人喰い転移者の異世界復讐譚 ~無能はスキル『捕食』で成り上がる~

kiki

17  終焉の引き金

 




 その日の夜は、少し暑かった。
 百合が隣で抱きついていたからと言うのもあるけれど、単純に部屋の中の温度が高い。
 だから眠りが浅くなってしまったんだろう、僕は夢を見ていた。
 過去の追体験、思い出したくもない、幸せだった薄っぺらい日々のことを。

 自惚れとか、身の程を知らない思い込みと言うのは誰にでもある。
 中学の頃の僕は、クラスの連中からあまり良くない扱いを受けながらも、彩花と姉という味方が居たため未来をさほど悲観視していなかった。
 それどころか、少しずつ近づいていく彩花との距離に、思春期の男子らしく浮かれていたのものだ。
 朝は一緒に登校し、帰りも一緒に下校する。
 たまに寄り道してみたり、土日は2人で出かけてみたり。
 ふざけて手を繋いだ時は、恥ずかしくて馬鹿みたいに真っ赤になりながらも、結局は手を離さずに歩き続けた。
 甘酸っぱい思い出と言うのは、こういう記憶のことを言うんだろうか。
 きっと、このまま少しずつ距離を縮めていって、僕らはいつか恋人同士になるんだろう。
 だって彩花は僕のことが好きだから。
 自分の感情を棚に上げて、そんなことを考えていた。
 それが僕の思い込み、自惚れ。

 期待しなければ人は傷つかない、僕はそれに気づくのが遅すぎた。
 彩花に見捨てられたのが僕の第一の破綻。
 そして姉にも距離を置かれたのが僕の第二の破綻。
 脆弱で愚鈍な僕の心は、二度の破綻で完全に壊れ果て、何もかもを失った。

 ……そう、思っていた。

 夢は途中で終わる。
 あまりに暑かったせいか、深夜に目を覚ましてしまったのだ。
 百合は隣で幸せそうにぐっすりと眠っている。
 時計に目をやると、時刻は深夜2時。
 冷静になって考えると、この世界と僕たちの世界が同じ24時間周期で時を刻んでいるのは、奇跡的な一致なのかもしれない。
 いや、むしろ環境が似ていたからこそ、召喚されたのかもしれないけど。

 汗をかいているせいか、やけに喉の渇きを感じた僕は、百合を起こさないようにそっと絡みつく彼女の腕を解き、音を立てずにベッドを離れた。

「ん……や……」

 無意識ながら僕が居なくなったのを感じたのか、百合が駄々をこねるように寝ぼけながら布団とぽすぽすと叩く。
 子供めいたその動きに思わず頬をほころばせ――途中で”はっ”と正気に戻った。
 ……何、笑ってんだか。
 昔の夢を見て頭がまともに働いていないんだろう。
 とりあえず、水が飲みたい。
 重い頭を支えるように額に手を当てながら、僕は部屋を出た。

 歩くたび、ギシギシと木の床がきしむ。
 微かな音ではあったけれど、誰もいない廊下にはよく響いた。

 計画は思うがままに進んでいる。
 金持と雨谷が死んでから数日が経ち、未だ彼女たちが自殺であるということ疑う者は居ない。
 前線ではずいぶんと帝国に押されているらしく、アイヴィは偉い人たちとの会議で忙しく、僕たちに構っている余裕はないようだった。
 この調子なら、あと2人ぐらいは同じ手口で殺せるか?
 いや、でも百合の躾け・・としては2人殺せただけで十分だ。
 おそらく彼女は、今の時点で僕のために人を殺すことに抵抗を感じなくなっている。
 あとは、どうやって相手にアニマを発現させ、それを捕食するかが問題だ。
 まさか訓練所で捕食するわけにもいかないし、まずは外におびき出さなければならないのだから。

