天の仙人様

海沼偲

第175話

 訓練場に一歩足を踏み入れれば、先ほどまでの外の空気とはがらりと変わった。熱が押し寄せてくる。熱だけではない。それと共に心の奥底まで冷え切るかのようなそれすらも感じるのである。雰囲気というものが別のものとしてたった一つの扉一枚で遮られているのである。外と内とでは明らかな違いが存在し、それが理解できた。平凡な街中にまるで、戦場であるかのような緊張感が存在しているのである。今まで、来客として来た者たちの中で最も可能性の低い存在が扉を開けてこちらに来たということで、彼らの視線は俺へと釘づけられている。品定めをされているかのような、無機質的な目つきは、数が集まってしまうと、相当に恐ろしく不気味でしかない。
 俺を連れてきた騎士は、なにも気にしていないような足取りであるために、すたすたと先を行ってしまう。置いていかれないようにと、俺もまた彼の後をついていく。その間も、じっと見つめられているということはわかっていた。観察されているのである。一つ一つの挙動に警戒するようにであった。入る瞬間までのわずかばかり存在していた、喧騒がしんと静まり返っているというのも、彼らの異質さを表すに十分であるかもしれない。品定めをされているかのようだ。自分より強いのか弱いのか。それを俺の歩く姿一つで理解しようとしている。それがあからさまなまでに分かってしまうのである。
 そして、俺はある部屋へと案内された。中に入ると一人の男が机に座ってなにやら書類とにらめっこをしている。彼が団長であるのだろうという考えと同時に、彼の顔を今朝見たと思い出す。瞳があまりにも特徴的なのだから、忘れるわけがないだろう。俺に絡んできていた、獣人の騎士を気絶させて、そのまま運んでいった初老の近衛騎士なのである。あの、爬虫類のような瞳で書類をじっと睨み付けているのだ。底冷えするかのようである。無機質的な感じを覚える。だが、それでも生きているのだろうということもわかる。死んでいるわけではない。不気味なほどに感情が目に現れないということであるから。
 俺たちが入ってくることに気づくと、書類を置いて歓迎してくれる。どうやら、何かしらの用があるらしいということはわかったのだが、それが一切わからないというものほど恐ろしいことはない。彼は一言二言言葉を発すると、ついて来いとだけ言った。それだけである。何かさらに説明があるのではないだろうか。そう思わないでもないが、彼らはそうするのが基本なのだろう。諦めるしかあるまい。ここならば、説明をされるかと思ったのだが。ただ、今度は彼の後をついていってこの部屋を出るのである。何をするのかわからないというのは、少しばかりの不安を掻き立てるに十分な要素なのだから、出来る限りすぐにでも話してほしいと思っている。そして、それが伝わっているだろうに、彼らは何一つとして口に出さないのだから、少しぐらい腹を立ててもいいだろう。

「諸君、注目。まあ、先ほどからじろじろとこちらを見ているのだから、注目していることは確かであろうが、そんなことに興味すらしないで、訓練を続けているようなものに対して、言っておかなければ何かしらの不都合があるだろう。見た限りではそんなものは一人として存在しないが。それは非常に残念ではある。で、だ。ここに一人の青年を連れてきてもらった。とはいっても、成人したばかりであるし、ほとんど少年を言っても過言ではないような年齢ではあるが。しかし、彼は、この歳でありながら、我々騎士団所属の者の攻撃に対して、少しの怪我を負うことなく攻撃を避け続けることが出来たのだ。これを見た私は、非常に興味深く思い、ここに連れてきている。午後からの訓練は、内容を変えて、彼との模擬戦を一人ずつ行ってもらおうかと思った次第である」
「……あの、一つよろしいでしょうか?」
「ん、なんだね? 質問があるのかい?」

 ここで俺は話を切ることにする。そうでなければならない。絶対に今必要なことであると確信めいて言えた。だが、その絶対的に必要であることに対して、彼は何も思うところはないようなのである。まさかとは思った。そんなことはあり得るのだろうかと。そして、実際にありえてしまったわけである。信じがたいことなのだが、それが現実として今目の前に存在するのであれば、それを静かに受け入れることも必要だろう。それを受け入れたうえで何を起こすかということが今まさに大事なことである。
 今まさに存在している空気がよりチリチリと焼け付くかのようであった。一部の騎士は息苦しそうに顔をしかめている。だが、それを見たとしても、あえて無視するかのように、空気をより重くさせていく。好戦的な騎士は今すぐにでも剣を振りぬこうと手をかけているが、全員の位置を確認できているため、奇襲にはならないだろう。襲い掛かってきた瞬間にでも返り討ちにしてやるとしよう。

