天の仙人様

海沼偲

第156話

 今まで放置してしまっていたキーリャの元へと向かうと、目隠しを外す。隠された瞳は怯えたように周囲を見ているのであった。彼女は俺の顔をみて、そして今どうなっているのかということをだんだんと認識していくと、それにつられていくようにして、目じりから涙があふれ出していく。俺は、その崩れていく表情を見ながらも、縛られたままになっている手足の縄をちぎっていく。完全に開放されたのだとわかると、おもいきり抱きついてきた。俺もそれを支えるようにして背中まで腕を回す。彼女が生きているのだという感触をしっかりと、腕から体から全てでもって感じている。俺は彼女を助けることが出来たのだ。今は、それを喜ぶのである。
 彼女は大泣きしていて、おそらくはまともに話をすることは出来ないだろう。だが、仕方のないことだ。彼女は今の今まで怖い思いをしていたのだから。だから、今は感情が爆発していることを、誰も何も言うことは出来まい。静かに、背中をなでて、ゆっくりと感情が静まってくるのを待つばかりであった。それは、ハルたちもよくわかっているようで、今は何も言わずにいてくれるのである。ありがたいことであった。
 やっと落ち着いてきたころだろうか。深く深呼吸をして、なんとか冷静さを取り戻せたのかもしれない。とはいっても、先ほどまで泣いていたという痕跡は消えずに残っている。目が泣きはらしてしまったようで真っ赤に染まっているのだから。わずかながらしゃっくりが止まっていないのだ。何とか泣き止んだというだけである。頭をなでる。涙でぐしゃぐしゃの顔ではあるが、その顔をさらにくしゃくしゃにするかのように笑顔を見せてくれるのである。とても可愛らしく思えてならなかった。頭をなでる。ゆっくりと、包み込んでいくような温かさを与えるようにである。

「ありがとうございます、アランさん。やっぱり、私を救ってくれたのはまたしても、アランさんでしたね。運命でしょうか。私の王子様……。私は、あなたに全てを捧げてしまいたいぐらいに恋い焦がれてしまっているのです。そんなあなたが、こうして目の前にいるのですから……」
「ありがとう。俺だって、キーリャのことを愛しているよ。この気持ちは永遠に変わることはないだろうね。たとえ、どれだけの年月が経とうとも、愛し続けていると誓えるだろうさ。それに、君のような綺麗で、それでいて愛らしい女性にここまでの好意を寄せてもらえるだなんて、俺はなんて幸せ者なんだろうね」
「アランさんは、私を喜ばせるのがお上手なんですね。とても嬉しいです。アランさん。愛しております……」

 キーリャはゆっくりと目を閉じて、口を近づけてくる。その距離は今すぐにでもなくなってしまいそうなほどに近く、今この瞬間にも消えてしまうことだろう。俺はただ、それを受け入れるばかりであるのだ。
 だが、それを許さないと言うかのように、彼女の額を押さえつける人がいた。目を向ければ、ハルがそこに立っている。うっかり、彼女たちのことを忘れてキーリャと二人だけの世界を作っていた。これ以上は我慢ならないとばかりに、憤怒の形相で彼女のことを睨み付けているのである。あと、ついでとばかりに俺のことをちらりと睨んでいた。だが、俺の本性がそういうものだからと諦めているせいか、一発だけこつんと殴られただけに終わってしまう。それなりに、衝撃が届いた。脳みそが揺さぶられている程度ではあるが。だが、これも彼女なりの愛情表現であろうと思う。前は、こんなことをしなかったが、ようやく怒りを俺に向けるようにもなったということである。これならば、彼女たち同士での喧嘩は少しぐらいは丸くなってくれるだろう。
 キーリャは邪魔されてしまったことに不満を持っているようで、頬を膨らませて抵抗しているように見えるが、それではハルを煽っているようにしか見えない。ただ彼女の怒りを増幅させているだけにしかならないのである。無理やりに引きはがされて、そして床に転がされてしまっている。キーリャの服装は明らかに部屋着なために、砂埃やら何やらでめちゃくちゃに汚れてしまっている。だが、それを気にする様子は見られない。それほどまでに、今目の前にいる敵を睨んでいるのであった。

