天の仙人様

海沼偲

第213話

 静かなこの中で、俺は一人立っている。その周囲には二つの国の兵士が臨戦態勢でいるわけである。今すぐにでも爆発してしまいそうな爆弾の中、真ん中に位置しているのだ。だが、ここを離れることは俺自身が許せるはずはない。なので、じっとして動くことはない。それに、俺がいることによって、彼らは戦闘にまで発展していないのである。末端の兵士の一部は、俺の存在に感謝しているような、そんな雰囲気も感じなくはない。なにせ、俺がいる間は、死ぬことがないと保証されているようなものなのだから。
 一瞬でも、戦場へと変われば、彼らも兵士なのだから気持ちを切り替えることは出来るだろう。だが、今この状況に置いて、彼らはまだ人間であり、兵士ではない。ならば、生にしがみついて、生きたいと強く願うことは当然であろう。彼らは機械ではないのだから。俺は、彼らのその淡く儚い想いを守りたいのである。それもある。
 警戒心をむき出しにして俺のことを監視していることは確かなのだが、たまに兵士の何人かが食事を持って来てくれる。俺はそれを食べることはしないが。残念そうな顔を見ると申し訳ないが、それが俺に課せられた使命を全うするためには必要なことなのである。
 とはいえ、俺が食事を取らないと知っても、かまわないとばかりに彼らもこの場所で食事をするのだ。他愛のない話をしながら。彼らは、くだらないような、それこそ天気の話をしながら、昼食を過ごしているのである。その時には家族の話なんてものは全く出てくることはない。意識的に避けているのだろう。思い出してしまうと、悲しさに心が奪われてしまって、兵士としてこの地にいることが難しくなってしまうのだろうから。だから、俺もその話題には触れることはしない。一緒になって今日の天気について話すわけである。
 時には、二つの国の兵士が俺の周りに集まって話している。雑談である。俺の周囲では争いが起きないのだ。名目上では、俺という存在を自分たちの陣営に引き込まないようにという牽制なのだろうが、そんな素振りは一切ない。彼らはこの場所の中では、ただの一人の人間として、この平和を愛している人間として、いるのだから。
 いくつかの日が昇って、そして沈んでいった。その間も、移動することはしない。その場にい続けなくてはならない。自分という存在が、異常であるかのように見せるためには、食事を取っている、睡眠をとっている、そのようなそぶりをわずかにでも見せてはならない。常人では無理だろうが、仙人であるからこそ、可能な作戦だろう。彼らは、気づくわけだ。ただ強いだけの人間ではないのだと。数日もの間、飲まず食わずで平然としていられる人間がいるだろうか。それも、戦場という極度のストレスにさらされる空間に。この場所が、危険であればあるほどに、俺の異常性が際立ってくるわけであった。
 出来ることならば、戦争を諦めてほしい。そう思うのだが、そんなことはないだろう。国のプライドがここで引くことを許しはしない。王国は、隣国……皇国から攻撃を受けていたのだから。そこで引き下がるわけにはいかないし、彼らも攻撃をしてきている、侵略をしてきているという中で、引きさがるという選択はないのであった。俺の行動は全て、開始までの期間を長引かせていることでしかない。痛感している。わかっているのだ。だが、しないではいられないわけであった。子供の我儘のようだ。
 それを感じるようになるのは、彼らがそわそわとしだしているからである。今までは、上の人間たちでも俺のことを眺めるように見ている人はいたが、その程度であり、焦りという感情はなかった。だが、今まさに彼らは、緊張状態へと移行しているのである。俺の方をちらちらと見ながら、それに恐れの感情をにじませているわけだ。ただ、自分たちと、その周りにいる仲間に意識を移すことで、気持ちを保っているような気がするわけである。
 そのころになると、誰一人として近寄っては来なくなっていた。それこそが全ての答えを伝えているわけであり、俺はたまらなく悲しくなってくる。そんなことがあっていいのかと思わずにはいられないのである。出来ることならば嘘だと言ってほしい。だが、そうではないのだと彼らは行動で伝えているのである。

「早いか……遅いか……どちらにせよ、俺の努力は全て今この瞬間に意味のないものへと変わってしまったのか。とても嘆かわしいことだ。だが、それが避けられないということも理解していた。だからだろうな。あまりにも冷静に心が落ち着いてしまっている。嘆き憐れんでいる心の内側では、不気味なほどに冷え切ってしまっているんだ。どうしたものだろうか。まるで自分が人間でなくなったみたいだ。これほどまでに冷静に、彼らのことを殺すことに移行できてしまっている。嫌なことだ。だが、ある意味では助かってしまう。そう思ってしまうことすらも嫌だ……なあ……」

