天の仙人様

海沼偲

第144話

 さきほどまで確かに欠損していた片腕は、にゅるにゅると新しく生えてきている。だが、その速度は、キメラの再生速度というにはあまりに遅いものであった。ただ、それは自分の体に悪影響を及ぼさないように最大限配慮されたからこその、速度なのだろうということが理解できる。そして、新たな体を作り出している最中にもこちらに対して隙を見せる様子は一切見られない。手足あわせて三本だった時ですら、攻めづらさを感じていたというのに、五体満足に戻ってしまえば、それはより顕著なものになることだろう。
 じりじりと、確かに俺たちの距離は縮まっている。あとほんの少しで俺たちの間合いに入ると同時に、彼もまた俺たちを間合いに入れることだろう。いいや、彼にはそれに合わせて尻尾までもが生えている。俺たちよりもほんのわずかに間合いが長い。形状からしても、鞭のようにしならせるような使い方をするのだろう。待ちの姿勢でいれば、確実に相手に先制を譲ることになる。それは誰の目から見ても明らかであった。
 先に動いたのは俺たちである。四人もいるのだ。だからこそ、あえて強気に攻めることが出来る。先に動くことで主導権を握るという目的もある。彼の強さがわからないのであれば、相手に余裕を持たせないようにしなくてはならない。キースがキメラの足元にほんの僅かな段差を急に生み出す。その瞬間だけ、バランスを崩す。突然足場の形が変わればそうなる。だが、足二本と尻尾のおかげで少しだけ体が傾いた程度で終わってしまう。だが、確かに出来ている俺たちがその隙をただ手をこまねいているわけはない。少なくとも、剣で攻撃をしようとも、鱗が衝撃を吸収してしまうだろうということはわかっている。ならば、拳でしかない。蹴りでしかない。格闘戦をするしかないのだ。
 しかし、キメラもそれを見ているだけで終わることはしない。こちらに対して、手のひらを向ける。そこから、何かしらが発射させることは誰もが気づいている。そのために、ルイス兄さんは火や水、土の魔法を使い彼の目くらましに全力を注ぐ。相手にダメージを与えるのではなく、視界を隠す目的で生み出された魔法は、魔力をあまり使うことはない。だからこそ、大盤振る舞いが出来るのだ。彼の顔面に多くの魔法がぶつけられて、そしてそれはしばらくの間形を残し続けており、視界を奪い続ける。俺たち二人は回り込むようにして近づいていく。だが、俺たちの足音が響いているためか、なんとなくの位置でも俺たちのすれすれを魔力の塊が飛んでくる。あれに当たれば、少なくとも、いくらかの距離は吹き飛ばされるだろう。距離をとるために使うような攻撃ではあるが、それでも、痛みがないわけではない。俺たちは必死に避ける。
 当然だが、距離が近づけば、それに伴うように精度が上がってくる。今も頬に掠ってしまった。たらりと、血が流れている。仙人の肉体のおかげか、すぐに傷はふさがってしまうが。だが、仙人の体すらも傷つけるだけの威力の魔法が放たれているという事実は忘れてはならない。少しの油断で命が消し飛ぶことは確実だろう。
 だが、どうにか距離を詰めることは出来た。最後の数歩は音すらも置いていくかのような全速力である。それの補助を行うように俺の体の周りに兄さんが発現させている風の魔法が展開され、足元にはキースの生み出しているよくわからない黒い何かがある。それは音を吸収するかのように揺れている。最後の数歩、俺たちをとらえることが出来ないから、彼は魔法を放つのを止めてしまった。無駄に放つことが出来るようなものではないらしい。
 お互いの拳が、対面から同時に叩き込まれる。全ての衝撃を外に逃がすことを拒絶するかのように、もう片方からも衝撃が伝わるのだ。挟み込まれるようになってしまっているキメラの体を二つの衝撃が縦横無尽に駆け回っていることだろう。キメラでなければ死んでしまったとしてもおかしくはない。それほどの攻撃を与えたのである。逆に言えば、彼は死んでいないのである。いくつもの内臓を破壊するだけの力をもってぶつけられた一撃は、彼の鼻から出血をさせる程度の価値しかなかった。だがそれでも、確かなダメージはあるのだと思いたい。
 しかしながら、それでも、彼はニッと口元をゆがませるかのような笑みを見せる。明らかに効いていないと主張している顔であった。そのまま、体をひねらせる動きから繰り出される尻尾の一撃によって、俺たちはあまりにもあっけなく吹き飛ばされてしまうのであった。いや、無理やり自分たちから飛んだというほうが正しい。そうでもしなければ、あの尻尾の一撃で腕が持っていかれてもおかしくはなかったのである。掠っただけでも肉がえぐれることだろう。それだけの速度と衝撃でもって繰り出されていたのだ。
 すこしだけ、カイン兄さんの体勢が崩れていた。それを逃さないとばかりに、接近する。その速度は音を置き去りにしてしまうかのようで、瞬きする余裕すらも与えられないのであった。あの速度で迫られてしまえば、ただの拳ですらも兄さんの体を引き裂くことが可能であろう。だが、その速度で移動している相手の足首を掴んだら当然、その勢いを唐突に殺されるせいで前のめりに倒れ込んでしまう。ガツンと大きな音が響き渡り、頭から地面にぶつかっていることが分かる。しかも、地面に細工がされていたようで、尖っていた。
 ごぼごぼと音をたてながら、真っ黒い腕が地面から伸びていて、それはキメラの足首を掴んでいるのであった。しかも、だんだんと魔力を吸い取っているかのように見える。あのまま掴まれ続けていたら、魔力が枯渇するだろう。そうなれば、キメラの力を大きくそぎ落とすことが出来ることだろう。そうはさせまいと、彼は地面に向かって全力で拳を叩きつけるのだ。その衝撃波だけで、腕を形成していた黒い物質はあたりに飛び散ってしまう。しかしそれでは収まらずに、俺たちにまでそれは届いてしまう。バサバサと服を揺らしている。足に力を入れなければ、吹き飛ばされてもおかしくはないのだ。あまりにもでたらめである。さすがは戦うためにしか存在していない生物であるということか。

