天の仙人様

海沼偲

第174話

 兄さんの元へと歩み寄ると、呆れたかのような顔をしている。確かに、騎士団所属の人間と廊下で戦っているように見えるような行動をしていればそんな顔をされても仕方がない。ただ、自己弁護をさせてもらいたいところではあるが。出来ないなら出来ないでも、あまり変わりはしないだろうけれども。その程度のことでしかないというのもまた事実である。
 とはいえ、彼らに一方的に襲われたのは俺なのだから、兄さんに呆れられるというのもあまり納得はいかないが。俺が明らかに被害者であるというような態度でもって近づいていくのだが、それでも、何とも言えない表情をしているのだから、どうしようもなさそうな感じがしないでもない。ただ、俺が近衛騎士の人間と戦っていることに対する感情がもやもやと渦を巻いているだけなのかもしれない。そう思うこととしよう。

「男爵家の息子が、王城で剣を振り回している頭のイカレタ男に襲われたといううわさが立つと、一体どうなるのだと思う? 彼は、騎士団に所属し続けられるのかというところで、悩みどころがまずは一つあるわけだけれども。まあ、俺としてはそうなってしまっても少しも心を痛めないわけではあるが」
「……男爵家の息子がまず王城にいる可能性がないということで、ほら吹きの大嘘か何かだろうと思われて、すぐに消えてしまうだろうね。だから、何もないかもしれない。むしろ、なにもなくていい。実際のところ誰一人として実質的な怪我をもらっているわけではないのだからね。まあ、その相手が、王族の親戚であるというのが非常に恐ろしいことで、それが発覚してしまえば、どうしようもないことだろうということだけは確実に確かだけれど。ブンヤがどこまで鼻がいいのかがわからないのがとても怖いね。しばらく新聞は読めなさそうだ」

 冗談交じりに言っているであろうということが伝わる。そこまで、仰々しく考えていないのだ。なにせ、誰一人、何一つとして傷も怪我もないのだから。であれば、何か言うことがあるかという話である。傷害にならなければ、たいていのことはなあなあで片づけられるのである。ある意味では過ごしやすい世界かもしれない。それには実力が必要だが、強い人間にとってはこれほどいい世界はないだろう。もし、俺が怒っていれば、この問題を表面化させることは出来るが、そもそもの話として、そんなことを考えていないのだから、余計にあり得ないという話であった。
 俺が何でもないかのように振る舞っているために、周囲に集まっていた、王族一同もほっとしたような、それでいて呆れているかのような、そんな顔を見せながら離れていった。出来ることならば、騎士団からバカ者が出てこないことに越したことがないのだから。まあ、次がないようにそれなりの処罰は下るだろう。その処罰がどれほど重いかを想像することは出来るが、そんなものに頭を使うのは滑稽極まるわけで。であれば、気にしないでいい。
 兄さんの仕事部屋へと入ると、いくつかの書類を割り振られて、それをこなしていく。国家運営において、あまり優先度が高くないような事案を割り振られている。そもそも、俺の仕事によって、国家が大きく変わることどころか、小さくも変わることはあるだろうか。いいや、ないだろう。それだけに本当に小さな仕事ばかりを回される。当然であろう。何せ手伝いでしかないのだから。俺に機密レベルの情報を、それより小さくとも何かしら変わるかもしれないと思われるようなそれを扱わせるわけがあるまい。ただ、本当に小さな要望の申請を審査して、許可するかどうかを決めるだけである。出来なければ、なぜできないかということを添える必要があるが、それぐらいだ。さらさらと、仕事が進んでいく。公園の遊具を増やして欲しいといった小さな申請までもが届けられている。目安箱に何でもかんでも投稿しているのだろう。その結果である。民衆は妄言であろうとも、してほしいことを書くのが仕事であり、それに許可、不許可を押していくのが俺たちの仕事である。それで、政は成り立っているわけであった。
 昼頃になると、使用人たちが昼食を届けてくれる。王城での食事は、さすがというべきなほどに美味しい。個人の好みはあるだろうが、一定の身分であれば、たいていの人間は高い評価を与える料理である。逆に言えば、平民であるとか、そう言った低い身分の人たちには理解できない料理だろうというのも確かである。さらりとして、すっと舌で味わえるような爽やかな料理なのだから。平民が好むような油でギトギトの料理とは違うわけである。それらが下品な食い物に見えてしまうのだから。実際に下品かもしれないが。
 今回は、使用人だけでなく騎士も入ってきた。甲冑の模様は近衛騎士団を表している。今日は彼らとよく関わり合いになる。出来ることなら、そんな関わり合いは辞めてほしいのだけれども。下級貴族である、俺ごときには彼らと関わるような人脈もないし、関わりたいと思えるだけの地位にもいない。とはいえ、彼らには俺の気持ちなんてわかるはずがないだろうな。剣のことしか考えていないような人たちじゃなければ、騎士に何て所属しないのだし。偏見であろうと思うかもしれないが、実際にそうなわけなのだから、偏見でもなんでもないという話である。
 ただし、俺は彼らを侮辱しているわけではない。剣に染まった頭というのはほめ言葉になりえるのである。むしろ、そのような思考だからこそ、王族が信頼するほどの実力を持つ集団として存在できているわけである。俺は、彼らに対して敬意を払っているのだ。個人ではなく集団というところが大事なところというのは確かにあるが。個人レベルでは敬意を払えないような人間も確かにいることだろう。今日であったような相手であるとか。
 彼は、俺のことを見つけると、ずかずかと部屋の中へと入ってきて、俺の目の前に立つ。見られていると食事が美味しく感じないと思うのだが、彼はそんなことはないのだろうか。たしかに、ガサツそうな男だから、そういう感性に関してはズボラにしているのかもしれない。むしろ、その方が騎士に向いているのであろう。まあ、最低限の清潔さは持っているようではあるが。鎧も、長年使い古された鈍さが確かにあるが、それでも、綺麗に磨かれていることが一目でわかる。それと、料理は誰にも見られないで食べたいという価値観は両立出来ないわけであるのだ。彼にはそうであったということ。

