天の仙人様

海沼偲

第198話

 しんと静まり返った街道沿いを俺はゆっくりと歩いていた。かつんかつんと足音が小奇麗に響いており、それがまた遠くの世界へとゆっくり消え去っているのである。暗い夜の道であるかのような恐ろしいまでの陰鬱とした雰囲気がこもってしまっている。昼間であるというのに、それを一切感じさせないだけの不快さを纏っていたのだった。最近になってのことである。ここいらで、盗賊が湧いているという話を聞いた。ただの盗賊であったのならば、兵士たちによってすぐにでも排除できるのだろうが、そうではないらしい。ということで、この周辺の街道は使用禁止となっている。被害を出さないように。そのためにか、誰の気配もしない。本来であれば、もう少し活気にあふれていてもおかしくはないのだが。今ではそんな様子なんてありはしないと、幻想であったのだと言わせるだけの説得力を持ってしまっている。嘆かわしいことに。
 そもそも、御者を超える実力の集団がいるのだとすれば、わざわざ盗賊になんて身を落とす必要はない。そうしなくても仕事は腐るほどある。体力自慢であるということは、それだけ恵まれているのだ。すくなくとも、無職でぶらぶらとするような事態にはなりえないだろう。だからこそ、それだけの実力者たちがどうして盗賊となって、人々を襲っているのか。疑問は尽きることはなさそうだ。
 でだ。俺がこうしてこの地を暢気に……暢気にというほど気楽に歩いてはいないが、あえて、警戒心を薄めて歩いているわけだが、それは別に依頼されたとかではない。自分自身の気まぐれによって起きているというだけである。強い盗賊という存在が少し気になったのである。気まぐれに気になるのだ。たったそれだけの理由で、俺はここまで来ているし、そこまでする価値があるとなんとなく思ってしまった。ハルたちは家に留守番をさせているので、今は完全に俺一人である。ここで、誰にも会うことがなければ、と考えたりもしたが、それはない。決してあり得ない。
 なぜなら、この街道は二つの大都市を結んでいる。ここを一月程度は封鎖できたとしても、それ以上は不可能だからだ。国の発展のためには、ここの封鎖は絶対にしてはならない。それだけ重要な道なのである。人で例えるなら、心臓と肺をつないでいる血管と言ったところだろうか。それぐらい大事なのである。だから、彼らは我慢できずにこの道を通っていく馬車を狙うだろう。この道は金で出来ている。恐ろしいまでの金の巡りを支える金の道なのだ。それをどれだけの期間我慢できるだろうか。金の臭いにうるさい商人たちは、喉から出てくる手をどうやって抑え込むのだろうか。そういうこともあるのだ。であれば、そのために、待機しているはずだ。そして、この考えは外れているほうが嬉しいという、タイプなのである。これほどに、予想通りにいかなければいいと思わないことはないだろう。
 臭いがする。獣の臭いだろうか。いままで、全くと言っていいほど反応しなかった俺の鼻が敏感に感じ取ったわけである。つまりは、今までの道程には全く生き物の反応がなかったわけで、それがようやく見つかったのである。だが、この臭いから、種類まで言い当てることは出来ない。そこまで、万能な鼻ではない。これは、所詮はヒトを基本としているからという他にはないだろう。本当に、身体能力に関していえば、相当に劣っている。何故人間が元なのかと、嘆きたくなるほどだ。ヒトの長所である、投擲能力や、知能というものも、他の人間種族も持っている。その時点で、俺たちに長所はないと言っているようなものではないか。生まれですべてが決まるとは言いたくはないが、少なくとも、一つ一つに優劣がついてしまうことは否めない。
