天の仙人様

海沼偲

閑話9

 どれだけの数の敵を斬り殺してきたか。もうだいぶ前に数えるのをやめた。敵の練度は非常に脆弱といっても過言ではないだろう。なにせ、今の今まで傷一つもついていないのだから。だが、それ以上に敵の数が多いということに、精神的な疲労はとてつもなく溜まっていく。今では、最初に立っていた位置からは少しだけ離れた場所で戦っている。あの大岩の周りには、敵の死体が積もりに積もっているために、歩く場所はないのである。ならば、場所を変えるしかなかった。あの山を見ただけで、うんざりとして、気分が悪くなる。なにせ、今までオレが殺してきた敵の数を目の当たりにしてしまうのだから。オレは人間なのかという根本的な疑問が沸き上がるほどである。人間であるのならば、あれだけの数の人間をわずかな時間だけで殺せるのだろうか。そう思えてならない。それだけの数の敵を殺しているのだ。
 精神が完全にすり減って、人としての死を迎えるのが先か、体力的に疲れ切って、彼らに無慈悲に殺されるのが先か、はたまた、それを耐えきることが出来るのか。後者であればあるほどに、御子様の望んでいる結果であるのかもしれない。最もダメなことは、人としての意識が、自覚が、自我が消滅してしまうことなのだろうから。それさえを気を付けてしっかりと自分を確立させていかなくてはならない。人を殺しつつ、そのたんびに揺らいでいるオレの人間性をしっかりと、保ち続けるわけであった。
 当然、それだけの数の敵を斬り殺していれば、剣だって歪んでくることだろう。だが、それを魔法で修復していく。これは、一般的な技術である。そうすることで、長期的に戦えるようにするのだから。兵士であれば……いいや、そうでなくても習得している。だが、オレはこういった細かいことは得意ではない。それでも、一般兵士たちの剣の修復速度よりは早いと自負している。だが、オレの周りにはこの魔法に一瞬の時間も取らせないような技術を持った人間が三人もいるのだ。そして、それは全てオレの身内だ。兄さんに至っては、敵を斬りながら、同時に修復を行うために、まるで常に新品であるかのような状態であり続ける。オレは、剣の腕だけは一丁前かもしれないが、その他において、他の三人の足元にも及ばないのだ。だからこそ、剣の修行を兄さんを無理やり連れだして行っているのかもしれない。そうでもしなければ、オレは兄さんに圧倒的なまでの劣等感を抱いてしまうだろうから。そんな自分自身がたまらなく嫌である。
 そして、この剣の修復にかかる遅さは、だんだんと大きな元なって襲い掛かってきている。一度に出現する敵の数も二人、そして三人と増えてきている。そうなると、出来る限りの隙はなくさないといけない。だが、その時に枷となっているのがその魔法の練度なのである。ほんのちょっとばかりの隙が彼らの優位性をより生み出している。今までは、それでも無理やりに突破は出来ているが、それに合わせて剣の損傷もひどくなってくる。無理をすればするほどに、俺の首が絞まっていく。焦りがあるのだろう。冷静にならなくてはならない。そうしなければ、敵を倒すことは出来ない。効率よく、彼らを殺していかなくてはならないのだ。まさに、機械であるかのようで、オレの人格を否定されているかのように思えてくる。ただ、それに逃げておぼれてはならない。オレがオレであり続けながら、敵を殺さなくてはならないのだから。
 それからも何人であろうとも敵を斬り殺していく。魔法の技術も今こうして使い続けているおかげで、少しずつではあるが、より精密になっていっているということも感じている。隙があまり出来なくなってきているのだ。それに気づいたときは、喜んだものだが、それに気を取られれば、攻撃をもらうだろうからと、引き締める。油断してはならない。それで命を落としてしまえば、今までの努力が完全に水の泡となって消えてしまうのだから。それだけは絶対に避けなくてはならない。
