-COStMOSt- 世界変革の物語

川島晴斗

第2話:9月1日・朝

 僕は帰宅してからすぐにシャワーを浴びて、髪を乾かすこともなくリビングに立ち、調理を始めた。炊飯器は煙を出し、自動での調理は済んでるらしい。僕自身も体を動かし、もともと刻んでおいた料理を持って調理を始めた。

 ――僕の従兄弟いとこ、黒瀬瑠璃奈はこう言った。
 我々の五体は頭と手足、この5つが動いていないと人は死んでいる、と。
 彼女はタブレットとパソコン、携帯を使い、最大5人とチャット、電話ができる。
 僕は彼女のような天才ではないし、最大でも両手を動かすに尽きる。

 2つの物を同時に動かすには集中力がいる。例えば、人間が2つの事を同時に考える事が不可能だと思えるように。
 でも、僕はそれができる。包丁を右手に、左手は箸を持って鍋にあてる。そして次の手順もまた手が別々の働きをしてくれる。だから、7時の家族が起きてくるまでに朝食を作り終える事ができるんだ。

「兄さん」

 唐突に響いた嬌声に、僕はピタリと手を止めた。振り返れば、テーブルの向こう側に1人の少女が立っている。
 腰まで伸びた黒髪、黄緑色の寝間着を身につけ、にんまりと笑う。彼女は僕の義妹だった。

「……美代みよ、おはよう」
「おはよー。今日は何作ってるの?」
「まず、ピーマンと金平牛蒡の和え物と、白魚のムニエル……あとはご飯と、あさりの味噌汁かな」
「ほほぅ……よく作るよね〜。あ、納豆ある?」
「あるよ。それより、早く顔洗って来なよって……」
「はーいっ」

 美代は僕の言いつけを聞き、元気に洗面所へと向かって行った。美代は僕が中2の頃に父さんが再婚した女性の子供で、家の中を明るくするムードメーカーだ。僕がこういう性格だから、逆に義妹が明るくなったんだ。

 7時を過ぎると朝食も仕上がり、父と義母も揃って4人の食卓に着いた。テレビが点いて陽気な番組が少しうるさわしく、美代が隣でぺちゃくちゃ喋るのを耳にしながら、僕は黙々と食す。
 その後は勉強道具と身支度を整えて高校に向かった。美代はまだ中学生で、一緒に登校したりはしない。中学時代も、一緒は恥ずかしいからと断っていたぐらいだ。

 実際は僕の友達に、父の再婚を知られたくなかっただけだが――。

 晴子さんは生徒会長だった、なんでも知ってる会長だった。

 きっと、気付いてるんだろう――。



 ◇



 電車で3駅の所を下車し、まだ都会だと思えるほど高いビルの立つ光景を目にする。定期を1ヶ月買わなかったから、ここに来るのは修了式以来だった。時刻は7字45分、まだまだ早いのにスーツを着た男の人、シンプルな服装の女性が駅の出入り口からゾロゾロと足を進めていた。
 僕はその波に乗らず、まだ誰も同じ服を着た人を見ない通学路を進んで、高校に入った。持って着た上履きに履き替えて階段で4階に上がり、1-1の教室へと入った。

「――――」

 教室の光景を見て息を飲む。陽の光が照明となる教室では、いたずらな風がカーテンを揺らす爽やかな光景が目に入る。
 次に、教卓前に座る人物に目を向けた。彼女は当たり前のようにそこに座し、背筋を伸ばして1ミリも揺れる事なく静かに佇んでいた。両手に新聞の端を持ち、彼女はいつもの笑顔で記事に目を通している。

 こんな早朝、誰も居ない教室で神代晴子は学生らしからぬ様子で新聞に目を通していた。小学4年生からか、彼女はずっとこんな調子で、昔は僕も読まされたのが懐かしい。
 そんな思い出を振り返りつつ、教室に一歩を踏みしめる。ぎゅむっと、少し情けない足音がして漸く彼女は僕に目を向けた。

「幸矢くん、ちょっと来たまえ」
「……?」

 挨拶ではなく突然呼び止める彼女の声に、僕は彼女の机まで寄った。晴子さんは新聞を閉じ、畳んで机に置く。

「……なに? 早くしないと、他の生徒が来るよ?」
「わかっている。ただ、これを見て欲しい」
「……?」

 彼女は、机の中を指差した。僕は不思議がりながらも机の中に顔を覗かせる。机の中を見て、僕は細い目をさらに細めた。……へぇ。

「これは……?」
「心当たりはあるかい? さすれば相当助かるのだが」
「いや、僕は知らないよ……」

 これを誰がやったのか、僕は知らない。

 机の中を画鋲で埋め尽くされてるなんて――ね……。

「……私を嫌う生徒は居ないと思っていたが、表面上の問題か。今一度、キミに誤謬してもらうしかなさそうだね」
「はぁ……ここまで骨を折ったのに、くたびれ儲けだね……」
「いや、成果はあった。キミは1月まで、これまで通りに頼む」
「うん……」