 目的の食堂にたどり着く。
 部屋に入ってすぐ右側にある水晶体に触れると、天井のランプが魔力によって光を放ち、部屋が明るく照らされた。
 今更ながら、魔法で明かりが付くというギミックに疑問を抱いた。
 電気ならわかるけれど、魔力って、やっぱり魔法陣とか刻まれてるんだろうか。
 それを言い出したら、アニマの方がよっぽど不思議だって言われるのかな。
 確かあれも魔法の延長線上にあるものらしいから。
 エネルギーはMPだなんて表記されるように、エネルギー源も魔力だ。

 ガラスのコップを手に取り、蛇口の傍らにある水晶球に触れる。
 蛇口から流れ出した水はまたたくまにコップに満たされ、僕はそれをぐいっと飲み干した。
 井戸から汲み上げてるだけあって、かなり冷たい。
 火照った体の隅々にまで冷気が行き渡り、思考も含めて何もかもを冷ましていく。
 彩花……か。
 僕はたぶん、まだ彼女のことを諦めきれないでいた。
 水木先生のストレス発散に付き合わされているのか、最近彩花はよく彼の部屋に呼ばれているらしい。
 そこで何が行われているかなど、考えるまでも無いことだった。
 百合が言うには、何らかの方法で脅されて仕方なく、という話を聞いたことがあるとのことだったけれど――

「だから、何だって言うんだか」

 あのクズ教師に抱かれた彩花に興味なんてない。
 あいつの手で体に隅々に触れられたかと思うと、吐き気がするようだ。
 そう、吐き気が。
 彩花の体に対してではなく、僕以外の誰かが触れたという残酷な事実に対して。

 多くを望んだつもりはない。
 毎週末一緒に出かけて、手をつなぐような仲のいい幼馴染と、恋人になりたかっただけだ。
 たぶん、ずっと前から、僕は彩花のことが好きだった。
 百合と一緒に居て、それを痛感したよ。
 彩花とは全然違う、やっぱりあれが好きって気持ちだったんだ、って。
 そして自覚してしまった今、水木先生の部屋に彩花が通っているという事実は、僕に多大なダメージを与えていた。
 つい、百合の体に溺れてしまうぐらいに。

「……あ」

 二杯目の水をちびちびと口に運んでいると、少女の声が聞こえてきた。
 声の元へと視線を向けると、そこには……彩花が、気まずそうな表情で立っていた。

「起きてたんだ、彩花も」
「うん……暑かったから」

 言葉通り彩花は汗だくだった。
 ただ寝てるだけでそこまで汗をかくことがあるのかと、疑ってしまうほどに。

「水、私ももらっていいかな?」
「僕に許可を求められても……蛇口の主じゃないし」
「ふふっ、蛇口の主ってなにそれ」

 ボケたつもりは無かったんだけど、彩花のツボに入ったらしい。
 久しく見ていなかった彼女の笑顔。
 けれそれは、すぐに消えてしまった。
 まるで『自分は笑ってはいけなかったんだ』と思い出したかのように、慌てて表情を取り繕う。

「あ、ごめん……」
「なんで謝るの?」
「いや、特に、理由はないんだけど……ごめん、水もらうね」

 彩花はコップを手に取り、僕の横を通って水を注ぐ。
 ふわりと、彼女の甘い香りに混じって、何か不快な香りがしたような気がした。
 吐き気がしたけれど、歯を食いしばって耐える。

 いや、でも……なんで、僕が耐える必要があるんだろう。
 水木先生は、プラナスが動くことでアイヴィから手を引いた。
 なら、僕が動くことで彩花から手を引かせることだってできるのでは?
 ……そっか、そういや、脅迫されてるって話なんだっけ。
 けどさ、それだって、召喚された今じゃ、脅迫の材料はもう持っていないかもしれない。
 持っていたとしても、電子機器とか無意味な物にデータが入っているだけかもしれない。
 今なら彩花を救って、救って――どうするつもりなんだ?
 どうせ、みんな殺すんだろう?
 殺人に彩花も巻き込むのか、百合とは事情が違うっていうのに。
 たとえ救い出したとしても、もう元には戻れないって、自分で理解してるくせに。

