天の仙人様

海沼偲

第195話

 俺はお師匠様に呼ばれて聖域の中へとやってきている。わざわざ俺の前に現れて、ここへ来るように言ってきたのだ。言いたいことがあるのならば、その場で言ってくれればいいというのに、わざわざ場所を移さなくてもいいとは思わないだろうか。なにせ、聖域の中には新たな人類が住んでいるわけなのだから。彼らがお師匠様に発見されてしまうと思えば、あまり近寄りたくはないと思うのも当然である。やましいことをしているわけではないのだが、こういう世紀の大発見に近いものは、俺の手の中に隠し持っていたいなんて思ってしまうのもあった。出来ることならば、もう少し時間が経ってからお師匠様たちに伝えたいというわけである。
 しかし、現に呼ばれているのも確かであるわけで、行かなくてはならない。嫌だろうが、それは絶対なわけであった。これを捻じ曲げられるほどの精神力を持ち合わせてはいない。おとなしく言うとおりに行かなくてはならないのである。そして、到着すると、すでに師匠様はついていて、俺のことを待っている様子であった。周囲に彼らの様子は見られないので、まだ気づかれていないと思う。そこは一つ安心する要素であった。
 目の前にいる、お師匠様の立ち姿はなんでもない。平然としている。というのにも関わらずに俺はなぜだか、緊張を感じてしまうのである。空気が一つ重くなってしまったかのような、そんな感覚を覚えているのである。これが幻であればいいのだが、嫌に現実的な刺激として俺に存在しているのだ。お師匠様は、普段と変わりはないような、顔つきであったりしているというのに。であれば、他に何かがあるのかと思わないでもない。しかし、それらしきものは全くないのである。
 もしかしたら、俺はここに来ることによる緊張をしているのかもしれない。もし何かをきっかけとして、ここに存在している新たな人類を発見されてしまうのではないのかと怯えているのではないかと。俺の考えとしては、いたずらをしている子供のような気持であったはずなのだが、そうではなかったのかもしれない。もっと重大な事態としてとらえているのかもしれない。ただ、人類を一種隠しているというだけでしかないのに。

「さて、貴様は何を言われるのかが大体理解できていると思うわけだが、どうだ? 何か言いたいことはあるか? 俺は危険な存在ではないからな。もし、貴様が何かしら言いたいことがあるのだとすればそれを待ってあげられるだけのやさしさというものを持ち合わせているからな」
「あの……何を聞かれるのかが一切わからないのですが。俺は何か間違いでも問題でも仕出かしてしまったのでしょうか? もしそうなのだとしたら、俺には身に覚えはありませんが、謝ることしか出来ません」
「そうか……わからないか。まあ、確かに悪いことではないだろう。そう思わなくもないかもしれない。ただ、大問題に発展するであろうということだ。それだけしかない。しかも、それは貴様も理解できているはずだ。だからこそ、ここに移したのだろう。そりゃそうだろう。俺だって同じことをするのは確実なのだからな。聖域内で生活をしている新たな種族の存在について何か言うことはあるかと聞いているのだ。ここまで言えば何かしら言いたいことはあるのではないかね?」

