天の仙人様

海沼偲

第159話

 お師匠様と広い草原をともに歩いている。久しぶりにお師匠様に稽古をつけてもらいたいということでお願いをしたのだ。それを了承してくれたことに感謝をしつつ、誰にも見られないように遠くへと移動している。森の中へと入っていくのがいいだろう。なにせ、周囲は木一本すら探すのに苦労するほどの大草原なのだから。それでは、俺たちの目的の場所には巡り合えない。だからこそ、いつかの森へと向かうのが最も理にかなっていると思える。真っ直ぐに、迷いのない足取りで進んでいくのである。
 お師匠様は周りの人間に見えないように気配を消しているらしいのだが、俺との修行で戦っている姿を見られてしまえば、仙術の効果も効きづらくなり、発見されてしまうことだろう。俺一人での戦いの動きというのはあまりにも異質に見え、彼らの注目を集めてしまうであろうことは間違いない。すると、本来意識の外にいるべきであろうお師匠様の姿もまた、意識の中へと入ってきてしまう。だから、そもそも人の目に入らないような場所の確保が最優先なのであった。さすがに、俺一人が本気で戦っているように誤魔化すのには相当な無理があるということでもあるのだ。おとなしく従うほかあるまい。
 森の中へと進んでいき、程よく周囲が開けている場所を探していると、前方から二人の人間らしき姿をしたものが歩いてきている。もしかしたら、ハンターかもしれないと思い、その場に静かに立っていると、どうやらそのようではないようで、鈴の音をしゃらんしゃらんと響かせながらこちらへと歩いてきている。前にも聞いたような音色である。とても美しい響きが俺の全身を巡っているかのようであった。
 目の前までやってきて、俺たち二人の前で止まる。俺の方を見るとにこりと笑みを浮かべ、お師匠様の方にも視線を向けている。今も気配を消しているというのに、しっかりと存在を認識できているようである。俺は彼の顔に見覚えがある。ずいぶん前にカンムリダチョウたちとの争いを仲裁してくれた人であった。その人が、女性を連れ添いながら、俺たちの前に現れたのである。
 前回にはいなかった女性はきりっとした顔つきをして、周囲を警戒しているように見回している。俺よりは実力は低いかもしれないが、それでも、強大な力を内に秘めているということだけは確かにわかる。少しばかりその力が漏れてしまっているから、まだまだ拙さは残っているみたいだが。とはいえ、そのうちに秘められている力はの膨大さは想像するのが難しい程であり、腕一つで岩一つをめちゃくちゃに出来ることは確かであり、それだけでも十分に彼女の力がわかるわけである。

「まさか、貴様が弟子を取るとは思わなかったな。いつもは一人で放浪をしているのが基本だというのに、いつの間に二人旅なんてものをするようになったのだ? なんかの預言でも頂いたのか? それとも、気でも変わったか。人生というのはなかなかに予想だにしないからな。今こうしているのも面白く見えて仕方がない。まあ、どちらにせよ、その女もなかなかな実力者だな。何年連れているんだ?」
「なあに、一年程度しかありはしまいよ。これだけの実力をわずかな期間でつけれるというのは相当に貴重だったものでね。まさかとは思っていたが、愛の力という奴でしょうかねえ。想いの力という奴で、これほどまでの実力をつけることに成功したということでしょうさ。もっと、ゆっくりと鍛えてあげてもよくはあったのでしょうけれども、それでは彼女が納得はしないものですから、少しばかり骨が折れてしまったことは隠しようもない事実ではございましょうが。こうも、弟子に振り回されるとはおもいなさんだ。二度と取らないかもしれない。まあ、一人でも育てることが出来たなら、上出来という奴でしょうさね」

 疲れたような顔をしている。目をつむって額をポリポリと掻いており、それが本心であるのだろうということを真に伝わってくるわけであった。相当に彼は面倒くさがりなのだろうということが伝わってくる。であるならば、どうしてあの時には首を突っ込んでくれたのかわからない。あの状況も彼から見れば面倒くさい事この上ないことは間違いないはずなのに。
 しかし、話している最中の言葉の表情の中には、今弟子となっている彼女に対する敬意というものがわずかににじみ出ているような気がしてならない。彼女がどのようにして彼の弟子となったのかはわからないのだが、面倒くさいという個人の考えを上回る何かを感じたのだろう。才能なのだろうか。