「赤羽さんとは、うまくいってる?」

 気まずい沈黙に耐えかねた彩花が口を開く。

「まあまあ、かな」
「そっか……そうなんだ。赤羽さんのどこが良かったの?」
「……それは」
「ごめん、こんなこと聞かれても困るよね。じゃ、じゃあ、えっと……」
「いいよ、無理に話そうとしなくても」
「無理なんてしてないって、せっかく岬くんと話せたんだもん、聞きたいこと沢山あるんだから!」
「本当にそんなこと聞きたかったの?」
「そんなこと、って……」

 核を囲む防壁の輪郭線をなぞるように、やけに遠回りな質問ばかりだ。
 本当に聞きたいことは別にあるのは明らかだった。

「そんなことなんかじゃない、本当に聞きたかったの! どうして赤羽さんだったのか、赤羽さんはどうして岬くんを選んだのか、どうして、どうして……私じゃなくて、他の人だったのか、って……」

 こらえきれず溢れた本心に、僕は喜びを感じると共に、無力感を覚えていた。
 今さら言ったって、もう手遅れなんだ。
 きっと、彩花もそれを理解していて、だから……今日まで、ずっと言えなかったんだ。

「ごめん、今のは忘れて」
「無理だよ」
「忘れてよ……」
「無理」
「忘れてよぉっ!」
「だから無理だって、僕も彩花のことが好きだから」
「じゃあ、どうして、私じゃなかったの?」
「彩花もわかってるんじゃないかな」
「……水木先生の、こと?」

 ほら、やっぱりわかってるんじゃないか。
 まあ、それだけ汗だくで、首筋に赤い跡を残した姿で僕の前に現れておいて、わかってないわけがない。

「知ってたんだ。知らないわけがないか。あれだけ……何度も呼ばれてるもんね。やっぱり嫌だよね。私の体、汚いよね」
「うん、汚いね」
「……っ!」

 だから自分で言っておいてショックを受けるのはやめてよ。
 僕は素直に答えただけなんだから。

「一度や二度じゃないんでしょ? あっちの世界に居た頃から、何度も僕に酷いことをしてきた男に抱かれたわけだ、そりゃ汚いに決まってるよ」
「そ、それは、写真を撮られて、脅されてっ! それだけじゃない、私だって辛かったの! だって――」
「だって?」
「わ、私と、岬くんは……」

 彩花は今日見たなかで一番苦しそうな表情で、絞り出すように言った。

「血の繋がった、兄妹だから」

 ……は?
 突然飛び出してきた突拍子のない発言に、僕は言葉を失った。
 僕と、彩花が、兄妹?
 ああ、だとしたら、今は姉妹になるのかな?
 はは、ははは……いや、なにそれ。
 ジョークにしては悪質だ。

「15歳になった時、ママから聞かされたの」

 彩花の誕生日は3月だから、ちょうど春休みの半ば――態度が急変した時期と一致している。

「私はずっと岬くんのことが好きで、岬くんも私の事が好きだったんだよね? だから、あと少しで恋人になれるかもしれないって、そのまま結婚して、ずっと一緒に居たいって、居たいって思ってたのに!」
「待って、待ってよ、意味がわかんないって! なんで、何がどうなったら僕と彩花が兄妹になるの!?」
「私と岬くんの父親が、一緒だからだよ」

 父親が、一緒……?
 確かに、うちの父親と彩花の母親は大学時代の同級生だとは聞いてた。
 普段からすごく仲が良くて、よく外で一緒に話している姿を見かける。
 それに母親が嫉妬して、微笑ましい光景だとか笑ってた記憶が、ある、けど――

「ママがね、すごく饒舌に話すんだ。大学時代は実は付き合ってて、別れたくないのに離れ離れになって、運命の再会だと思ってたとか。岬くんの両親は産んだ後もセックスレスが続いてて、ずっと溜まってた・・・・・とか。女として白詰さんの奥さんよりずっと優れてるとか、ペラペラと、嬉しそうに、本当はずっと誰かに自慢したかったみたいにッ!」

