天の仙人様

海沼偲

第162話

 次の日のことである。王都内に存在する練習場というべきか訓練所というべきか、そのような場所でハルとアキの二人が向かい合っている。周囲には観客としてこの場で訓練をしていた、兵士たちがいる。その中から、志願した人が、審判として試合を仕切ることになっている。数少ない女性の兵士であった。軽装ではあるが、一応は武装をしているので攻撃の余波が飛んできて、死ぬことはないだろう。おそらくだが。余波で死ぬほどの攻撃をしたりはしないはずだ。周りに多くの人がいるということを忘れていないという大前提が必要ではあるが。
 訓練所と一般的に呼ばれる場所では、基本的に兵士が戦闘の訓練を行うという以外では使用されることはない。一応は一般開放されているのだが、戦闘を生業としているような人間なんて、兵士ぐらいしかいない。だから、兵士しか寄り付くことはないのである。たまに、ハンターもやってくることはあるが、ハンターの基本は狩猟であり、戦うことではない。相手に気づかれる前に一撃を入れてその攻撃だけで殺すということを目的としている。戦闘行為は本当に最後の手段なのである。ずいぶん前に起きた暴走の時にハンターが召集されることがなかったのは、そういう理由もあるのだ。戦場では彼らはあまり役に立つことはないのだ。英雄譚に書かれているような姿とは大きく違うが、それこそが本来の姿である。
 周囲にいる彼らは楽しそうな余興だからと訓練をやめて、彼女たちの試合を見届けるつもりであるらしい。めったにやってくることのない兵士以外の人たち、そして女性だというのだから、気になることは確かであろう。むしろ、賭け事をやり始める始末ではあるが。その中の騒ぎの中心にあっても、彼女たちはしんと静まり返っているかのように真っ直ぐに相手を見ている。どうやら、兵士たちもそれには気づいているようなので、ただ、野次馬根性丸出しで見ているわけではないようである。盗める技術があれば、盗んでやろうという思惑でもあるのだろう。
 ゆっくりと、彼女たちは木剣を構える。今までの喧騒などまるでなかったものかと思えるほどにしんと静まり返る。彼女たちの生み出している空気がこの場所全体を飲み込んでいるのだ。審判として間に立っている女性の合図で始まった。だが、様子を見るように動くことはない。石になってしまったかのように、ピクリともしないのである。どちらが、最初にじれったくなるのかという競技を見せられているかのようである。

「どれくらいだ?」
「なかなかだよ。無理やりに攻撃しようと思えば、普通に反撃で大半はやられるだろうね。そうじゃないとしても、致命的な傷を負ってしまうのがほとんどだろうね。慎重というか、警戒というか、そういうレベルを一つ上にあげている感じなのかな。ただ俺たちと同じようでありながら、全く別物にまで昇華してあるよ、あれは」
「くく、そりゃあ大変だな。であれば、今ここに居る二人だけで俺たちは全滅されるっていうことか」
「ありえるだろうね。少しの疑いもなく、自身を持って頷けてしまう。それが悔しくもあり、それ以上に興味が湧いてくる」