 警戒をもって臭いの発生源へと近づいていく。だんだんと濃くなってくる。生き物の臭いに混じるように死の臭いも隠されている。獣がこのあたりで顔を見せないというのもわかる話だ。死に敏感であれば、ここには近寄りはしない。本能が拒絶する。それを理性でもって押さえつけて前に進んでいる俺の方が異常であろう。そして気づいた。確かにそこにいるのだと。確信めいている。もう俺の間合いと言っていいだろう。一歩踏み出せば、例え敵だったとしても、一撃のもとにねじ伏せることが可能なはずである。それぐらいの距離までは近づいているのであった。
 さらにもう一歩足を踏み出そうとしたところで、動きを止める。そうしなければならないと直観が言っている。今この位置が俺が最も優位でいられる場所なのだと、本能が告げているのだとわかるのだ。であれば、何もせずに、ただこの場にいるべきであろう。我慢比べであるなら、俺に分がある。自分の実力に自信があればこそ、周囲を完全に囲まれているのだとしても、少しのストレスも感じることがなく、立っていることが出来るのである。むしろ、ゆっくりと圧力を上げていくまである。
 空気が震えてきた。ピリピリとした刺激が空気を揺らしている。それはより大きくなる。ピリピリでは足りないだろう。完全なまでにビリビリと震えているかのようであった。それも全てが、俺の圧によるものであった。空気を押し付けるように押さえつけるようにとして、それから解放されようと空気もまた対抗する。その拮抗が俺たちに振動として伝わる。それに俺の殺気を気づかれない程薄く漏らしているのである。この地帯は完全に生物が生息するには苦しい環境へと押し上げていくのである。今まさに、ここに潜んでいる者たちは本能と理性とのせめぎあいをしていることであろう。今この瞬間にでも、何かのきっかけがあればどっちにでも転ぶことがあるのだから。
 我慢比べは完全に俺が優勢であろう。彼らは極度の緊張の中に常にさらされて、今この瞬間にでも殺されるかもしれないという恐怖と戦っているわけであるのだから。耐えられなければ、今手に持っている武器で首を切り裂いたとしても驚きはしない。ただ、そこまで精神が弱い人間がいないようで、少し楽は出来なさそうだと思えた。さすがに、盗賊に手を染めた人間がそこまでの弱い精神でいるわけがないか。楽観的に考えすぎであったということだろう。
 さて、そろそろ動くとしよう。ただ、こちらからは動かない。彼ら自身が自ら墓穴を掘ってもらった方が楽だからである。今の彼らは明らかに精神の揺らぎによって冷静ではない。ただかろうじて耐えているというのが素直な感想である。であるのならば、あと少しの刺激で十分だろう。何をするか。言霊を乗せる。風に乗せて彼らへと届ける。気を巡らせて、自然と共にあり、自身こそ自然であり、そして我であり、その中に置いて、意志をそのままに彼らに届けるわけである。完全なまでに、感情ごとだ。
 言葉の力というのは恐ろしい。薬になるし、毒になる。生物が生み出した最も危険な兵器であろう。これを使いこなせばこそ、より優れた格へと上がることが出来るというのは当然の話であった。