「あなたは何なんですか? 囚われの姫を救ってくださった王子様との熱い抱擁と、それに伴う口づけ。そして、二人は長い長い愛を確かめ合い、結ばれるのです。それは常識的なことでしょう? それを無理やりに引きはがして何のつもりなのでしょうか? お互いの愛を確かめ合っている最中に邪魔をするというのはマナー違反ではないのかしら?」
「あら、面白い論理を使っているじゃない。当然わかっているとは思うけれど、アランは私の夫になる人なの。この意味がわかるかしら? それに、あなたがいつアランと婚約をすることが決まったのかしらね。少なくとも、私は許可を出してはいないわ。ということは、あなたにはアランと愛し合う権利はないということになるの。当然のはなしよね。私たちの誰かから拒否をされてしまえば、そんな話はなかったことになるのだから。ふふ、残念ね。あなたはアランのことが好きなのかもしれないけど、だからといって、その恋慕の情を実らせるほど私は心優しい女ではないの。諦めて」
「何を言っているのでしょうかね? ハルさん、あなたは王城で私が求婚した時に反対なさらなかったじゃあありませんか。ということは、私と、アランさんが結婚をするということに賛成をするということでしょう? あなたは、あの時に二人の国家元首を相手にして、反対だと言い切らなくてはならなかったはずです。それを出来なかった。つまりは、あなたが国を敵に回しても、アランさんと私を結婚させたくないとは思っていないということになるのですよ。そんな脆弱な意思で今さらのこのこと、反対しないでもらいたいものですね。自分が惨めなだけだと晒していることになりますよ」

 バチバチと火花が散っているのかと錯覚するほどに、二人はお互いに睨み合っている。ルクトルは、その勢いに押されてしまっているかのようで、呼吸が止まっているような気配すらある。今は夜深くになってしまったから、ここで日が昇るのを待つわけだが、ぎすぎすとしたままでは、大変ではないかと思う。だが、これをどうにかできるとは俺には思えない。逃げるわけではないが、死なない程度ならば、喧嘩をさせてもいいのではないかと思っている。友情が芽生えることはないだろうが、それなりにストレスを発散させることは出来るかもしれない。少しばかり楽観的に考えるのである。
 俺は彼女たちから離れるようにして、部屋の隅へと、そして扉の外へと出て行く。喧嘩の最中に俺がいてもいいことはないのだから。好きにさせようと思っているのに、俺がいてしまうと、何かしらの制限をかけてしまう可能性があるのだから。それに、俺にはやらねばならないことがあった。そのためにも外へと、下の階へと向かう必要があるのだ。
 今、下の階層には、盗賊たちの死体が転がっている。それは気分が悪いだろう。俺たちが今日一夜を過ごす場所の下に、死体が供養されることなく、そのままに放置されているということなのだから。もし、中に肉食獣が侵入してきて、彼らの肉を貪り食う音が聞こえたのだとしたら、少なくとも睡眠中ではあまり好ましくはない。とりあえず、彼女たちを放っておいて彼らの供養をすることにする。それに、この場に魂だけが取り残されてしまい、幽霊としてさ迷ってしまうのは申し訳ないのだから。弔いをしたとしても、幽霊として残ることはあるが、しない場合は、その場に魂が縛り付けられてしまうのだ。戦場では弔う余裕がないから、幽霊が多くあらわれるというのも、そこからなのである。ならば、そうならないように最大限の努力をしなくてはならないだろう。俺が殺した人間に対する最大限の弔いというのは、しなくてはならないのだから。
 一人一人に対して、祈りを捧げると、この死体の処理のために空中に手をかざす。そして、気を流していくとそこから一人の人物が現れる。そして、目の前に広がる光景を見て、うんざりしているかのような顔を見せている。だが、むやみに土葬をするのも時間がかかる。ならば、彼にやってもらった方が早いのである。それに、そういう仕事を請け負うために、存在しているのだから。