 話を終えて、僕は自分の机にショルダーバッグを置いた。
 前の方からジャラジャラと机の中を掃除する音を無視するように、僕は鞄に向かい続けるのだった――。



 ◇



 晴子さんと会話を絶って、暫くすると教室にチラホラと生徒が見え始める。彼らは決まって晴子さんに声を掛け、晴子さんもまた挨拶を返した。
 この教室は、晴子さんに支配されている。誰もがあの少女に笑顔で話し、誰もが頭を下げて言う事を聞く。それは彼女のカリスマ性がそうさせたに他ならない。初めは学級委員として晴子さんからみんなに1人ずつ挨拶をしていた。しかし、ある日突然その巡礼をやめると、逆に生徒達から晴子さんに声を掛けるようになったんだ。

 そんな事、普通じゃない。でも、今は誰もがそれを普通と思って彼女に挨拶し、彼女の言葉を聞く。何故なら彼女は、"正義の味方"だから――。

 一方、僕に挨拶をくれるクラスメイトは誰1人として居なかった。しかし、こうでなくては困る。僕はこのクラスの俳優・・としての役割があるから。

 僕はヘッドホンでスピードラーニングを耳にしながらラプラス変換の公式を暗記をする。脳を2つに分けて考える――それは料理ではなく、勉強や会話でこそ真価を発揮するんだ。何かを同時にできるなら……そう思う人間はいっぱい居る筈だ。僕はトレーニングの末にそれを達成したに過ぎない。

 教室もガヤガヤ賑わうようになると、漸くHRのチャイムが鳴った。ゾロゾロと席に戻り始める生徒達、その中には晴子さんの姿もあった。
 彼女はHR前に担任の所に行って前もってする準備を聞く習慣があり、実に立派な学級委員だった。

 担任もやって来て教室も静かになるが、先生の後ろから入って来た見慣れぬ顔に、僕は目を細めた。その人物はこの高校のスカートを履いたまぎれもない女子生徒。髪はスカートの下部より下に伸び、随分と伸ばしているようだ。背丈は晴子さんと変わらないだろう、160ぐらいか。なかなか発育の良さそうな体をしているが、彼女の陰鬱とした風貌が台無しにしていると思う。

 けれど――彼女の目は、愉悦に満ちていた。

 ずっと、晴子さんの方を向いて――。

「みんな揃ってるな。今日は挨拶をする前に、この転校生を紹介するぞ」

 担任のやせ細った男性が黒髪の少女に手を向け、彼女が転校生である事を告げる。少女の視線は、晴子さんに向いたままだった。

北野根きたのね、自己紹介して」

 担任が少女に自己紹介を促す。少女はクラスを見渡し、簡単に自己紹介をした。

「初めまして、皆さん。京西けいせい高校から転校してきた北野根もみじといいます。人を驚かせることが好きで、さっきもつい神代さんにイタズラしちゃったの。よろしくね」

 ニコリと笑って締めくくると、クラスがどよめく。京西けいせい高校は、この県内にある、全国でも有名な進学校だ。一方この高校は中堅レベルかそれ以下の内心で入れる高校――親の転勤があったとしても、賢い人物がレベルを下げて転校をしてくるだろうか?
 高校生ならアルバイトして一人暮らしだってできるだろうに。

 怪しい女だった。髪が長く、妖しい笑みを浮かべて晴子さんに目をやり、あからさまに怪しんでくれと言ってるようなものだ。

 今朝晴子さんの机に入っていた画鋲――まさか、転校生が――?

 そんな胸のざわめきに悪寒を感じつつ、北野根という少女はこちらに向かってくる。僕の隣の席は不運にも空白だったから。

「……あら?」
「…………」

 彼女は僕の顔を見つけるなり、不思議そうな声を出した。僕のことまで知ってるなら、いよいよ晴子さんを狙ってると断定する他ない。
 少女は僕を上から見下ろし、尋ねる。

「貴方……もしかして、苗字は黒瀬?」
「……そうだけど?」
「ああっ、やっぱり。瑠璃奈に似てると思ったのよね……」
「ああ……」

 僕の従兄弟いとこで同年代の瑠璃奈は、確か京西高校に裏口入学させられたらしい。彼女を北野根さんが知ってるってことは、少しは学校に行ってたのか……。

「……貴方、瑠璃奈より淡白なのね。驚いたわ」

 椅子を引き、スカートを抑えながら座る少女。
 彼女は瑠璃奈と話したことがあるようだ。晴子さんよりも行動力があり、政治家の娘というコネを使いまわして単身米国の教育省や外務省に話を付ける、死ぬほど忙しい、あの瑠璃奈と。
 つまり、彼女も只者じゃない人間というのは確実だった。

「黒瀬くんって呼ぶと瑠璃奈みたいで嫌だから、下の名前教えてくれるかしら?」
「……幸矢ゆきや。幸せに弓矢の矢で、幸矢だ」
「そう……。フフッ、よろしくね……幸矢くん」

 彼女は艶やかな笑みを見せながら、そう言って会釈をした。
 薄気味悪い彼女に対し、僕はただ黙るだけだった。

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