天の仙人様

海沼偲

第184話

 王都へと戻ったころに、キースも一時的にこっちへと来ていたらしい。ばったりと出会ったわけだ。久しぶりの友人との再会である。卒業してからは、カイン兄さんと同じように領地経営のノウハウを教えてもらっていたそうだ。だから、会えることはそうそうないだろうと思っていたのだが、彼にもいろいろあるのだろう。大変そうに思えるが、彼は充実した顔つきをしているのだから、大丈夫だろう。良き領主となることは間違いない。悪くなるところを想像するほうが難しいかもしれない。そう思える。
 そして、話していくと、手紙に書かれていたような見合いであったり婚約者であったりの話へと変わっていった。最初はそうでもないのだが、自然とそう変わっていってしまうわけである。誰が何かを言うわけでもない。唐突でもない。自然に、あたかも最初からそれを離していたかのようにであった。誰に急かされているというわけでもなく、ただ話題が変質してしまっているのだ。ぽつりぽつりと、言葉を一つ一つ出していく。それがもどかしくもあるが、彼なりに変なことを言わないように気を使っているのだろうというところは感じるので、何かを言ったりはしない。
 ただわかることは、それらに対して全く乗り気ではないということである。ただ、領主となるうえでは跡継ぎのこともあるから、いずれは結婚しなくてはならない。しかも、出来るだけ早いほうが良いだろう。キースはまだ結婚していない。そういうのは、少数派であろう。本来ならば、跡継ぎであれば、卒業から一月以内に結婚していることが普通なのだから。そういうこともあるから、両親からも、いろいろと勧められているそうだ。キースほどに優秀な人間であれば、どれだけの候補が上がるのだろうか。俺は、すでに婚約者がいる状態で学校生活を送っていたおかげで、下手に紹介をされることはなかった。ただ、そうではないというのはこれほどまでに面倒くさそうに見えるのだという、わずかな関心がある。
 彼は、恨めしいような、羨ましいような、そんな視線をこちらに向けているわけである。ただ、俺のことを真に憧れているという風ではないというのがよく伝わる。俺のことを憧れているのであれば、堂々と複数人の女性と結婚できるだろうから。そうではないということは、俺を羨ましく思いつつも、憧れることはないという二つの面があってしかるべくというところなわけである。

「いいよね、君は。なにせ、四人もの奥さんがいてさ。しかも、最初から自由恋愛でもって結ばれたんだからね。ぼくだって、そうしたくはあったけれど、そう簡単なものじゃあないからね。運命っていうのはそうそう簡単に出会うことがないから運命っていうのだからね。難しい話だよ。だから、こうしていろんな女性と見合いをさせられているのさ。しかも、どの女性もおそらくは我の強そうな女性ではないというところも、かなり高評価なのだろうね。ぼくのようにあまり気が大きくない男でも、立ててくれるだろうからね。そういう女性が好まれるだろうし、ぼくだって嫌いじゃあない。はあ……こうして悩んでいることがあまりにも、男らしくないよね。真に男らしいというのは、見合いに来た女性全員と結婚するぐらいでいなくちゃならないんだろうね。そう思えば思えてしまうほどに、みじめで哀れに感じるよ」
「いいや、そうは思わないけどな。好みは誰だってあるだろう。俺だって、好みはあるはずだしな。たとえ、誰もを愛そうとしていようとも、もしかしたら、明確な差が存在するかもしれないのだから。誰よりも誰かの方をより優遇してしまうことが決してないとは言い切れないさ。ただ、俺はそうしたくはないし、そうならないように努力はしているが。だから、キースがそのことで悩んでいたとしても、それに対して悪い感情をもつことはないだろうさ」
「ありがとうね。こうして話しているだけで心がすっきりするよ。あとは、どうにかして結婚するだけなんだけど……もし、ぼくと誰かが見合いとか何もなしに婚約を発表したとしたら、皆から非難されるということはあるのかな? もし、そんなことがあるとしたら嫌だなあ。ぼくたちが、真に愛し合えるとわかっているというのに、それを外野からうるさく言われるというのはさ。愛というのは誰にも邪魔されないで二人きりで作っていきたいじゃあないか。こう考えるのは変だろうかね?」