「なんですかね、これは。殺人狂いのとち狂いでもいたんですかね? いやあ、おっかないですね。一度にこれだけの死人が出るなんて、戦争でもないとありえないでしょうよ。あっしはそもそも強い存在じゃあありませんので、もし危険なものに出会ったときには、すぐに殺されてしまうんですよ。死体を処理するのが仕事であるのなら、別に強くなくても務まりますからね」
「大丈夫だ。お前に危害を加えるような存在はこの近くにはいない。なにせ、全員殺してしまったのだからな。そうでなければ、呼んだりはしないさ。それに、見る限りお前たちに頼まなければならない事態だろうということはわかるだろう?」
「まあ、わかってはいるんですがね。実際にこんな現場を目にするような機会はそうそうありませんし。あったとしても、十数人程度ですよ。ですが、これはなんですか。数十人じゃあありませんか」

 俺は、ここ以外にも複数階に渡って似たような光景が広がっていると伝えると、連れてきていた一体だけのブタにほんの少しだけ似ている怪物では足りないと判断したのか、さらに追加で二体連れてきた。それだけで、もう疲れ切っている顔を見せている。そして、気味の悪い笑みを浮かべているのだ。彼もまた狂ってしまったのであろうか。そう思えてならない。そして、魂を抜き取っていきながら一人一人の死体を怪物たちに食べさせていく。骨までかみ砕くように食べるため、バリボリと小気味いい音が鳴り響いている。さらに、おまけでくっついてきているかのような昆虫が地面に口をつけると、血を飲み込んでいるようであった。ずるずると音をたてながら、床一面に広がっている血液がだんだんと消えていくのである。
 それを繰り返していくのだが、食べ過ぎているせいなのか、面倒臭くなって何体か動かなくなってしまうものも現れる。その時に、適当に尻に鞭を入れることで、再び活動を再開し始めているようだ。鞭を入れて食事をさせるというのはそうそう見る機会はないだろう。彼らしかしない行動かもしれない。それに、鞭を入れられたものも、先ほどまで食事をする気がなかったというのに、まるで空腹であったかのように、腹の中へと入れていくのだ。とはいえ、気怠そうに顎を動かしていることは確かであるが。俺と目が合うが、何とも、面倒くさそうだと言わんばかりの表情をしている。
 仕事はてきぱきと進んでいき、一時間も経たないうちに、まるで人など存在していなかったかのように、痕跡の一切が消え失せていた。どうやら、その仕事ぶりに満足しているようで何度も頷いている。すっきりとした表情を見せながら、こちらへと振り向いた。

「じゃあ、あっしはこれで帰りますね。いやあ、なかなかに骨が折れましたよ。魂の数が多すぎるもんで、何度か帰らなくちゃあいけませんでしたからね。ですが、このおかげで地獄行きの魂をたくさん確保出来たんで、うっはうはといったところでしょうかね。いくつかは使えそうな魂があるんで、いずれ極卒として鍛え上げておきたいところですね。うーむ、悩ましい。どうしたほうが良いですかね?」
「いいや、そう言ったところは全部君に任せているからね。好きなように使えばいいとしか言えないさ。それに、俺はそういうのには疎くてわからないから。相談したいのだとすれば、閻魔様なんかとも相談すればいいと思うよ」

 彼は、にこやかな笑顔で帰っていった。さわやかに手なんて振っているのだから、俺も笑いながら手を振って送ってあげた。とはいえ、仕事の内容はなかなかに他人様に教えることは出来ない様なものだが。なにせ、死んでしまった人間の肉体を処理するのだから。葬儀にかけることなく、生き物のえさにするのだ。とはいえ、彼はそれに誇りを持っているようであるし、実際楽しそうにしているのだ。内容のグロテスクさにさえ目をつむれば、ただのさわやか青年でしかないのである。
 そして、俺はゆっくりとハルたちの元へと戻ると、今もまだ喧嘩したままであるようだった。いつかは怒り疲れて、やめるだろうと思っている。それまで好きにさせておいたほうが良い。無理に止めようとする方が悪手なのだから。全てを吐き出さなくてはしこりが残ったままになってしまうということを知っているのである。

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