 どれくらいの時間が経過したことだろうか。周囲の景色は変わることはない。朝と夜という区分けがないのだ。だから、時間を計ることは非常に難しい。というか、オレにはほとんど無理な話である。頭はあまりかしこくはない。一度に複数のことを考えていられないのである。だから、どれだけの時間が経過しているのかということが分からない。とはいえ、あまりにも唐突に敵が現れなくなった。しんと静まり返ってしまったこの世界の中で、俺はただ一人立っているだけなのである。周囲にあるのは死体ばかりである。先ほどまで動いていた、者たちの残骸が転がっているだけなのだ。景色は変わらないが、景色に生まれたエキストラたちは新たに増えたことだろう。残酷で、不気味で、恐ろしく思えてならないが。この光景はオレが生み出したのだ。それを思えば思うほどに、意識が希薄になりそうである。オレは首を振って意識を取り戻す。
 もしかしたら、試練は終わったのだろうか。それなら嬉しいことだが。だが、それなら、オレが想定していた試練の難易度よりは物理的には簡単すぎると思ったわけである。なにせ、傷一つなく、すべての敵を退けたのだから。もう少し命の危機に瀕するようなことが起きるのかと思えたがそうではなかった。まさか、御子様がオレの実力を見誤るなんてことはないだろう。だから、もしかしたらまだ何かあるのではないだろうかと、警戒を解くことはやめないでいる。
 何かが視界の端で動いた。そちらへと顔を向けると、そこには先ほど殺した敵がそのままの姿で立ち上がっている。腹を斬られているために、なかから、臓物がびちゃびちゃと零れ落ちているのだが、それを気にしている様子は見られない。どうやら、死体が動いているようである。さすがに、あの状態の人間を見て、生きている可能性をわずかでも模索することはありえないだろう。それは、周りにの伝播していく。ゆっくりと、一体、二体と起き上がってくるのである。どうやら、今度は俺が倒した敵の死体と戦う羽目になるらしい。そこでふとあることに考えが至る。もしかしたら、先ほどまでの試練は時間制限があったのではないかと。そして、その時間内に殺した敵の数だけこの試練では同時に戦う羽目になるのではないかと。
 オレはすぐさまに、この場から離れて、距離をとったところで、剣を構える。それが正解だった。オレの足元にいた敵までもがゆっくりと起き上がっていたのだから。もし、あの場に立ったままであったら、四方八方を敵に包囲されてしまったことだろう。あり得た未来を想像するだけで、ぞっと肝が冷える。恐ろしさに体が震えてしまう。そして、それを助長させるかのような死臭があたりに漂い始めてきている。先ほどまでは、ただ人形であるかのようにすら感じられた彼らが、しっかりと死んだ人間であるのだと意識させられてしまう。だが、今はそんなことで恐怖に襲われているような余裕はない。現実的な脅威がだんだんとオレに近づいてきているのだから。だからこそ、冷静にして慎重に、剣を構える。じっと敵の集団を見る。
 彼らはゆっくりとこちらへ移動している。歩いているだけである。のろのろとしている。もしかしたら、死んでいるからか、肉体を生きていたころのように扱えないのかもしれないと、思う。数が多いだけで弱体化しているのならば、それはきっと、楽なことだろう。質が下がれば、それだけ一人を倒す労力を大幅に削ることが出来るのだから。だからこそ、そんなことはありえないだろう。試練が段階を踏んで楽になるなんてことはない。わかっている。来るのだということが。
 あまりに突然である。勢い良くオレの方へと走ってくるのだ。全速力である。しかも、生きていたころよりも少しばかり力強く感じる。どうやら、一人一人の質が上がって、なおかつ数も増えているようである。予想以上の難易度ではないだろうか。少しばかり死を覚悟しなくてはならないだろう。だが、ここで死んではいけない。オレは、こんなところで無駄死にしてはならないのである。気合を入れ直す。絶対に生きて帰るのだという意思を強く持つ。それだけで、大きく変わる。
 だが、オレの決心を壊してくるかのようである。彼らはオレが殺した。そして、もう一度殺さなくてはならない。少し気が引けてしまった。二度もオレの手によって殺されるということなのだから。これが試練であるということを忘れてしまいそうになる。だが、そこで一つ抑え込まなくてはならない。むしろ、彼らは生きてはならないような浮上の存在なのだ。ならば、送り届けてやるのが使命だろう。オレはだんだんと意識を変えていくようにして、彼らのために殺しつくすのだという思いへと変化させていく。これならば、揺れることはない、砕けることはない。オレ自身が自身を見失うことはない。