 俺はすうと血の気が引いていくかのような感覚に襲われるわけであった。今までに一度として感じたことがないような、そんな不気味な感覚である。お師匠様としては俺は悪いことをしたわけではないのだが、この大事を、俺一人でどうにか処理しようとしたのがあまりにも問題であったということかもしれない。どのように怒られてしまうのかと恐怖で体がすくんでしまう。今すぐにでも誰かに助けを求めたいが、誰にも助けを求められないというのがたまらなく恐ろしいわけである。
 であれば、何を言えばいいというのだ。何か弁解をしなくてはならないのだろうか。いいや、そんなことはないはずである。そもそも、彼らの存在は俺たちの手によって生み出されたわけではない。自然発生的に生み出されているはずである。であれば、俺が何かしらを弁解する要素なんてものは一つとしてあるわけがないのだ。しかし、お師匠様が何を求めているのかというのも全くと言っていいほどわからない。
 そういうこともあって、俺はとりあえず、彼らに関する話を全て話した。彼らとの出会いから何かを全て何一つとして隠すことなく話しきるのである。そうすれば、お師匠様の求めていたものも入っているだろう。そういった、甘い期待ともいえるようなそんな程度の考えでもって俺は全てを隠すことなく吐き出したのであった。
 それを静かに聞いていたお師匠様は何も言うことなく目をつむってしまった。何か考えているのだろうということは感じるわけだが、では何を考えているのかというところで疑問が湧いてくる。確かに、世界的にも植物が先祖の生物というのは珍しい事間違いない。だからこうして、誰にも危害を加えられないように隔離しているわけなのだから。だからといって、仙人たちで実験台とかにしてしまうのもまた気分が悪い。そういうことをするような人たちの集まりではないと知っているが、なにせ、珍しい種族なわけだから、発生の原因を調べたいというのもわからなくはないのだ。それが、あまりにも生物に対する冒涜的な行為だというだけである。
 ぱちりと目を開いた。世界が一瞬で生まれ変わってしまうかというほどの圧力が放たれる。息が出来なくなる。呼吸をしてしまうだけで殺されるのではないかというほどの覇気でもってここら一帯は制圧されているのだ。植物たちも自分たちに被害が来ないようにと、しゅんとして目立たないように葉を下げているのだ。理性で行うことではない。本能で行うこと、生物としての生存意識が行わせていることなのである。それほどの圧倒的な力を出しているわけであった。今この場所には生物が存在しないのではないかというほどに静まり返ってしまうのだから。

「なるほどな。であれば、貴様の行動は何一つとして間違っていなかったということを俺が保証しよう。俺たちにまで確認を取っている間に、人間に見つかり、虐殺であったり、奴隷化であったり、その可能性を考えれば、今この瞬間に保護が完了しているのは悪くはないだろう。それに、これ以上の干渉を俺たちが行わなければいいだけになったわけだしな。これは大事だ。仙人は、自然のあるがままを出来る限り尊重しなくてはならない。確かに、これは介入しすぎかもしれないが、これから先新たな種族として繁栄する可能性を早いうちに潰したくないという気心もあるわけだ。だから、まあ……悪いことではないだろうな」
「であれば、彼らはこれからもこの地で生きていけるということですよね? ここから追い出されるようなことは一切ないのですよね?」
「ああ、もちろんだ。彼らの生を著しく脅かす必要なんてものは我々には必要ないわけだからな。それと、見守る必要もないということも覚えておくといい。干渉しないというのは、いっそのこと頭の片隅にでもとどめてはならないということでもある。出来る限り素早く忘れて、何もなかったかのように振る舞う必要があるのだ。それこそが彼らのためにでもなるだろう。誰にも知られぬままに忘れられた種族として存在しなくてはならない。それほどまでに彼らは弱すぎるのだ。多くの刺激に対して敏感に反応してしまうほどにな」