「いつ、あなたたちは俺に訓練の相手をしてほしいと言ったのでしょうか? もし、どこかで言っているのでしたら、こちらの落ち度であるらしいので、謝るとしましょうが、そうではないのなら、今すぐにでもあなたには頭を下げてもらいたいところではあります。なにせ、何も知らないままに連れてこられて、模擬戦の相手をしろと言われるわけですからね。連絡不足というものではありませんか? それとも、騎士団という集団はそういったこともできない阿呆の集まりだということか?」

 俺は、出来る限り柔らかな口調で物申したはずなのだが、怒気というものがわずかに漏れ出してしまう。いや、漏らしているのだ。確かに、それを抑えようとは微塵も考えていないため、少しぐらい漏れ出すことに何の抵抗もなかったからこそ、こうなっているわけだが、どうもそれが少しばかり強すぎたために、騎士団の中でも所属してからまだ月日が経っていないであろう、者たちが、ガクガクと震えてしまっているのだ。今隣でのんきな顔をしているこの男に対して、怒っているのだということを伝えるための行為なのに、全く関係のない彼らを怯えさせてしまったというのは反省である。緊張感を与える程度であれば、何とも思わないが、それを超えてくると、罪のない人には罪悪感が芽生えることは確かであった。すぐに、怒気を抑える。隣の男にはなにも効いているようではないので、意味がなさそうなのだから。
 どうやら、彼はそれを伝えていたものとばっかり思っていたそうで、伝え忘れていたことに対して謝罪してくれた。そのうっかりが今度はないように注意をしたから、これで先ほどまでの自分勝手な進行はなかったこととして、終わりにするとしよう。では、今度は彼らの訓練の相手をすることに対して異議がないかどうかという話だが、肩から顔を出しているアオもまたやる気満々というように鳴いているため、断らなくてもいいだろうという結論に至った。とはいえ、アオがそこまで戦力になるとは思えないが。まだまだ、拙いわけだし、俺の肩の上からでなければ安全に立ち回ることすらも出来ない。ひよっこと呼ぶにふさわしい技術であるのだ。
 彼らは、俺が訓練の相手であるらしく、どうやら少しばかり余裕があるように見えた。たしかに、姿は完全に少年でしかない。俺以上の月日を生きているであろう人たちがうじゃうじゃいるような場所で、俺と戦って何の意味があるのだろうかと思っているに違いない。そんな不満がかすかに感じ取れるのだ。俺が建物の中に入ってきたときの観察では、実力は大したことがないと結論付けられてしまったらしい。近衛騎士団の攻撃を怪我をすることなく避け続けた、というだけの評価であれば、それもまだわからなくはない。だが、俺はそれをあえて無視して何でもないように訓練場の、一角に降りる。模擬戦をするために用意されている広い空間があるのだ。対面に立つ相手を待っている。
 しばらく待つと、女性の騎士が俺の前に立つ。どうやら、様子見をするということだろうか。とりあえず、彼女と俺がどう戦うかというのを見ておこうというつもりであろう。レディファーストがここでも適用されているようだ。しかも、実力はあまり高そうには見えないところからも、俺は少し舐められているように思えてならない。いや、大きく舐められているのだろう。だから、息を吹けば飛んでしまうかのような実力の騎士を戦わせるのだろう。まあ、実力を誤認してしまっても仕方なくはあるので、俺はそれに対して怒りは覚えない。むしろ、そうするように仕向けているわけであるのだから。
 彼女が剣を抜いて構える。俺も、置いてあった模擬戦用の木剣を構える。当然だが、お互いに木剣を使う。木であろうとも叩かれれば痛いが、腕が吹き飛ぶよりはましだからな。誰もそれに文句は言わない。すり足でゆっくりと近づいている彼女よりも数歩素早く、すぐさまに間合いに入り込むと、剣を鎧の隙間に入り込むように斬る。木であろうとも、鎧の隙間を通って、攻撃を食らえば、痛いだろう。防御を鎧に任せているのは、攻撃に対しての防御方法をあまり作る必要がないというのも大きいのだから。防御に回す技術を攻撃に回すことが出来れば、より素早く敵を撃滅できる。撃滅できれば、より攻撃は食らわなくなる。速度が命でもあるわけだ。しかし、俺はそれよりも速く斬る。当然の話である。そして、もろいところに一撃が入ってしまえば、技術がないから、沈黙する。動くこともできずにうずくまるばかりなのだ。もし、カイン兄さんであれば、その一瞬の隙に、魔力で生み出された薄い膜に阻まれていたことに違いない。常に、全身が急所である場合との意識の違いという奴であった。別に、鎧を着ることを悪だと罵るわけではない。戦場で戦える人間を素早く作り出すのには、鎧は最適なのだからな。