「うちのザンガが剣を向けた青年というのはあなたのことでしょうか?」
「……もし、それが正解だとして、謝罪をするために来たのであれば、今食事をしている最中に睨み付けているような形相でこちらを見ているということに対する、俺の感情がどういうものかを理解してから出直してほしいものですね。それが出来ないというのならば、少なくとも、あなたと話をするつもりはないでしょう」
「では、問題ありません。なにせ、謝罪をしに来たわけではありませんので。それであるならば、あなたの気持ちを伺う必要なんてものはあるでしょうか?」
「ならば……何をしにここに来たのでしょう? もし、この場で剣を抜き俺と戦いたいなどと言うつもりであれば、今この瞬間にでも貴様の首を吹き飛ばして、見せしめとして王城の大正門の目の前に飾り立ててやるとしよう」

 俺のほんのわずかに漏れるような殺気に気づいたようで、一歩ばかり後ろに下がった。額には脂汗を掻いているようで、わずかな恐怖心を奥底からにじませている。下がられなければ、俺の威圧が全く効いていないことになるので、そうはならなくて良かったとほっとしている。俺の噴き出す圧力は近衛騎士団を恐れさせるだけの力を持つのだと、しっかりと認識できたのだから。これは大事なことである。だが、そのような表情は決して見せることはせず、彼のことを今すぐにでも殺せるのだという余裕を持たせたままに、鋭く睨み付けている。
 だが、これ以上は続けても意味がないだろうからと、気を暴れさせるのを抑えていく。ゆっくりとこの場所の息のしやすさが上がっているのである。彼らも安心したようでゆっくりと息を吐き出した。巻き添えを食らってしまった兄さんは呼吸を思い出したかのような反応を見せてしまっている。申し訳ないことをしたと反省する。
 彼はどうやら連れていきたいところがあるから一緒に来てほしいということらしい。ならば、食事中に余計に来てはならないだろう。俺は、それを楽しんでいる最中なのだから。とりあえず、終わるまでは待ってほしいということで、ゆっくりと食べる。彼らのために急いで食べる必要はない。そこまで急ぎの用事ではないということは、彼の様子を見てもすぐにわかっているからである。ならば、ゆっくりと堪能したっていいではないだろうか。
 食事が終わって少しの休憩が終われば、再び仕事に手を付けるのだが、兄さんも彼に付き合ってあげればいいだろうということらしく、俺の分の書類を持って行ってしまう。今この瞬間に暇になってしまったわけなので、おとなしく彼の後にでもついていくとしよう。俺たちが食事している間、彼は何も食べていないわけだが、どうしたのかと聞いてみたら、どうやら、来る前に軽く食事を取っていたらしい。しかも、俺の昼食よりも多い量だそうで。やはり、常に体を鍛えているような人間は、食事の量も速度も、違うのだろう。俺はそもそも、永遠に絶食しても死なないわけだから、比べられることではないのだが。

