天の仙人様

海沼偲

第167話

 昼ごはんのころとなり、俺の分も用意してくれているようなので、ありがたくいただくことにする。どこかの地方で、こういう状況で食事をいただくことが失礼になるようなところはなかったかと、記憶を探ってみたが、そういう地方はなかったと思う。だから、安心して一緒に食事をすることが出来ることだろう。他国ではどうなのか知らないが、少なくとも、この国にはそんな風習はない。はずである。そうであってほしいところだ。覚えるのが非常に面倒だからな。
 ルイの家の家族構成は父母、弟に、祖父母。六人で住んでいるそうだ。その他にも親戚はいるだろうが、今は目の前の五人を覚えておけば問題ないだろう。大きくかかわるとしても、この五人が最大であるだろうし。しかも、どうやら、弟くんは学校に通っているらしい。三歳も歳が離れてしまえば、学校内で会うことはないだろうが、兄弟そろって通えているというだけで、優秀な血筋なのだということがわかる。ルイの家は貴族ではないのだから、入学受験をしているわけであり、その倍率はいかほどだろうか。数千人が毎年落とされているらしいのだから、それほどの倍率であろうことはわかる。そこを合格してくるのだから、優秀でなければ何だという話だろう。
 目の前に出てくる料理は、どうやら帝国風味の味付けらしい。台所を仕切っているのが、祖母らしいので、自然とこの味付けになるようだ。ルイの母親である女性は、それを受け入れてその味付けで作っているのだから恐れ入る。なにせ、彼女はこの国の人間だから、最初は味付けの違いに戸惑ったはずだろうから。
 帝国の味付けは、端的に言うと濃い味である。どの料理も基本的には、塩分多めと言った感じであろうか。塩辛いという味が全ての料理に必ずある。王国の料理に慣れてしまうと、ものすごく塩辛く感じる程度には濃い味付けをされている。ルイは逆に、毎日のようにこの味付けで食事をしていたのだから、学校での料理なんかは薄味で、味がしないとすら思ったのではないだろうか。それを聞いてみると、最初の方は味がしなくて自分の味覚がおかしくなったのかと心配になったらしい。やはり、そう思っていたのか。ただ、今は慣れているため、しっかりと味わえるそうだが。帝国料理は、帝国人があまりにも塩分不足に陥るからこそ、生まれた料理だという話を聞いたことがある。汗をかきやすい体質であるらしい。それと同時に、水も大量に飲むのだとか。塩分濃度が海よりも高い湖が領地内にあるらしいので、塩が名産品でもある。それもあるだろう。味わってみれば見るほど、なるべくしてなったのだと理解できる。

「二人はめちゃくちゃ仲良さそうだけどさ……姉ちゃんたちって、いつになったら結婚するんだ? 家に連れて来たってことは、もう結婚するつもりなんだろう?」

 ルイの目の前に座っていた弟くん……名前をアブラというらしいが、彼があまりにも唐突に、そして衝撃を受けるようなことを口に出した。だから、ルイが口に入れていたものを驚きのあまりに噴き出してしまう。彼の顔はベタベタになってしまっていた。前にいたのだから仕方あるまい。びしゃびしゃとよだれ混じりの汁ものがこぼれている。哀れである。彼は、感情を失ったかのように、そして人形であるかのように固まって動けなくなってしまっている。その直後に、祖母さんからガツンと拳骨を叩き込まれていた。二人にである。骨が陥没するのではないかというほどの衝撃と音である。綺麗に響いている。コブが出来ていてもおかしくはない。いや、もう出来ているか。
 彼は涙ぐみながら着替えに部屋を出て行った。彼女の方は、顔を赤く染めながら、忘れるようにしてご飯を口に入れている。ただ、痛みがあまりにも強いようで涙が目じりにたまっているのが確認できた。それを誤魔化すようにも見えた。俺も、何事もなかったかのように食事を再開するのである。先ほどの発現はあまり深く考える必要はないだろう。それこそ、彼の重いツボであるかもしれない。そう思ったのである。
 食事は終わって、席に座って、食休みといったところか。女性陣が食器を洗いに行っているために、今は男しかこの場にはいない。アブラ君も帰ってきている。部屋に入ってきて最初の一言が謝罪だったのは、少しばかりおかしく思えたが。なにせ、自分が一番の被害者であるといってもおかしくはないのだから。それでも、自分が悪いのかもしれないと思い、謝るのはいい心がけかもしれない。心の中では笑みがこぼれていたことは確かではあるけれども。だが、それは口に出すことはしない。

