天の仙人様

海沼偲

第203話

 兄さんたちが帰ってきた。巨大な馬車に乗って帰ってきたのである。予定よりも大きく日程がずれているわけであるが。だが、それだけ重大なことがあったのだろう。神聖国はよくわからないところもあるから。秘密主義的な国でもあるのだ。その国に住んでいなければ、住んでいたとしてもわからないことが多い。その多さは他国の比ではないらしい。だから、予想だにしない出来事が起きてしまうこともあり得るのだろう。
 クルーたちが俺たちの元からいなくなると、かすかにではあるがルクトルがほっと息を吐いたように思えた。確かに、彼は一番心を傷つけられたのだから、一緒にいることに、多少なりとも……いいや、多大なストレスはあったことだろう。それがいなくなったことによる解放感が、表に出てきてしまったとしても、誰が指摘できるかという話である。これから、彼の精神が良好な方へと向かってくれることを祈るばかりである。
 と、それと同時期に衛兵に渡した生首の身元が判明したらしい。しかも、出身地が隣国であるそうだ。これは、少し小競り合いが起きそうな予感である。まだ、どこの国かというのは教えてもらっていないし、教えてもらう必要はない。今は、国の上の方だけで、管理をしておいてもらいたいところである。こういう話は、漏れてしまったら、一気に全国に広がってしまうだろうから。それだけは避けねばならない。少しずつ、準備を進めていく必要があるのである。
 ちなみに、持ってきた生首をどうするのかと聞いてみたのだが、衛兵たちの方で埋葬するのだそうだ。残念である。出来ることならば、彼女の生首だけでも持っていたかったのだが。あれほどまでの綺麗で美しい惚けたような顔はないだろうから。あの顔がこれから先二度と見ることが出来ないというのは大きな損失となるだろう。それがひたすらに残念でならない。しかし、それを引き留めることは出来ないのだから、涙をこらえて諦めるしかないわけであった。
 せめてもの願いとして、火葬するところを一緒に見させてもらった。彼女たちがゆっくりとあの世へと、彼岸への道をしっかりと歩くことが出来るように祈るばかりである。脳裏にしっかりと焼き付けていく。どろどろと焼けただれ、顔が人ではないかのように変化していく様子もしっかりと、忘れないように。それこそが、彼女たちに対する俺の最大限の愛であるから。それは忘れてはならないだろう。
 彼女たちは他国の人間であった。そして、俺たちの国に対して不利益を与えていた。たったそれだけの事実は、これから先に起きるであろう争い事、大きくなれば戦争にだってなりえるということを簡単に伝えているわけである。それだけ両国間に緊張を持ち込んでしまうだけの事実であり、出来事なのだから。おそらくは、甲冑の男が他国からつかわされている兵士であろうということは当然の事実として処理されているだろう。だから、あの盗賊騒ぎは、隣国の策略なわけだ。それを認識したうえで、何もしないということはないだろう。たとえ、それが間違っていたとしても、それを大きく訂正はしないのだ。この国の中では、もう決定づけられている話なのだ。俺が持ち込んできたたった二つの生首によって。
 いずれ来てしまうであろう戦争について、何も思うところがないかというとそういうわけではない。人が死に、生が死に、死ですらも死んでしまう。全てが息絶え、絶望というか、それすらも生ぬるい地獄ですら天国に感じるほどの世界が生まれる。自分たちが積み上げてきたものが、歴史が一瞬にして破壊されつくしてしまうという、悪魔の呪いなのである。そういうすべてが無となり意味をなすことのない状況なのだから。戦争に対して、あらゆる面で肯定することは難しいだろう。積極的に否定することが、これほどまでに容易なことはそうそうあり得ない。絶対にあってはならないが、これは国民の国民による、国民のための理想論でしかないというのもまた事実であった。国民がどれだけ理想を掲げたとしても、国家は、現実を直視しなくてはならない。逃避することが許されない存在として、国家が位置付けられているのである。だから、あまい理想に耳を傾けることは出来ない。それもわかってしまう。俺は、究極的な第三者でいる場合、全ての意思を理解し、共感できてしまうわけであり、それのどちらかに肩入れもしてはならないのである。それが絶対であった。
 だが、明らかにこの国に戦争の火種を発見し、それを報告したのは俺なのである。俺が逃げられる場所はあるだろうか。ないだろうな。あってはならない。それが自身の身の振り方であるということも理解できてしまう。であれば、俺はどうすればいいのかという話であった。中立であり、そして戦争を破壊するものである必要があるのかもしれない。出来るのかはわからないが。出来なくてはならないということは確実なのだが。
 悩んでいるのである。バカバカしいほどに。頭を抱えて懸命に解決策を探そうとしているのだ。あまりにも無謀なことだろう。争いというものは火種が生まれてしまえば消えることはあり得ない。全てを燃やし尽くして、可燃性のものが完全になくなるまでくすぶり続けるものなのだから。たとえそれが、数百年前からのものだとしても、俺が今まさに空気を送り込んでしまったのである。うかつにも。それを悩まずに、何を悩めばいいというのか。そんなものはどこにだってありはしないだろう。