 どこに向かうとも、誰に向けてもいない言葉をぼそりぼそりと呟いていた。そう、戦闘が始まる。それを伝えているのである。ここまで良く持った方だと言うべきか、早すぎるというべきか。所詮は俺の存在だけでは、この程度でしか持たせることは出来ないのだろう。悲しい。これから多くの人間が死ぬ。多くの自然が死ぬ。多くの生が死ぬのだ。この場にいることで、圧倒的なまでに生きるということを実感してしまう。極限まで濃縮されてしまう現実を目の当たりにするわけだ。常人であれば発狂するであろう程の、現実が、目の前に起きてしまうのだ。俺は、それを嘆くことしかできない。駄々をこねるように、喚くことしか出来ないのである。
 今まで後ろに隠れていた魔法使いたちが前線に出てくる。最前線である。戦場の基本だろう。最初は魔法によって、打撃を与える。敵の数を一人でも多く減らしておきたい。それも遠くから。だとしたら、弓よりもさらに遠くへと攻撃できる魔法を使うというのは当然なわけで、どの国も同じ戦術を取る。
 魔力が両軍に渦を巻くように集まっていき、強大な力へと変わっているのが手に取るようにわかる。あれが直撃でもすれば、どうなることか。想像することを拒んでしまいたいほどである。それほどに、危険な代物であった。地形が変わってしまうだろうと想像することは容易い。地形が変わる程度ですめば優しいだろう。このあたりは魔力の異常磁場に覆われて、生物がすむのが難しい気候になるというのもわかるのだ。そして、それを俺が許すわけがないということもまた事実である。
 放たれてしまった魔法は、俺の上空を通過するように、飛んでいく。そのような軌道であるとすぐにわかる。まずは俺を排除しようというわけではないみたいだ。さすがに、一人の人間に対して全力の魔法を放つわけがないか。それは、空を覆い、色鮮やかな弾幕となっているのだ。これが人を殺すために放たれたものではないとしたら、綺麗であると、心奪われてしまうことだろう。本当に惜しい。これを芸術としてではなく兵器として扱う必要が、定義づける必要があるということを。
 俺は、魔法を当て、空一面に広がっていた全ての魔法を消し去る。俺の魔力を空にするまでつぎ込むことによって、全ての魔法が消失したのだ。綺麗に、そして完全になくなったのである。彼らは、まさかのことで驚いたことであろう。まさか、この大空を覆い隠す魔法の大群を、完全に消すだけの魔力を持ち得ているとは思わなかったのだろう。そして、完全に消えたと同じ瞬間に、半分ほどの魔力が回復している。仙人の継戦能力は、常人をはるかに凌駕しているのだ。それに、今この場には、魔力の奔流が出来ている。魔力が乱れているのだ。それを吸収すれば、すぐにでも、完全に回復するであろう。仙人の回復力に、それが合わさるのである。
 それのおかげで、この空間にはきれいさっぱりと大量の魔力がなくなり、自然の状態へと戻っている。その代わりに、俺の体内には魔法として消費されたばかりの魔力があるのだが。それは、魔法として再び使うには、時間がかかる。ゆっくりと体の中でなじませていく。自然と循環させていくことで、より早く使えるようにするわけである。世界は俺の味方をしてくれるわけなのだから。使わない手はないだろう。
 今から戦争を始めようとしていたところで、出鼻をくじかれたことであろう。魔法が着弾すると同時に突撃を開始するのが基本なのだから。その一番初めを消し去ってしまえば、次に進むことを困難にさせていることは間違いない。俺の作戦と呼べないような、無理やりな案はひとまずは成功しているということである。
 だが、彼らはお互いに対して攻撃を開始した。そこで、二の足を踏んではいられまい。そこから一歩前に踏み出さねばならない。ここで立ち止まってしまえば、途端に弱気になり、兵士が、兵士としての職務を全うすることなど出来るはずもない。もう、後戻りは出来ないのである。たとえ、目の前に未知数な存在がいるとしても、突撃をすることが最善の選択になっているのだ。彼らの中では。それ以外には存在しない。