「くくく、素晴らしいな。俺と、あと数人で弟子を集めていることは確かだが、貴様もこうして新たに弟子を作ってくれるというのであれば、俺たちの勢力が最も力を持つのもそう遠くはないな。なにせ、最近はいろいろと物騒な世の中になりつつあるものだ。力をつけるのを怠ってしまえば、今までの歴史なんてものは何の価値もなくもろく崩れ去ってしまうのだからな。だから、貴様も弟子の育成のために世を放浪と歩いてもらうつもりだぞ。楽しみで仕方がないな」
「それが嫌で、そんな世界からおさらばしたかったはずなのですがねえ。どうしようもありますまい。逃れることは出来ないということなのでしょう。残念ですが、諦めるのも一つの賢い選択というものです。そうなる前に、出来る限りため息でもはいておいて、気持ちでも楽にしておくとしましょうかね」
「ああ、そうしておくといい。ため込んでいることは相当に苦しいからな。負の情念は今すぐにでも出来る限り吐き出しておいた方がいいというものだ。それは誰もが知っている。弟子のひとりに非常に上手い奴がいてな。不満というもの全てを、ぶつけられた直後に、忘れたかのように外に捨ててしまう奴がいるのだ。ああいうのが、我々が目指すべきものであろうな」
「へえ、それはなかなかに素晴らしいですね。真似しようと思っても、難しい。参考にはなりましょうが」

 お師匠様たちは、二人で楽しそうに談笑している。その間も俺たち弟子二人は静かに待機している。ここで、彼女に声をかけてもいいかもしれないが、複数の会話を交錯させてしまうことがいいことだとは思えなかった。なのだから、二人の会話が終わるのを待っているのである。それに、いろいろと出てくる情報の全てが価値のないものとして放っておくには惜しいように思えてならないというのもある。からからと、適当に流されている話の一つ一つに、何かしらの引っ掛かりを覚えるようなそんな感覚であった。
 談笑が終わったようで、彼女の紹介をしてくれることになった。暗い紅葉の色をした髪色を持っているためか、彼女の名前はアキというらしい。ハルに対抗しているみたいな名前である。面白いと思った。だが、その面白さは俺にしか伝わらないだろうからと、黙っておく。どうやら、アキは昔は鳥でしかなかったそうだが、仙人としての修行を積むことで、人の姿になることが出来たらしい。確かに、鳥としての面影があるようで、髪のところどころから羽毛が飛び出ていたり、耳の裏側から首筋にかけて小さな羽が生えていたりとしている。ただ、顔の形は鳥のままではなかったらしい。自分が望んだ姿になるそうなので、彼女はその姿を望んだということなのだろう。人の姿を望む鳥というのも珍しい話である。人は空を飛ぶことは出来ず、それは仙人であろうとも変わりはしない。いずれは、空を飛べるだろうが、数百年を超えねばならない。だから、鳥でありながら、空を飛ぶのを捨てて、人の姿へと変わるというのは珍しい。それを聞いてみると、どうやら、彼女はもともと飛べるような鳥ではないらしい。
 しかも彼女は元はカンムリダチョウだそうで、故郷に帰るために、ここに来たということだ。もしかしたら、俺もすれ違っているのかもしれない。一年前ということなのだから、おそらくは今までたくさんのカンムリダチョウを見てきたわけだから、その中の一羽が彼女だとしても驚きはない。数多くの中からの一羽なのだろうが、俺には彼らの種族の顔を見分けることはほとんどできないのだから、たとえすれ違っていても気づきはしないだろうけれども。
 そういえば、俺に興味を持っていて、いつも近づいてきていた彼女の姿を最近は見ていない。一年前くらいだろうか。それほど昔に会ってそれ以来顔を合わせていないのだ。今目の前にいる彼の仲介で話は終わったのだが、それから先は何もなし。本当に終わってしまったのだろうか。もしかしたら、顔を合わせづらいのかもしれない。なんてことを思っている。だが、久しぶりには彼女の顔を見たくなるというものだろう。
 と、視線を感じるのでそちらへと顔を向けると、アキがじっと俺のことを見つめていた。真っ直ぐに俺しか見えていないかのように没入しているのかとすら錯覚するほどである。そして、俺と目が合うと少しばかり顔を赤く染めている。少しばかりほほえましいところではあるが、初対面の女性に顔を赤らめさせるだけの容姿ということなのだろうか。それならば、アキですらも相当に優れた容姿である。仙人の名にふさわしい美しさを顔立ちが表現している。おそらくではあるが、もっとの姿からしても種族的な美貌を持っていたのだろう。それが頷けるだけの美しさなのだから。美というのは個人の持つ美しさに生物の格が合わさるものである。であれば、彼女は存在そのものの美しさに、仙人という格が合わさって、凡人であれば、目を合わせることですら至難の美女となっているのであろう。
 そこまで考えたところであることに気づいてしまう。いいや、もしかしたらなのかもしれないが、それが本当なのだとしたら、俺は今すぐに驚きのあまりに大声を吐き出してしまうかもしれない。だから、そうならないように声を飲み込むように唾をのむ。緊張しているみたいに勘違いされそうだが、驚きをこらえるのに必死でそれどころではない。もう一人の仙人様が俺の様子に気づいたようで、目つきを柔らかに浮かべている。何を笑っているのだろうか。