「アブラの言ったことを蒸し返すようで悪いのじゃが、ルイとはいつ式を挙げる予定なんじゃ? もう二人は、将来を誓い合った仲なのじゃろう。そうでなければ、ルイもわざわざこんな家に連れてきたりはせんじゃろうて」
「……いいえ、彼女とはそのような関係ではありませんので、式を挙げるだのということは一切予定にはありませんよ。彼女とは、ただの友人としての関係でしかありませんからね。それに、俺にはもう三人も婚約者がいるのです。この中に新しく四人目として彼女が入ることになったとしても、幸せになれるかどうかはわからないでしょう」

 俺は、そんなことを言ってはいるが、実際にルイが俺の妻になりたいと言えば、全力で彼女も幸せにすると誓うだろう。俺が愛している人が、幸せに過ごせないということは苦痛でしかない。だから、そうはならないかもしれないが、この考えは、彼女が俺と結婚したいと思っていなくては成立しない話である。
 俺から行動をしてしまったら、彼女との関係は変わることだろう。それはいい方向へか悪い方向へか。俺自身はどちらへ転んでもいいのだが、彼女はそうは望んでいないはずなのだ。みんなはいい方向へと望むのが普通なのだから。逃げていると思われようとも、俺の意思は固く、変わることはない。それを伝えるような目をしていたのだが、彼らには上手く伝わっていないかもしれない。そんな表情にも見える。

「でも、ルイはきっと、君と結婚することを望んでいるかもしれないだろう? そうであったとしたら、それも覚悟は出来ているのじゃあないだろうか。だとすれば、結婚するからと言って不幸になることはないのではないかな」
「まあ、それもあり得るでしょうね。そうして、彼女から何かがあればそれは喜んで受け入れますよ。俺がこうして、何もせずにいるのは、そうすることで三人の婚約者に対する、俺なりの誠意でもあるのです。俺が求婚してしまったら、彼女たちに合わせる顔がないでしょう?」
「そういうものかのう? そんなことを気にするような男はおらんし、女もおらんのではないのかのう?」
「彼女たちはとても気にします。むしろ、世界中の女性が、複数の妻がいることを許容してくれるわけではないのです。であれば、自分の我を通したいところと、相手の我を通したいところの間を作らなくてはならないでしょう。出来ているかはわかりませんが、今まさにそこへと努力をしているところなのです」

 三人が、悩んでいるかのように顎に手を当てている。三人とも、ルイが幸せになるためには、どうするべきかということを考えているのだろう。ただ、そういうところでは彼女の意見も尊重するべきであるとは思う。とはいえ、彼らが、どれだけ彼女の幸せを願っていて、そのためにはどうすればいいかと日々考えているのだろうということはよくわかってしまう。だから、俺からも彼らの方針、考えに口を出すことはしない。戦う必要なんてないのだから。どちらも、根底にある価値観を覆すことは出来ないだろうとわかっているのだろうから。
 思考を中断されるように女性陣が部屋に入ってきて、残りの食器を運んでいってしまう。俺たちはその姿をじっと見つめていて、その間には一言も話すことはない。彼女たちの様子をただ何となしに見つめているだけである。ばたんと扉は閉じて、再び空間は俺たち男だけのものと変わるのであった。