「……ということはわかりましたがね、なんであっしを呼んだんですかねえ。別に、何もないですけどね、協力できることなんて。たくさんの死人が出たら、少しは大変だって、地獄の鬼どもも嘆き憐れむことでしょうけど、それだけでさあ。むしろ、臨時ボーナスが出るって大喜びな奴もいるかもしれませんね。でも、それ以上はなにもありゃしませんよ。特に、あっしなんて死体を集めてブタに食わせるだけの農家みたいなものなんですからね。あ、最近絞めた豚肉食べます? おいしいですよ。人の清純にして愚鈍な魂だけを食わしてますからね。そんじょそこいらのブタどもには出すことの出来ない、美味を引き出してありますでさあ」

 彼は、俺に防腐処理を施してある豚肉を渡してくれる。地獄産の豚肉というのは初めて食うものだから、どんなものかと疑問に思ったりするが、彼らは、酪農家なわけなのだから、わざわざ不味いものを送ってくるわけではないだろう。それに、俺と彼の仲なのだから。最近の彼は、獄卒がたくさん入手できたからと、土地を大きく広げていて、今では地獄では有数の大地主なのだそうだ。その片手間の趣味でブタの飼育もしているということだろうか。どちらでもいいが。少なくとも、彼が美味しいと言っているのならば、それを信じるとしよう。
 俺は適当な使用人に受け取った肉を渡すと、今晩の食卓にでもならばしておいてほしいと伝えておく。人数はたくさんいるから、今日一日でなくなることだろう。出来ることならば、俺一人で味見してからでもいいが、それで実際に美味しかったら、先に食べたことを後悔しそうであった。
 と、話がずれてしまったな。唐突に自分で育てている家畜の自慢をしてくるなんて思いもしないものだから、少し飲まれてしまったところがある。とはいえ、貰い物を拒否するほどの非道ではないので、受け取ることは受け取るわけであるが。
 地獄からわざわざ呼んできたのは、別に死体の処理なんかのためではない。それならば、もっと後の時期に呼ぶさ。まだ争いは起きていない。戦争なんてないのだ。死体のないところでは、死体処理なんて出来ないのだから。なのだとしたら、何のために呼んだのか。それは、俺のある目的のためであったりする。それが出来るのかはわからない。だが、それをしなくてはならないような気がしてならないのだ。これこそが、俺が吹き起こしている火種を消し去る方法なのではないかと。