「ようやく気付きましたか。相当に気づくのが遅かったですね。もしかしたら、出会った瞬間にわかってしまうかもしれないなんて思っていたものですし、彼女とそんな話をしていましたから、ここまで鈍感だとは思いませんでしたよ。ヒントだってボロボロとこぼしているみたいに与えてあげていたのにですよ。彼女も相当にじれったくなっていましたからね」
「あ、あの……ということはつまりは、そういうことなのですよね。少なくとも、今俺が想像していることが今現実のものとなって存在しているということなのですよね。間違っているというわけではないのだと、言っていますよね?」

 彼は静かに頷いた。俺は何も声を発することが出来ずに驚いたまま、固まってしまった。そんなことがあり得るのかと思いたくはなる。まさか、俺に好意を寄せていたあのカンムリダチョウが人の姿となって俺の前に現れたのだから。俺の衝撃は例えようがない程に大きいとしか言えないのだ。
 体全てが思考を止めてしまったかのようで、動くことが出来ずに、ただ彼女のことを見ることしかなかった。そして、段々と彼女の姿を目に焼き付けていく。それと共に、昔から出会っていた彼女の姿も思い浮かんでいく。合わさっていく。ゆっくりと混ざり合って、最後には彼女のみが残っている。今の彼女の姿が彼女であるとして、俺の頭の中で冷静に処理されているのである。
 しずしずとこちらへと近寄ってくるアキ。彼女の新しい名前。今まではカンムリダチョウとしてしか出会うことはなかったが、お互いがとうとう仙人へと上り詰めて再開してしまうとは夢にも思うまい。あの争いの仲裁をするからと、彼が持って行ってしまったが、まさか、こんな結末で帰ってくるとは誰が思うのだろうか。だが、俺は固まってばかりでもいられないので、静かに彼女の頭をなでる。ゆっくりと。すると、カンムリダチョウの時の感触らしさが残っている。ああ、確かに彼女に触れた時と同じような感覚である。あたたかな気持ちだ。

「……ようやく、ようやくあなたと同じになることが出来ました。今までも、愛していたのに、平凡な鳥でしかなかったために、何度も邪魔ものが入ってきてしまいましたが、これからは、そんなことなんて言わせることが出来ないのです。なにせ、わたしも同じところに立つことが出来ているのですから。同じ仙人として、あなたを支えることが出来るのですから。愛しておりますよ、アラン……」

 彼女の唇がすっと近づいてきて俺たち二人は触れ合う。俺が何かを言おうというそぶりを見せる前にである。有無を言わさずとばかりに唇を奪ってくるのだ。柔らかな感触が俺を支配しているのだ。まるで時間のことなど忘れてしまうかのように、溶けあっていくように俺たちは混ざり合っていくのであった。

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