 ふてくされているかのように、むすっとした顔をしながら、手元に置いてあるコーヒーを匙でくるくるとかき混ぜている。よほど不安なのだろう。たしかに、彼がうんざりするほどに見合い話が来ているうえで、それを全て意味のないものとするかのように、婚約発表をしてしまえば、それなりの非難が来るかもしれないと不安に思うこともわからなくはない。であれば、そうならないように見合い相手の中から何人かを妻として迎え入れればいいのではないかと思うのだが、彼はどうも、複数人を相手に結婚するつもりは一切ないようなのである。それは確実であろう。一人の女性としか結婚しない可能性は大いにあり得る。それがどれだけ非難されるであろう事態であろうとも。それだけの意思を感じる。
 とはいえ、その前例であったカイン兄さんも、二人の妻がいる。見合いというわけではなかったが、根負けすれば、結局はそうなることは間違いないのである。それに、跡継ぎを産まなくてはならない、作らなくてはならないという時に、妻が一人しかいないというのは恐ろしい障害となりえてしまう。人によっては女性しか生まれない、そもそも、子供が出来ないということがあり得てしまうわけだから。それを避けるためにも、複数人の女性と結婚するというのが当然の考えとしてあるのだ。それに、途中で一人新たに妻が増えたからといって兄さんたちの夫婦仲が壊滅的に悪いことは決してないのだ。むしろ、周りに比べて仲がいい方なのではないだろうか。俺の妻たちのように、牙をむき出しにして牽制しあっているような仲ではないことは確実であるのだから。彼女たちはもしかしたら、異端かもしれないが、それだけ俺のことを愛してくれていると思えば、それは些細なことではないと納得できているので、変に気にすることは止めたわけであるが。
 いずれ、時間が経っていくとともに考え方も変わるかもしれない。また、変わらないかもしれない。どうなるかはわからないが、そのどちらにしても、彼が最も幸せになれるような選択が出来ることを祈ることしかできない。俺としては、彼の恋愛には妹がわずかでも関わっているのだろうということは予想できるわけだから、出来るだけ関わりたくはないという思いもまたある。恥ずかしい事この上ないではないか。誰が好き好んで、妹との恋愛のアドバイスをすればいいというのか。俺は死んでもやりたくはない。だから、これから先は、完全にキースに任せて放置する。ここで、諦めて適当な女性と結婚したとしても、俺は何も言うことはしない。人生に口出しは禁句であろう。
 からりとして歩いているわけだが、何ともわびしく寂しい感じであった。背中が泣いているように見えなくもない。わずかな歳しか生きていないというように、それだけの重みを感じさせるだけの背中になってしまったということであろう。それだけ、未成年と成人との差が大きいということか。責任が、突然に生まれて、背負わされる大人、成人というのは難儀な存在だろうな。だが、子供と比べれば生きやすいだろう。子供は、あまりにも死にやすい。命が無造作に放り投げられることは、当たり前のように起きてしまえる存在なのだから。それに比べれば、大人というのはなんと甘美な存在だろうか。
 などと考えていると変に辛気臭くなる。俺は頬を叩いてリセットすることにする。パンと、綺麗な音が響いている。周囲の人間がこちらへと様子を伺うかのように視線を向けているわけであった。

「どうしたんだい? 大きな音を鳴らして。眠くなってしまったかい?」
「いいや、そういうわけじゃあないさ。ただ、変に気持ちが落ち込んでしまっていたようだからね。考えすぎだって言って、自分自身を叱っていただけだよ。心は軽やかに晴れやかに、美しくしていなくちゃあね。陰鬱な空気は合わないだろう」

