を愛して、だからこそ全てをさらけ出した。
 人殺しの本性も、人でなしの欲望も。
 それは間違いなく、マイナスの要素である。
 普通なら殺人者という時点で恋は冷めるし、肉欲なんて湧き上がらせている場合じゃあない。
 だが、今の梨々花は違った。
 確かに生首を見た衝撃と、殺人のカミングアウトで一瞬だけ冷めはしたが、今すでに体が火照り始めている。
 今までの何十倍もの快楽を感じ、永遠に幸せになれる世界に行くことが出来る、その人外への誘いに、心惹かれてしまっている。

「梨々花さん」

 千草は梨々花の足をまたぎながら真正面でしゃがみ込むと、両頬に手を当てて、まっすぐに目を見た。
 赤い瞳に、反射した梨々花の顔が映っている。
 彼女は、その小さな自分の姿を見て、気づいた。
 気づいてしまった。
 頭では色々考えているが、なんだ、表情を見れば一目瞭然だったんだ――



 ◇◇◇



 通夜が終わると、俊哉はまっすぐに部屋に帰った。
 昨日まで飲んでいた、ずっと良くしてくれていた先輩の死。
 それに彼が落ち込まないわけがなかった。

「ただいま……」

 部屋の電気はついている、もう梨々花は帰ってきているんだろう。
 色々と問いただしたいことはあったが、今日はそんな気すら湧いてこない。

「ん、おごっ……ぶちゅ、ちゅぶっ……ぐちゅ、おぉおおっ、ん、ふほおぉっ……!」

 シャワーでも浴びて寝てしまおう。
 そう思いながらリビングに入った彼がそこで見たのは――ソファの上で絡み合う、2人の女性の姿だった。
 一方は、知らない少女だ。
 そしてその少女に組み敷かれ、口から胸元まで唾液でべたべたにしながら、必死で唇を吸いあっているのは、紛れもなく梨々花である。

「がぽっ、ん、ごおぉぉっ、ふううぅん、んっ、んううぅっ!」

 明らかに表情に悦びの色をにじませながら、激しく舌を絡め合う。
 もちろん俊哉は激昂した。
 これはただの浮気じゃない、2人はまるで彼に見せつけるように行為を続けているのだから。

「な、なにやって……ねえ梨々花、そいつは何なんだよぉっ!」

 怒鳴りつける大きな声を聞いて、そこで初めて、梨々花と千草は彼の存在を認識した。
 がっかりした表情でキスを止めるとお互いの内蔵・・から舌を引き抜く。

「んごおぉぉおおおおおっ!」
「はおっ、おォォおおおおっ!」

 背中を仰け反らせながら、大きな喘ぎ声を高らかに響かせる2人。

「……は?」

 ズルウゥッ! と口の中から姿を表したあまりに長すぎる舌を見て、俊哉は思わず絶句した。
 人の造形ではない。
 少女の方はともかくとして、梨々花の方ですら、どこからどうみても人外の姿形をしている。
 血の気がさっと引いていく。
 見てはいけないものを見てしまったのではないか、この瞬間。俊哉はようやくそれに気づいた。
 だが、手遅れである。
 いや――彼が梨々花の恋人であり、そして梨々花が千草に目をつけられた時点で、運命はとっくに決まっていたのだ。
 飲み込むように舌を収納し、元の人間らしい姿に戻る梨々花。
 そして無言で爪を伸ばすと、一歩、二歩と俊哉に近づいていった。
 そして同時に、彼は同じ歩数分だけ後退していく。

「何の冗談なんだ……? なあ、梨々花。目を覚ましてくれよ、梨々花ぁっ!」

 一縷の望みにかけて、必死で梨々花に呼びかける俊哉。
 すると彼女は――

「う……ううぅ……」

 頭を抱え、苦しみ始めた。
 まだだ、まだ彼女の中には人間らしい部分が残っているんだ。
 そう確信した俊哉は、さらに言葉を紡ぐ。

「梨々花、僕は君のことを愛してる。心の底から、世界中誰よりも! 君だってそうだったろ!? 付き合い始めてからずっと、僕たちはお互いを愛してきたはずだ!」
「ううぅ、ぅああぁぁああ!」
「そんな得体の知れない女なんかに負けるな、梨々花! 僕がいる、僕がここにいる、一生支えてみせるから! だから、僕と一緒に――!」
「うがあぁぁぁああっ! しゅん、や。俊哉あぁぁぁっ!」
「梨々花あぁぁぁぁっ!」

 叫びながら手を伸ばす俊哉。
 苦悶の形相で、そんな彼の手を取ろうとする梨々花。
 2人の手が今まさに触れ合う、その直前に――

「そんな都合のいいことあるわけないじゃん、ばーか」
「へ?」

 梨々花は悪辣に笑うと、ぽかんと口を開いた俊哉の頭部を、真横に切り裂いた。
 顔の上半分が切り取られ、ぼとりと地面に落ちる。
 遅れて、即死した俊哉の体が地面に倒れた。
 彼を殺した梨々花はすぐさま死体から視線を外し振り返ると、小走りで千草に近づいていく。
 そして抱きつき、再び改造された舌でのディープキスを始めた。

 その翌朝、発見された男性の死体は7体。
 ニュースでは、女性キャスターが死体のうち身元が判明した人間の名前を、興味なさげに読み上げていく。
 もちろん、俊哉の名もその中には含まれていた。



 ◇◇◇



 この町には人気のエステサロンがある。
 何でも、そこに行くと誰でも人間離れ・・・・した美しさを手に入れることができる、魔法のような場所なのだと言う。
 店の評判は口コミで瞬く間に広がり、気づけば県外からの客も来るような有名店になっていた。
 増えていく、明らかに他人とは違う美貌を持った女性たち。
 一方で、ひたすら無惨に殺されていく男性たち。
 この町で、半吸血鬼デミヴァンプによる支配が行われていることに人々が気づくのは、すでに手遅れになった後の話である。





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