《家族がいよう。家族がいよう。ただひたすらに、貴様の家族を一人一人と、消してみよう。ゆっくりと、潰していよう。ぷちりぷちりと確実につぶしていよう。ああ、嘆いている嘆いている。今まさに叫んでいるのだ。貴様の目の前で助けを、救いを求めているのだ。であっても、貴様は動けはしない、何も出来はしない。ただ死にゆくさまを見せられて、それだけが貴様の出来ることで、何の抵抗もありはしないのだ。それが貴様の全てであるのだ。貴様は真に救いがない。家族を守りはしない。身内を守ることが出来ない。奪うだけだ。ただただ奪うことしか出来ないのだ。であれば、もう一つ奪って見せよう。隣にいるもの。彼が貴様の家族を奪った。ならば、一つ。貴様も彼の命を奪って見せよう。ただ無残に残酷に、この世の生を悔いるほどに、奪って見せよう。早くしなければ、貴様の命も奪われよう》

 彼らは突然に同士討ちを始めた。今まで溜まっていた恐怖。そしてそれを止めるだけのかすかな理性。それが焼き切れてしまった。消滅してしまった。あとは何も残らない。本能のみである。生きるという執念のみが、彼らの中で爆発しており、そのための全力を尽くしているわけである。生きるということは最も美しく、そして同じほどまでに醜い行いだということを証明してくれるかのようである。獣ですら、もう少し気品あふれるに違いない。それほどまでに生の渇望の醜さを教えてくれる。とはいえ、俺は死を肯定はしないが。ただ、今目の前に広がっているこの光景を美しく愛おしいと思うのは相当な努力がいるだろうということである。
 生というものを圧倒的に見せつけられるということはおぞましいことであるかもしれない。生きたいというその欲望を極限まで湧き上がらせてしまえば、あらゆる下劣で醜悪な行為すらも肯定させてしまうのだから。元から盗賊などと言う劣悪な行いをしていたというだけあって、そこまでに落としてしまうことは簡単なのだろう。ただ、目の前の生を貪るのだ。死に対する恐怖は、恐るべきまでの逆転を生んでしまったということなのだろうか。考えものであった。
 彼らは怯えているのである。相手が死んでいるということを確認するということがどれだけ難しいのかと伝えるかのように。何度も殺すのだ。一目見れば死んでいるとわかるだろう。だが、生きるという欲望にとりつかれれば、それはわからない。全ての生物が、生きることに全力であったならば、生きるという現象の身を信奉し続けていたのならば、死というものを認識できやしないだろう。それが今まさに起きているわけであった。今まさに刺されている中でも、彼らの中では死んでいない。自身の生を妨げるであろう存在であり続ける。それに危害を加え続けることで、かろうじて自身の生が保たれるのであった。どうだろうか。これは美しく、そして醜いだろう。ただ醜い。ここまでの美しさを内包しながら、醜く下劣に映るものはそうない。彼らは生の肯定をしている間は、恍惚に表情を緩めるのである。自分が生きることこそ、最も素晴らしいことであると証明してくれているだけなのだ。
 彼らはただひたすらに機械であるかのように目の前のおそらく生き物であろうものに刃物を突き立てるという生の認識をしているわけだが、それをずっとやられても、こちらとしてはただただに不快なだけでもあった。彼らは生を望み過ぎた余りに死を冒涜したのだから。生と死はお互いに寄り添いあって愛し合っているものであり、その仲を引き裂こうとするものは許されるものではない。俺が言えた義理ではないが。まあ、俺はそもそもに、生と死が内在していないわけだが。ほとんど、いや、完全なまでにそれから逸脱してしまっているわけである。生と死からの愛を感じないというのは、あまりにも空虚に映ってならないが、それが俺の望んだ世界というのならば、それはしっかりと受け入れねばならない。俺の義務である。絶対にして最大の義務であった。
 適当な男に近づいて、頭に触れる。彼の拒絶はすさまじく、触れた瞬間に俺を殺そうとして来た。だが、それをさせるほど俺は優しくも弱くもない。それが彼の不幸であろう。手足をへし折り、地面に倒す。あとは噛みつくなりしか出来ないだろうが、当然頭を押さえつけているので、出来るはずもなし。彼の本能から無理やりなまでに理性を叩き起こす。完全に破壊した理性は戻らないだろうが、俺の気を巡らせていくことで疑似的に理性を作らせる。俺の手が離れてしまえば、また本能のままに生きることしかできない存在へとなり果ててしまうので、慈悲の心でもって殺してやるとするわけだが。
 哀れなのだろうか。いいや、そうは思わない。彼らは今まさに獣であることの生き方を知り、それを求めているのだ。理性というものは生に必要がないのだと理解したのだ。であれば、それを哀れに思うことはない。思ってはならない。今彼は自分の行動を顧みて、理性の死と本能の賛美に体が支配されているだろうから。ただ、彼らの本能はあまりにも危険だから、殺すことは変わりはないが。
 さて、今まさに瞳に知性が宿ったようであるが、今目にしている光景を目の前にして、理性を手放そうとするが、そうはさせない。俺の強固なまでの防護によって、彼は発狂しつつも、正気を保つことが出来るわけである。理性の上の上書きされた本能を封じ込めているのだ。そして、この状況から解放されたければ、自分たちのアジトの場所を教えるようにと、伝える。それだけで十分であろう。今この恐怖から逃げたいと思うのは人間の当然の思考であり、そこには今までの仁義であろうと人情であろうと関係はない。最終的には自身の生を第一に考える。それに、先ほどまで生を強く意識させていたというのも効いていることだろう。
 そういうわけで、彼の口からはすらすらと言葉が出てくる。そしてそれは全て嘘ではないと理解できる。それだけの信ぴょう性を彼の瞳から感じ取れる。今まさに死の危機に瀕しており、生きたいという欲望が支配している中での理性は、裏切ることはない。それは確かであろう。彼らはそれほどまでの本能によって支配されているのだから。俺は、彼に感謝を述べると、優しく首をはねてやった。少しの痛みを感じることなく安らかにしんでもらうためである。その後も、まだ残っている盗賊も優しく殺してやる。彼らはいずれは獣の肉となるだろうから放置しておくとして、教えられたアジトの場所へと向かうのであった。

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