 俺も同じくして、敵に突撃する。瞬間とも呼べる時間で、距離を一気に詰める。そして、戦闘の敵の首を吹き飛ばす。一振りで、勢いよく飛んでいく。身体能力は上がっていようとも、肉体の脆弱さは変わらないようだ。むしろ、あまりにも短時間で大きく腐り始めているようで、より脆くなっているように思えてならない。これは、精神的なダメージを負わせるための変化であろう。殺した人間が目の前で朽ちていく姿を見せられるのだから。だが、オレにはもう効かない。それならば、問題はない。一撃で完全に殺しきる。それを実行するだけだ。
 一振りごとに、敵の頭がそれとも胴体が、吹き飛んでいく。豆腐を斬るかのようにすぱすぱと斬れていく。むしろ、斬った心地がなくて、少しばかり不気味に感じるほどなのだ。だが、それでも確実に敵が減っているということはわかっている。それと同時に、オレに攻撃が当たってしまうことも少なくはない。槍による攻撃だけは全力で回避しているが、拳であったり、蹴りであったりという攻撃だけは、あまり意識を割いていないために、たまに当たってしまうのだ。そのたびに、距離をとって、気持ちを切り替える。一撃一撃が、俺の体に悲鳴を上げさせるに十分な威力を持っているのだから。一度に何発も貰ってはならないだろう。慎重にならなくてはならない。
 今まで倒した数が多すぎるおかげで、確かに数は減っているとは頭では理解できているが、感覚的には納得がいかない。本当に、敵が減っているのかと不安になる。後ろの方に新しい敵が追加されているのではないかと変なことを考えてしまうほどであった。だが、そんなことを言っても、ひたすらに剣を振ることしか、オレには出来ない。むしろ、それだけで今まで生きてきたのだ。ならば、これを信用しなくてどうするのだという話である。オレの頭は信用しなくても、オレの剣の腕は信用するに値するのだから。何度も何度も振ったあの努力を、見捨てたりはしない。
 戦いにずっと明け暮れているおかげで、疲れがたまっている。さすがに、魔力によるごまかしすらも効かないほどに、肉体的な疲労は目立ってきている。アランならば、まだまだ元気なのだろうが、オレはそこまでの体力を持っていない。だからこそ、荒くなってしまった息を元に戻す術を持たずに、ただ剣を全力で振り続けるだけなのだ。気力とでもいうべきだろうか。だが、その意地に近いものでも、戦い続けているおかげで、数が減っているのだと目に見えてわかる。それ以上にオレの体はボロボロなのだが。槍の攻撃すらも避けられないことがある。掠っているだけだが、血が流れ始めているのだ。魔法をうまく発現させることも出来ていない。傷の修復があまりにも遅い。オレはまだまだ、弱いのだということが分かる。この程度で弱音を上げているのだから。
 何度も腐った肉を切り裂いていく。バカみたいだ。自分が何をしているのかを客観的に考えてしまえばしまうほどに、道化のように滑稽である。俺は、死体と遊んでいるのだから。そして、死体に殺されかけているのだから。生者の意地でここは生き残らなければ、ダメなのだ。彼らを殺したのだから。彼らの分まで生きねばなるまい。ならばこそ、余計に今この場で死ぬことは最も侮辱的な行為だ。彼らに対する侮辱なのである。それがわかるからこそ、オレはただ必死になっているのだ。

「はあ……これで終わりだぞ……」

 今目の前には、一人の死体だけが立っている。じっと待っていた。彼を殺せば、すべてが終わる。そう思っているし、そう思えなければここまでたっていることは難しいだろう。今まさに目標がいるのだから。彼は、肉をまき散らしながら、こちらへと向かってくる。オレは待ち構えるようにして、剣を構える。腕を振り上げて、勢い良く振り下ろそうとしてくる。その前段階の大きな隙を逃すことなく、腕を斬り落とし、流れるように胴体を切り裂いた。
 オレは全身を血だるまにしながら、なんとか最後の一人を切り倒すことが出来た。あたりには、俺の血が、まき散らされている。もしかしたら、失血で死ぬかもしれない。そんな不安が頭をよぎるほどである。しかし、そんなことを考えていると、あまりにも突然にオレの体が光り輝いたのである。オレは困惑する。だが、そんなことなどお構いなしだと言わんばかりに、光はどんどんと輝きを増していくのだ。そして、俺は何も理解できないままに、気を失ってしまった。

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