 二つの軍の指揮官は、突撃を命令した。兵士たちも命令があれば従わねばならない。武器を構え、突撃してくる。声を張り上げて、感情も何もかもをかき消す様な大音量の中に呑み込まれていくのである。王国軍の中には、一緒にクジラオオツバメを撃退した仲間もいることだろう。だが、今この瞬間は敵となってしまうのである。どちらかのみを倒すということはあってはならない。両軍ともに壊滅的な被害を与えなくてはならない。俺以外に存在している全ての人間が敵なのである。戦うという意識において、これほど戦いやすいことはないだろうが、背中を守ってくれる味方がいないという危険もある。だが、それは自分自身で選んだことなのだから。
 激突するまでの間に、魔法を何発か両軍に当てていく。尻込みしてくれればいいのだが、覚悟を決めた兵士は止まりはしない。何人もの兵士が肉片へと体を変えているわけであるし、それの返り血を浴びているのだが、止まりはしない。止まることは許されない。止まるということを意識のうちから消し飛ばしているのである。それがしっかりと理解できる。人間の闘争本能を極限まで刺激するということはどういうことなのか、それを今まさに実感しているのである。味わいたくはなかったことである。
 今まさに彼らは人間から猛獣へと変化したのである。戦うという意思に呑み込まれた獣なのである。そうでなければこの地に立つことすら許されはしないのだ。それこそが兵士としての本懐なのだから。それを真に心のうちから理解できてしまう。それが、残念でならない。最後の最後まで理解していたくはなかった。だが、逃げられることがないのだから、しっかりと覚悟を決めなければ。彼らはもう俺にとっては殺すだけの敵なのだから。
 俺の正面にいる兵士は、槍を突き出してくる。両側からであれば、避けられないとでも思っているのだろうが、問題はない。両手で両側の槍を掴み、そのままへし折る。武器の両端から力を加えて、壊れないわけがない。武器がなければ、意味もなく、ただ無慈悲に殺されるのみであろう。腰に下げている剣を抜かせる前に、顔を蹴り飛ばして空の彼方へと。ついでに、彼らの剣を手に取り、手近な兵士たちを斬りつけていく。両軍の数が同数になるように、数えながらである。
 剣を振りながら、魔法によって鍛え上げていく。敵を切り裂くたびに、血が付着し、それを金属と絡ませ馴染ませていくのである。人の血を知った金属は、より強靭でしなやかなものと変化していくのである。今では、この剣は刃こぼれのしない、極限の鋭さを持った武器となっていることであろう。軽く振るだけで、槍の先端を斬り飛ばす。ただの棒へと変化させていく。棒だけでも人は殺せるのだから、そこまで意味はないだろうが、時間をわずかでもかけさせるほうが良いだろう。
 俺に攻撃をしようと、剣を振りかざしてくる兵士に対して、意識のみを、殺意のみを飛ばしていき、自分が殺されたかのような錯覚をさせていく。その瞬間に彼らは死を幻想し、体が止まるのだ。戦場で棒立ちになれば、すぐにでも殺される。彼らの体は斬られる。そして、突き刺されるわけであった。そうすることで、効率よく彼らを殺していった。
 余裕が出てきただろう。先ほどまでの状況からは少しは楽になっている。出来るだけ痛みをなくし、愛をもって殺していくことが出来る。愛のためにはまず笑おう。笑顔を見せて、死ぬ瞬間に笑顔を見て死ねるようにしてあげよう。彼らの顔を見て、殺してあげるのだ。笑って送られた方が彼らのためにもなるだろうから。俺の頬はつり上がっていく。さあ笑おう。彼らの死への道を、俺が花で飾ってあげるのだ。彼岸までの道のりを誘導していくわけである。
 隊長格の兵士たちも焦りが見え始めている。これほどまでに俺という異常な存在が、計画を真正面から破たんさせているのだから。俺を止めなければ、相手の国と戦うことすらできない。それはどちらも同じ。俺が死ぬのが先か、向こうが全滅するのが先か。それとも、撤退するか。どちらにせよ、どれだけの被害が出るか。頭の中で勘定すればするほどに、あまりにも割に合わない被害が出てくると理解できたことだろう。真っ白に顔を染めているのだから。
 自然と共に、巡りの中で一つとなっていく。空気のわずかな乱れを直観で感じ取り、彼らの全ての動きが手に取りようにわかっている。あらゆる攻撃の角度と速度がわかってしまえば、避けることは容易い。全ての攻撃は俺に当たることはなく。俺の全ての攻撃は彼らを傷つけていくのである。赤く飛び散る血液が、青い空を鮮やかに彩っているかのようであった。

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