 近くにいる、兵士たちの会話から見ても、ただそこに構えているだけでも実力の違いを見せつけているようであった。全ての身体の緊張と脱力が誤差以上の程度でもって操られているのだから。最も効率のいい動きを生み出すことの出来る、タイミングでピタリと静止しているのだ。これは、仙人だから出来ることであろう。完全に自分の体の状態を確認できなければ出来ないのだから。
 最初に動いたのはアキである。最初の踏み込みで、完全に距離を詰められもうすでに間合いに入られている。横に薙ぎ祓うように剣を振れば当たってしまうことだろう。しかも、万全を期すために金縛りに合わせているようでもある。ほんの一瞬しか体を縛ることは出来ないだろうが、彼女にとってみれば、その一瞬だけで十分な時間をもらえるのだ。大きな衝撃を感じる音が鳴り響く。その勢いが風となって俺たちのもとまで届くのだ。何人かは自分がその一撃をもらってしまったらと考えて顔を青く染めている。だが、ハルはなんてことない顔をしながら立っている。剣は確かにハルの体にぶつかっているが、それが一切の意味をなさずにそこで止められているのだ。あらゆる防御行動をしていないというのに。それは彼らに驚愕を巻き起こすには十分であった。そして、金縛りは解けたようで、そのまま振りぬくように剣をしたからすくい上げる。上体を逸らして、回避するのだが、それは悪手であろうか。さらに一歩踏み込んで、振り下ろす。逸らした体で体勢を立て直すことは厳しいだろう。だが、アキは地面に手を付け、そこを支点にして、蹴り上げる。もう少し間合いに入り込んでいれば、ハルの顎に直撃していたことだろう。一瞬だけ体を逃げさせることが出来たために、そこからすぐさま距離を取る。どうやら、お互いにまだまだダメージを負っているようではない。恐ろしいまでの頑丈さである。倒すのには相当に骨がおれることだろう。
 兵士たちは、ハルがどのようにして最初の一撃を耐えきったのか話し合っている。仮説として立てられているのが、魔力を一点に集めて土の要素を混ぜ合わせることで、硬度を上げて、耐えるというものである。たしかに、それでもいいだろうが、それだけではアキの一撃は耐えられない。それほどの威力が伝わっているというのはわかっているらしい。それに、衝撃を外で止めることはせずに、うちへと叩き込んでいる。そこが彼らはまだ気づいていないようだが、その状態で魔力での硬化をすると、外側の硬さが内に侵入した衝撃を逃がすことが出来ずに、内臓がめちゃくちゃにされる。だから、それだけでは足りない。肉体を鉄のように硬くして、表面に与える一撃を耐え、その後に中へと伝わってくる衝撃を脱力によって受け流しているのだから。その二つを成立させて、ついでに魔力でより硬度を高めているのである。ハルは、魔物であるために、魔法の扱いは人間の数倍以上も優れている。息をするように魔力を操れることだろう。だから、仙術と魔術の行使を同時にできるのだ。彼らは仙術を認識できないため気づくことはないだろうが。対面で剣を構えているアキであるならば、今の仕組みを理解できたことだろう。
 一歩踏み込んで、剣を振り下ろす。明らかに距離が遠く当たることはない。隙だらけにしかならない行動だろう。それに付け込むように距離を詰めて、剣を振り下ろす。そこから、ハルは一歩さらに踏み込んで、肩を当てる。脇の下に入り込むようにである。そうしてしまえば、剣を当てることは難しいだろうし、両手で持っているために、拳を握り締めて殴ろうにもそれなりの時間がかかる。そして、対するハルは片方の手を開けているために、いつでも攻撃が出来る。だが、本来であれば体が触れ合う距離での攻撃に力は乗らない。適切な距離で開ければ、攻撃というものは意味のないものへと変わるのだ。だが、仙術において距離というものは攻撃の威力に影響しない。気の爆発のエネルギーを相手に直接叩き込むのだから。拳を突き出すときのスピードと同時に力を入れているエネルギー。それが合わさって衝突時にエネルギーはダメージを与える。だが、仙人にとってみれば、その前段階など必要がない。気を直接に操れるのだから、拳で体に触れて、そこから爆発的な気のエネルギーをぶつけてしまえば、それで十分なのである。だが、それでもアキは何とか耐えきったようなので、服を掴んで投げ飛ばした。軽やかに着地をする。優雅である。余裕があるともいえる。明らかな実力差が見えてしまうのだ。

「もうこれで終わりかしら? あまりたいしたことはないみたいね。もっと恐ろしくて、力強いのかと思ったけれど、自分の素の力からそこまで成長していないのだから、その程度であったとしても仕方のないことかもしれないわね」