 まくしてたる彩花。
 僕は、情報量が多すぎて完全に混乱していた。
 大学時代、付き合ってた? 運命の再会?
 つまり――彩花は、僕の父親と彼女の母親の不倫で生まれた子供なのか。

「なんで嬉しそうに話すのか全然理解できなかった。だって、私と岬くんが兄妹ってことは、結婚できないんだよ? 普通に付き合うこともできなくなっちゃうんだよ!? ママは私が岬くんのこと好きだってこと知ってたのにぃっ! でも言われてみれば、私と岬くんって似てる所がいくつもあって、ほら、首筋のほくろの位置とか、耳の形とか、そういうの見つける度に……ああ、本当なんだって、嫌でも見せつけられて、傍に居るのも苦しくなって!」

 戸籍上、彩花の父親は僕の父親にはなっていない。
 だから、結婚自体はできるはず。
 けど――異父兄妹ということを知った上で結婚を選ぶことが出来る人間が、この世にどれほど存在するというのか。
 かと言って、幼馴染として積み上げてきた15年間を諦められるわけがない。
 板挟みだった。
 彩花は、ずっと、僕の知らない場所で苦しみ続けていた。

「本当は岬くんと一緒にいたいのに、辛くて、辛くて! ただでさえ苦しんでたのに、そこに水木先生が現れて、指導室でいきなり、押し倒されて……岬くんのための、はじめてが。キスとか、処女とか、全部奪われて。その後も、写真で脅されて、何度も、何度も、何度も、今日だって、今だってぇっ!」

 狂乱しながら叫ぶ彩花を、僕は無言で抱きしめる。
 握られていたコップが床に落ちヒビが入る。水があたりに散乱する。
 半端な慰めなんて、何の意味もない。
 言葉より行動の方がストレートに僕の気持ちを伝えてくれる。

「やめてよ、汚いんでしょ……? 酷いことも沢山言ってきたんだよ?」
「うん、汚いよ。でも……それでも、彩花のこと嫌いになれなかった。今でも好きなんだ」
「あ、だめ、やめ……っ!」

 彩花の抵抗も虚しく、僕は彼女と唇を重ねた。
 強引に舌をねじ込み、絡める。
 彼女は涙を流しながらも、少しすると抵抗をやめた。

「なんで、なんでこんなことできるの? 私は……私はぁっ」
「好きだったら理由なんていらない」

 再び強引に抱き寄せて、舌を絡める。
 今度は抵抗しなかった。
 むしろ彩花は自ら舌を絡めてきて、その慣れた動きに僕の胸は握りつぶされるぐらい締め付けられたから、やけになってさらに必死に唇を貪った。

 百合がいるからとか、人を殺すからとか、悩んでた僕がバカみたいだ。
 血の繋がりがある僕たちは、最初からどうしようもなかった、詰んでいた。
 なのに、ちっぽけなモラルを気にして躊躇って、今日まで告白を先送りにしてさ。
 どうせ今の僕は女だ、子供も作れないんだ、だったら血の繋がりなんてどうだっていい!

「……はっ……岬、くぅん……っ」

 甘い声に導かれるように、舌同士の交合が熱を帯びる。
 脳内にはもはや彩花のことしか残っていなかった。
 あらゆるしがらみを忘却し、ひたすらにむき出しの感情をぶつける。

「はっ……はぁ……彩花、好きだ」
「私も、好き。ずっとずっと前から、岬くんのことが大好きっ!」

 幾度となく唇を重ねた。
 食堂のテーブルに押し倒して、それ以上のこともした。
 後先のことなんて考えない。
 何時間も、何時間も、外が白んでみんなが起きてくるギリギリの時間まで、僕たちはそれを繰り返した。
 慣れた手つきの彩花に嫉妬して、慣れた手つきの僕に嫉妬されて。
 何十回と、何百回と、数え切れないほど、好きだ、好きだ、とこれまで伝えられなかった互いの気持ちを伝えながら。
 ずっと溜め込んできた気持ちを解放出来たことで、僕たちは今まで感じたことのない幸福感に全身包まれていた。





それが、終焉の引き金だと気づくこともなく。





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