 彼女はうずくまってわき腹を抑えている。たしかに、体の緩和の瞬間に攻撃したのだから、より強く衝撃が伝わっていることだろう。これでもし、彼女が妊娠出来なくなってしまうようであれば、俺は彼女に対して申し訳なさでいっぱいになるため、軽く魔法で痛みと傷を回復させてあげる。これであれば、後遺症が残る可能性は決してないだろう。俺は一安心する。そして、彼女はきょとんとした顔で俺を見ているのであった。もしかしたら、俺が回復してくれるとは思わなかったのかもしれない。俺も男であれば、痛みで悶絶していようがほっといていたが、女は男ほどに頑丈に出来てはいないのだからな。であれば、もう少し丁寧に扱うというのも当然の話なわけであった。
 彼らは、先ほどの一撃で、俺の力の一部でも理解できたことだろう。次からは、本気でかかってくるに違いない。かかってこいとばかりにアオが鳴いているが、お前が戦う可能性は全くないのだから、少しぐらいは静かにしてもらいたいものである。変に煽って面倒な事態になることだけは全力で避けなくてはならないのだから。
 次はどうやら、数段飛ばした力を持っている相手であるらしい。先ほどまでの女騎士とは比べ物にならない。剣を構え直し、彼の動きをよく観察しておくとしよう。彼女の実力はむしろ、最低レベルだと置くほどに警戒しておいて損はない。
 数段速く、間合いにはいられる。たしかに、ちんたらしていれば、すぐに俺が攻撃を仕掛けていただろうが、だからといって、攻撃を先にすればいいというものでもない。振り下ろされた剣の軌道から、少し外れて、そのまま伸びている腕の肘に向かって拳をおもいきり突き上げる。おかしな音を鳴らして、腕が上に吹き飛んでいるようで、隙だらけな体に一撃蹴りを加えてあげれば、なす術もなくもらい、そのまま倒れてしまう。その瞬間に背後から、もう一人が斬りかかってきたが、俺が何かをする前にアオの尻尾によって、吹き飛ばされてしまった。というか、アオの力は甲冑を着込んでいる成人男性を吹き飛ばせるほどであるらしい。いつの間にそれほどの力をつけたのだろう。これでは、背後まで警戒する必要性が薄くなってしまうではないか。それは少しばかり物足りないかもしれない。だからといって、アオを放置してもいいことはないだろう。何をしでかすかわからないのだから、俺の近くに置いておきたい。
 どうやら、二人は気絶してしまったようで、倒れ込んだままピクリとも動く様子は見られない。一人に至ってはほとんど奇襲に近い形で襲い掛かってきたというのに、少しの傷も負わせられることなく、ただ倒れているばかりであるというのだから、彼らにとってみれば、相手にしたくないと思っているのかもしれない。だからこそ、一歩も動くことなく、俺を警戒するように見ているわけであるか。

「次の方はいないのでしょうか? もしかして、三人程度が倒されたからといって怯えてしまうような弱い心を持った人はいないでしょう。そんな人では、この国の一大事において最後の砦としての役割が務まるのか怪しいところですね。なにせ、たった一人の少年に怯えて動くことも出来ないわけですからね。そうでしょう?」

 俺の煽りに反応してくれたようで、この模擬戦場内で余裕を持って動ける限界人数の五人が降りてきた。そうでなくては困る。実力が離れているであろう相手に対して、数で挑むのは当然だ。俺が処理しきれないほどの圧倒的なまでの物量で襲い掛かってくることを期待するとしよう。そんな楽しみが体に現れているらしく、少し笑みを浮かべるのである。柔らかで愛しさが溢れんばかりであった。

「天の仙人様」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く