 そう決まった。俺たちは彼らとの関係を構築することはない。友好的に振る舞うことはない。敵対する必要はないだろうが、だからといってその逆の関係をわざわざ築くことはないのである。いずれ、どれだけの年月化を経過した時に、どれだけ発展しているか、そして、人間社会に溶け込めるかということが、必要にはなるだろうが、それまでは細々と生かしておくだけでいいのである。
 そうとなれば、今まで仕えていたものが消えたように軽くなっている。ここまでに心が軽くなることはそうはないだろう。それほどに悩んでいたということなのであろうか。しかも、無意識的にである。確かに、俺一人で抱えるには大きすぎる問題だが、それについて、お師匠様たちには連絡しなくてもいいなんて決めたのも俺なわけなのだから、それについてうじうじと悩んでいてほしくはなかったのだ。理性と本能というやつはどうも、意見が食い違っていたらしいのである。
 そういえば、この地には天龍様が住んでいたわけなのだから、それはどうしたものだろうか。そもそも、お師匠様はそのことを知っているのだろうか。知っているうえで、この答えを出したのであればいいのだが、そうでないのならば、天龍様というイレギュラーが大きな問題を起こしてしまう可能性だってあり得るだろう。俺はそれが心配になってしまうわけであるのだ。ほんのわずかでも歯車がかみ合わなくなるだけで、システムは崩壊するのだから、とてつもなく大きい歯車である天龍様を計算に入れないという可能性は絶対的なまでに排除しなくてはならないのだ。
 それを聞いてみると、どうやらお師匠様はそのことを知らないようで、血の気が引いているかのような顔つきをしている。顔が真っ黒なために、顔が青ざめているかどうかはわからないが、明らかに今まさに顔が青いだろうということが何となしに伝わってくるのである。それほどの表情を見せているわけであった。
 聖域の奥深くへと足を進めていくと、確かに今日は天龍様がいるということを感じ取れる。その近くにはナツの姿もあるだろう。二人が何やら談笑しているということが見られる。それでも、お師匠様は近づいていく。会話の邪魔をするようで気が引けるのだが、それは必要なことでもあるので、仕方のない事であった。
 彼らは俺たちの存在に気づいたようだが、お師匠様の発する雰囲気が異質なために、わずかに顔をしかめているように見えた。ナツはすぐさまこの場から離れるように動いている。それが正しい事であろう。さすがにこの二人の近くに平然と立てるほど胆力のある生物、存在はいないといってもいいほどなのだから。
 お師匠様はすぐにこの地に新たな種族の人類が住んでいるということを知っているのかということを聞いていた。そして、彼は知っていると答える。遠くでナツもうんうんと頷いているわけであった。たしかに、ナツは知っていておかしくはない。守り人なわけなのだから。それで、知らないというのはおかしな話である。彼女経由で天龍様にも話はいっているのかもしれない。そう考えれば彼ら二人が知っているというのは当たり前のように思えた。
 そこで、次にお師匠様は彼らに対してあらゆる干渉をしないでほしいということを伝えている。俺としてはそれが理解できるのだが、彼らがそれを理解してくれるのかというのは話が別なわけである。仙人としての考え方や、価値観を全ての種族で共有できるわけではないのだから。しかし、彼らはそれに快くうなづいてくれる。これで、完全に不安要素は消え去ったといっていいだろう。なにせ、聖域には人間が入れることはないのだから。あったとしてもエルフぐらいだが、どうやら、この聖域は今ではエルフですらも見つけられないほどに高度な結界を張っているらしい。たとえ、聖域の外側すぐ隣にエルフが立っていたとしても、聖域が存在しているとは気づかないそうだ。

「あ、そうじゃ。そういえば、あの種族には種族としての名前はないじゃろ。それはとても悲しい事じゃろうし、我々がなんて呼べばいいのか悩んでしまうことであろう。であれば、わしが新たに名前を付けてやるとするかのう」
「いや、そんなことはしなくてもいいと思いますが。種族の名前というのは自然とそういうものとして決まるのが普通です。そこで、誰か個人で名づけられてしまうとまたしても、それは干渉であるということになります。それに、名前を呼んでしまうということは我々の認識の内側にいる存在でもあります。一切の干渉をしない、認識をしない中で名前を付けるということはそれを破ることになると思いますが……」
「種族の名づけを行った存在は個人としてはおらん。であれば、わしがその第一人者となるのも悪くはないのではないか。それに、種族に名前を付けられたからと言って、何か大きな被害が起きるわけではあるまい。それに、この四人にしか伝わらないのであれば、それはわしらの中での名前であり、世界に認識されることはあるまいよ」
「いや、そうでしょうけれども……」

 お師匠様は出来ることならば何も手を付けない状態にしておきたいというのに、どうにかして名前をつけたがっている天龍様である。俺は何も引き留めることは出来ない気がするわけで、黙ってみていることが限界である。おそらく止まらないだろうということが確信めいて伝わる。
 結局、必死の抵抗虚しく、名前を付けるということになってしまった。俺たちは、出来ることならば天龍様には名づけをしてほしくはなった。なにせ、天龍様ほどの偉大な存在が名付け親となることでどんなことが起きるのかわかりはしないのだから。

「そうじゃのう……樹人というのかのう。草木の種族なのじゃからな。それらしい名前でいいじゃろう。ああ、聖域にすんでいるのじゃから、聖樹人というのもありじゃのう」
「そもそも、樹人というのが今ここに居る者たちしかいないのですから、聖をつける意味はないと思いますが」
「であれば、樹人で大丈夫ということじゃな。ほれ、これで大丈夫じゃろう。どうせ、これから先の世の中での人もみんなそういう名前をつけるのじゃろうから、一足先に付けても、問題あるまい」

 彼らはそういうことであって、樹人と名付けられた。本当に何事もなければいいのだが。これがきっかけで、異常なことが起きないことを祈るばかりであった。

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