「《火よ水よ風よ土よ、大いなる竜よ、始まるの元素から生まれし竜よ、我の前に現れ、偉大なる力をそのままに、我が敵を打ち砕く、四柱が集まりし地にて、全てが生まれ全てが破壊されるのだ》」

 しかし、それだけの威力でもって振り下ろされてしまえば、それなりの硬直が生まれることだろう。ほんのわずかであろうとも、体が止まることは大きなチャンスを生むのだから。その硬直した隙に、ルイス兄さんが生み出していた四体のドラゴンをかたどった魔力の塊が飲み込んだ。しかも、その四体は属性に分かれている。火、水、風、土の四つにである。それら元素を混ぜ合わせるのではなく、バラバラのままに発現させて、それを同時にぶつける。そして、ぶつけた箇所で元素を融合させるのだ。威力は絶大である。体内で混ぜ合わせる時は、人間が制御できるように無意識で威力を弱めているそうだが、それを外ですることで、無意識の制御を取り払っているのだ。だが、それを外で行えるような高等技術を扱える人は滅多なことでは現れない。少なくとも、四属性を別々に操ることが出来る人を、俺はルイス兄さん以外では見たことがない。だが、その兄さんでも呪文を唱える必要があったようだが。
 だが、当然ではあるが、その威力は俺たちにも襲い掛かる。俺たちは一人一人別々に壁を生み出して、その衝撃から少しでも体を守る。この中では、カイン兄さんが魔法では劣っているため、キースが自分の魔法でもって、カイン兄さんのことも守ってくれている。カイン兄さんが自分の体を守れない威力を放つというのはどれだけ本気なのだろうか。普通なら消し炭になってもおかしくはない。そして、ルイス兄さんは誰かがカイン兄さんを守ってくれるとわかっていたのだろう。でなければ、地面が揺れるほどの威力を持った魔法を放つようなことはしない。俺はそう思っている。兄さんのことを忘れていたわけではないだろう。そう言ってほしい。口をぽかりと開けて、二人のことを見ていないでほしい。
 俺がいまだに警戒しているために、残りの三人も一切気を抜くことはしない。ただ、ルイス兄さんだけは、警戒をしつつも呆れたように、そして感情が抜け落ちてしまったかのような顔を見せてしまってはいたが。たしかに、あれだけの魔法を放っていれば、普通は死ぬ。むしろ、威力がでかすぎて無駄なほどだろう。だが、それでも彼は生きているのだ。彼の気の巡りは今もまだ確認できる。
 煙の中から、たしかに何かの影が起き上がるのを確認した。確かに生きている。弱っているだろうか。もしかしたら、今またすぐにでも攻めることが出来れば、そのまま倒しきることが出来るだろうか。
 俺たち四人の意見は同じであった。すぐさま突撃。一瞬で肉薄するのである。そして、確かに見た限りでは、鱗とが剥がれ落ち、中の肉が焼きただれて、かろうじて動けるのだろうということだけがわかった。近づけば、焼けた肉の臭いが鼻に吸い込まれている。これほどの好機は決して逃してはならない。今この場にいる全員が思ったのである。だが、それでありながら焦りはない。焦ることはこの場で最もしてはいけないことであるから。
 俺たち全員の剣が彼の体を貫いた。何重にも魔術的な強化を行うことで、圧倒的な威力を叩き出せるだけの一撃が四つも同時に突き刺さったのである。確かな感触が俺たちの手から体全体へと伝わっていく。飛距離を要さず、ただ破壊するという面だけに魔力を注がれた魔法は筆舌し難い殺傷能力を持たせられる。体のいたるところで小さくも確かな破壊音が聞き取れるのだ。確実に殺しただろう。だが、彼もまた諦めてはいなかった。生き物としての生の執着をありありと見せつけられるのである。無理やりな超回復により傷を修復させていく。そのまま、俺たちの剣を掴むとそのままへし折ったのである。そして、俺たちの動揺を狙うかのように拳が叩き込まれる。俺たちはその瞬間に吹き飛ばされてしまったのであった。
 一番最初に立ち上がれたのは俺である。彼のことを睨み付けて決して見失わないという意思を持つ。だんだんと、彼の体が回復していく。再生していくのをただ見ていることしかできない。俺一人では勝つことは難しい。それどころか不可能かもしれないのだ。さすがに、無駄に突撃をするわけにはいかない。