「でも……あんた、あんたって言っちゃだめか。あなたは、アランっていう名前の人なんでしょ? いつも、姉ちゃんの口から出てくる名前だよ。その、アランっていう人は。しかも、めちゃくちゃ楽しそうに話すんだ。おれにすらもだぜ。毎日のように聞かされてしまえば飽きてしまうというのにさ」
「そんなにも、俺に好意を寄せてくれているというのは嬉しいな。だけど、俺は、言っての通り三人の婚約者がいる。そのうえで、俺の方からさらに増やそうと動いてしまうのは、その三人の女性と、ルイに対して誠実ではない。だから、俺からは、どれだけお互いが想いあっているのだとわかっても、動いたりはしないさ。彼女が動かなければ、何も変わらない。それが、俺が絶対として、揺らいではならない誓いなんだよ」
「……そういうものなんだな。難しいけれど、姉ちゃんが勇気を出さないと、あなたとは結婚できないっていうことだけはわかった。まあ、そこから先は姉ちゃんの話だからな。もう関りはしないさ。それに恥ずかしいったらありゃしないからな。自分の姉の結婚のために動くなんてできればしたくないものだし」

 彼は、理解できたのか。ただ、納得はしたようなのでそれで十分だろう。少なくとも俺の方にかけるアプローチはしなくなることだろう。なにせ、俺は動かないと宣言しているのだから。動かない方を動かそうとすることは難しいことこの上ないのだから。それからは、誰も何も言うことはなく静かに時間ばかりが過ぎていく。もしかしたら、望んだ答えを出すことが出来なくて残念に思っているかもしれないし、俺も彼らの望んだ答えを出せないことに申し訳なさはある。だが、俺とルイのみだけで愛しあっているわけではないのだから、そうはいかないのだ。
 俺は夕方前には帰ることにしている。夕ご飯まで一緒にさせてもらうというのは、あまりにも申し訳なく思えて仕方がないという思いからである。だから、空がだんだんと赤く染まっていき、カラスが帰りの知らせを伝え始めることに、俺は彼らに対して別れの挨拶を告げるのである。彼らもまた、俺らを少し引き留めようとはしてくれていたが、それでも、最終的にはさらばと、挨拶を交わす。俺は敷地の外に出て、一人帰ろうとすると、ルイが外に出てきて、送ってくれるという話である。
 俺は、男たちの顔を見るが、別に変わりはなさそうにただ、手を振っている。入れ知恵をしたのかと疑ってしまった自分を恥じることにしよう。この行動は彼女自身の行動なのだと、納得したのだから。ならば、俺は彼女と一緒に帰路につくこととしよう。女性に送ってもらうというのも恥ずかしいものではあるが、ここで返してしまうのは、彼女のわずかな勇気に失礼であろうか。そう思ってしまった。
 彼女と二人歩いていると、ゆっくりと距離が縮まってくるようであり、手の先が触れ合うほどである。それは、段々と絡まるようでつながった。それだけでは足りないのか、より接近していき、腕が絡まっていくようである。人の温度が、二人の温かさが交わり、行きかっているのである。くっついてしまっているのだから。彼女の頭が俺の肩に乗り、しっかりと重さを感じる。彼女と密着しているのだということがわかってしまうのだから。あまりにも唐突に発揮されている積極性に、俺はどうしたらいいのかわからずにいる。ただ、それは喜びからくる戸惑いなのかもしれない。
 ゆっくりと、それの終わりは近づいてくるわけだが、終わりまでの時間はわずかでありながら、数倍にも引き伸ばされているかのような錯覚に陥るわけであった。いつまでも続いてしまう可能性を感じているわけであった。
 かつんかつんと響いている足音が、メトロノームのように一定のリズムで俺たちに催眠の効果をもたらしているかのようで、ふわふわとした心地の良い感覚をもたらしてくれる。永遠であり、瞬間であり、時間の概念が曖昧に存在しているのであった。夢の中の、雲の上を歩いているのかもしれない。自分が立っている場所は地面であり空であるのだから。彼女もまた同じなのだろうか。抜け出せそうにない程に、俺たちは二人しておぼれてしまっているのだから。
 ただ、その中に異質なものがあまりにも突然に入ってきた。入ってくることはあり得た。ただ、それを忘れていただけなのである。二人して、忘却してしまったのである。世界には俺たち以外にも存在するということを知っていながら、俺たちしかいないのではないかと勘違いの結果である。
 俺たちの目の前に、ハルが仁王立ちで立っているのだから。そこで、俺はようやく現実というものに戻ってくるのである。

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