「さて、俺をわざわざどこかに連れていくというのだから、それなりの理由があるのだろうな。今は聞かないでおいてやるが、もしくだらない用事であれば、貴様ら近衛騎士団が、今後永遠に騎士団を名乗ることが出来ないまでに蹂躙してやる」
「いえ……大丈夫です。あなただからこそ、頼みたいことがあるというだけです。ですので、それ以上の圧をこちらへ向けないでいただきたい。さすがに、体が無意識に反応してしまうのを抑えるのは苦労しますので」

 どうやら、彼は今すぐにでも剣を抜こうとしてしまうのを無理やりに抑え込んでいるらしい。であるならば、これ以上の圧力を与えるのはよろしくはないだろう。ここでまたしても斬り合いに発展するのは、俺も望んではいない。であれば、静かに後をついていくだけにとどめるのであった。
 歩いていると、王城を出て行く。外に用事があるのか。ならばどこだろうと気になるが、行けばわかるさと、ついていくだけであった。もし、何かしらの犯罪に巻き込まれるようであれば、彼らをすぐさま血祭にあげられるという余裕もあるからこそ、素直について行っているのである。そうでなければ、もう少し警戒しているのだろうな。人間とはそういうものだから。だが、少しばかり気が緩んでしまうのも好ましくはないので、少し引き締めることにしよう。
 もうそろそろで、到着するそうなのでその言葉通りに、数分歩いていると、ある建物が見えてくる。石とレンガで作られた、デザインというよりも、どれだけ強度のある建物を建てられるかというようなコンセプトで作ったというかのような建築物。華やかな王都からは考えられないほどに武骨で、シンプルに、ただ、雨風をしのぐための存在であると言わんばかりである。面白いと思う。この町にふさわしくはないのだから。絶望的なまでに異物感を醸し出しており、そして、そうなることを自ら望んでいるのだ。これを面白いと思わなければ、なんだという話であった。そして、俺はこの建物を知っている。なにせ、彼らの活動拠点となる場所なのだから。
 この場所は、騎士団のために作られている訓練場である。他の一般兵士諸君が、使用する訓練場とは、施設の設備が大きく違うらしい。むしろ、中身の充実のために、外を完全に捨て去ったという噂があるほどである。そして、今目の前にすると、それは噂ではなく真実なのだろうなと実感するのだが。
 彼がどうしてこの場に俺を呼び出したのかはわからないが、少なくとも、何か犯罪に巻き込まれることではないとわかるだけで十分だろう。もしかしたら、俺に侮辱された獣人の騎士が、リベンジでの決闘を挑んでくるというのもあり得るな。むしろ、そう言う考えが思い浮かんでしまうとそれ以外がすべて、突拍子のない内容に思えてならない。それぐらい、俺の中ではしっくりとくる理由なのである。とはいえ、彼の個人的な望みによって俺を引っ張り出せるだけの地位を持っていたのかというと疑問がわずかに付きまとっているわけではあるが。
 とりあえず、中に入らなければわかるものもわからない。彼の後に続いて、扉をくぐるのであった。堂々と前を向いて。

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