「お前……あの一瞬で、全員を蹴り飛ばしただろ。すこしだけ、いいや、少しという尺ですら長いと感じるほどのわずかな時間の間、体が動かなくなったんだ。で、ようやく動けるようになったと思った瞬間に何もしていないように吹き飛ばされていく三人。で、残ったのはお前だけ。だから、お前だけに一発拳をぶち込んだけど……それも自分から飛んだせいであまり力が伝わっていない。いやあ、驚いたなあ。まさか、あれほどの至近距離でも逃がしてしまうほどの隙を作られてしまうなんて。恐ろしいよ。お前が死ぬほど恐ろしい。お前をどうやったら殺せるのかが全くわからない」
「それはこちらのセリフという奴だ。どうしたらお前を殺せるのだ。死んでもおかしくはない一撃を叩き込んでいるというのに、それをなかったことにするように回復されてしまえば、打つ手がないぞ。しかも、魔力もまだ潤沢に残っているみたいだろうし。いつになったら枯渇するというのだ」

 独特の緊張感が漂っている。一瞬でも、隙を見せようものなら、確実に殺すまで相手に反撃すら許さずに、攻撃を与え続けようと意思をお互いがぶつけあっているためである。俺はそうでもしないと、兄さんたちを守ることは出来ない。少しでも意識が反れたら、確実に殺す。その意思を気に乗せて相手にぶつけることで、相手に俺に対する警戒心を跳ね上げているのである。
 俺の蹴りはそこまで強くなかったおかげで、兄さんたちはすぐさま起き上がる。大きな損傷は見られない。ひとまずは安心といったところだろう。何とか、今までの時間を拮抗させ続けることが出来たようだ。だからといって気は抜けない。瞬間の油断が命取りになるのだ。それを全員がわかっているために、立ち上がりつつも、決して目を逸らすことはなく睨み付けているのだから。
 今までの戦いを思い返してみても、彼を殺しきる算段は浮かばない。そもそも、殺せるのだろうか。ルイス兄さんの全力であろう一撃を直撃したのにもかかわらず、今では何でもないかのように立っているのだ。
 たしかに、まだまだ、焼けただれ焦げ付いている箇所は存在しているが、それが完全に回復してしまうのも時間の問題だろう。そして、回復するまでの間、そう簡単に攻めさせてもらえるほどの相手ではない。打つ手がないのかもしれない。だからこそ、こうして頭を抱えてしまいたくなるほどの敵に対して有効な手段を思い浮かばないのだ。だが、今諦めてしまっては、確実に俺たちは死ぬ。生きることは最後まで諦めてはならない。だからこそ、彼に対しても常に牙を見せつけていかなくてはならないのである。それはいつまで続くのだろう。今すぐにでも終わればいい。だが、それは決してあり得ない。
 汗が流れる。仙人であろうとも、関係ないとばかりに今この場には死の臭いが吐き気を催すほどに充満しているのである。この場にいる全員が生を渇望しているからこそ、その気持ちが濃くなるほどに死の臭いも濃くなるのである。そしてそれに、気分が悪くなってしまうほどなのだから。

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