アリスの時計

一路 カイリ

終わりのない時間

お店のドア口に引っかかってるベルがガランゴローンとなった。
上品な革靴の音が響いて小さなお客様が来店する。
「やあアリス。いらっしゃい」
時計屋のうさぎは奥の棚から白い耳を覗かせた。
そこには驚いたような顔をしたウェーブのかかった金髪の青い瞳の少女がいた。
「ここ、時計屋なの?」
少女は壁一面にかかった時計を見渡して言った。
「そうさ」
うさぎは頷いて言った。
「君の止まってる時計はどれかな」
うさぎは首を傾げた。
「時計?時計なんて持ってないわ」
少女も首を傾げて答えた。
「それに私はアリスじゃなくて、ノエルよ」
「一緒さね。ここに来る客はみんなアリスさ」
ノエルは意味がわからないというように肩を下げた。ふ
うさぎはくっくと笑っている。
「迷いアリス子 さ」 
迷い子…アリスは口の中でその言葉を 
理解しようと試んだができなかった。
アリス、もといノエルは、自分と同じくらいの身長をした白ウサギをまじまじと眺めた。
まず服を着ていた。
童話の中に出て来るようなチョッキを着ていて、変な片方しかない丸メガネをしているのだ。手には時計を持っていた。
変なの。ノエルは夢でも見ているかのような気分だった。
ノエルは気がついていないが、ここに入ってきた経緯をノエルは忘れている。
白ウサギはおかまいなしに話を続けた。
「ここは赤の女王だとか、トランプ兵だとかはでてきやしないよ。冒険がしたいならお断り。ここは止まった時計を進める場所だから。」
白ウサギはなにやら忙しそうにしている。
「なにを探してるの?」
ノエルは手元を見ようと背伸びをした。でもノエルは背が低いのであまり見えなかった。
「君の時計だよ。さて、どこかな?」
ウサギは書類と時計だらけの棚に頭を突っ込んだ。どさどさと紙束が雪崩を起こして崩れてゆく。紙束が白いのでウサギの体と同化して見えにくくなった。
ノエルは目を細めてもう一度いった。
「ねぇ、手伝おうか?」
少し大きな声で言った。紙束に埋もれたうさぎにも聞こえるように。
うさぎは深くまで潜ったらしく声がこもって聞こえた。
「ああ。もちろん。手伝ってくれたら嬉しいよ」
ノエルはちょっと得意になって頷いた。
頼られた気がしたからだ。
「ふぅここにはない。」
ウサギがずぼっと頭を抜いた。
「見つけるのは君の記憶が頼りだ。」
ウサギは耳の穴に挟まった紙束を抜きながら鼻をひくひく動かした。
くしゃみが出そうだ。
ノエルはそっと距離をとった。
「話をしようアリス。」
ウサギは勝手に椅子を引き寄せて一人(一匹?)座って鼻を掻いた。
いつのまにかノエルの後ろにも椅子が出現していて、ノエルは後ろも見ずに座った。ある気がしたからだ。ノエルは何故か後ろに椅子があるのを知っていた。
「アリス、君妹がいるね。」
ウサギはどこからいつ持ってきたのかティーカップに紅茶を注いでいた。
その姿はどこか帽子屋に似ていた。
「ええ。いるわ」
「どんな子だい?」
「…優しくはないわ。乱暴で小さくて、それで、」
「鈍臭い?」
「どっちかっていうとそれは私ね。」
ノエルは紅茶の入ったティーカップを手に取った。
「君は美人だね。妹もそう?」
「…答えたくない」
「違うんだね」
ウサギは頷いて自分の紅茶を啜った。
全部知ってるようで、知らないような、そんな感じを匂わせた。
「私よりは、かもしれないけど、妹もそこまで悪くないわ。多分。」
「言い訳みたいに聞こえるなあ。」
ウサギはわざとらしく視線を寄越した。
ノエルはむっとしなかった。自分でも言い訳じみてると思ったからだ。
「妹は出来が悪い?」
「…いいえ」
「嘘つき」
「違う!」
ノエルは叫んだ。凛々しい細い眉が曲がり、薄紅色の唇はきっときつく結ばれてわなわなと震えていた。
「あの子は…あの子は確かに私より劣ることが多いかもしれない、でも、努力家で真面目で、私よりはずっと…」
「アリス」
たしなめるようなウサギの声が響いた。