「別に、お前さんに何かを頼もうってわけじゃあないさ。頼むには頼むが、大きく動いてもらうというわけじゃあない。出来ることならば、俺が俺だとわからないような着物が欲しいんだ。全身を覆い隠すようにして、雰囲気から何からがわからないようになっているような着物がね。それさえあれば、防護性能なんてすべて無視したってかまわないからさ。今一番大事なことは、それを着ている人間が俺だってわからないようにしてくれればいいというところだね」
「それを取り寄せてほしいってところですか? 何のために? わざわざ身を隠してまで何をしたいっていうんですかい?」
「もし、戦場のど真ん中で、お互いが拮抗している状態で全く知らない謎の存在がその中心に立っていたら、どう思うか、という話だよ。これから戦おうというその瞬間に、唐突に戦場の中心に現れるのさ。素性も知らないような、訳の分からない存在がな。それを前にして、彼らは一体どんな反応を見せてくれるのか」
「…………。……へえ、面白いですねえ。まあ、それぐらいだったら、あっしも手伝ってあげようって思わなくもないですね。とはいえ、地獄にはそういいものが転がっているなんて思わないでくださいよ。最近掘り出し物があったなんて思ったら、実際はヒトの魂を抜き取るだけのジョークグッズだったことだってあるんですからね」
「ああ、かまいはしないさ。期待を大にしているわけじゃあない。ただ、出来ることならばという話なのだからね。ただ、それが可能かどうかで、争いがどれだけの期間で終わってしまうのか、どれだけの規模で収まってしまうのか。それが大きく変わるというだけなのだから」

 彼は、俺の話を聞いたらすぐに帰っていってしまった。とても楽しそうなものを見たかのような顔をしながら。彼に喜んでもらえるのならば、まあやるだけの価値はありそうだ。出来ることならば、そんなことをする必要がない状態に落ち着いてくれればいいのだが。だが、そんなことはありえないだろうという予想だって容易に立つ。だから、大きな期待はしないで置くわけである。そうしておけば、覚悟が出来るのだから。
 使用人たちは、俺と先ほどまで話していた人が誰なのかで盛り上がっているようだったが、次の日か、また次の日くらいには忘れてしまっているだろう。彼の顔は、ぼんやりとしていてつかみどころがないように、見えているらしい。存在そのものが記憶に残りづらいのだということである。それに合わせて、意識の内側に残らないように、気を巡らしているのだそうだ。当然、地獄出身のもの達も、当然であるかのように気を扱うことが出来るそうで、そういうことをなんてことないように行ってくる。俺が必死こいて手に入れた仙術なのだがな。人間には難しいという話なのだろう。やはり、種族の差というものを全身で感じてしまっている。
 俺が家の中に入ると、アオがこちらをじっと見ている。何かに気づいているのか、そうではないのか。そのどちらともいえないような中間的な、視線を向けているのである。彼は龍だから。俺にわずかにこびりついている地獄の臭いをかぎ取っているのだろうか。それとも、また別のところか。悩みでも感じたのか。わからない。ただ、何も言わないで、再び本に目を落としたのは助かったというか、ありがたかった。別に隠しているわけではないが、戦争に女子供を近づけたくはないという、男の精一杯の意地があるのだ。巻き込まれることと、参加させることでは大きく違う。出来ることであれば、この家にいる人間で、戦争に参加するのは、俺だけで十分なのだ。その意思を強く持たなくてはならない。
 俺は、どこまで行っても、どれだけ人を愛そうとも、所詮は他人では家族には勝てないということだ。博愛を謳おうとも、家族を愛する、家族だけでも助かってほしいという、この気持ち、愛だけは偽れそうもない。俺の心は嘘であるのか。そうではない。そうではないと信じたい。だが、それを自信を持って言えるかというと、それもまた違うだろう。俺は優柔不断であろうか。俺は間違っているのだろうか。そのどちらでもないと言い切ってみたいものだ。今はそうは出来ない。
 だが、これから先の未来で、全ての人間を、守ることが出来たのならば、それは真に、皆を愛することが出来たと言っていいのではないか。いいや、言わなければならないのだ。俺が俺であるからには、皆を愛し、その結果として、守ることが出来ているということになるわけなのだから。今もまさにそれを考え、どうにか実行しようとしている。俺の手が届く範囲、そこからさらに一歩分だけでも伸ばしたところに、届くことを祈るばかりであった。
 ちなみに、彼から頂いた豚肉は、とてもおいしく食べることが出来た。あとで、彼に感謝しておくとしよう。目当てのものを持って来てくれた時とかに。

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