 わざと挑発するかのように笑みを浮かべているが、それに対して怒りの感情を持たないようにと、心を落ち着かせていっている。静かに構え直した。水面のように静かな心でそこにいるのかもしれない。これでは、挑発をいくらしようとも意味はないだろう。ピタリと静まっているような、しんとした静寂の中で彼女はひと際映えている。ただ一人の呼吸音すらも聞こえてくるかのような無音の世界の中に二人が存在し、そして互いを睨み合っているわけだ。
 二人が同時に動いた。全くのずれもなく同じ瞬間である。それだけお互いに同じことを思っているのかもしれない。そのまま鍔ぜりあうように剣をぶつけている。力勝負でもするのだろうかと思われるが、そんなつもりはないだろう。そこから力を抜くように、流す。少しバランスを崩してしまえばそれは大きな隙となる。流した勢いのままによろけてしまえば頭は下がり、後頭部が丸見えとなっている。アキはそこへ肘を叩き落とした。ガツンという大きな衝撃が響き渡り、兵士たちの息を吞む音が聞こえる。あれではさすがに倒れる。やられてしまう。下手したら死んでしまう。どれを思っていることか。そのどれもがあり得るわけである。俺も、他人の試合を観ていれば、そう思っていたかもしれない。だが、今戦っているのはそんな軟なわけがないのだ。倒れることはせずにしっかりと踏ん張っている。自身の元からの身体能力を過信しての攻撃なのかもしれないが、彼女はこの中だったら、俺の次に仙術の技術は高いのだ。一切のダメージを残らないように外へと逃がすことは当然できてしまうのだ。たとえ頭であろうとも。少しの痛みも残すことはない。体勢を崩したままで、足を引っ掻けるようにして持ち上げれば、あまりにも唐突に繰り出された搦手に、彼女はなすがままに倒されてしまう。そして、受け身を取った彼女の顔面へと拳が迫る。避けられないと思ったのか、少し拙くはあるが体を硬質化させている。少しぐらいは耐えられることだろう。
 拳は彼女の顔面のわずか手前で止まった。だが、顔面を突き抜けて下の地面に大きなヒビを作る。ビキビキと大きな音を鳴らして生まれたヒビに周りの兵士たちも驚いているようで声が漏れてしまっていた。それが真後ろで聞こえていたアキは歯をガチガチと震わせているのである。その一撃が自分の顔面に当たっていたらどうなっていたのかと想像してしまったことだろう。もしかしたら、腰が抜けて立てなくなっているかもしれない。それだけの力の差をその一瞬で悟らせるだけのものがあるのだ。
 この試合では、ハルが勝った。仙人としての先輩という意地があったことだろう。圧勝というわけではないかもしれないが、少なくとも、そう簡単に追い抜けるような力の差ではないということは分かった。俺はヒビ入ってしまった訓練所の床を直しながらハルを待っている。石の地面なおかげで、簡単に修復できた。もし、木であれば難しかっただろう。そこのところは非常にありがたくはある。
 ハルは、無理やりにアキのことを立ち上がらせると、手を引っ張って俺たちのもとまで連れてきてくれた。その間にも兵士たちに周りを囲まれているようであるが、不機嫌そうに睨み付けられるとさすがに、目の当たりにしてしまった実力を持つ人とは戦いたくないようで、さっと離れていく。集団戦闘では彼らもまた優れた技術を持つだろうが、個人戦闘という点では、ハルの方が明らかに格上なのは言うまでもないことなのだろう。

「まあ、意外と簡単だったわね。天龍様に名付けられたなんていったものだから、もしかしたら、同等の実力を持っているのかもしれないなんて、少しは警戒をしていたのだけれど、別にそうではなかったみたいね。まあ、仙術なんて、修行を積んできた年数がものをいうようなものだから、どんな天才でも、数年の差がついた先輩を倒すことは難しいということかしら? わかってくれたかしら? というわけだから、あなたなんていなくてもアランの力になれる人はいるわけ。さっさと諦めて、森にでも帰ったら。それがきっと世界で一番幸せかもしれないわよ」

 アキはしょんぼりとした顔で、ハルの話を聞いていた。手も足も出なかったわけではないだろうが、やはり、少しのダメージも与えられずに負けてしまったというのは相当にこたえているのだろう。仙人としての修行を積んでいくと、確かに人智をこえた強さを手に入れることが出来るようにはなるが、それは、この世に生きるもの全ての中でという話なのだから。同じ格にいるような相手に対してそう簡単に勝てるようではないということであった。彼女はそれを深く思い知ったことだろう。
 アキは、すっと俺のそばにまで近寄ると、慰めてくれといわんばかりに抱きついてくる。とてもしおらしくて、そして可愛らしく思えた。だが、それと同時にハルの怒りがより大きく溜まっているということが分かる。俺は彼女の怒りを抑えるために、抱きしめるのである。これで収まってくれることを祈るばかりであった。

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