 彼は納得したようで、軽く笑みを浮かべていると、前を向いて歩きだした。俺もそれに続くように歩くわけである。どうやら、先ほどまでの重しが乗せられたような背中ではなくなっているみたいであった。軽くなっていることが確かにわかるのだ。
 それから、キースと別れると一人町の中を歩きながら家へと帰る。夕方へと赤く染まりつつある空を見ながらであるが、上空にはカラスが飛んでいる。帰り支度を知らせるような大声であった。いくつかの店は、店じまいをしているのだから、もうそろそろで、人気はなくなってしまうだろう。だんだんと、静まってくるかのようなこの雰囲気が俺はたまらなく好きなわけである。もうすぐに夜であり人の時間は終わっていくことであろう。ひゅうひゅうと風が吹き晒して、人々を家の中へと押し込んでいるかのようだ。
 その途中で、アキとばったり遭遇した。彼女もこれから帰るそうだ。だから、一緒に歩いている。彼女は、今もバルドラン家の屋敷に居候している。使用人という立ち位置だろうか。少し違うが。ただ、隙あらば俺の部屋へと侵入しようとしているそうなので、たまに、ベッドの上に羽根が落ちていることがある。ハルたちとはいつも喧嘩しているようだが、まだまだ冗談めいているところがあるので、俺はあまり気にしてはいない。本当に怒らせてしまったら、家の外に放り出されて二度と入れてもらえなくなるのだから、そのギリギリを狙うようにしているのである。
 アキはゆっくりと近づきつつも、そして腕を絡ませてくるように唐突にべったりとしているのである。誰かを警戒するようなそぶりをわずかに見せてはいるが、それ以上に今はただ、俺と密着しているということを反芻しているように思えてならない。すりすりと、頬を触れあわせてくる。彼女の方が身長が大きいので、少しアンバランスのようではあるが、俺の身長はさらに大きくなるのだから、それなりにバランスのいい状態になるだろう。
 家へと近づくたんびに、空気が一つ二つと重くのしかかってくるように感じてならない。ミシミシという重圧が俺たち二人にかけられているのである。明らかに人の姿が消えている。今から起きるであろう嵐に自ら飛び込むような人はいないということだろう。そそくさと逃げていくのである。道のわきを走っているネズミも思い直したかのようにUターンをしていった。動物の本能に刺激するようである。いいや、植物もか。風にあおられているように家とは反対側へ体を倒しているのだから。逃げようとしていても、根っこが地面と絡まり合っているために、逃げ出すことが出来ないという絶望感を感じていることであろう。植物の本能までも刺激しているとは、よほどであろう。
 家の前には、ハルが仁王立ちをして待っていた。ただ、その表情はあまり柔らかそうではなかった。今にも雷が落ちてきそうなほどにピリピリとしている。そして、その視線の先にはおそらく俺たちの組まれている腕が入っているのだろう。爆発的に気が乱れ始めているのだから。庭に出ていた使用人が思い出したように気絶してしまった。これは、気を自在に操れる仙人相当の格がなければ、この場に立つことすらできないだろう。周囲の生物は、怒りのままに気を狂わせられてしまっているようで、気分が悪くなっている。へたりと横になって動かないのだ。だが、死んでいるわけではない。著しく気分を害しているだけである。

「で、あんたは何をしているのかしら? アランにそこまでベタベタしていいなんて誰が言ったのかしら? あなたが、うちに居候できている大きな理由は、アランと愛し合うことを完全に禁じているからなのよ。そうではないのだとしたら、あなたがこの家の敷居をまたぐことは今後永遠に来ることはないわ。それだけ、絶対の条件として付きつけられているはずだけど」
「これは、アランからしてきてくれたのですよ。わたしと愛し合うことをアラン自身が求めているのであれば、それに応えてあげるというのが愛でしょう。それに関しては、わたしは一切悪くはありませんよね。なにせ、アランからわたしのことを求めているのですから」
「へえ……あんた、なかなかふざけたことを抜かすようになってきたじゃない。いっちょ前に、人の姿になれたからって調子に乗っているのかしら?」

 さらっと嘘をついているわけだが、それが通用している様子は見られない。ただ、怒りの矛先がそちらへと向かうだけだ。逆に俺に対してかかってくる圧力は減らされるのである。それだけの信用を彼女から勝ち取っているという証拠だろうが、であれば、俺にまで圧力をかけなくてもいいと思わないでもない。ただ、そうすることが彼女なりの愛なのだろうと思えば、それに対して、一切の不満が出るわけがないのであった。
 ハルはアキの胸ぐらをつかむようにして、そのまま引きずり出した。俺たちは引き裂かれてしまった。ただ、俺はここで助けには行けない。念を押すように彼女に睨まれてしまったのだから。これでは動きようがない。ただ、その隙をつかれるようにルーシィが俺に抱きついてきたわけであるが。そのまま、ただいまのキスをされる。愛が絡まり合うような、情熱的なものである。それに、彼女は気づくことなく、過ぎ去っていくわけであった。

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