ノエルはひくっとひゃっくりみたいに喉を鳴らした。
「絵だって歌だって勉強だってそう、私の方が、私、」
ノエルは自分が何を言っているのかわからなかった。口だけが闇に浮かんで勝手に喋り続けているみたいだった。
「アリス!」
ウサギの声が大きくなった。
ノエルは喋り続けた。
「それはいつの話だい?」
「え…」
ノエルは喋るのをやめた。
「君は16だろ?なんでそんなに小さな少女の姿をしている?」
「え?」
ノエルは自分の姿を見た。
グレーのチェックの特徴的なスカートに白い丸襟のブラウス。
「これ、保育園の時の…」
誰かの鳴き声が聞こえる。
「あれは…私の家の廊下?茶色い廊下…オレンジの光が見える…きっと夕方ね。泣いてるのは…私?妹にまた何か言われたのかな…」
ノエルは突然遠い目をした。
ウサギは黙って聞いている。
「…私、そう、きっと自分が妹よりできるのが嫌だった。できればできるほど妹に疎まれて、罵倒された。妹に姉だと思ってもらいたかった。誇れる姉だと。でも違った。できればできるほど、妹は私が嫌いになった。」
その先はウサギが続けた。
「だから自分の時間を止めた」
ノエルの瞳から涙が湧き、頬を伝う。
「そう。だから何年経っても自分が大きくなった気がしなかった」
ウサギはにやりと笑った。
「見つけたよ。君の時計」
ノエルは瞬きをした。数滴紅茶の中に落ちる。
「ポケットの中だ」
ウサギは砂糖を二つカップに入れた。
ポケットを探ると確かな重み。何か入っている。
「これが私の時計?」
ノエルは手でその感触を確かめた。
「ああ、そうさ」
ウサギは見もしないで頷いた。
「変なの。時計が二つくっついてる」
ノエルは腕時計の形に似ている時計をひっくり返したりしながら呟いた。
「なに?待てそれは変だぞ、おかしい、おいアリス!」
「え?」
その時にはもう遅かった。
青い瞳から黒い涙が滝のように溢れ出し、生き物のように壁を張い店を飲み込む。
「これは正解じゃないアリス!本当の気持ちは?!君の本当の気持ちはなんだい!!」
黒い涙に飲まれそうになりながらウサギは叫ぶ。
「…うふふふふふふふ」
ノエルは黒い魔物のようになった。
「待てよ、時計が二つ。てことは止めてる時も二つのはずだ。だとしたら誰の時を止めてるアリス…まさか」
ウサギは険しい顔をした。
「わかったぞ君の止めてる時間のもう一つは妹の時間だ!!」
ぴたりとノエルの動きが止まった。
「…そうよ。ずっと止めておきたかった。自分より下でいて欲しかった。私よりずっと下で。でも私賢いから気づいたの。いつかこの子は私を超える。追い抜いてゆく。きっとそう。知ってたの」
ノエルは泣きながら笑った。
「でも、でも一番嫌だったのは、こんな感情をもっているこの私!!私自身!!」
ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁと鳴き声をあげて崩れ落ちるノエル。
いつのまにか黒い涙は彼女の体を塔のように覆い、黒いドレスと化していた。
「ノエル!!君のもっている感情は誰もがもっている感情だ!君だけじゃない。誰だって劣等感や優越感の中で生きている!だから君も生きろ!」
ウサギは叫んだ。
「君はなにも悪くない!ただ優しすぎただけだ!目を覚ませ!ノエル!」
プツリとテレビの電源が切れたように黒い涙が止まる。
その途端透明な涙が溢れ出した。
透明な涙は黒い涙を飲み込んで蒸発させてゆく。
黒檀のような黒いドレスはウエディングドレスのような白く美しいドレスへ変わった。
「君本来の姿だね」
ウサギはにこやかに笑って自分より高いところにいるノエルの手を取ってお辞儀した。
「やあ16歳のノエル、こんにちは」
ノエルはまだ頬を伝う雫をぬぐいながら答えた。
「アリスって呼ばないの?」
ウサギはウインクして答えた。
「いいや。君はもうアリス迷い子じゃない」

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